声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

DEC.7,2018_ 釜石→田老

東北で撮った写真⑥

○東北で撮った写真は今日で終わり。下は新井さん設計のホールだけど、これは陸前高田から釜石にいく途中に寄った建物だ。震災前に竣工したホールだけど、震災時には避難所として、その後は復興拠点として活躍したことで有名。断面的に非常に複雑な操作がなされた建築だけど、対照的に平面はすごく整理されていたのが印象的だった(そして下の写真右の謎のスペースも、、)。とくに図書館は動線がリング状に整理されていてすごく明快。複雑だけどカオスにはなっておらず、情報量のコントロールが巧みだなと思った。

f:id:o_tkhr:20181207233217j:plain△ 新居千秋都市建築設計: 大船渡市民文化会館・市立図書館 / リアスホール, 大船渡, 2009

 

そうだ、そういえば気仙沼では石山修武設計のリアス・アーク美術館にも行っているのだけど、写真を撮っていなかったのだった。ちょっと個人的にあの建築はダメだったのだけど、でも展示は素晴らしかった。「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展。ものすごく気合の入った展示で、胸が打たれた。あれほど魂のこもったキャプションを呼んだのは生まれて初めて。

リアス・アーク美術館

 

○大船渡のあとは釜石にいって、乾さんのプロジェクトをみるわけだな。前回の記事でまとめた唐丹の学校。

f:id:o_tkhr:20181207233238j:plain

△釜石市立唐丹小学校・中学校・児童館の裏山

 

釜石市で泊まったホテルの近くにあったのはヨコミゾさんのホールだった。このプロジェクトはプロポーザル段階から知っているので、実際に見学できて感無量だった。既存の町割りのリズムを残した計画はすごく効果的。ただ乾さんのプロジェクトのあとだと少し物足りなさを感じる。もちろん主観的な意見なわけだけど、この差はなんだろうかなと考えている。この近くにある千葉さんの集合住宅もそうなんだけど、つっこんで議論したくなる感じではないんだよね。問題解決はしているけれど、積極的な問題提起はしていないというか。

f:id:o_tkhr:20181207233253j:plain

f:id:o_tkhr:20181207233302j:plain

f:id:o_tkhr:20181207233320j:plain

△ aat+ヨコミゾマコト:釜石市民ホールTETTO, 釜石市, 2018

 

釜石のホテルの近くにあった墓地はすごい迫力だった。斜面にビッシリとお墓が集合していて、さらに奥にいくにしたがって階段が小さくなっていくので、奥行が錯視的にすごく強調されていた。

f:id:o_tkhr:20181207233330j:plain

 

最後は田老町の防波堤。1896年、1933年と立て続けに大津波による壊滅的な被害を受け、もともと「万里の長城」と呼ばれるような長大な防潮堤を築いていた田老町。既存の防潮堤は実は3.11では十分に機能したとはいえなかったみたいで、現在ではより巨大な防波堤が新たに建設されていた。まさに進撃の巨人の壁ような規模だ。

f:id:o_tkhr:20181207233338j:plain

このような巨大な防波堤をどう受け止めるかは難しい問題だ。ただ、意見はいろいろあるにしろ、既に立ってしまっているということには変わりない。この巨大な壁をどうにか肯定的に受け止めるような、日常生活におけるうまい付き合い方を考えないとなと思うところだ。

最後は駆け足になってしまったけれど、東北の写真はここまで。復興の状況を自分の目で確かめることができて本当に良かったと思う。明日からはまた、日常的な写真ブログに戻ると思います(撮った写真が渋滞している、、)。

//////////////////////////////

 (Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)

DEC.6,2018_ 唐丹小学校/中学校/児童館

東北で撮った写真⑤

f:id:o_tkhr:20181206220059j:plain

 

○ 唐丹地区は震災による大きな被害を受けた釜石市の小さな漁村集落だ。被災した小学校・中学校・そして児童館の再建を手がけたのは乾久美子+東急建設コンサルタント。乾さんらしく実に真摯な、こちらの背筋がピンとのびるような素晴らしいプロジェクトだった。被災した街への、建築への、与えられた敷地への、そして子どもたちへの99%の真摯さに、1%の過激さが混入している感じ(ちなみに見学・撮影の許可もらったのは外構と一部の内部空間だけだったので、後者の写真は少なめ)

f:id:o_tkhr:20181206220114j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220122j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220132j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220151j:plain

プロポーザル時からこの敷地だったとおもうけれど、再建にあたって設定されたこの敷地ははっきりいって、通常の学校施設の敷地としては異常な場所だ。海から大きくセットバックした、裏山の崖がギリギリまで迫るような斜面地。撤退、まさしく沿岸部からの撤退だ。どれほど離れれば「安心」できるのか、ということが、この海からの距離にはっきりと現れている気がして、悲痛な思いを感じる。海からの撤退。これは漁村集落のアイデンティティの根幹を揺るがすような問題でもある。であれば建築家に課せられた任務は、この撤退を徹底して肯定すること、計画に圧倒的な必当然性をもたらすこと、にほかならない。

f:id:o_tkhr:20181206220309j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220329j:plain

敷地の目の前にある郵便局。かなり直接的な参照源にしたのではと思えるほどよく似ている。


○ 唐丹の人々のアイデンティティを守りつつ(あるいは回復させ)、子どもたちが安心して学ぶことのできる教育施設(かつ防災拠点・防災教育施設)を沿岸部から遠く離れた斜面地につくること。この建築に実装されているすべてのアイデアは、この「撤退の肯定」という信念に貫かれているが、この問題を還元していった先に行き当たるのは斜面の造成(=土木)と建築(=小さな風景)にどう折り合いをつけるかということだ。

f:id:o_tkhr:20181206220446j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220502j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220516j:plain

造成が設計の主役となるエレメントとして最初から勘定に入れられているというプロジェクトは結構めずらしく、その条件を活かしきっている事例となればほとんど思い出せないくらいで、そういう意味でこの建築はとてもユニークだ。大きな特徴のひとつは、造成された地盤のレベル差と建築のレベルがピタリと合うことだろう。これ、単純なことに思えるのだけれど、実際に体験するとびっくりするような新鮮さがある。1階から2階へ登るとちょうど上の地盤面にいっているという関係で、地形にピタリと連動するように内部空間を体験することになる。造成された法面の高さは4mくらいだろうか。そのスケールに歩み寄っているため、校舎の一階部分は少々ゆとりがあり、逆に二階部分は少しだけスケールダウンしてそこに乗っかっているのだけど、それが立面のバランスの良さをもたらしている。胸を張って堂々としているようなプロポーション。そしてこの「どこかで見たことある感じ」はかなり意図的なんだろうなぁ。素材や色の選択。想像に過ぎないけれど、もしかすると被災前の学校の雰囲気も意識しているのかもしれない。

f:id:o_tkhr:20181206220553j:plain

児童館棟下部

f:id:o_tkhr:20181206220628j:plain

児童館棟上部

土木が少しだけ建築に歩み寄り、建築が少しだけ土木に歩み寄る。決して一体化するのではなく、相変わらず土木は土木らしく、建築は建築らしくしているのだけど、両者が奇妙にシンクロしている、という状態。AとBという異なる問題系をCという第三項に止揚してしまうのではなく、AとBを併存させつつ、両者が部分的に協同する一点を導くすること。部分的妥協点を見出すために必要なのはその都度その都度の丁寧な対話と、小さな「工夫」の積み重ねだ。造成と建築の関係はそのすごくわかりやすい例だけれど、これは他の二点間(たとえば「提案部分-周辺環境」「小・中学校-児童館」「架構-仕上げ」という異なるレベルで発生するあらゆる二分法)でも繰り返し反復されている解決方法である。「部分的な整合性」の徹底(まさにアレグザンダーが「サブ・シンメトリー」と表現するものだ)の結果、エレメントは必然的にバラバラになっていく。具体的にいろいろ挙げていったらキリがないのだけど、まず良いなぁと思ったのは外壁の処理だった。外壁の色はいくつかのブロックに分かれる庭にあわせて決定されていて、造成の断面的なレベル差をまたぎつつ、離れた棟を結びつけている。さらに写真を改めてみても斜面、とくに法面と建築の関係が絶妙で(決して融合するわけではないが両者が気持ちよくシンクロしているという)、理想的だなと思う。

f:id:o_tkhr:20181206220714j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220727j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220737j:plain


あと、すごく良かったのは廊下だなあ。片廊下のスケールが通常の小学校のスケールよりやや大ぶりで、かつ架構はおおらかな作りで高さのゆとりもあって、それが造成した法面との隙間にできた外部空間と一体化している。扉を開けば教室とも一体化する(写真は撮れなかったけれど、上段の棟の廊下の方がよかったかな)。発明的ともいって良いような廊下のスケールだと思った。片廊下というステレオタイプがスケールの調整と外部空間との関係で別物になっている。

f:id:o_tkhr:20181206220823j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220830j:plain

f:id:o_tkhr:20181206220838j:plain

斜面と建築の境界のあつかいもとても良かった。植栽も精密かつラフで、たいへん手が込んでいる。しっかりとリサーチしたんだろう、周辺環境と見事に連続している。

f:id:o_tkhr:20181206221010j:plain

f:id:o_tkhr:20181206221019j:plain

f:id:o_tkhr:20181206221028j:plain


この建築は海に向かって堂々と建っている。それは斜面の造成を変に凝るのではなく、地形に対して素直におこなった結果だ。基本的にこうした沿岸部では海に向かって垂直に斜面ができているので(あたりまえだけど)、造成のラインは海に対して水平にひかれることになる。そして造成部と連動して配置される建物のボリュームもまた、当然だけど海に対して水平に配置されることになる。先程触れた一階と二階のプロポーションの違い、そして縦長の窓が海と「面と向かう」立面を堂々たるものとしている。この窓がすごく良いんだよな。上下階をまたいでいるから、窓からはスラブのラインがビシッと見えている。これがポイントだろう。このスラブのラインが後ろの造成部分とピタリと合っているから、非常に抽象的なかたちで場の一体感が高められている。部分の形態言語は周辺環境からのサンプリングといっていいものだが、しかしそれは土木と建築がシンクロすることでもたらされる秩序によって貫かれている。周辺環境と連続しつつも埋没しきらないという、建築で例えるなら坂本さんの代田の町家に近いようなバランスの建ち方だと個人的には感じた。

f:id:o_tkhr:20181206172245j:image

f:id:o_tkhr:20181206221142j:plain
f:id:o_tkhr:20181206172240j:image

○たとえば今年の夏にイタリアで見た現代建築(たとえば世界的にも注目されたOMAのプラダ財団とか)と比較してもこの建築はまったく見劣りしない。大きな規模であっても、難しい与条件であっても、JVであっても、ここまでの建築を建ち上げることのできる乾久美子という人の底抜けの力量を感じた日だった。ちなみに唐丹には釜石駅から三陸鉄道南リアス線というローカル線に乗るのだけど、これがま〜素敵だったので多くの人に乗ってもらいたいなと思った。

f:id:o_tkhr:20181206172855j:image

//////////////////////////////

乾久美子 + 東急建設コンサルタント:釜石市立唐丹小学校・釜石市立唐丹中学校・釜石市唐丹児童館, 岩手県, 2018

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)

DEC.3,2018_南三陸→陸前高田

東北で撮った写真④

○南三陸から気仙沼を経由して陸前高田へ。陸前高田ではサイボーグ化した「奇跡の一本松」を見たが、それよりもベルトコンベア施設の名残がすごく印象に残った。陸前高田でおこなわれたのは市街地全体を12mかさ上げするというものすごい工事で、そのための土砂は山から巨大なベルトコンベアを用いて運搬されたのだけど、現在工事はほぼ完了しているので、ベルトコンベアの土台だけが墓標のように残っているという状況だった。

f:id:o_tkhr:20181203224638j:plain

南三陸町防災対策庁舎

f:id:o_tkhr:20181203230256j:plain

ベルトコンベアの土台

f:id:o_tkhr:20181203230440j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230447j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230455j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230505j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230446j:plain

 

○その他、サルハウス設計の「陸前高田市立 高田東中学校」も(外観だけだけど)見学させてもらった。建築物としての精度が高いことは外観からだけでもうかがえる。が、この特徴的な屋根形態の必然性はわからなかった。結局の所、できあがったモノを見ている限りではこの屋根の形態は理解できないのかもしれないとも思った。ワークショップで市民とともに提案を作り上げていく際の、その過程におけるひとつ道具、共通の道標のようなものとしてこの屋根形態のイメージが共有されていた、ということなのかなと予想する。ともすればまとまりのない要求をガタガタにつなぎ合わせたような結果に陥りがちなワークショップベースの設計に、ひとつの骨格をあたえるということ。「屋根」は計画が変化しても維持しうる建築エレメントなので、その点でも相性がよかったということかもしれない。これはとても現代的な「建築言語」の使い方と思う一方で、それが最終的にできあがる建築物に実装された際の効果をも期待してしまうのは欲張り過ぎだろうか。市民のバラバラな要求を受け入れつつ、何かしらの「代表」によってそれを統制すること。これは肯定的な意味なのだけど、建築のもつ抗いがたい”政治性”に設計者は自覚的だ。そしてその政治性をどういった技術で、あるいは素材で実現するのかという側面にも。これは公共建築という問題系の根本的な論点だ。

f:id:o_tkhr:20181203230627j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230631j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230652j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230706j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230701j:plain

f:id:o_tkhr:20181203230707j:plain
//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)

NOV.29,2018_大川小学校

東北で撮った写真③ 

○ 東日本大震災で最も悲劇的な被害を受けた小学校のひとつが大川小学校だろう。

f:id:o_tkhr:20181129143918j:plain

 

 津波到着まで50分という時間の猶予があり、さらに学校のすぐ裏手には日頃から椎茸栽培のために登っていた裏山という避難場所があったにも関わらず(実際この裏山に避難していれば津波は免れた)、学校側は子どもたちを校庭に長時間とどめた末に、裏山と反対方向の川側にある橋のふもとの三角地帯への避難を指示した。しかし、ときすでに遅く、避難中の児童たちは津波の直撃を受ける。児童74名と教職員10名が死亡・行方不明となり、生還者は教員1名と児童4名のみであった。詳しくは下のサイトにまとめられていたので、ぜひ。

大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻

f:id:o_tkhr:20181129145035j:plain

前面道路には大型トラックが頻繁に往来していた。

f:id:o_tkhr:20181129145059j:plain

かつて住宅地だった場所だ。

f:id:o_tkhr:20181129144306j:plain

右手が実際に児童たちが避難した北上川方面

 

 情報としてはこういうことを知っていても、実際に行ってみてみるとやっぱりぜんぜん違う。とにかく衝撃を受けるのは裏山と小学校の近さだ。全国どこを探しても津波への避難場所としてここまで最適な裏山がこれほど近い距離にある小学校はなかなか見つけられないだろう。だからこそ、災害に対する対処のまずさがより一層浮き彫りになる。とにかくこの建ち方が、建築と環境のひとつのセットが、日頃の災害教育や学校側の意思決定の問題等を徹底して見直していくひとつの参照点として極めて重要な震災遺構となることは間違いないと思った。

f:id:o_tkhr:20181129145230j:plain

f:id:o_tkhr:20181129145235j:plain

f:id:o_tkhr:20181129145255j:plain

 

 レーモンドの弟子である北澤興一によって80年代に設計されたのこの小学校は、天井高がとられた明るい平屋の教室群がユニークに配置されている構成で、とても先進的な設計であったことがよくわかる。いわゆる紋切型の学校ではなくかなりデザインが施された校舎であり(コルビュジエ風のトップライトもあったりして)、それが無残に倒壊している様をみるのは結構きつかった。設計者の北澤さんのショックはぼくには計り知れないけれど、下のインタビューは多くの人に読んでもらいたいなと思った。

www.nikkei.com

f:id:o_tkhr:20181129145456j:plain

f:id:o_tkhr:20181129145423j:plain


 真相究明には程遠い内容であった市の教育委員による調査や説明を受け、遺族側は事実を明らかにするため、石巻市及び宮城県側を相手取って訴訟を起こす。2016年10月、地裁は学校側の責任を認め損害賠償金の支払いを命じたが、市・県側は控訴。今年の4月が控訴審判決の日だったのだが、1審に続き2審でも遺族側が勝訴、再び宮城県及び石巻市の過失が認められることとなった。しかし、市・県側は最高裁への上告を決めているので、この問題はまだまだ収束していない。

f:id:o_tkhr:20181129145523j:plain

「津波到達点」の看板が見える。

f:id:o_tkhr:20181129145554j:plain

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)

NOV.28,2018_女川町と坂茂

東北で撮った写真②

 

○ 石巻から隣町の女川町へ。こちらも大きな被害に遭った町だが、駅前はしっかりと復興していた。女川はもともと石巻線の終着駅があった場所で、駅は港まで伸びていたのだけど、現在では400mほどセットバックした位置に動かされている。線路跡は東環境・建築研究所による商業施設「シーパルピア女川」となっていて、これがなかなかよかった。ふたつしたの写真で両サイドに見える焼き杉仕上げの建物がその商業施設。これは線路跡の港までまっすぐ伸びる軸から撮った写真で、奥に見えるのが坂茂設計のJR女川駅。

f:id:o_tkhr:20181128173745j:plain

f:id:o_tkhr:20181128173753j:plain

女川駅から港をみると下の写真のような感じ。いかにも坂茂な感じの建物なのだけど、スケールの設定、形態の決定の仕方ともによくできてるなと思った。上の写真をみるとわかるのだけど、明らかに奥に見える山(黒森山)の稜線から屋根の形態を決めている。あからさまに、風景との関係があっけらかんとわかりやすく明示されているので、それ以上解釈のしようがない、という感じがすごく良かった。隠喩ではなく直喩の力。

f:id:o_tkhr:20181128173802j:plain

 

ぼくは坂茂という人は直喩の人だと思っていて、それがこの建築家のすごく面白いところだと思っている。異常なわかりやすさによる解釈の停止と、それゆえのさわやかさ。例えば昨年竣工した「静岡県富士山世界遺産センター」なんかまさにそうだ。「富士山だなあコレ」という以外の解釈を絶対に許さない感じ。それが良いか悪いかは一旦置いておいて、これをやるの、すさまじく勇気がいると思う(ぼくなら絶対にしない)。形態が直喩である、ということは結局、形態を透明にするということであり、形態を主題にしないという宣言である。結果として、木材の匂いや、スケールの設定から受ける感触が、訪問者に真っ直ぐに届けられることになる。視覚性の放棄と、視覚以外の感覚器官が受け取る情報を前景化するための手続きとして、坂さんはこの直喩の徹底をやっている気がするんだよな。女川駅、数年経ってるけどめちゃくちゃいい匂いだったんだよね。この人の建築、匂いがファクターとして結構大きい気がする。

f:id:o_tkhr:20181128175332j:plain

△ 静岡県富士山世界遺産センター(出典: https://casabrutus.com/architecture/67999

 

◯ と同時に、「どこでなにをしてもやっていることが一緒」ということも、この建築家のすごいところだ。女川駅の内部は下の写真のような感じなのだけど、この建築は2010年の坂設計のポンピドゥーセンターの別館、「ポンピドゥー・センター・メス」と(規模はぜんぜん違うけれど)すごく似ていることがわかる。

f:id:o_tkhr:20181128174237j:plain

 

f:id:o_tkhr:20181128175923j:plain

△ ポンピドゥー・センター・メス(出典: https://en.wikipedia.org/wiki/File:Metz_(F)_-_Centre_Pompidou_-_Au%C3%9Fenansicht.jpg

 

莫大な予算をかけて建設された世界を代表する美術館の別館の設計と、極めて限られた予算のなかで極力短期間での建設が求められた復興地での公共空間の設計が、その根本的なコンセプトを共有しているということはよくよく考えればものすごいことである。普通はぜんぜん違うコンセプトになってしまうところなのだけど、坂さんはそうではない。これは坂さんのおこなっている活動全般を貫くような、本当にリスペクトすべき点だと思う。

 

○ 下は同じく坂さんが計画した、女川町の仮設住宅群。高台の野球場の内部が団地化していてとてもおもしろかった。中世のヨーロッパで円形闘技場が集合住宅へとコンバージョンされたような現象と重ねちゃうところだ(あとFallout 4をやっていた人なら、ダイアモンド・シティを思い浮かべるだろう)。団地の作り方も、コンテナを互い違いに積んで、コンテナ部分を寝室や水回りにして、コンテナ同士の隙間をリビングやダイニングにするというたいへん合理的な設計。コンテナゆえに低予算で施工が容易、かつ解体もしやすく再利用も可能だ(とはいえ雨の処理等が難しいとも思うのだけど、この建築にはそのへんの試行錯誤が見れておもしろかった)。くわしくは下のリンクからどうぞ。

Container Temporary Housing | Voluntary Architects' Network

ちなみに現在は役目を終え、ほぼ無人になっていた。住人の皆さんは仮設住宅での生活を終え、新居へと映られたのだろう。でもそこには生活の痕跡がしっかりと残っていた。

f:id:o_tkhr:20181128174243j:plain

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)

NOV.24,2018_東北で撮った写真

東北で撮った写真①

○ 仙台でおこなわれた日本建築学会大会のあと東北の被災地を車で巡ったので、そのときの記録写真を少しずつアップしていこうと思う。3.11の直後に複数の大学が協同しておこなった、津波によって失われた街を模型化するというプロジェクト*1にぼくの研究室も参加していたそうで(ぼくが学部2年生のころなので個人的には関係していないのだけど)、模型化に先立って先生方は被災直後の状況を車で視察したそうだ。今回の旅行は7年経ったあとの状況を視察するというテーマで、前回と同じルートで各地を車で巡ることとなった。いろいろなことを思いつつ現状の復興状況を見てきたが、なかなかどうして、言葉にするのは難しい。でもシャッターを切ることはできる。そして撮れたものを共有することもできる。これが写真のすごいところだなと思う。そこに何が写っているのかといえば、7年経ってもまだ全然復興は終わってないということだ。単純といえば単純なこと。この「終わってなさ」は、被災地のどこにいっても痛感することだった。

 

○まずは仙台市南東部の名取市へ。下の写真は名取市で撮ったものだ。もともと住宅地だったであろう場所が、いまはなにもない空き地となって放置されている。この写真をみて、ぼくは引き裂かれるような、アンビバレントな想いを抱いてしまう。というのも、「東北の被災地」というエクスキューズがなければ、ぼくはこの写真をみて単に「きれい」と思ってしまうだろうから。曇った空に、水平に広がる作業現場のオレンジネット、雑草。

f:id:o_tkhr:20181124215553j:plain

「注釈」なしでは、写真のもつ効力は弱いままだ。写真は常に説明を必要としている。しかしその一方で、イメージがそれ単体でもつ自律性もまた認めなければならない(といつも考えている)。ぼくはこの写真をみて、後者のイメージの自律性のもつ“やばさ”を感じるのであった。皮肉なことに、自分が普段撮っている写真(人間が排除されたような風景がなぜか好きなのだけど)を“撮りやすい”ような風景がそこに広がっている。そういう写真を撮ることを止めるわけではないけれど、すくなくともそういった写真について、かなり省察させられることになった。

 

○ 名取市東日本大震災慰霊碑の近くにあったのは、唯一全壊を免れたかまぼこ工場の跡地だ。むき出しの鉄骨や基礎に、津波の衝撃が刻み込まれている。このまま原爆ドームに代表されるような「負の遺産」として残していくのだろうか(教育的に重要だと思うのでぜひそうしてくれればと思うのだけど)。ちなみに現在は完全に鳥たちの住処になっており、室内だった場所には大量のチュンチュン音がこだましていた。

f:id:o_tkhr:20181124220953j:plain

f:id:o_tkhr:20181124221000j:plain

f:id:o_tkhr:20181124221014j:plain

f:id:o_tkhr:20181124221021j:plain

f:id:o_tkhr:20181126001520j:plain

f:id:o_tkhr:20181124221029j:plain

 

この日はこのまま北上し、石巻で一泊。魚がめちゃうまでしたぞ。

f:id:o_tkhr:20181124221009j:plain

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)

NOV.22,2018_Contax S2

○さいきん撮った写真。モノクロは難しい。でもたまに使うと対象のフォルムに集中できて良い刺激になるなぁ。

f:id:o_tkhr:20181122112137j:plain

f:id:o_tkhr:20181122112124j:plain

 (Mamiya RB67 Professional, KL 90mm F3.5, ARISTA EDU ULTRA 400)

 

○実はこのフィルムを取り終えた数日後に、RB67は売却してしまった。というのも、ウエストレベルファインダーが苦手、ということがこの半年くらいで嫌という程わかってしまったからだ、、!!(憧れていたのだけど)。いやね、おもしろいはおもしろいのだけど、やっぱり自分の眼の位置を基準にするほうが向いているかな。あと結局スナップ的に撮ることが多いしね。ということでRB67は引き取ってもらい、アイレベルで使える中判カメラ(一眼レフだとバケペンくらいしか思い浮かばないけど)に持ち替えようと思ったのだった。しかし、狙いのバケペンは現在オーバーホール中とのことでその日には入手できず。

そのかわりといっては何なのだけど、現在使っている貰い物の35ミリ(Canon AE-1)の代わりにメインとして使える35ミリフィルムカメラをずーっと探していて、ちょうどお店に理想的なものがあったので、それをゲットしてしまった。ボディはコンタックスのS2、レンズはPlanarの標準レンズ。この日にこれまでちょこちょこ買っていて結局使わなかった中古カメラたち(レオタックスとか)も引き取ってもらったので、RB67とその他の売却価格+αの値段でコンタックスは入手できた。レオタックスとか、結構おもしろいカメラだったのだけど、メインとしては使えなかったからなぁ。バケペンはオーバーホールが終わり次第手に入れようと思う。倉賀野のプロジェクトでいただいたはじめての設計料は、結局カメラ関係に使ってしまいそうである。

NOV.17,2018_最近のM1準決勝

○M1の決勝進出者が発表された。個人的には金属バットとトム・ブラウンを応援していたのだけど、トム・ブラウンの方がまさかの決勝進出ということで(失礼)、とても嬉しい。イカれたネタをぶちかまして、思い切り会場をかき回してほしい。あのパチスロ漫才(と個人的に呼んでいるのだけど)だと、だれを登場人物に選ぶかが決勝で結構重要になってくる気がする。金属バットのほうは漫才のスタイルとしてかなり新しいことをやっているだけに残念だった。爆発的に笑いをとっていくタイプではないだけに、観賞者が「笑い方」(聴く際のテンションの置き方というか)をある程度分かっている必要があるのかもしれない。いまよりもあともうちょっとだけ知名度があればいいのかも。

youtu.be

youtu.be

 

あと準決勝に進んだコンビの準々決勝のネタをGyaOで見ていて引っかかったのは、侍スライスという結成一年目のコンビだった。ものすごくおもしろかった。今後の活躍に期待。

youtu.be

 

 

純粋に優勝候補ということでいうと、準々決勝のネタを見ている限りは圧倒的にかまちたち、という感じだった。定番のネタだが、仕上がり方が半端じゃない。ぼくは水曜日の「かまいたちのヘイ!タクシー!」のリスナーでもあるので、応援したい(今一番おもしろいラジオ番組だと思う)。ところでTBSラジオを聴いていてよく流れてくる中外製薬のCMの雰囲気がなんとなく四千頭身っぽいと感じてるの、ぼくだけだろうか。あ、少し驚いたのは四千頭身が準決勝に上がっていなかったことだなぁ。

youtu.be

 

○さいきん撮った写真

f:id:o_tkhr:20181117204826j:plain

(Mamiya RB67 Professional, KL 90mm F3.5, ARISTA EDU ULTRA 400)

NOV.12,2018_イタリア旅行最終回

イタリアで撮った写真⑭

 

イタリアの写真は今日でおわり(やっと終わった〜)。ようやく日常の日記に戻れそうだ。とりあえずヴェネチアのまちなみ。

f:id:o_tkhr:20181111132106j:plain

f:id:o_tkhr:20181111132113j:plain

f:id:o_tkhr:20181111132746j:plain

うそみたいな風景がつづく。ベネチアでもマイナーな場所の写真ばかりとった気がするので、人があまりうつっていない。水は不思議な色をしているな。澄んでいるわけではないのだけど、汚いということでもない。

f:id:o_tkhr:20181111132850j:plain

f:id:o_tkhr:20181111132752j:plain

f:id:o_tkhr:20181111132753j:plain

f:id:o_tkhr:20181111132833j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133226j:plain

 

ベネツィア・ビエンナーレの会場にいた鳥、、。羽を加えてポテポテ歩きまわっていたのだけど、一体なにがあったの。カモメの子供だと思うのだけど、お母さんとはぐれちゃったのかな。何もしてあげられないが、心配になって見つめていたら足元によってきてまたうろちょろしだして、ますます離れづらくなってしまった。うだうだしていたらこの後見る予定だった建築作品(安藤さんとチッパーフィールド)の閉館時間が来てしまうという体たらくである。達者でな。

f:id:o_tkhr:20181111133339j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133402j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133420j:plain

 

ということで、ベネツィアを発って、翌日の午後のフライトに備えることに。お土産を買ったりしながら、ミラノで適当に過ごした。

f:id:o_tkhr:20181111133730j:plain

 

充填していたフィルムはまだ何枚かいけたので、飛行機からの長めをパシャパシャとっていた。イタリア時間の15時に出発し日本時間10時くらいに到着するという便だったのだけど、これはつまり太陽の動きと逆行するように進むわけなので、太陽が遠ざかっていって見えなくなる瞬間を写真に収められるのでは!と思った次第。間近でみる雲は物質感があっていつ見てもおもしろいよね。飽きないよね。

f:id:o_tkhr:20181111133751j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133804j:plain

 

f:id:o_tkhr:20181111133823j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133839j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133844j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133846j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133852j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133856j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133904j:plain

f:id:o_tkhr:20181111133911j:plain

f:id:o_tkhr:20181111134339j:plain

 

ということで、これまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。それにしても、たかだか1週間強の旅行ですら、アウトプットするのはこれだけの労力がかかるんだなと改めて驚いている。イタリアという土地柄もあるかもしれないけれど、学びが多いということも大変なことだ。結局一ヶ月以上かかってしまったし、文字数にすると合計10万字を超えたしね。1年とか2年とか留学にいっている人なんかは、言語化するの本当に大変だろうなと思う。それは呪いのようなもので、言語化しなければ、道具化しなければ、いつまでも自分の身体にまとわりついて思考と実践を縛り続ける(感受性の高い人であればあるほど)。自分には、数ヶ月、数年で外国の有名建築を一通りみてしまうなんてのは無理だろうなと思う。消化できずに胃もたれを起こして、食中毒になって寝込んでしまうかもしれない。いまだに留学や長期間の海外滞在を躊躇してしまうのはそこだなぁ。諸外国で建築や都市をみてまわるという経験は、一年につき数週間くらいでちょうどいいかもしれないなと思う。次はいつになるのだろう。今回参加した国際図学会は2年毎の開催なのだけど、再来年はブラジルとのこと。それはひとまず確定かな。いまから楽しみだ。

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 400)

NOV.11,2018_ヴェネチア・ビエンナーレ

イタリアで撮った写真⑬

 

時間が全然なかったので、ヴェネチアへ到着してすぐに、急ぎ足でビエンナーレの会場へ。ざーっとみる。ほんとにざーっと、、。もう一日ほしかった。スイス館の展示はおもしろかったな。住宅を構成する様々なエレメントが、スケールを変更されてコラージュ的に配され、ひとつの空間をつくっているという展示なのだけど、あたかも自分の身体が大きくなったり小さくなったりするような錯覚を感じてgoodだった。このコンセプトで「ビックリハウス」的になるのではなく、ちゃんとデザイン的にも洗練されたかたちでまとめられているのがすごい。今年の総合テーマが「FreeSpace」で、政治的なメッセージ等を含意したような展示をおこなうパビリオンが多い一方で、スイス館は徹底して即物的に身体的な解放感を突きつけていて、かっこよかった。

f:id:o_tkhr:20181111113316j:plain

f:id:o_tkhr:20181111113326j:plain

f:id:o_tkhr:20181111113334j:plain

f:id:o_tkhr:20181111113526j:plain

△ Bruno Giacometti: Switzerland Pavilion, 1951, Venice, Italy 

 

パビリオンそのものの質でいうと、なんといってもスヴェレ・フェーンの北欧館でしょう。これはすごすぎた。

f:id:o_tkhr:20181111130255j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130306j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130313j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130323j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130330j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130338j:plain

非人間をテーマに扱っていた展示も現代的でよかった。微妙に膨らんだりしぼんだりを繰り返す風船状の巨大なオブジェクトが展示空間に及ぼす影響はかなり大きく、独特だった。

f:id:o_tkhr:20181111130345j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130353j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130401j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130408j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130416j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130424j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130432j:plain

f:id:o_tkhr:20181111132533j:plain

f:id:o_tkhr:20181111130441j:plain

△ Sverre Fehn: Nordic Countries Pavilion, 1962, Venice, Italy 

 

もちろん日本館も名作だ。素晴らしい。

f:id:o_tkhr:20181111114659j:plain

f:id:o_tkhr:20181111115146j:plain

f:id:o_tkhr:20181111114950j:plain

f:id:o_tkhr:20181111115001j:plain

f:id:o_tkhr:20181111115015j:plain

△ Takamasa Yoshizaka: Japan Pavilion, 1956, Venice, Italy 

しかし、閑散とするピロティ、、。展示はちょっとねぇ。日本館特有の、「多種多様な作品をいっぱい集めて展示すればイケる」みたいな雰囲気は辞めたほうがいいと思う。ヴェネチア・ビエンナーレくらいの規模になると、観賞者はかなり「疲れる」んだよね。これは展示デザインにおけるあんまり無視しないほうがいい予条件で、やはり展示の情報量が多すぎると、せっかく一点一点のドローイングは面白いのに没入できないんだよなぁ。この展示だけを見に来ているわけではない、一日ずっと歩いて情報を受け止め続けている疲労した身体を前提としないと、伝えたいことも伝わらない。その意味では上のスイス館や北欧館の展示はきちんとテーマを絞って、提示する問題を明確にし、観賞者が没入できるような展示となっていた。

f:id:o_tkhr:20181111114928j:plain

f:id:o_tkhr:20181111115155j:plain

 

その他、気になったパビリオン。

ゲーリーかな?って一瞬おもったカナダ館。

f:id:o_tkhr:20181111120149j:plain

△ BBPR: Canada Pavilion, 1958, Venice, Italy 

 

テッセナウみたいでかっこいいドイツ館。

f:id:o_tkhr:20181111120208j:plain

△ Ernst Haiger: Germany Pavilion, 1938, Venice, Italy 

 

ジェームス・スターリングによるBookshop Pavilion。

f:id:o_tkhr:20181111121750j:plain

△ James F. Stirling: Electa Bokk Pavilion, 1991, Venice, Italy 

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 400)

NOV.4,2018_パラーディオと額縁性

おしらせ

「CV / Works / Projects」ページの「倉賀野の外構」と「倉賀野の別棟」をアップデートしました。今年の6月に竣工した庭のプロジェクトです。派手なことは何もしていませんが、既存の些細な変更で環境をどれだけ豊かなものにできるかということを考えた仕事です。よろしければご笑覧ください。

倉賀野の外構 / The Garden of Kuragano - 声にだして読みたくなるブログ

倉賀野の別棟 / Kuragano Annex - 声にだして読みたくなるブログ

 

////////////////////////////

 

イタリアで撮った写真⑫

 

帰国前日。この日はベネチアビエンナーレを見に、ヴィチェンツァ経由でベネチアまで移動した。午前中にヴィチェンツァでパラーディオ建築をいくつか見て、午後からベネチアへ、、という過密スケジュール。またいつか、ゆっくりと時間をかけて見て回りたいなぁと思う。ちなみにヴィチェンツァはやたらと人が少なかった。ぼくは人混みが結構苦手なので、ベネチアとかフィレンツェとかは人が多すぎてちょっとオエっという感じがあったのだけど、ヴィチェンツァはそういう意味では超快適で、ぽつぽつと人がいるなかで石造りの建築が静かに建っている雰囲気がとても印象的だった。

f:id:o_tkhr:20181104211401j:plain

f:id:o_tkhr:20181104212250j:plain

 

まずは「ヴィラ・ロトンダ」。内観は写真を取ることができなかったので、外部とロッジアのみの写真。

f:id:o_tkhr:20181104213639j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214437j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214431j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214551j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214648j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214553j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214555j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214600j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214623j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214651j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214606j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214710j:plain

f:id:o_tkhr:20181104214700j:plain

△ Andrea Palladio: Villa Capra "La Rotonda", 1566-67 (built 1567-1605), Vicenza, Italy

 

言わずとしれた超名作なのでぼくが特段何か書く必要も感じないのだけど、個人的に実際に行ってはじめてわかったことが一点あった。それは内部の壁画と建築の構成の関係が思った以上に密接で面白かったことだ。ぼくの知っている限り、パラーディオが建物内部のフレスコ画と関係していたなんて話は殆ど聞かないし、そういう文脈でラ・ロトンダが語られることもほぼないように思う(知らないだけかもですが)。が、個人的には、内部の構成と壁画の視座との間の関係は切っても切れないくらい密接なものなのではないか、という感触があった。

下はロトンダのプランと内観写真(内観は撮影不可だったのでhttps://bit.ly/2DmtqEuから転載)。平面、面白いなぁ。四隅に大きな部屋と小さい部屋のセットがまったく同じ条件で配されており、真ん中の円形のスペースはこの四隅のスペースの共用部となっている。「廊下」という装置が発明され明確に計画に用いられはじめるのはもっと後で、室と室が直接連結していることが特徴だ(面白いことに廊下という装置は、このパラーディオのスタイルが英国に輸入された際に動線の問題を解くため導入されたという経緯がある)

f:id:o_tkhr:20181104221038j:plain

さて、このようなプランに対して、壁画は以下の位置に描かれている。

f:id:o_tkhr:20181104222132p:plain

f:id:o_tkhr:20181104222136j:plain

時代はルネッサンスであり、このフレスコ画はもちろん線遠近法(透視図法)で描かれている。そしてパースペクティヴであればもちろんそこには「視点の位置」が存在する。注目すべきは各々の壁面に描かれたフレスコ画の視座がどこに設定されているかだ。換言すれば、「壁画のもつだまし絵的な仮想の奥行が最も現実味を帯びて知覚される位置」が、いったいのこの平面図のどこに位置づけられているのか、ということ。以下は僕の現場での粗いメモをもとに視点の位置を書き記したものだ。

f:id:o_tkhr:20181104224903p:plain

ものすごく見づらくってごめんなさい。でも実際に、これくらい複雑なことになっているのだ。おもしろいのは(おそらくは)ドアの位置がフレスコ画の視座に設定されていることであり、これによって部屋から部屋へと移動するたびにヴァーチャルな奥行が現れては切り替わり、現れては切り替わる、というきわめて特徴的な身体経験がもたらされる。室と室は廊下を介さずに直接連結されているので、天井高や室のプロポーションの変化など、室間の移動にはかなり明確な「パキっ」としたスペースの切り替わりが付随する。その瞬間、室内環境の変化を身体が感知するまさにその瞬間に、ヴァーチャルな奥行がふっと出現し、挟み込まれる。この建物のひとつの特徴で、内部はすごく流動的なのだけど、それに従って建物を歩き回っていると、現実の奥行と仮想の奥行が複雑に錯綜しハイブリッドしていく強烈な体験がもたらされる。

f:id:o_tkhr:20181105123922p:plain

突筆すべきはこの部分だろう。写真左手に注目してほしい。平坦な面にだまし絵的に描かれたレリーフの影は右下に落ちている。この写真は円形ドーム内部から撮影されたものだが、青く示した部分のフレスコ画の奥行がもっともリアライズされる場所は②の位置に(左右対称で)設定されていたように思う(この辺をちゃんとやろうと思うと、きちんと現場調査して論文を一本書かなければいけないと思う)。斜め左右方向にちらりと見えるフレスコ画の、だまし絵的な奥行がもっとも現実味を帯びる瞬間が、エントランス室から巨大なドーム空間に入るその瞬間に設定されている。

 ヴィラ・ロトンダは、正方形と円というヒューマニストが理想とする形態を理想的なかたちで実現した建物だと説明されるけれど、結局のところその構成がどんな「効果」をもっているのか、僕にはずっとわからなかった。しかし実際に訪れてみて、この内部のヴァーチャルな奥行のハイブリッドと、それが室から室への移動のリズムと完璧に連動しているということを経験して、個人的には「わかったぞ、、おれが完全にパラーディオをわかってしまったぞ、、」となった。あとから確認してみて、内部の壁画に関して言及している人が皆無で、ついでにこのフレスコ画はパラーディオの死後描かれたものらしいこともわかり、「まじかよ、、」と思ったのだけど、いやでもよく考えてみれば、ルネサンス期の建築家である彼が内壁に壁画が描かれる可能性を考えていなかったことなどあろうか!!(いやない)、という開き直りの境地に現在は至っている(笑)。とはいえこれ、実はそこまで的外れではないのかもしれない。というのもこのブログを書いているときに渡辺真弓先生がパラーディオ設計のヴィラ・ゴーディ(1537-42)を以下のように説明しているのを見つけたからだ。

主要階のほうはとても壮麗なのですが、こういう絵が描いてあるところは、現代人の感覚からすると「ない方がいい」なんて思うかもしれません。でも、もちろんこっちの方がお金もかかっていて立派だと思われていたわけですが、今までこういうフレスコ画の内装に関しては、パラーディオはあまり関与しなかったのではないかというふうに言われていました。ところが、これはゼロッティという画家が描いているのですが、だまし絵で、トロンプ・ルイユといいますが、ペディメントとか柱とかそういう建築的な要素も克明に描かれています。この構成について実はこういう図面が最近発見されました。これはいわゆるインテリア・エレベーションという室内の立面の展開図ですが、パラーディオが書いたものです。この図面に対する支払いは1550年になされていて、家ができてからあとに内装が行われたことがわかります。これは中央広間の西側の面ですが、こういうふうに壁面を構成して、この四角いところには人物とかそういうものを描きなさいということが言葉で記されています。パラーディオの書いたこうした図面の存在によって彼が壁画の構成にも関係していたということが証明されました。(パラーディオのヴィラをめぐる旅 - イタリア研究会

フレスコ画が描かれていない外周の部屋に関しては、装飾として特徴的なのは天井くらいなのだけど、ここで思い出すべきはこの建築の建ち方だ。ヴィラは小高い丘に建っており、四方には趣の異なる風景が各々に広がっている。そして彼が、「守らなければならないのは、右側の部屋と左側の部屋とが同じものになることで、それによって建物はどの部分においても同一の物となるのである*1というように、このヴィラにおいても四隅の部屋は全く同じ条件で、鏡像的に位置づけられていることがわかる。この建ち方と平面構成の重なりがもたらすのは、窓越しに見える風景の差異が、等質につくられた四隅の各部屋を翻って特徴づけている、ということだ。この風景を窓ごしに見る経験は、しかし、さきほどのフレスコ画によってもたらされた経験とは「質」がまったく異なる。というのも、まったく同じプロポーションの部屋に配されたまったく同じ窓枠から見える風景は、あたかも額縁に収められた風景画のようにみえてくるのだ。生々しい身体感覚をともなうヴァーチャルな奥行の切り替わりに比べ、この窓がもたらす経験はずっとさわやなもの。外部の広大な風景はフレームによって切り取られ、軟化され、親しみやすいひとつのオブジェクトとなる。

確信をもって言えることではないけれど、現実の風景にフィクショナルな性質を付加し、そして仮想の風景に生々しいリアリティが付加されていることこそが、ヴィラ・ロトンダの、そしてパラーディオの建築がもっている「ヤバさ」なのではないか。正方形とか円が理想的なかたちで用いられていたり、あるいは過去の様式が手法(マニエラ)として意識的に用いられていることはもちろん面白いのだけど、その結果の「効果」のヤバさにこそ、ぼくらは注目しなければならない。ヴィラ・ロトンダの対称性の強い構成は、フレスコ画というこれまで「二の次」にされてきた要素をむしろ下支えするような、枠組み、額縁、フレームとして企図されたものではないだろうか? と、そこまで言うつもりはないけれど、しかしその狙いがまったくゼロであったとも思えない。

 

これまでの議論をまとめた簡単な図が、下に示したものとなる。ざっくりいって3つの特徴的な性質をもった場に、この建物は分けられる。場の性質の違いによって身体が促される感覚を、ドゥルーズの議論を引いて「ゲストゥス(態度・姿勢)= 身体のカテゴリー」と表現してみようか*2。ヴィラ・ロトンダがわれわれの身体に注ぎ込むのは3つの「身体のカテゴリー」である。

f:id:o_tkhr:20181105162140j:plain

まず赤い部分だけど、ここではヴァーチャルな奥行が室間の移動にともなって点滅する。これが今回のブログの鍵で、現場に行ってはじめて気づいた場の性質だ。室から室へと移動し、身体を包み込む空隙のプロポーションとサイズが切り替わるその瞬間、つまり身体がどこの室にも属さず足場が定まらないまさにその瞬間に、線遠近法によって描かれたフレスコ画の仮想の奥行が挟み込まれる。移動にともなって知覚されるそのバーチャルな空間は、戯画的でありながら極めて生々しい身体体験を訪問者に刻み込む。この場においてわれわれは、立ち止まることなくずるずると移動する「姿勢」を促されることになる。

続いて青い部分。四隅の主室を特徴づける唯一のオブジェクトは、窓枠が切り取る外部の風景である。内部をぐるぐると歩きまわること想像してみてほしい。この建築はまったくシンメトリカルなプランで構成されているから、自分がいま建物のどの位置に、そしてどの方向を向いているのかを徐々に把握できなくなっていくと思う。それゆえ半ば強制的に、この建築の訪問者は外部の風景へと意識を配さざるを得なくなる(迷わないために自分の居場所を脳内で位置づけるという、ほとんど本能的な知覚の作用だ)。訪問は知らず知らずのうちに、外部の環境の豊かさを享受するような「態度」を促されるわけだ。訪問者は室に滞留し、じっくりと椅子に腰掛けて食事を楽しみながら風景を楽しむ。

緑色のスペースはロッジア(列柱による半外部空間)によって特徴づけられる室である。四隅に配された等質な室を個体化する要素が「遠望的で視覚的な外部」だとすれば、この緑色のスペースは「近傍的で触覚的な外部」、すなわち歩けばすぐそこに行けるような半外部空間によってキャラクタライズされる。建物内奥(赤い部分)では、室間の移動に連携してバーチャルな奥行が紛れ込むことで、フレスコ画のもたらす仮想空間はより現実的な質感をもって現前していたように思う。逆に四方の部屋(青い部分)から見える風景は窓枠によってフレーミングされ、あたかもフィクショナルな風景画であるとすら感じられた。前者は移動するという、自らの意志に基づいた行動にともなってあたかも生き物のように現れては消えるダイナミズムをもっていたが、後者は自分の行動とは何の関係もない、静かで揺るがないオブジェクトとしてそこにあるのだ。前者は共有部(サロン)の移動をともなう高揚感に寄与し、後者は部屋の内部での(つまりは「佇む」ための場での)落ち着いた生活に寄与するので、これは機能的な効果をもつ実践的なアイデアであるとも言えるだろう。とはいえ、両者はあまりにも対照的であり、断絶しているとすらいえるので、ふたつの場を連続的に体験する訪問者の身体は引き裂かれる(ぼくがそうだったのだけど、移動するたびにその落差にビックリしちゃってどうにも落ち着かない感じ)。ロッジアと連結する緑色のスペースは、どっちつかずの私の身体に具体的な手触りと「近さ」を与え、扉の先の大階段へと、そしてその先の庭園へと、宙吊りにされた身体を運ぶ。ここでは外部をオブジェとして単に眺めるのではなく、ドアノブに手をかけ、外へと実際に足を踏み出す「姿勢」を促されるのだ。以上の「ゲストゥス(態度・姿勢)= 身体のカテゴリー」の3つの体制が、生活に心地よいリズムをもたらし、居住者を活気づけるための構造的な要素として、この建築で実現しているように思う。

これまで書いてきたこの建築がもつ圧倒的な体験は、「建ち方」と「額縁性」に関わるきわめて単純化されたオペレーションにより実現している。文字通り絵画を収める額のように単純な幾何学で構成されたこの建物は、四周で表情が異なる外部の豊かな田園風景と、内部のフレスコ画のその両方を同時に、そして立体的にフレーミングし、関係付ける。室と室が直接連結する流動的なプランによって、額装された現実の風景とヴァーチャルな風景は錯綜し、結晶化する。ゆえに訪問者は常に自らの身体を反省し位置づけ直すことを強いられるのだが、ロトンダの額縁的な空間構成はその都度「身体のカテゴリー」をやわらかく促してくれる。

 

 

次はヴィチェンツァの街なかにある「バシリカ・パッラディアーナ」。ちなみにこの建築のロッジアでジェラードを食べたのだけど(ピスタチオとベリー味)、それがおいしすぎたので、今はその味しか思い出せない。建築に対する言語が全然出てこない。まいった。

f:id:o_tkhr:20181104212708j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005458j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005358j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005400j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005413j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005421j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005426j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005430j:plain

f:id:o_tkhr:20181105005446j:plain

△ Andrea Palladio: Basilica Palladiana, 1546-49 (built 1549-1614), Vicenza, Italy 

 

ここで彼が行ったのは、1444年に建造された既存の市庁舎ホール(上の写真右手)の外周に、ルネッサンス様式の2層のアーケードを付加したことだ。様式をハイブリッドさせた円柱のデザインが印象的だけど、何より既存のボリュームとのリズムの調和がとても心地よい。ここでも、パラーディオの建築がもっているフレームとしての機能を感じる。彼が付加したファサードとロッジアによって、既存の建築物は半内部化され、見事に生かされている。と同時に、彼は既存建築に構造的にはほとんどタッチしていない。ここで付加されているアーケードは、「ついたて」のような単独で自立する壁であり、今となってはこれが「額縁」そのもののように見えてくる。

パッラーディオが「バシリカ」、すなわちパラッツォ・デッラ・ラジョーネにおいてやったことというのは、手短に言えば、フォルメントンの造ったロムバルディア・ゴシックの二層のアーケードを取払い、その代りに、古典的なモチーフからなるよりマッシヴでそれゆえ構造的に安定した、総大理石の二層のアーケードを置いたということである。このアーケードは中核部のホール側壁に対してバットレスとして働く補強にすぎないものであり、そしてホール本体にはパッラーディオは一切手をつけなかったから、彼はこの建物に構造的には何ら本質的変更をもたらしたわけではなかった。(……)この総大理石のスクリーンは、非常にマッシヴなものではあるが一枚の壁にすぎず、それによって包まれる中核部の構造体との間には、建築表現上、明らかな断絶があり、その間をつなげようとする努力は全く払われていない。アーケード内部のヴォールト天井は、この大理石のスクリーンや中核部の精巧な切石積み仕上げとは対照的に、粗い煉瓦むき出しのままであり、それと両側の壁との接合部もまことに無造作に収められ、このヴォールトはまるで必要悪であるとでも言うかのように、意識的に建築的表現不在のまま放置されている。そしてこのアーケードの内外をめぐり歩くうち、この大理石のスクリーンがそのような自己完結的な「壁」であるということそれ自体が、この「建築」の最も重要な特質であることを思い知らされるのである。(福田晴虔: パッラーディオーー世界の建築家, 鹿島出版会, pp.64-65., 1979)

この福田先生のテキストは大変に素晴らしく、この建築の確信をものすごく正確に、そして端的についておられる。まさにそのとおり、という感じ。パラーディオは「バシリカ」で、自立した「ついたて」を、かなり意識的に既存の建物とは断絶させて併置させている。加えて言うならば、「バシリカ」における既存建築に対する配慮とアーケードの自立性の両立に、「ヴィラ・ロトンダ」で感じたフレスコ画ないし風景に対する建築の位置付けとどこか類似性があるように感じられた。最後に写真を紹介する「テアトロ・オリンピコ」でも、そう。

f:id:o_tkhr:20181105010757j:plain

f:id:o_tkhr:20181105010801j:plain

△ Andrea Palladio: Teatro Olimpico, 1580 (built 1580-84), Vicenza, Italy 

ここでは文字通り舞台装置として、演劇に対する額縁としての構築物を巡る、パラーディオの大胆なアイデアを垣間見ることができる。いずれにしても投げかけられているのは、ある対象=オブジェクトを下支えするための背景となる建築物がどういった物質的組成をもって在るべきかという一貫した問いだ。演劇であれ、田園の風景であれ、既存の建物であれ、フレスコ画であれ、日常的な生活であれ、建築が支えるための対象=オブジェクトをフラットに扱い、そこでの「額縁性」を追求していた人がパラーディオだったのだなぁ、というのが、ぼくの素朴な感想であった。

「額縁性」という造語でぼくが表現したいのは、「額縁」はそこに収められるオブジェクトを何らかの仕方でサポートする一方で、それ単体でも自立するモノであるということ、そしてそれは明確な境界を自ら示すものであると同時に、非在を表象する即物的な形態でもあるということだ。建築を額縁化する際の条件は、「収める対象」への深い造詣とそれに対する適切なスケールの設定という、額縁の外的補足物としての機能を十分に満たすと同時に、「額縁それ自体がもつ質量の厚み」を計測する際の“誤差”をーーそれを消すにしろ増幅させるにしろーー意識的に設計の勘定に入れることだ。ぼくらはそこに、パラーディオと同じように、さまざまな具体的アイデアを投入することができる。

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 400)

NOV.2,2018_ジュニアーニ・フリジェーリオ集合住宅

イタリアで撮った写真⑪

 

 テラーニの写真は今日で最後。(イタリア編の終わりがようやく見えてきたぞ、、たぶん後4回くらいでおわるぞ、、)

 

f:id:o_tkhr:20181102152341j:plain

 「ジュニアーニ・フリジェーリオ集合住宅」(1939-40)はテラーニ最晩年の仕事だ。最晩年と言っても彼が36歳くらいのときの作品だから、まだまだい若んだけどね。外観は下のような感じ。なんてことない感じで建っていて、それが良い。小規模だし、なにしろ大通りに面する建物正面(南側立面、下の写真の右側)が街路樹が高く育ち過ぎていて全く見えないのだ。南からの強い日差しや大通りの騒音を和らげるフィルターとしての街路樹。

f:id:o_tkhr:20181102145924j:plain

 よくよくみていくと、普通じゃない部分が徐々に見えてくる。まず特徴的なのはこの、フレームが外付けされている西側立面。前回の「サンテリア幼稚園」で、テラーニ建築の特徴はストラクチャーと壁の分離にあると書いたけれど、数年後の「ジュニアーニ・フリジェーリオ集合住宅」では設えでさえアウトリガーされている、と。ぼくはこれ、いまだになんのためにあるのか明確には分かっていないのだけど、緑化されたり、あるいは何か日よけみたいなものを引っ掛ける機能とかがあるのだろうか。フレームが飛び出しているのはこの西側立面だけだから、西日避けという線はけっこう可能性高いかな。

f:id:o_tkhr:20181102145534j:plain

△ 西側立面

「サンテリア幼稚園」のオーニングのアウトリガーと、意識としては一緒だろうなと思う。

f:id:o_tkhr:20181030235037j:plain

△ Attilio Terragni et al.: The Terragni Atlas, Skira, p.89., 2005

 

 東西南北の各立面がそれぞれまったく違うということも特徴的だ。バラバラにほどけそうだけど、あるゆるいまとまりをつくってなんとかボリュームになっているこの感じは、テラーニ建築のこの後の可能性が示されているなと思う。残念なことに彼が早逝したことによってその可能性は閉ざされてしまったが、ぼくは「あったかもしれない戦後のテラーニ建築」を妄想し続けている。イタリア国外に立てていたらどうなっていたか、とかね。彼がもし戦後を生きていたら、間違いなく現在の建築史の枠組みはまったく異なるものとなっていただろうな。

f:id:o_tkhr:20181102144902j:plain

△ 北側立面

ちなみにこの北側(コモ湖側)の立面は先日紹介した「 Casa Predaglio」(下)にそっくりだ(テラーニ建築のおさらいみたいになっている)

f:id:o_tkhr:20181024152436j:plain

△ Giuseppe Terragni: Casa Predaglio, 1934-35, Como, Italy

 両者が違うのは、「ジュニアーニ・フリジェーリオ集合住宅」では細かな大理石が外壁にびっしりとしきつめられていることだ。これはテラーニがデビュー当時からずっと続けている表面の言語で、「ノヴォコムン集合住宅」(1927-29)でもそうだった(2つ下の写真)。彼は多分、予算があったらすべてのプロジェクトでこの大理石仕上げをやりたかったんじゃないかな。いまやると絶望するくらいの高コストになってしまいそうだけど。

f:id:o_tkhr:20181102153816j:plain

ちなみにこの建築は「ジュニアーニ・フリジェーリオ集合住宅」は「ノヴォコムン集合住宅」のすぐそばにあって、2ブロック先くらい。建築のデビュー作と最晩年の仕事がすぐ側にあるというのも、なんとも奇妙な運命を感じてしまう。下が「ノヴォコムン集合住宅」の外壁。デビュー作から続けている大理石ビッシリ。ここまでやる?ってところまでしっかり貼ってあって、間近で見るとかなりびっくりする。こんなことをやる近代の建築家は、はっきりいってテラーニ以外にいません。

f:id:o_tkhr:20181019182606j:plain

△ Giuseppe Terragni: Edificio ad appartamenti Novocomun a Como, 1927-29, Como, Italy

 

f:id:o_tkhr:20181102145352j:plain

△ 東側立面

 

 エントランス(南側)のロッジアはペイヴメントがとてもよかった。石張りなんだけど非常に艶があって、プールにいるみたいな感じ。大理石がびっしりと貼られ、どちらかというと「毛羽立った」ようなテクスチャーを持っている垂直材と、床の滑らかさの対比には、彼の素材に対する美意識を感じるところだ。壁がマットで床が光沢ってバランスはよく用いている気がする。この建築、天井高はかなり抑えられていて日常的なスケールに収まっているのだけど、ロッジアではこの素材のバランスもあって、垂直方向への空間の拡がりを感じた。

f:id:o_tkhr:20181102144833j:plain

f:id:o_tkhr:20181102144905j:plain

f:id:o_tkhr:20181102145515j:plain

f:id:o_tkhr:20181102155220j:plain

△ Giuseppe Terragni: Casa d'affitto Giuliani Frigerio a Como, 1939-40, Como, Italy

 

 

 最後に紹介する「アンザーニ通りの労働者住宅」(1938-43)は「サンテリア幼稚園」から300mも離れていない場所にたつ集合住宅だ。テラーニの仕事のなかでも超マイナーな部類の建築物で、あまりにも情報がなくて驚く。竣工が1943年となっているのだけど、何月かまではわからない。テラーニが第2次世界大戦の従軍から失意のなか帰国するのがこの1943年であり、亡くなるのが同年7月だから、竣工を見ていない可能も高いのかな。アルベルト・サルトリスとの共作となっているけれど、サルトリスがプロジェクトの初期から関わっていたのか、あるいはテラーニ従軍中に現場の管理を引き継いでいただけなのか、ということも不明。引き続き情報を集めていきたいと思う。ともあれ竣工年だけをみれば、この建築が彼の本当に最後の作品であることは間違いない(設計は1938年だから、「ジュニアーニ・フリジェーリオ集合住宅」よりも前だけど)

f:id:o_tkhr:20181102160641j:plain

f:id:o_tkhr:20181102161140j:plain

 

 あいかわらずそっけない建ち方だ。内部が黄色に塗られた(同じ色は「ノヴォコムン」のスラブの裏にも塗られていた)ロッジアが全面化し、前面道路と向かい合う。イタリアがもっともお金がない時期に建てられたということ、そして労働者のためのアパートということもあって、どれだけ低予算で建設できるか、ということが主題だったのだろうと想像する。構成としては、この細長いボリュームが2棟並んでいて、真ん中に充実した中庭が設けられているというものだ。ロッジアは中庭側にも設けられていて、ここが非常に快適そうだった。中庭は非常に公開性の高い公園のような場所となっているが、同時に住人のプランターなども置かれていて、不思議な雰囲気をもっている。「セミパブリック」あるいは「コモン」ではなく、パブリックとプライベートが互いに自律しつつ併存している感じ。

f:id:o_tkhr:20181102163943j:plain

f:id:o_tkhr:20181102164017j:plain

f:id:o_tkhr:20181102160515j:plain

f:id:o_tkhr:20181102164453j:plain

f:id:o_tkhr:20181102165917j:plain

上の写真のトンネルの先が、下の写真。無茶なことは何もしていないのだけど、いいんだよなぁ。一階のロッジアのレベルが少し持ち上げられていること、中庭のサイズ、置かれているもの、ロッジアが互いに面していないこと、、。

f:id:o_tkhr:20181102165028j:plain

f:id:o_tkhr:20181102164536j:plain

Giuseppe Terragni with Alberto Sartoris: Case popolari di via Anzani (Working class housing in Via Anzani), 1938-1943, Como, Italy

 

コモよさらば。またいつか来るぞ。

f:id:o_tkhr:20181102160119j:plain

//////////////////////////////

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, 記録用フィルム 100)

 

 

おまけ

ちなみにテラーニは模型写真がめっちゃうまいのだ。これをみてほしい。構図もうまいし、謎の草むらで撮っていたりする感じもグッド。自分の影が写っていたりする感じも、リー・フリードランダーみたいでいいでしょう。彼のセンスの良さ、アンニュイさが伝わるのではないだろうか。ぼくも模型写真、近所の草むらで撮ってみよう、、。

手持ちだから35mmかな。バルナックライカとか使っていたのだろうか。

f:id:o_tkhr:20181102172018j:plain

OCT.30, 2018_サンテリア幼稚園

イタリアで撮った写真⑩

 

「カサ・デル・ファッショ」から「サンテリア幼稚園」へ。今回の旅行で最も感動した建物だった。というか、ぼくの生涯でいまのところナンバー1だ。あきらかに。散々図面や写真で見てきたが、その想像を遥かに超えてきた。実はそういう建物はそう多くはなくて、大体は「予想通り」であり感銘は受けても驚きはなく、建物を見る作業が単なる確認になってしまうことが多い。しかし、「サンテリア幼稚園」は違った。

f:id:o_tkhr:20181030213627j:plain

多分夏休みなのだろう、児童はいない。ずっと書籍で想像していた建築が目の前にあって感慨にふけっていたら、その気持ちが通じたのか、中年の女性と初老の男性に声をかけられた。「この建築を見に来たの?昨日窓清掃があって遊具や机を倉庫にしまっているのだけど、ちょうど今から配置を元に戻す作業をするから、そのあいだは内部を見学してていいよ」、と。なんという幸運!

f:id:o_tkhr:20181030203354j:plain

足を踏み入れたその先は別世界だった。 この空間を言語化するのは容易ではない。ともあれ、「詩が生まれるとするならばこの私の視線と事物の視線とのまったき非和解性その敵対性に目をつぶり私の気分によって事物の輪郭をぼやかす時にしかありえない。それはあきらかに私の思い上がりでありと同時に私の眼の怠惰だ。」(中平卓馬: なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集)と中平が言うように、あまりに素晴らしい表現を前にして即座に言語化を諦めてしまうのは知的怠慢であって、ぼくらにはこれ以上語りきれないというところまで語り切る責任がある。

この建築をめぐり、「透明性」という観点からなにかテキストを書こうと思ってちょくちょく書き溜めているのだけど、一向に終わる気配がないので先に写真だけ放出してしまおう、というのが今日のブログだ(できる限り早く書き上げて後ほどnoteの方で公開しようと思います)。コーリン・ロウの「実の透明性 / 虚の透明性」を書き換え、OOOまで接続するような内容になっているので、お楽しみに(楽しみにしている人なんかいるんだろうか、と思ったりもするが、いると信じて、、)

f:id:o_tkhr:20181030204117j:plain

f:id:o_tkhr:20181030205121j:plain

△ 写っているのは中に招き入れてくれた園長先生と保母さん。

 

この幼稚園を訪問したときに最初に見えてきたエントランスが、図面からイメージしていた空間と較べ、スケール感がずいぶんデッカイなとびっくりしたのをよく憶えている。幼稚園なのに天井もいやに高くて、幼稚園離れしたこの空間の大きさとガッシリとした佇まいが羨ましい気がした。そして、子どもたちの頭の上に広々とした空間が広がっていることも、ものすごく豊かで贅沢な感じがする。休憩時間にワイワイあつまった小さな幼稚園児たちの頭の上の大きな空間を想像してみてくれよ。小さいものには小さいスケールを、みたいな近代的な基準とは違いますね。この壮大なスケールのなかで子どもが育ったら、やっぱりいいんじゃないかな。(鈴木了二: ユートピアへのシークエンス, LIXIL出版, p.493., 2017)

了二さんのこの指摘は本当に的を得ていると思う。どこまでも空間が広がっていき、そしていくら歩き回っても全体像を掴ませてくれないこの建築の知覚体験は、実際の寸法以上の大きさを我々に感じさせ、身体だけではなく精神までも解放されるような感触を与えてくれるように思う。なんてことはない、ワクワクするのだ、単純に(中平に叱られそうな言葉だ)。

f:id:o_tkhr:20181030210541j:plain

△ Attilio Terragni, Daniel Libeskind and Paolo Rosselli: The Terragni Atlas, Skira, p.117., 2005

目の前にあるのは透明さの不透明さと、不透明さの透明さ、として透明さの透明さだ。ここで繰り広げられているきわめて高度な建築的営為の数々は、そのすべてが子どもたちのために差し向けられている。そこに感動する。

f:id:o_tkhr:20181030210153j:plain

 

さて、いくらテラーニが筋の通っていない要求に断固として対抗した人物であったとしても、やはり「カサ・デル・ファッショ」で感じられたのは、彼の建築特有の「合理を徹底した先にある折衷的な面白さ」は十分に発揮されていないのではないか、ということだった。「サンテリア幼稚園」は、ブルーノ・ゼーヴィが「猛り立った論争と過酷な闘争との状況下で、まったく例外的に穏やかな時期に誕生した作品(ブルーノ・ゼーヴィ: ジュゼッペ・テッラーニ, 鵜沢隆訳, 鹿島出版会, p.154., 1983)と評しているように、政治的なバイアスから逃れて、まさに「テラーニ的」ともいえるような独特の空間性を例外的に実現した、ほとんど唯一ともいっていい建築だと思う。

二つの作品「サンテリア幼稚園」と「ヴィッラ・ビアンカ」で代表されるこの時期の作品は、確かに「詩的季節」と名付けるに相応しい静寂な時を暗示させる。(……)体制権力とは無縁の建築の中でイタリア合理主義が静謐な果実を実らせたのは、その後迎える不幸な結末がすでに歴史的事実でもあるだけに一層悲劇的な暗示となって浮かび上る。 政治的プロパガンダとは無縁な「サンテリア幼稚園」を介して、テッラーニのラショナリズムは「カサ・デル・ファッショ」とは異なる土壌で再び開花する。(……)「カサ・デル・ファッショ」は当時からすでに合理主義者の側から、「拘束されたインスピレーションに基づく」構成の堅苦しさが指摘されていた。(……)それに対して「サンテリア幼稚園」は、堅苦しさへの批判に答えたテッラーニの解答とも言え、より自由度が獲得されている。(……)東側の日除けテントの構造型枠から後退した壁面と向かい合うのは、構造枠組みを内側に隠蔽したガラス面である。つまり構造枠組みは構成の基調音へと還元され、そこから解放された建築の輪郭が音程を暗示するかのように、それに近寄ったり離れたりして、この建築の音楽を奏でているようである。(Ibid., pp.152-153.)

 「カサ・デル・ファッショ」と「サンテリア幼稚園」が大きく異なるのは、柱や梁といった構造的なエレメントと、内外の境界となり内部空間を分節する壁面やガラス面が分離し、後者がパラレルに動かせるようなシステムが実装されているということだ。

下の写真右手では構造フレームから壁面が後退しているが、この壁面は構造を引き受けていないので水平連続窓が端から端まで連続している(くわしくは2つ下の写真を)。一方左手では構造フレームからガラス面が外に飛び出している。 こちらも当然構造を負担しない部分なので、天井にもガラスが用いられ、さながら「極薄の温室」ともいえるような空間となっている(3つ下の写真。ちなみにデュシャンのいう「アンフラマンス」はこの建築を理解するうえでもキーワードとなる。「虚の透明性」と合わせてnoteでの論考で取り扱う)

f:id:o_tkhr:20181030204113j:plain

f:id:o_tkhr:20181030204124j:plain

f:id:o_tkhr:20181030212546j:plain

下の庭に飛び出したフレームもわかりやすい部分だ。このフィーレンディールのフレームにはオーニング(日よけのスクリーン)が仕込まれていて、クランクを回すと建物側に飛び出す仕掛け。普通は建物側につけるところだけど、テラーニは庭へと飛び出させている。ひとつひとつがこの建築の空間がもっている、閉鎖的でなく解放的な世界の広がりをつくる要因となっている。

f:id:o_tkhr:20181030234911j:plain

f:id:o_tkhr:20181030235037j:plain

△ Attilio Terragni et al.: The Terragni Atlas, Skira, p.89., 2005

 

了二さんにしろぜーヴィにしろ、そこで指摘されるのは「粉砕」や「振動」といった言葉で表現されるような性質だ。柱と壁、あるいは梁と天井の癒着が解き放たれ、壁や天井は自由に振る舞う。柱と壁が一体となって安定した構造体をつくるのではなく、両者は各々の身分をもち、各々に異なる役割を果たす。伸びやかに、ときに過剰に、あるときはジョークのように。

もうひとつ気になったことは、内部にいるのに、あたかも外にいるような錯覚をうけたことだった。下の写真の右手(水平連続窓のある壁のエッジのあたり)をみてほしいのだけど、中庭がひとつの光り輝くボリュームになって、あたかも外側から建物の角を眺めているような感触をうける。2つ下の写真では、観音開きのドアが内側に向かって開かれている。その先にあるのは例のフィーレンディールフレームと、こちらに伸びるオーニング。まるでこちらが外で、庭側が建物の内側のよう。内と外が位相的に捻じれるこの経験によって、内部を探索することで頭のなかに仮構される建物全体の骨格は絶えず修正を求められる。結果として得られるのは組み尽くせない、味わい深い全体性だ。

f:id:o_tkhr:20181030203324j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213122j:plain

f:id:o_tkhr:20181030221302j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213042j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213050j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213055j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213102j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213106j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213109j:plain

f:id:o_tkhr:20181030213114j:plain

 

一通り写真を取り終わったころ、「机の移動、手伝ってくれない?」といわれ、当然断るわけにもいかず、一時間ほどお引越しを手伝うことになった。割と半端ない量の机椅子・遊具が倉庫に収められていて、けっこうな重労働だったけれど、とてもいい経験になったなぁ。園長さんと保母さんは大変おおらかな優しい方々だった。ここで幼少期の貴重な時間を過ごす子どもたちは、きっとのびのびとした子に育つんだろうなと思う。おおよそ100年前、政治的なプレッシャーから逃れた場所で唯一テラーニが本来の力を発揮したのであろうこの建築は、今でも生き生きと使用されている。建築家にとって、あるいは建築にとって、これほど幸福なことはない。

f:id:o_tkhr:20181030234759j:plain

f:id:o_tkhr:20181030234830j:plain

f:id:o_tkhr:20181030234303j:plain

△ Attilio Terragni et al.: The Terragni Atlas, Skira, pp.108-109., 2005

//////////////////////////////

Giuseppe Terragni: Asilo infantile Sant'Elia a Como, 1934 / 1936-37, Como, Italy
(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, 記録用フィルム 100)

 

* * *

おまけ。

設えの機構を丁寧に説明してくれている園長先生。なんて親切なの、、。ちなみにぼくはこのドアや黒板の動き、現場で始めてみた。あまり作品集とかでは取りあげられていない気がするけど、かなり面白い。先生が可愛かったのでパシャパシャiPhoneで写真を撮っていたけれど、なにげに貴重な資料なのでは。

f:id:o_tkhr:20181101221116j:plain

OCT.24, 2018_カサ・デル・ファッショほか

イタリアで撮った写真⑨

 

 引き続きコモ。《ノヴォコムン》の周辺をうろちょろする。すぐ近くにテラーニ最後の実施作品である《ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅》(1939-40) があるのだけど、それはまた個別の記事で。まずはコモ湖周辺ででみたものをざっと紹介していこう。

f:id:o_tkhr:20181024160653j:plain

△ Giuseppe Terragni: Monumento ai Caduti, 1931-33, Como, Italy

 

f:id:o_tkhr:20181023163151j:plain

△ Giuseppe Terragni: Stadio Sinigaglia, 1932-36, Como, Italy

 

下はテラーニ設計の建物じゃないのだけど、戦没者慰霊碑の近くにあった建物。きれいだった。

f:id:o_tkhr:20181023164028j:plain

△ Gianni Mantero: Canottieri Lario G. Sinigaglia, 1931

 

コモ湖畔のカヴール広場には、テラーニ最初の実施作品であるホテルのファサード改修がある。基部のみの改修で、正面には「ノヴェチェント(1900年代派)」のスタイルがまだ残っている感じだったけど、側面(下の写真)をみると、いわゆるテラーニっぽい雰囲気が既にあるなということがわかる。白い大理石+木サッシ。

f:id:o_tkhr:20181024154910j:plain

△ Giuseppe Terragni: Hotel Metropole Suisse, 1926-27, Como, Italy

 

コモのドゥオーモへ。下の写真の左に写っているのがドゥオーモで、おくにチラッと《カサ・デル・ファッショ》がみえる。ちなみのコモのドゥオーモはロマネスクのとっても魅力的な建物で(内部は撮っていないけど)、側面の半外部空間もとても素敵だった。

f:id:o_tkhr:20181024132942j:plain

f:id:o_tkhr:20181024160034j:plain

 

* * *

 

 テラーニが「民衆のための家」というテーマで設計した《カサ・デル・ファッショ》(1932-36) は、ドゥオーモの身廊の軸線から引く円弧に沿うように配置され、建物正面の軸線はドゥオーモ脇へ通じている(ふたつ上の写真)。一辺33.2メートルの正方形平面に高さがその半分という直方体で、ファサードの分割には厳格な幾何学的処理がなされている。事前の連絡でこの日は内部見学ができないことは分かっていたので、外観のみ。これまでずっと紙面上でみてきた非常に影響を受けた建物のひとつなので、最初はうまく直視できなかった。

f:id:o_tkhr:20181024154620j:plain

f:id:o_tkhr:20181024155145j:plain

  立面上の厳格な幾何学的規則と平面での非対称性の折り合いの付け方がやはりおもしろい。この単純ではなさ、創造的折衷が高度な抽象性を保ちつつ成立しているところがテラーニっぽいと思うのだけど、しかし、テラーニのそういう面での良さは、《カサ・デル・ファッショ》以外の建物のほうがよく出ているかもしれない。たとえば次回とりあげる《ジュリアーニ・フリジェーリオ集合住宅》と《サンテリア幼稚園》。《カサ・デル・ファッショ》は、どちらかというとテラーニ自身の個性は抑制されている感じ。

f:id:o_tkhr:20181024154710j:plain

  とはいえ、面白くないわけはない。この妙な野暮ったさと、高度な抽象性の同居。相変わらず表面は徹底した大理石による仕上げだ。不思議な建ち方をしている。小規模建築がもっているプロポーションがそのまま維持され、アロメトリーを無視した規模の拡大をおこなった感じ、と表現すればいいだろうか。換言すれば、重力による「つぶれ」を無視している、というような。立面の分割の徹底した幾何学的処理とあいまって、大理石の塊に独特の“ふんわり感”をもたらしている。硬いけど柔らかい。この立面のプロポーションの操作によって、部分がけっこう変な影響を被っていて、それも面白かった。住宅レベルでの部材のプロポーションがそのまま「拡大」されている感じなので、たとえば下のようなニッチが生まれている。

f:id:o_tkhr:20181024155150j:plain

f:id:o_tkhr:20181024155823j:plain

 ジュゼッペ・テラーニを語るときに、ファシズムと切り離して彼を語ることは難しい。(《カサ・デル・ファッショ》は直訳すると「ファシストたちの家」である)。当時の政治的状況にそこまで深く立ち入ることはしないだけど、この建物が建設された前後の状況については簡単に振り返っておこう。

テッラーニは工科大学卒業直後の26年から27年にかけて〈グルッポ7〉の一員として合理主義建築に関する宣言文を発表し、また、同時期にエンジニアである兄のアッティリオとともに、コモで設計事務所を解説する。28年に《第1回合理主義建築展》に参加し、後にコモの《カサ・デル・ファッショ》に発展する計画案にとりかかる。(……)31年に《第2回合理主義建築展》、32年に《ファシスト革命記念展》に参加する。この展覧会のムッソリーニ訪問を契機に、テッラーニはいくつかの計画案についてドゥーチェ([=総帥: ムッソリーニ])と面会する機会を得る。また、同年、コモの《カサ・デル・ファッショ》の設計を正式に依頼される。*1

テラーニはイタリアのファシズム期をまさに生きた建築家だ。ムッソリーニ率いるファシスト政権が誕生するのは彼が建築を学び始めた翌年であり、彼はファシスト党に関係する建物を多く設計しながら、1943年7月19日に亡くなる(これはムッソニーニ失脚の6日前)。鵜沢さんも書いていることだけれど*2、この完璧といっていいほどのシンクロから、彼の設計した建物をすべて「ファシズム建築」とみなすのは無論おかしな話だ。個人住宅やアパートメントなど、イデオロギーというよりは建築的なアイデア、あるいは近代建築への情熱が先行する作品のほうがむしろ多いのではないか。とはいえファシスト党の本部であった《カサ・デル・ファッショ》はまた別の話で、歴史的事実と切り離して、この建物の建築的なアイデアを素朴に評価してもいいものかという気持ちも確かにある。

ローマ進軍10周年にあたる32年に、《ファシスト各面記念展》が開催される。(……)ニコローゾによれば、ドゥーチェは、テッラーニを含めた若手建築家と党役員が協力して作業する場に居合わせ、その様子から芸術が政治的に大衆の感情を刺激することができるだろうと評価した。 おそらく、この頃からムッソリーニは、テッラーニの建築への熱意に関心をもったのだろう。そしてテッラーニもまた、ドゥーチェとの面会によって、彼が近代的なファシスト建築を支持し、つまりファシズムが近代建築を擁護するといった幻想をもったようである。(……)ところで、コモの《カサ・デル・ファッショ》において、テッラーニはムッソリーニの「ファシズムとは誰もが見ることのできるガラスの家である」という言葉を建築的に解釈する。しかし、その作品に関してはドゥーチェの訪問も称賛の言葉もなかった。*3

当初はファシズム及びムッソリーニへの強い幻想を持っていたテラーニだったが、《カサ・デル・ファッショ》がムッソリーニ本人から評価されることはついぞなく、徐々にテラーニのなかでのムッソリーニへの神話は崩壊していくことになる。

ムッソリーニにとって、テッラーニはドゥーチェを信奉する建築家として操りやすい人物のはずだった。ムッソリーニは、テッラーニの作品、そして彼の建築に対する真摯な姿勢に関心をもち、計画の依頼をしその提案をある段階まで承認する。しかし、テッラーニは近代建築の実現のためには妥協しない建築家だった。ムッソリーニは《E42設計競技》において、リベラら当選建築家たちに円柱とアーチといった様式建築に設計変更を強制させていた。しかし、彼は《ダンテウム計画案》などの依頼を通して、テッラーニがリベラらのように従順ではなく、自らの近代的な提案を放棄しない建築家であると気づいたのだろう。結局、ドゥーチェはテッラーニの提案を一つとして実施させるまで強く支持しなかった。 テッラーニにおいては、ドゥーチェに直接計画案を説明し、時に評価を得ることはあっても、そういった機会が彼の政府主催の設計競技の勝利につながることはなかった。テッラーニは、先述の計画案および設計競技を通して、次第にドゥーチェに不信感を抱くようになったのだろう。*4 

 強調しておきたいのは、テラーニは観察者(あるいは技術者)として政治に関わっていたのであり、あくまで所与の「ファシズム」という条件に対して、専門家である自分がいかに建築的な構成や空間性を与えることができるのか、という視点で試行錯誤をしていた人だったということだ(がゆえに、極端なイデオロギーに絡みとられてしまう危険性もあったわけだ)。翻訳家的な振る舞いといえばいいだろうか。たとえば《カサ・デル・ファッショ》に、彼自身による強い政治的意志が込められてはいない、ということには多くの人が同意するのではないだろうか。注目すべきはこの翻訳の過程、関数の如何であり、むしろなんとかしてここから、「ファシズム」を悪魔祓いしなければいけない、と思う。でないとテラーニは救われないのではないか。

f:id:o_tkhr:20181024155922j:plain

f:id:o_tkhr:20181102155927j:plain
 ぼくらは個人の固有性と、場所の文脈と、時代の条件のなかで生きている。が、そこから生み出されるものには、そういったしがらみから離れ、有限性を超えて展開しうる潜勢力があるのだと信じたい、と思う。つまるところ時代や場所を超える“形式”を各々のしかたで道具化し、取り出す可能性を信じたいのだけど、しかし、この建物を実際にみて、それならば無理に政治的な抑圧下で設計された建物を扱う必要はないよなあ、と感じてしまった。というのも、この建物を見たあと同時期に設計された《サンテリア幼稚園》を見に行くことになるのだけど(次回のブログで扱うと思う)、政治的な文脈の薄いこちらの幼稚園のほうが、やはり良かったのだ(薄いと言っても仕事を取る上で実兄のコネ的なパワーは働いているのだが)。個人的には圧倒的に《サンテリア幼稚園》のほうが良かった。この感覚の差異は、政治的な文脈を完全にオミットして《カサ・デル・ファッショ》を分析することは自分にはできないな、という直感からきているのかもしれない。

 下は帰り際もう一度立ち寄ったときに撮った写真。《サンテリア幼稚園》の素晴らしさに打ち震えたあとで、この頃には、この建物を直視できるようになっていた。少しこの建物に対する気持ちの整理をつけることができた状態だった。写真というのはわかりやすいなと、数ヶ月前に自分が撮った写真をみて思う。

f:id:o_tkhr:20181024232126j:plain

f:id:o_tkhr:20181024154647j:plain

△ Giuseppe Terragni: Casa del Fascio, 1932-36, Como, Italy

 

* * *

 

 《カサ・デル・ファッショ》の裏手には彼の弟子であったチェーザレ・カッターネオの建物がある。合理主義建築の雰囲気たっぷりでいい感じだけど、建設当初は軒がなかったようで、より抽象的な造形だったみたい。そっちのほうがいいだろうな。でも軒がちょこっとついている感じも悪くない。とんがった若々しい近代建築というよりは、もう少し丸くなって、「おれも昔はワルだったんだぜ」とかいっちゃう可愛いおじさんみたいな感じになっている。

f:id:o_tkhr:20181024180008j:plain

△ Cesare Cattaneo: Uli Sede Unione Fascista Lavoratori Industria, 1938-43, Como, Italy

 

 カッターネオはテラーニの弟子の一人で第2世代の合理主義者ともいわれる建築家だが、早逝で、1943年に31歳の若さで生涯を閉じている。わずかながら8年という短い建築活動のなかでも、非常に魅力的な、”ヤバイ”(良い意味で)建築を残している人だ。たとえば《カーザ・カッターネオ》(1938-39) がそうで、コモ北部のチェルノッビオというまちに位置する住宅。ものすごく訪れたいと思っていたのだけど、ちょっと時間的に厳しくて断念した。今回はテラーニ設計の有名なお墓をみることもできなかったし、次回はぜひ見に行くこととしよう。ちなみに下の建物。手すりがすごい。

f:id:o_tkhr:20181023162451j:plain

https://www.espazium.ch/cesare-cattaneo-19121943-pensiero-e-segno-nellarchitettura

 

 

その他、マイナー目なテラーニ作品をいくつか。

f:id:o_tkhr:20181024133226j:plain

△ Giuseppe Terragni: Mercato comunale coperto, 1937, Como, Italy

 

f:id:o_tkhr:20181024152436j:plain

△ Giuseppe Terragni: Casa Predaglio, 1934-35, Como, Italy

 

 ファシズム絡みでないテラーニの設計は、ごくごく普通であることが多い。日常的で、過度に主張することなく、なんてことない佇まいで街なかに建っている。個人的に惹かれるのは、彼のそういう仕事のほうだった。これは今回の旅で得たひとつの確信で、個人的には大きな収穫だったものだ。

//////////////////////////////
(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 160)

*1:北川佳子: イタリア合理主義 ファシズム/アンチファシズムの思想・人・運動, 鹿島出版会, p.125., 2009

*2:ジュゼッペ・テラーニ――ファシズムを駆けぬけた建築, 鵜沢隆監修, INAX出版, p.116., 1998

*3:北川佳子: イタリア合理主義 ファシズム/アンチファシズムの思想・人・運動, 鹿島出版会, pp.132-33., 2009

*4:Ibid., pp.134-135.