声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

OCT.17,2019

関西でとった写真①

 

 関西で撮った写真が現像あがってきたので、徐々にアップしていこうと思う。フィルムのデータ化は自前のスキャナーでやってるんだけど、すべて取り込むのなかなかたいへんだった。色の調整が終わりも正解もないもないから非常に難しい。

 初日の集合場所は芦屋のヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)。設計はフランク・ロイド・ライトで、ぼくははじめての訪問。遠くからの外観写真一枚しか撮ってないのが残念なのだけど(もっていったカメラが中判だけだったので無闇に連射できず)、繊細かつ多様なディテールが連発する内部空間もおもしろかった。当時では当たり前なのかもしれないけれど、「天井」がちゃんとデザインされているということがぼくにとっては新鮮だった。天井は構造的な要請がないので装飾的にならざるをえないわけだけれど、装飾こそ空間に及ぼす影響が大きいのだと改めて思う。自分も勇気をもって装飾に足を踏み込むべきなのだろうか、とか、ライトの幾何学的な装飾パタンをみながら考えていた(個人的には単純なパタンの反復でできていて、仕組みやルールは認識できるけど要素に還元できないような複雑さをもつ装飾に惹かれる*1。急な斜面に平屋のヴォリュームが段々状に張り付くような構成で、容易に建物の全体像を展望できないような複雑さがあった。網戸好きとしては銅製の網戸と金細工の組み合わせがとてもよかったが、写真は撮っていないようだ。結局、ディテールのヴァリアントを前にして「どこか一枚を撮る」ということができず、写真は下の外観写真一枚となってしまった。山のうえから町全体を見守るように建っていてかわいらしい。一歩間違えば権威的な建ち方にもなりそうなのだけど、そうは見えないのが不思議だ。

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 それから、今回のSDレビュー2019に一緒に入選しているBORD(井上岳・棗田久美子・赤塚健による建築ユニット)の《打出浜のシェアスペース》が竣工間際ということで、見学させていただいた。展示をじっくりと読み込んだ建物の実物がみれるということで大変勉強になった。この建物に関しては別の媒体で詳しく論じる予定なので、またそのときに改めて報告します。しかし、「シェアスペース」と銘打たれた建築物をほぼ躯体だけみて論じるということはなかなか難しい。この建物は形式の純化をかなり意図的に避けているからとくにそうなのかもしれない。ただ、たぶんその形式化の度合い(コンセプトの不徹底さ、みたいなもの)にこそ重要な論点があるんじゃないかと思う。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

OCT.8,2019_ジョーカー

 専門学校の授業を終え、夜の会合までの時間をつぶすためにジョーカーをみた。まじめに感想をかくと精神が吸い取られそうなので書かないけれど、ぼくは楽しめた。が、DC作品としてどうなのかと言われると、、、どうなんだろうな。

 ところで、トーマス・ウェインがどこなくドナルド・トランプを意識して描かれているように思われて、そうなると息子のブルース・ウェイン(のちのバットマン)とトランプ大統領の息子のバロンくんが重なってきて、30年後くらいにバロンくんがバットモービルにまたがっている姿を想像してしまって、劇中ひとりで興奮してしまっていた(超余談です、すみません)。あと、ホアキン・フェニックス演じるジョーカー(ホアキン・ジョーカー)とダークナイトのジョーカー(ヒース・ジョーカー)は別人なんだよね?(時系列的にも行動原理的にも)、という疑問があってちょいともやもや。それが成立するのが仮面であり、だれでもジョーカーになりうるし、だれでもジョーカーを生み出しうる、と。やりたいことは大変にわかるし、アクチュアルだし、共感もするのだけど、共感できすぎてしまうのがな。すべてに原因があって(たとえば病気や虐待という)意味が回収できてしまう、理性で納得できてしまう、感情移入もできてしまう、ことがちょっと疑問だった。もっと圧倒的な非-意味、共感不可能性、まったく理解不能な暴力、みたいなものがあったほうがよかったのではないか。あ、ところでデニーロ(のラストシーンはよかった。ぼくの研究室の先生は「タクシードライバー」が大好きなので、ジョーカーおすすめしておこうと思う。

 夜は同期のT野口、後輩のK本と会った。T野口はぼくが大学に入ったときに一番最初に話した男だが、大学院からは藝大で、変な(おもしろい)方向へ進化しまくっている。HPもおもしろい。

http://tno.onl/

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

OCT.7,2019_京都へ

 6日に京都工繊でSDレビュー入選者のプレゼンテーションがあったので、4日に東京を出発し京都入りした。節約もあり、行きは昼行の高速バス。11時くらいに新宿で乗車して19時くらいに梅田に到着した。新宿の高速バス乗り場(バスタ新宿)ははじめての利用だったのでどこにあるのかがマジでわからず、遅刻しかけてしまった。バスタ新宿を利用される方はお気をつけて。節約ということで高速バスを利用したものの、昼バスは深夜バスとは違い大きめのパーキングエリアでの休憩が何度かあるため、休憩ごとに誘惑にまけてジェラードやらたこ焼きやらを食べてしまい意外と節約にならなかったので、それもお気をつけて、、。終盤食べ過ぎてちょっと酔いました、、。その日は関西在住の後輩たちとご飯。大手設計事務所やスーパーゼネコンでみんな活躍していて、しっかりと刺激をもらった。が、終電がかなりギリギリだったので酔っ払った状態で飲み屋から駅まで猛ダッシュしたせいでアルコールが急激にまわり、電車のなかでめちゃくちゃ吐きそうになった。耐えたけど(あ、でもホテルについてから吐きました)。宿は平田さん設計のカプセルホテル、ナインアワーズ。カプセルのサイズが少し大きく、テレビモニターなどの余分な設備がなく、さらには空調の機器がめちゃくちゃ丁度良く、非常に快適だった。一泊2300円。また利用しようと思う。

 5日はプレゼン前日だったが、関西在住の建築家U谷さんと編集のAさん企画の京都建築ツアーに参加させていただいた。個人の旅行では見れないような建築にも案内していただき、大変勉強になった(このお二方には本当に頭があがらない)。訪れた建築については写真の現像が上がってから書くと思う。この日の夜は京都の町屋の奥深くへと入った先にあるディープなスナックに連れて行ってもらった。当然自分にもカラオケが回ってくるわけだが、ぼくに昭和歌謡のレパートリーはない。しょうがなく劇場版機動戦士ガンダム(のめぐりあい宇宙編)の主題歌「ビギニング」と聖戦士ダンバインOP「ダンバイン とぶ」を熱唱する。京都のディープなスナックで、そして多くの建築家の前で、、。このときばかりは自分のカラオケレパートリーの狭さを痛感する。村下孝蔵とか好きだし、こっそり練習しておこうと思う。

 6日、プレゼン当日。相方齋藤のとっさの判断により一瞬の隙をついてディープなスナックを深夜2時くらいに抜け出すことに成功したぼくらはそこそこ睡眠を取ることに成功した。午前中、鴨川沿いの「エフィッシュ」というめちゃくちゃ洒落たカフェでプレゼンの打ち合わせ(超おすすめ)。いろいろと質問の想定とかをするものの、結局は蓋を開けてみないと何が出てくるかわからないねとなり、まぁぶっつけ本番でがんばろうとなり、優雅にサンドイッチとスープを味わった。風が気持ちよかった。プレゼンはなんとかうまくいきました(この日のパワーポイント、機会をみて原稿つきで公開したいと思います)。シンプルでわかりやすい発表を心がけたのが功をそうしたのか、多くの人にわかりやすかったといってもらえた。が、もしかしたらそれは展示と比較して相対的にわかりやすかった、ということだったのかもしれない。この日の夜は同じくSDレビュー2019に入選しておられる建築家の駒井さんの自邸にお邪魔させていただいた。約20年前にSDレビュー入選したプロジェクト(新たな借家暮らしの方法を提案したもの)を引き継いだ自邸で、これがまたものすごく面白い敷地に立つ建築で勉強になった。粘り強く行政と交渉する建築家の執念と、継続することの重みを痛感した(駒井さんの場合それを楽しそうに実践しているのがすごい)。深夜にお邪魔したにもかかわらず、奥様お手製のお鍋とチーズケーキをご馳走になった。お店かな?というくらい美味しかった。そして愛犬の次郎くんが非常にかわいかった。いつまでも元気でいてほしい。

 7日、最終日。5日に引き続き、U谷さんAさんのエスコートで様々な建築を見学する。写真があがったらじっくりと感想をまとめようと思う。でも今回、カメラは35じゃなくて中判(PENTAX67)をもっていったから、枚数は全然撮ってないんだよね。ていうかめちゃくちゃ重くって(当たり前なんだけど)、全然旅行向きじゃないカメラだなと痛感した。旅行には大人しく35だなぁ今後は。

 こんなところで。いろいろな人にお世話になったこともあり、京都楽しかったです。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

OCT.1,2019

 今日が専門学校での座学の授業の1回目。今回はコルビュジエのサヴォア邸とラ・トゥーレットについて。ややこしい話もあったとおもうのだけど、学生のみなさんは辛抱強く聞いてくれていて嬉しかった。サヴォア邸には鳴門海峡のような大小様々な回転運動が内在しており、外壁を肩でかすめとるような運動が特徴的で、水平連続窓はそうした運動する身体を前提にしているんや!みたいなことを話したと思う。

 建築ふたつみっつだけで90分の授業を話しきるというのは実はけっこうチャレンジングだと思うのだけど、やってみると楽しい。が、下調べはやはり大変だ。次回はアアルトを予定してたけれど、パラーディオとブルネレスキをまずやっとこうと思う。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.28,2019

 さいきんネットで読んでる「村づくりゲームのNPCが生身の人間としか思えない」という小説が非常におもしろい。

https://ncode.syosetu.com/n1119fh/

 なろうにはかなりハードで本格的な作品もたまにあって(「ラピスの心臓」とか)、これはとくによかった。更新頻度にもよるけれど、書籍化、アニメ化は確実じゃないかと思われる。ファンタジー系のまちづくりRPGをしていたらゲームのなかの世界はどうやら実在してるっぽい、となり、主人公はその世界の神様としてゲームのなかの世界に介入していくのだけれど、同時にゲームのなかの世界の出来事が主人公の身の回り、現実世界にも徐々に介入していく、というお話。とくにゲームのなかの人々の頑張りに触発されて就活に失敗してニートをしていた主人公がバイトを始めたり家族との関係を改善していく感じが丁寧に描かれていて好感がもてる。試行錯誤しながらひとりの人間が(そして主人公が「まちづくり」することになるひとつの世界が)少しづつ「回復」していく小説なんだろうと思われる。

 なろうでおもしろい作品を見つけるのは干し草のなかから針を探すようなもので、それはそれでおもしろい(ほとんどの作品は読むにたえない、かつ途中で連載がストップする)

 あと「ソマリと森の神様」という漫画もおもしろかった。これもWEB発の漫画だと思う(たぶん)。秋からアニメ化されるっぽいので期待だ。これを読んで最初にイメージしたのは『魔法陣グルグル』にでてくる「アラハビカ」という人間と魔物が共存する街だった。人間が魔物に扮装している感じとか、非人間の多種多様な種族たちのなんともゆるい会話とか。ただし絵の書き込みはベルセルク並み……という。非人間(というとこの漫画に出てくるキャラクターは怒りそうだけど)の種族がとても多様で、コマの片隅にちらっと出てくるモブ魔物ですら食性や習性が細かく検討されているような丁寧な造形がなされており、絵をみているだけでも楽しい。そしてストーリーはせつない。オススメです。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.24,2019_iPhone 11とボトムズ

 iPhone 11に機種変更した。3年半ほど使ったiPhone 6sはもうほぼ限界で、1年前に一度バッテリー交換してからはけっこう快調だったんだけど、数ヶ月前あたりからまた急激に調子がわるくなってきて、通話がノイズだらけだったり、充電が1-2時間ほどしかもたなくなったりしていた。ということでやむなく機種変。 iPhone 11 ProではなくiPhone 11にしたのは値段の問題もあるし、そこまで高いスペックを求めていなかったということもあるけれど、なによりもiPhone 11の裏側のちょっと安っぽいところがいいなと思ったからだった。ツヤがあり、昔のガラケーっぽい感じ。しかし後から気づいたのだけど、iPhone 11 Proの背面のカメラがみっつ付いている感じがボトムズっぽく(検索してみるとやはり随所で話題になっていた)、やはりPro(のとくに緑っぽいやつ)にすべきだったかと少し後悔した。それだけではなく、iPhone 11はサイズが大きすぎてちょっと手に馴染まない感じなので、そういう意味でもProのちいさいやつにしておけばよかった。しかし大きさの問題は使っていくうちに慣れていくだろうと思われる。

 さて、おそらく大半の読者がボトムズってどんなアニメだろう……知りたい……気になる……と思ったはずだ。なんだかそういう「圧」みたいなもの、期待の眼差しみたいなものを感じたので、今更という感じではあるが少し紹介しておこう。iPhone 11 Proが「ボトムズっぽい」とされるとき、それは『装甲騎兵ボトムズ』に出てくるアーマードトルーパーという人型兵器(ATと呼ばれる)の「スコープドッグ」を指している。スコープドッグは主人公が主に使用するATで、ボトムズの看板ロボットだ。ボトムズはいわゆる「リアルロボット」(代表的なものに機動戦士ガンダム、戦闘メカ ザブングル、マクロスシリーズ、機甲戦記ドラグナー、機動警察パトレイバーなど)に分類されるアニメで、なかでもリアル思考が非常に強い作品として知られている。主人公機・スコープドッグの全長は4mほどで、過度なスペックはもっておらず、作中での扱いはひとり乗りの戦車くらいのものである。『宇宙の戦士』(ハインライン, 1959)で打ち出された「パワードスーツ」というコンセプトを、つねに玩具販売の制約をうけていた富野由悠季作品よりもよほど忠実に受け継いでいると思われる。実際に主人公のキリコはスコープドッグを酷使し、壊れたら躊躇なく乗り捨てる。大量生産された汎用兵器としての主人公機。しかし負けない。これがめちゃくちゃカッコよかった(と中学生のときのぼくは感じていた)。ただし、機体が大量生産されたなんでもないものになればなるほどパイロットは超人化せざるをえない、という問題はあり、そういう意味では「スーパーロボット」(マジンガーやゲッター、勇者シリーズ、ライディーン、鋼鉄ジーグなど。ただし「リアル/スーパー」という区分はスパロボ等で事後的に要請された便宜的なものにすぎない)は主人公にとくに際立ったセンスや才能がなくとも機体性能と気合と熱量と愛でイケる、みたいなところがあるので、それはそれで捨てたもんではない。むしろ凡人が世界を救うという物語が可能なのはスーパーロボットのほうだったりするのだ。

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 なんの話をしようとしていたのか忘れてしまったが、ともかく、iPhone 11 Proとスコープドッグはたしかに似ている。たしかに似ているのだが、スコープドッグというには11 Proはいささか性能が高すぎる、とぼくには思われる。これは大問題なのである。3つカメラがあるのはいいのだけど、スコープドッグを目指しているのならばもっと廉価で、安っぽく、傷つけてもよさそうな感じのものでなければ。Appleさんには是非がんばっていただきたい。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.22,2019_東京展おわりました

 22日 東京展、無事におわりました、めちゃくちゃはやかった、、。あと1週間くらい会期がほしいところですな。京都展は東京展よりも会期が長く、会場も大きいので、ゆったり見れそうな感じ。作品順もかわるので、また見え方が変わると思われる。たのしみ。

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 自分たちをプロジェクトを説明すればするほど、言葉はどんどん流暢になっていくのだけど、そのぶんなんだか胡散臭くもなってしまう気がしている。はじめのころにあった、敷地の状況や設計したものに言葉を与えることへのとまどい(そんな簡単に説明できるものなの?)がどんどん蒸発していき、あたかも最初からなんの迷いもなく現行の案にたどりついたように聞こえてしまう。しょうがないのかな。あの敷地を最初からポジティヴに捉えられてたわけではないし、設計も紆余曲折あった。けれど、説明はできるだけわかりやすく、素直なものにしたい。うまくいかなかったことや迷ったことなんかもふくめてわかりやくプレゼンする手法があればいいのだけど、これが難しい。Tくんに指摘されたことでもあるが、やはりこうした経験をふまえると、設計手法(設計に使っているツール)とプレゼンの手法をできるだけ一致させるアイデアの発明が急務だと、強く感じる。

 他方、今回のプロジェクトはぼくと齋藤が以前から企てていた「プロジェクト・タッグ制度」の第一歩でもある。これはあらかじめチームのメンバーを固定するのではなく、プロジェクトごとにメンバーを編成し仕事を進めるというもの。今回はぼくと齋藤がチームを組んだけれど、齋藤はまた別の仕事を別の誰かとタッグを組んでやるかもしれないし、ぼくはぼくで別の仕事を他の人と組んでやるかもしれない。もちろん自分ひとりでも仕事をする。でも情報は共有する。と、ぼくはずっとジャズをやっていたので、こういう仕事の進め方は自然なように思える(ジャズの場合、バンドメンバーが固定されるのではなく、ツアーごとに、あるいはアルバムごとに異なるメンバーがあつまって演奏をする)。いまは小さな仕事しかないけれど、いずれ大きな仕事(たとえば公共建築のプロポーザル)に挑む際に、小さな仕事での個別の共同はきっと役に立つと思っている。ただいくつか問題もある。ひとつは全員が共有できるような場所が必要だろうなということ(多分共同者間の物理的な「近さ」が必要不可欠)。もうひとつは責任の所在をどう明確にするのかということ。建築物の場合、管理設計した建物に10年後雨水のトラブルがあってそれに対処しなければいけない、みたいなことがざらにあるので、10年後20年後のトラブルに誰が責任をもって取り組むのかという問題は、プロジェクトごとにメンバーが変化する場合かなり複雑になってきてしまう。だから、たとえば全員が所属する会社組織を作っておいて、何かあった場合は組織として問題に対処するような体制をつくる必要があるだろうと思われる。

 先ほどの話に戻ると、「プロジェクト・タッグ制度」の場合、設計手法とプレゼンの手法を一致させるということがより一層難しくなってくる。むしろ求められるのは、プロジェクトごとに手法を新たに開発していくことだろう(タッグを組む人間が変われば当然設計やプレゼンの「手癖」が通用しなくなる)。タッグを組む人間のスキルや経験、そしてプロジェクトの規模や機能、敷地の状況に合わせ、スタディの方法とプレゼンの方法が一致する局面を構想し、それをプロジェクトのむしろ初期段階で検討・実装すること。これが可能であれば面白いと思うし、いろいろな人と試してみたいと思う。もちろん意匠設計以外の様々な専門技術をもった人を含みながら、プロジェクトの座組は行われるだろう。そして各々の状況に合わせてことなるスタディの方法、ことなるプレゼンの方法、そしてその先にある新しい建築空間の構築が、試されることになると思われる(スタッフ2〜3人くらいの小規模のアトリエ設計事務所がゆるく連帯する、みたいな感じになるのかな)。こういうことを考えている人が、同世代くらいにはけっこういる気がする。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.21,2019

 代官山の展示へ。最終日と最終日前日はお客さんが急激に増えると聞いていたけれど想像以上で、展示室の密度がすごく高かった。ぼくらの展示、想定していた観賞者の数は最大でも6〜8人ほどだったので、これほど人が多いとこちらが想定してしたようには見てもらえないんだろうなと思った。むずい。  

 ぼくらの展示内容はシンプルで、割と作りこんだ1/30模型とラフなつくりの1/200敷地模型、アクソメ、地図、漫画的なドローイング、写真。展示台には一次審査の書類で使った説明文などを並べたが、基本的に壁面にはテキストが出てこないようになっている。展示物の解像度を不揃いにするということは最初から決めていたので今回の内容にはある程度満足しているのだけれど(展示内容にも響いている展示形式だし)、次回はもうすこし要素を減らした静謐な感じの展示にトライしてみたいなと思った。図面と模型だけとか。

 今年度のSDレビューは一次審査の結果発表が遅く、準備期間が例年より1-2週間短かったみたい。しかもぼくと齋藤は建築学会大会を挟んでいたので、実質2-3週間ですべての展示物を揃える必要があった。そのための作戦?として、ある程度のところまで二人で設計のブラッシュアップを進めたあとは、各自分業をすすめることにした。齋藤がアクソメや地図、漫画パースというったドローイング系、ぼくが模型、図面、写真。SDレビューはドローイングと模型の入選展なので、ちょうドローイングと模型で担当をきっぱり分けたことになる。これは、テイストがばらばらになってしまってもかまわないから展示物ひとつひとつの密度を上げ内容を面白くしようという判断でもあるし、テイストがバラバラであること自体が自分たちのスタンスを表しているんじゃないかという判断でもあった。ただデメリットもあって、展示物ひとつひとつに目を通してもらわないとプロジェクトの全体像が浮かびあがってこないようなプレゼンテーションになってしまったかなと思う。じっくり見てもらえればスルメのように面白いところが見えてくるんじゃないかと思うのだけど、人が多い+観賞時間が短いと、何がしたいんだかわからない案だな、となってしまいそうだ。プロジェクトの全体像を一発で見せるようなことは特にしたくなかったし、するつもりもなかったけれど。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.18,2019

 冷蔵庫には昨日つくった肉野菜炒めの残りがあったのだけど、それは明日の昼にでも食べるとして、なんとなく魚がたべたくなってきたのでスーパーへ。しかしいざスーパーの魚を前にするとその形態の情報量の多さに尻込みしてしまい(これはいつものことで)、結局無難にタラの切り身を買った(こういうことを続けているので一向に魚を三枚におろすころができないでいる)。

 タラに塩で下味をつけて片栗粉をまぶしておく。すこし臭みがあったので山椒もたっぷりまぶす。これを揚げたものに(ついでにマイタケとエリンギも素揚げして)、すりおろしたカブをみじん切りにした葉と一緒に煮込んだみぞれあんをかける。 もう一品、豚ひき肉をニンニクと生姜をたっぷり入れて炒め、それを砕いた松の実とオイスターソースであえたそぼろあんをつくり、ナスをレンジで蒸したものにかけた。どっちもあんをかける系だが、魚に野菜のあんをかけるやつと、野菜に肉のあんをかけるやつの両方をつくってみたが、食べ終わってみて、どちらか一方でよかったかなと思った。個人的には後者に軍配があがった。

 ぼくはすごく料理に凝るタイプではないので、ご飯とお味噌汁に加えて、手軽に安く作れるおかずが一匹あればいいかなと思っているのだが、この一品の設定が難しい。時間があるときには今日みたいな「おかずバトル」みたいなことをやってしまって、作りすぎてしまう。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.16,2019_Once Upon a Time

 富山から来てくれた両親に展示を案内。祝日ということもあり、その後も見に来てくれた知人や後輩に簡単に案の説明を。何度か自分たちの展示の説明をおこなっているうちに、なるほど、こういう順序で説明していけばいいんだなということを(あるいはここがわかりにくいところなんだなというところとかを)掴んでくる。リアルタイムで反応をもらえるということは本当に勉強になる。今回のぼくらの提案、プレゼンの比重は外形のつくりかたに傾いていて内部空間のことはほぼ説明していない。のだけれど、理解していただきたいのは、外形をつくるということは(まちのなかでの建ち方、外観をみた印象、周辺の構造物との寸法や色の関係性などの吟味)は、直接的に内部空間をつくるということに結びついているということだ。間接的に、ではない。外形をみるという経験と内部での経験がなめらかに連続しているということ、各々に個別のコンセプトがあるわけではないこと、が、模型だとなかなか伝えにくい。

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 先日、タランティーノの「Once Upon a Time... in Hollywood」(2019)をみた。今回もしっかりおもしろかった。SDレビューで展示しているプロジェクトに一緒に取り組んでいる齋藤とも話したことなのだけど、映画としての解像度が粗い部分と丁寧な部分がどっちもあるような、いわば「うまさ」それ自体をコントロールしているようなところが、自分たちのやろうとしていることに近いかもしれない、と思った。前回扱ったADVVTもそういうところがあって、ものすごく凝っているディテールもあればすごく適当なところもある。そういう判断はランダムにしているわけではもちろんなく、丁寧に細部が詰められている部分は緊張感のあるピリッとした空気感や清潔な印象をまとうし、即興的にラフにつくっているような空間は汚してもいいような、だらしなく生活しても許されるような雰囲気を携える。ぼくがやりたいのは、どこからどこまでも目地が完璧に揃っていて細部も完璧に納まってるたぐいの建物でもなければ単にブルータルな建物でもなく、たとえば室の用途や求められる雰囲気に合わせて納まりの「うまさ」みたいなものそれ自体がコントロール対象になっている、ようなことだ。タランティーノの映画にはそういうところがある気がする。終わることのない技術競争、「うまさ」のチキンレースみたいなものから、彼は早々に(もしくは映画をつくりはじめたその当初から)降りている。

 この映画はわりと終始だらっと物語的な起伏なしに進んでいくのだけど、登場人物の造形が魅力的なので無理なく見ることができる。現実に起こった事件への介入もうまい。ほとんどの人はシャロン・テートの事件の結末を知っているので、映画が始まった当初はどんな日常的な場面でもハラハラしながら見ることになるのだが、強調されるのはあくまでシャロン自身の人となりのキュートさなので、映画をみているうちに事件のことはいつの間にか忘れ、彼女の表情や初々しい感じの動作に不思議と引き込まれていく。シャロンのキャラクター造形の丁寧さに比べ、マンソン・ファミリーの面々の行動原理は終始薄っぺらく、ロマン・ポランスキーに至ってはほとんど存在感がないように描かれていて、これが功を奏していた。マンソン・ファミリーによって惨殺された悲劇の女優、や、ポランスキーの奥さん、みたいなレッテルをシャロン・テートから引き剥がし、彼女の生それ自体に光をあてること、へのタランティーノ強い意志を感じたのだった。

 あとブラピが演じるクリフがめちゃくちゃよかった。クリフが最強である(この映画のなかでは絶対に死なない)という確信を得るのが、彼が単身マンソン・ファミリーの本拠地に乗り込み無傷で生還するシーンだ。決闘を思わせるようなこのシーンは、リック(デカプリオ)が西部劇を撮影する場面と対比されリアリティが増していた(「フィクションのなかのフィクション」に「フィクションのなかのリアル」を対置させ、後者の現実味を高めるというタランティーノがよく使う手段)。リックの西部劇の撮影シーンも、シャロンが自分が出てる映画を映画館で見るシーンも、どちらも素晴らしかった。映画のなかの映画、みたいな入れ子構造にはいつもどうしても惹かれてしまう。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm/F2.4, FUJI PRO400H

SEPT.14,2019

 代官山へ展示の様子を見に行ってから、ギャラ間へ。たのしみにしていたADVVTの展示だったが、肩透かしを食らった気分だった。内容は十分におもしろかったのだけど、ストレートに彼らの設計手法や各作品のコンテクストそれ自体を深く知りたかったなという感じで、、。東工大との二拠点展示とかにすればよかったんじゃないかなとかいろいろ思う。あと中庭のあれはちょっとどうかと思った。これでいいのか、と。

 彼らはずっと、自分たちが設計した建築物を(とりわけ言葉をつかって)説明することを避けているように感じる。彼らが設計した建物を「計画」されたものとして捉えることはとてもむずかしい。それは現場でのイレギュラーな判断とか、ほんとにマジの偶然の判断(緑色の錆止め塗装とか)が多いからなのだけど、彼らの場合──たとえばOffice KGDVSなんかとは違い──スタディの手法とプレゼンの手法が切れてるっぽいから、説明的な言語なしにその辺をわかりやすく見せることが本当に難しいのだろうと察する。ワークショップを企画すること、ここ日本でしかできない「出来事」を構築することに焦点を絞ることは、そうした状況ではたしかにありうると思う。だが個人的には、彼らの建築特有の説明することの困難さに真正面から挑んでほしかった。彼らならできたはずだと思うし、たぶん見たことのないプレゼンテーションというのは(空間的なアイデアを駆使しながら展示室で建築経験を再現する、ってときの形式の発明は)、ここの葛藤がないと刷新されないんだと思う。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, 記録用 100