声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

FEB,11.2019_無題

 Contax S2、ネガよりもポジ向きかもしれない。このカメラでポジ入れて撮るとなんだか映像みたいに撮れていい感じ。Canon AE-1のほうをネガ用にして、使い分けてみようかしら。いまのところAE-1は、フラッシュをつけてモノクロフィルムを入れてときおり夜中散歩にでかけバシャバシャ人のいない街をとるという使い方をしている(完全に不審者)。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJICHROME Velvia100

FEB,10.2019_無題

  雪がふって、うっすらとつもっている。今日は晴天で、陽を受けた雪はすでにぽたぽたと解けはじめていた。駅に向かって歩きながら、水びたしの木々や草花をみて、りんご飴みたいだなと思う。

  寝違えたみたいで、首が痛い。よく寝違える。たぶん枕が高すぎるんだろう。でも枕を高くして(枕の上にクッションや毛布を重ねて)寝るのが好きなので、しょうがない。そのほうが、わるい夢をみないきがする。

  駅に着く。首の痛みはおさまってきたし、角に座れたし、今日はいい日だなと思う。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak PORTRA 800

 

FEB,2.2019_中平卓馬について②

  Google Search Consoleをチェックしていると、「中平卓馬」という検索ワードでこのブログに到達していただいている方が非常に多い(切ないことに、ぼくの名前で検索してくれている方よりも多かったりするくらいだ)。ということで今回は、「次回につづく(多分)。」といいつつ9ヶ月くらい経ってしまった以下の記事の続き(というか書き直し)

www.ohmura-takahiro.com

 

 

1

例えばアナーキストの建築家、世界の根底からの転倒をもくろむ建築家などというものがはたして存在しうるものなのであるか否か。極論すれば、革命家と建築家とはそもそも形式論理からいっても敵対矛盾の関係にあるのではないか。(……)近代の建築の論理に反抗し、なおかつ建築家として作品を創り続ける、そのような建築家はいないものなのだろうか。(……)だが無念にも都市、建築の破壊は一手早く権力の側から行われているというのが現状である。すでに建設業者と建築解体業者とは手を結んで「列島改造」を進めている・権力の側からの都市の破壊、それに対するわれわれの側からの都市の解体・破壊はいかなる形態をとるべきなのか。そしてその時、建築家に何ができるか?それが今日の危機的状況を危機的に生きぬこうと決意した建築家に問われるたったひとつの問いなのではないだろうか。(……)だが、しかもなお建築家であることをひきうけつつ真の解放(むろんそれはあらゆる意味を含んでいる)を目指す者は、今一体、何を考えているのだろうか?*1

 1974年、中平卓馬は自身が表紙を担当していた『近代建築』誌上でいささか挑発的なテキストを寄稿する。64年の東京五輪から70年の大阪万博にむけて加速していた高度経済成長が公害問題やオイル・ショックにより一時頓挫し、70年安保改定を前にした全共闘運動がすでに息をひそめていた時期であり、同時に、大規模なスクラップ・アンド・ビルドによる都市空間の変貌の只中にあった時期のことである。中平が投げかけたのは、世界の普遍性・不動性に対する建築家のオプティミスティックな態度への批判であり、「アナーキストは建築家になり得るか?」という疑義であった。

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△ 『近代建築』1974年の表紙

 その確信に満ちた口調の背景にあったのは「今をときめく黒川紀章の一冊の薄っぺらな本」で彼が感じた、建築家の、世界は無限に安定をかさねてゆくであろうといった歴史観、あるいはバラ色の未来を描くその世界観への、“ほとんど生理的な反ぱつ”であったという。岡崎乾二郎が指摘しているように*2、黒川をはじめとした戦後のメタボリストたちの計画で実装されたのは、中心となる主体の座(コア=インフラとなる主要部分)を永続させるため周辺の消耗的な部分を交替させるという仕組みであった。つまるところそれは基幹構造(政府であり交通網でありインフラ設備であり、なにより当時未来のエネルギー源として期待されていた原子力発電所)をむしろ強化するシステムであり、近代的な政治権力をより一層増長させるものにほかならず、中平の指摘する通り、このときまさに建築家はアナーキストとは正反対の立場にあったのである。

 上記の中平の疑義はあくまで〈建築〉に向けられたものだが、しかしこれは同時に自己批判でもあった。このテキストからおおよそ2年前の1972年、中平は『プロヴォーク』の総括を以下のように綴っている。

われわれの戦線は明白に二つの領域にわたっている。第一に権力による具体的な政治的な情報操作の領域、第二に、それこそがエンツェンスベルガーのいう「意識産業」の主要なホーム・グラウンドであるが、われわれの日常に深く浸透する日々の意識と感性の操作と収奪、その二つにいかに具体的な反撃を加えてゆくか、それがわれわれの二つの戦線である。だがむろんのことこの二つはともに「人間と人間の関係」に根ざすものである以上、必然的に政治的な戦いにならざるを得ないだろう。*3 

 マス・メディアのなかで仕事をするしかないということを引き受けながらも、ただそれをいたずらに非難するのではなく、具体的かつ現実的な実践を通して批判していくこと。具体的にはこの後、「植物図鑑」というコンセプトで、「まず第一に〈関係〉であり、人間と事物と空間との〈媒介項〉」*4 である都市を解きほぐし、開いていくための写真の視覚的実践のモデルが提示されることになる。

 中平の実践は、往々にして1977年9月の記憶喪失の病をさかいに分別される。しかしそうではない。いささか伝説化してしまっている記憶喪失の前後の中平の実践はむしろ驚くほど連続しているのであり、同時に、中平の後期の写真作品はまさに上記の「第二の戦線」(日常に浸透する日々の意識と感性の操作)に差し向けられたものなのである。

茫漠とした日常性においてこそ情報社会におけるマス・メディアが果たす真に政治的な役割があるように私には思える。マス・メディアはわれわれの日常性を制度化し、そのことによってわれわれの感性を制度化し、統御する。*5

 この一点に、建築的な実践が「生の解放」のためになすべき政治的闘争と、中平の写真実践が重なる地平を見つけ出すことができるかもしれない(建築家であるぼくがこういうテキストを書いているひとつのモチベーションはそこにある)。そのうえで本稿が企図するのは、私たちの生を枠付けている制度への違反・冒険・逸脱の形式を中平自身の言説及び制作物から改めて取り出すことで、記憶喪失以前の中平の言語的実践と、以後の写真実践の間のなめらかな連続性を位置づけなおすことである

 

2

 「個人的主体の自律性」と「社会の際限なき発展」という近代のふたつの信仰は、「理性主義」という概念において重なり合う。世界の有り様にはすべて必然的な根拠があり、あらゆる真理は理性によって論証される必要があるという理性主義は近代に特徴的な啓蒙的思想である。非論理的な因習の脱却を目指した「理性」は近代的な主体の第一の行動基準であり、近代人はそれを賭け金とすることで、「個人の自由」あるいは「主体の自律性」の実現可能性を得た。しかし同時にそれは、「生産性」に応じて最大の利益を得るプロセスを約束する枠組みでもあり、社会の資本による合理的な支配とその滑らかな運用の基盤となる概念であった。

 この「個人の自律」の功罪こそが追求されるべき大きな問題だったのであり、だからこそ「理性」は資本制に対抗する政治的・文化的・社会的闘争の場となる主要なサブジェクトだった。左翼運動の画期となったのは1968年5月、「学生紛争」という前代未聞の出来事による地政学的な危機である。中平もまた「熱い」運動に見を投じたひとりであった。しかし、武力を用いた左翼運動の激化とその悲惨な結果を受け、国民は急激に脱政治化していくことになる。その後出現するのはコルネリュウス・カストリアディスが「順応主義」と定義したもの*6、すなわち政治的な問題の理解の拒否・無関心という姿勢である。資本主義的な合理性に対する体系的な批判が息を潜め、代議制民主主義が消極的に受容され、「多元論」と「差異の尊重」に重きを置かれるようになった時代。まさに我々が生きてきているこの時代だ。

 近代社会が目指した自律性、それは個人の主体性を約束するものであった一方で、コインの裏側にはあったのは、政治的主体を生産-流通-消費の網の目に絡みとることで資本の支配下におくという生権力人々の生に働きかけ介入しようとする近代産業社会の権力構造)である。中平が初期の「アレ・ブレ・ボケ」を用いた写真制作で目指したのは、こうした高度に発展した資本制における循環-流通-消費の不可視のシステムを「切断」することであった。しかし先に示したように、その後の中平の制作は「第二の戦線」(日常に浸透する日々の意識と感性の操作)へと、つまり、写真というメディアがもつ生権力への直接的な攻撃というよりは、むしろ日常に根ざした内在的な批判に移行していく。

はっきり言ってしまうならば、状況をひきうけて〈私〉は初めて成りたつのであり、エンツェスベルガーが一笑に付すように、隠れ家としての〈私〉などはない。それはブルジョイ・イデオロギーがふりまいた幻影としての個=ワタクシであるにすぎない。(……)なぜいまさら〈私〉をことさらに言いたてる必要があるのか。反対に〈私〉を世界に向かって開き、〈世界〉に対して事物に対してできうるかぎり「受容的」であることがいまこそ必要とされているのではないか。(……)われわれは毎日毎日をひとつの意味の体系としての〈遠近法〉にしたがって生きている。この〈遠近法〉はわれわれの行為と経験、身振りと習慣、こういったものがより合わさってでき上がったものである。*7

 エンツェスベルガーが『意識産業』でしめしたのはまさに、情報産業が裏打ちする権力構造のなかでは自律的な個というのは存在せず、ずたずたに引き裂かれているという現実であった。近代が目指した個の自律性が生み出したのは、世界の有り様をあらかじめ規定する〈遠近法=パースペクティヴ〉であり、事物や経験、習慣の布置は措定された「架空の消失点」によって統御される。中平が求めていたのは、写真というメディウムがもつ「受動性」をラディカルに引き受けることで、規定の〈遠近法=パースペクティヴ〉を撹拌し、その先に、事後的かつ仮設的に軽やかな主体性を再-編成する可能性であり、そしてそのための新しい写真制作の方法を見つけ出すことであった。『アサヒカメラ』で「決闘写真論」連載されていた76年は、多木浩二の『生きられた家』が出版された年でもある。すでに主戦場は、ゆるやかに、日常的な環境への批判的実践へと移りつつあった。

 ここで、『プロヴォーク』以降の中平の制作の軌跡を簡単に紹介しておこう。中平は1968年創刊の『プロヴォーク』、そして70年に刊行した写真集『来たるべき言葉のために』において、グラフ・ジャーナリズムの予定調和的な物語づくりへの徹底した批判を展開し、風景と対峙した。中平はここで欧米や日本における大量消費社会、あるいは情報社会の到来に対して視覚の不確かさをラディカルなかたちで提示することに成功する。が、それがアクチュアルな状況への批判であればあるほど、そのときの「否定の身振り」はスタイルとして消費され、瞬時に陳腐化してしまうだろうことは、中平自身がもっともよくわかっていたことであった。

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△中平卓馬『来たるべき言葉のために』, 1970

 

 翌年のパリ青年ビエンナーレでは、とりわけ制作過程が重きにおかれることになる(《サーキュレーション 日付、場所、行為》)。中平はパリを縦横無尽に撮影し、大量のプリントを日々追加・変更を繰り返しながら展示した。それは写真家が自らを作品の演算子=オペレーターとして位置づけることで「書き直し」をくりかえす新陳代謝のプロセスであり、エンゲルスが『自然弁証法』で示した物質連関=物質代謝の様を――黒川らメタボリストよりもよほど正確に――描き出していた。生命活動において、敵に食われるということは敵の身体を自己の身体をもって作り直すことを意味する。つまりそこでは自己と他者、敵と味方の対立がなんなく止揚してしまうのであるが、まさに中平は《サーキュレーション》において、モノとイメージの断片が循環・流通するさまをインスタレーション化すると同時に、自らの身体をそうしたフィードバック・プロセスのたんなる媒介物と化すことで、遠近法的世界観に固着した主体性を解体・廃棄するのである。それは68年の熱気が冷めやまぬパリという場にあって、強烈な批判的実践であった。

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△《サーキュレーション 日付、場所、行為》, インスタレーション・ビュー, 1971

 

 74年、東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」において中平がおこなった制作《氾濫》は、《サーキュレーション》から地続きの問題意識のなかにあり、73年の「なぜ、植物図鑑か」(以下、「植物図鑑」)で提起された問題と並行している(fig.2)。冒頭で引用した中平の論考「アナーキスト」が発表されたのは74年であり、《氾濫》には『近代建築』誌上で発表された写真も含まれている。間違いなく《氾濫》および「植物図鑑」で結晶化している問題意識の本質こそ、筆者がここで取り出さなくてはならないものである。

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△《氾濫》(写真: 1995年 東京国立近代美術館)

  

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 《氾濫》における問題意識について、フランツ・K・プリチャードは次のような分析をおこなっている。

《来たるべき言葉のために》に支配的だった様式から離れて、都市の物質的現実をカラー写真でとらえたこの連作を通して明らかに示されているのは(……)「植物的なもの」の諸形態に対する、境界画定的な分離と不気味な遭遇の二つの感覚である。安全な距離感覚を所有せず、風景に対して抗議の声をあげるための適切な言葉を欠いた「植物的なもの」。この呼称は、異質な次元を媒介する関係の諸形式を開こうとする、暫定的な方法を意味した。*8

「植物」は中平にとって、「樹液=血液、葉脈=動脈という類縁、一瞬ぼくの心を安堵させるなにかしらの人間的なものがある *9」一方で、「防水性の外皮」による感情移入の拒絶をもたらすものであった。つまり植物は、人間でなく、かつ人間でなくもないような、両義的な存在を範例として示すものだったのである。都市のなかで出会う「植物的なもの」。中平はこの存在に、人間と人間、人間と事物の関係を固着化する一元的なパースペクティヴを脱構築する可能性をみていた。「なぜ、植物図鑑か」での記述をみていこう。

世界と私は、一方的な私の視線によって繋がっているのではない。事物、物の視線によって私もまた存在しているのだ。(……)いかにも私は世界を見る、だが同時に世界は、事物は私に向ってまた物の視線を投げ返してくるのだ。そこには私の視線を拒絶する世界、事物の固い〈防水性の外皮〉がただあるばかりである。(……)写真を撮るということ、それは事物の思考、事物の視線を組織化することである。(……)おそらく写真による表現とはこのようにして事物の思考と私の思考との共同作業によって初めて構成されるものであるに違いないのだ。*10

 中平が示した方法は事物と私の共同作業、いわば非-人間とのパースペクティヴの交換であった。事物を凝視すること、と、事物に視線を投げ返されること、の同時性。多木が指摘していたように*11、こうした「身体を世界に貸し与える」という態度は、『来たるべき言葉のために』の時点ですでに発現していたものである。そこにはロマンティシズムへの欲望がわずかに残存していたが、「植物図鑑」の時点では、もはや情緒はノイズでしかなく、徹底して排除すべきものになっていた。

たしかに一枚の写真をとりあげてみる限り、それは私という一点から一方向的に覗き見た空間を呈示しているだけにすぎない。だが一枚の写真の空間に限定するのではなく、時間と場所に媒介された無数の写真を考える時、一枚一枚の写真のもつパースペクティブは次第にその意味が薄められてゆくのではないか。つまり、そうすることによって時間に媒介され、無限に乗り越え、乗り越えられるもの、それはまさしく世界と私、それら二次元的対立をつつみ込んだ場としての世界の構造を明らかにしていくことが可能なのではないか、ということなのである。そこにはもはやスタティックな私と世界という図式は消え、無限に動き続ける無数の視点が構造化されてゆくのではないか。*12

 《サーキュレーション》におけるおびただしい数の写真の列挙、あるいは《氾濫》における都市の「不気味なもの」の凝視といった姿勢は、こうしたパースペクティヴの複数性を目指す姿勢に基礎づけられている。「都市は氾濫する。事物は氾濫し、叛乱を開始する。大切なことは絶望的にそれを認めることなのだ。それが出発である*13」。中平が政治的闘争の場として目指したのは、人間中心主義を脱した先にある「私の視線と事物の視線が織りなす磁気を帯びた場」であった。

植物、図鑑、そしてこの二つの語の繋がりは奇妙に私の関心をひく。(……)なによりも図鑑であること。魚類図鑑、鉱山植物図鑑、錦鯉図鑑といった子供の本でよく見るような図鑑であること。図鑑は直接的に当の対象を明快に指示することをその最大の機能とする。あらゆる陰影、またそこにしのび込む情緒を斥けてなりたつのが図鑑である。(……)あらゆるものの羅列、並置がまた図鑑の性格である。図鑑はけっしてあるものを特権化し、それを中心に組み立てられる全体ではない。(……)この並置の方法こそまた私の方法でなければならない。そしてまた図鑑は輝くばかりの事物の表層をなぞるだけである。その内側に入り込んだり、その裏側にある意味を探ろうとする下司な好奇心、あるいは私の思い上がりを図鑑は徹底的に拒絶して、事物が事物であることを明確化することだけで成立する。これはまた私の方法でなければならないだろう。*14

 中心をもたない全体のなかで、事物が並列・併存すること。「図鑑」はあくまでの写真的な手法だが、それは都市環境あるいは「見ること」の近代的な統制に対する批評行為のための方法論でもあった。

 植物図鑑。すなわち、人間でなく、かつ人間でなくもないような事物とのパースペクティヴの交差の場を並立・併存させること。日常のやりきれない世界のなかにあって、しかし、決して一元化されえない無数の事物たちによる葛藤・抗争の場がそれでもありうるのだということを、たとえフィクションだとしても、示すこと。中平にとって写真の可能性はこの一点にこそあったのではないか。特定の枠組みの秩序に回収されえない自由な身体と精神の場を、写真というメディアのもつ特性を最大限酷使することによって表現するということ、それが中平のアナーキズムである。 

 

 

3

 1977年9月、中平は急性アルコール中毒により昏睡し、意識不明の重体となる。その後奇跡的に生還した中平は、記憶の欠如と失語症に苦しみながらも精力的な写真制作を再開し、カラーポジ、縦構図で対象を鮮明に撮るという後期の形式は1990代初頭までに確立される。ところが90年以降の中平の写真はしばしば、作品そのものというよりは「撮影する」という行為の重要性に比重が置かれることになる。中平という存在自体が神話化してしまい、作品そのものの形式的な価値はほとんど宙吊りにされてきてしまった。

  たしかに、極度に断片化した日々の「これ」を切断的に写し取る後期中平の写真を、「中平卓馬」というモチーフなしに解釈することは大変な困難をともなうだろう。倉石信乃は、後期中平の写真を理解するさいに、「写真家=狩人」といういささか古典的なモチーフが、まったく従来の意味と異なる新たな価値をもつことを指摘している。

寝ている人などを撮影する際、シャッターがリリースされた瞬間、中平はすばやく対象から離れることがある。漸次的な接近と素早い離反を伴うひとつづきの「シューティング」と出来上がった写真とは無縁であるはずがない。中平はここで明らかな「恐れ」を抱いている。恐れの理由は、物理的な攻撃を受ける可能性を察知してのこと、と言うだけでは足りない。その理由をより物語るモティーフは、人間よりもむしろ「動物」の方だと言えるかもしれない。動物からのまなざし、見つめ返されることに恐れているのだ。いやむしろ、中平はいつも見られている。少なくとも、たとえば字義通りに眼を写真家の方に向けていなくとも「事物のまなざし」が存在すること、その眼差しの射程範囲を逃れることはできないこと、それを前提に撮影しているからこそ、怖いのだ。 この「恐れ」の感情は、動物と人間の境界を画定して棲息域を弁別しておきたいがために生じるものではない。中平の「恐れ」は、そうであるよりもむしろ、当の画定そのものを審問することで、人間の獣化と動物の擬人化をめぐる従来の叙法を未知の領分へと送り込むことになる、そのときの余儀ないし心的振動にほかならない。撮影という行為は、当の行為者に動物と人間の入り組んだ領域を指定し、当の領域で「中間性」を生きるように具体的に要請するのである。(……)われわれは中平の撮影時における注視の眼差しが、結果的に「狩る」動物と人間とを等価値的に参照したものとなることを改めて想起しなければならない。(……)おそらくわれわれはここで中平の動物の写真とともに。「動物と人間」をめぐる問いの、未踏の区域へと進みつつあるのだ。(……)狩猟=撮影が、新しく発明的に解釈されなければならない。*15

 さて、この倉石さんのテキストによって、中平の実践を批評的に再検討していくにあたってもっとも重要な視点が示されているようにぼくは感じた。「狩猟=撮影」という古典的なモチーフは、中平の実践においては、例えばダナ・ハラウェイが指摘しているような「写真意識の持つ極めて略奪的な性格 *16」を想起するものにはならないだろう。中平にとっての「狩猟=撮影」は、アナロジーではなく、文字通り生死を賭けた「狩猟=撮影」であり、私たちは中平の「恐れ」を、まさに狩猟における心理状態の現れとして真剣に、真率に受け取る必要がある。

 補助線として、人類学者エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロがアマゾニア諸民族の民族誌を導きの手としながら提示した「パースペクティヴィズム」(パースペクティヴ主義)を示すことにしよう。私たちはここで、中平の言説におけるひとつの鍵語であった「遠近法=パースペクティヴ」、そして写真実践の先にあるとされた「無限に動き続ける無数の視点が構造化されてゆく*17」世界との、奇妙な響き合いを確認することができるだろう。

動物や精霊は、われわれを非-人間的な存在として見るので、自らを人間としてみる。これらの存在は、(……)自らの習慣や特徴を、ある種の文化のもとに経験する。すなわち、食糧を人間の食べ物として(例えば、ジャガーは血をマニオク酒として、死者はコオロギを魚肉として、クロハゲタカは腐敗した肉に湧く蛆を焼いた魚肉として)見るし、自らの身体的な特性(毛皮や羽毛、鉤爪、嘴)を文化的な装飾品として見る。ここでの「として見る」という表現は知覚対象について文字通りに言及しているのであり、アナロジーによって概念に言及しているわけではない。*18

 アメリカ大陸先住民のパースペクティヴィズムにおいて、世界に住む多様な存在は、主体として行動するとき、自らを人間としてみなす。このときパースペクティヴ(事物の布置)の差異は身体の特殊性において与えられる。ヴィヴェイロスがは「身体」という言葉で表現するものは、ハビトゥスを構成する情態や存在の様態の集合体である。パースペクティヴの源となるのは情態と力能の束としての身体であり、決して精神ではない。そして身体がパースペクティヴをもたらすのならば、それは制作の余地を残している。同じく人類学者のレーン・ウィラースレフはヴィヴェイロスの理論に言及しつつ、先住民の狩猟様態に関して具体的な分析をおこなっている。

私の論点は、「まなざすこと」と「まなざされること」、もしくは「客体化すること」と「客体化されること」の二重性を経験する結果として、狩猟者は動物を自らのパースペクティヴと似ているが、完全には同じではないパースペクティヴを持つ人格として経験するだろうというものである。つまり、動物は、「私の=ようで=あるが=私でないもの」という逆説の中に住まうようになる。*19

 狩猟時にハンターは、対象の身体的なふるまいや感覚、共感的な感性をつぶさに観察し模倣することによって、彼/彼女らのパースペクティヴの質を想定する。狩猟者は自らの身体を組み替えることで、対象の〈眼〉を奪う。そして自らの想像力のなかに他者のパースペクティヴを再生産したうえで、生死を賭けた駆け引きをおこなうのである。「植物図鑑」で中平は、写真によって「私の視線と事物の視線が織りなす磁気を帯びた場」を制作することを目指していた。このことをあらためて思い出そう。人間でなく、かつ人間でなくもないような「植物的なもの」、を相手取った「事物と私の共同作業」、パースペクティヴの交換。中平は「世界、事物の擬人化、世界への人間の投影を徹底して排除」するために、自らを部分的に非-人間とする写真制作の方法を模索していた。そこに非-近代社会における狩猟の様態との並行性を指摘することは、いささかアクロバットではあるにしろ、完全に的外れだとは思わない。共通しているのは、無数の事物がうごめく世界に対する愚直な模倣(ミメーシス)の継続的実践であり、「まなざすこと」と「まなざされること」の中間性を引き受けることである。

しかしいったい見るということは何なのだろうか。むろん見るということは、世界を見られるべきもの=対象に還元し、私と対象との間に安定した距離を確立すること、そのことによって世界を意味化し、所有することであることはわかっている。だがもしこの距離が崩壊したら? 私事になるが、数年前、私は不眠症のために睡眠薬を常用するようになり、その結果、恒常的な知覚異常を惹き起こし、ひと月近く入院したことがあった。その時の幻覚をひと口で言いあらわすことはむずかしい。幻覚といってもありもしない幻を見るのではない。つまりそれはこの距離感の崩壊であり、事物と私との間に保たれていたはずのバランスの喪失であった。(……)国電(JR)に乗っていて車窓から景色を眺めていると、ある一瞬からそれらの事物が眼球に突きささっていくる。疾走する車中の自分を守るためには眼を閉じたまま座席の肘掛けにしがみついていなければならない。そのような知覚の異常がこうじて、事物を見ることは物が直接眼球に突きささってくることであり、意識とは事物が眼球、あるいは網膜を傷つける、その傷痕であると堅く信じるまでになり、街を歩くこともできなくなっての入院であった。その不安はまったく消えてしまったわけではなく、病者の意識はいまなお私の意識にひきつがれている。まさしく「見る」とは、事物が私に向かって突きささってくる、その反転した言い回しではないだろうか。*20

 このような知覚の異常な様態は、ベルクソンにいわせれば「常識的」ということになるだろう*21。ベルクソンによれば、知覚は「ここ」ではなく実際に「事物の側」にあるのである。対象の位置と知覚の位置が一致し、対象と「ここ」の距離がゼロであるような局面を、中平は実際に経験していた。中平は、「見ている」ことと「見られている」ことが混濁し、「ここ」と「そこ」の距離がゼロとなるこの局面においてこそ、事物との関係性における最も強烈なリアリティを感じたのではないだろうか。後期中平の、あの極端に対象との距離が近く感じられる写真は、いわば中平の“ポートレイト”であり、ゆえに観賞者に異常な没入感を強いる。

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 後期中平の制作物をみれば、いかに中平が「眼=パースペクティヴの交換」に自覚的であったかがわかる。横浜美術館で2003年に開催された「原点復帰─横浜」展以降、2009年までに撮影された作品で構成されている《Documentary》*22を、ここでは扱うこととしよう。特徴的なのは二枚一組で構成される見開きの構成に、ある一定の傾向性が見いだせることである*23。清水が指摘しているように、中平が組み合わせのさいにこだわっているのは「視線のあるもの」と「視線のないもの」をペアとすることにほかならない*24

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△《Documentary》より一部抜粋

  観賞者はこの両方を見比べることになるが、前述したように、「視線のないもの」をみるとき、私たちの対象への極端な没入を強いられることになる。しかし隣り合う「視線のあるもの」に視線を移すと、その没入はただちにキャンセルされるだろう。前者をみるとき、私たちの〈眼〉は事物の側に移行する(「ここ」と「そこ」の距離のゼロ化)。そして隣あう写真に意識をうつしたとき、〈眼〉は視線をこちらに投げかける事物に移行し、結果として、私たちはその動物の眼から私たち自身を見るのである。観賞者を媒体としながら、眼=パースペクティヴがぐるぐると動き続ける。これが中平の後期の作品にみられる異様ともいえる観賞経験のモードである。

 一般に写真に没入するということは、端的にカメラと眼を等号で結ぶようなフィクショナルな知覚のモードであり(眼=カメラという体制はいわば比喩である)、もういっぽうにあるのは、眼の前にある印画紙を単に目撃するという知覚のモードである。中平の作品においては、「対象を見ている私」(眼=カメラというフィクション)と、「印画紙を見る私」(「私の眼」のたんなる現前)がすばやく往来を繰り返すことで、両者が確率的に重ね合わせられ、相互に矛盾するような複数の全体性が観賞者の身体に招喚される。「私の身体」が媒介物=メディウムとして作品を構成する素材の一部に組み込まれることで、私の主体性は分割され、二重化するのである。観賞する身体が作品の構成材の一部、もしくは癒着点となること。後期中平の作品は身体のメディウム化・能動化を促し、「眼の奪い合い」のゲームの只中に観賞者を誘いだすのだ。かつて「植物図鑑」で予告されていた「私の視線と事物の視線が織りなす磁気を帯びた場」における「植物的なもの」(人間でなく、かつ人間でなくもない事物)との「共同作業」というコンセプトは、きわめて正確に、そして理論的=形式的な操作によって、後期の中平の制作物に実装されている。それは先ほど確認した「まなざすこと」と「まなざされること」の中間性を引き受ける狩猟的実践のモードと正確に一致し、その変換的な知覚体験を上演する場を用意するものにほかならなかった。私たちの身体はそこで、主客が識別不可能な流動帯におけるパースペクティヴの生成のただなかへと投げ込まれる。

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△ 六本木クロッシング2013:アウト・オブ・ダウト―来たるべき風景のために, 2013, 森美術館

 

4

 最後に、後期中平の写真がもつ特質を、より形式的に分析し、道具として取り出すことを試みてみよう。哲学者のエリー・デューリングはヴィヴェイロスのパースペクティヴィズムを巡った論考のなかで、「複数のパースペクティヴ」の相互性を確保するための時間的枠組みとして〈スーパー・タイム〉という概念を導出している。デューリングは人類学以外のさまざまな事例との連関を示すなかで、アピチャッポン・ウィーラセタクンの『トロピカル・マラディ』(2004)に言及し、以下のように述べる。

私たちが目撃しているものは、人間の特性が、虎のパースペクティヴに入り込み、最終的には虎のパースペクティヴに捉えられてしまう働きなのである。この働きが成就するのに続いて、ボイス・オーバーが挿入される。「今や、それは私が見る私自身である…」と。(……)ナレーションの中にちりばめられた、何も映っていない黒いスクリーンによって遮られることで、持続は一挙に引き延ばされ、広げられ、しばしば断絶される。(……)それから、まるでトーチランプのスイッチが入ったかのように、その虎はいっぱいの光のもとで現れる。その視覚的な効果はある種の図と地の反転に等しい。さらに、虎は正対してカメラをまっすぐに見つめる。誰もが知っているように、カメラ目線は古典映画の文法からは一般的に排除されている。というのも、そいうすることによって、映画経験の根底をなす技術的な条件があばかれてその計略が明らかになってしまうからであり、より根本的には、映画的な時空の連続性が損なわれてしまうからである。(……)それは文字通りに、パースペクティヴの空間における盲点に視覚的な現前を付与する。*25 

 アピチャッポンの映像に対するデューリングのこのような指摘は、そっくりそのまま中平の制作物の観賞体験にもあてはまる、といってもいいくらいな気がする。両者の作品には、あきらかに従来の言説では取りこぼしてしまうような、ある共通した経験の本性がある。それは複数のパースペクティヴが空間や時間を横断して分配されたり、相互に折り重ねられたりする知覚経験の条件である。デューリングはこのような体験を示唆するためにネッカー・キューブの等角投影図の表象を示し、「図と地の反転は、それがもつ示唆的な力によって、アニミズム文化の中心をなすパースペクティヴの交換可能性を表す理念的なエンブレムあるいは視覚的なダイアグラム 」であると述べている(彼はこうした観念の美学理論および建築理論への適用についてはコーリン・ロウの「透明性 実と虚」を参照せよ、ともいっている 。他方、ヴィヴェイロス自身によれば、この特異な状況を説明するために必要なのは「非ユークリッド幾何学」である 。これはアナロジーではなく、文字通りの意味で、「非ユークリッド幾何学」が空間的条件として必須だということだ。さて、一般に「非ユークリッド幾何学」は私たちが住む現実の世界においては「みえない」ものとされているはずだ。なるほど、中平やアピチャッポンの作品がもっている特異な性質を触知可能なかたちで示すことは、やはり不可能なのだろうか。

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 いや、少なくとも〈第4の次元〉ならば、その限りではない*26。数学者の根上生也は著書『四次元が見えるようになる本』のなかで、“四次元を見るための奥義”を紹介している。

あなたが用意するものは、紙と鉛筆だけ。まず、用意した紙を机の上に広げ、そこに三本の座標軸が直交している絵を描いてください。何の解釈も加えなければ、その絵には一点で交差する三本の長い矢印が描かれているだけです。しかし、あなたはその絵を見て、そこに三次元空間を見出すことができる。本当は紙の世界は二次元空間でしかないのに、それは三次元空間だと思える。当たり前のことだけれど、そういう力があなたに備わっているということを自覚することが大切です。 次にあなたがすべきことは、三本の座標軸の交点、つまり、三次元空間の原点に当たるところに鉛筆を立てることです。 「え、それだけ?」 そう、それだけです。でも、紙に書かれた三次元空間を意識できるあなたなら、原点の位置に立てた鉛筆が何に相当しているかがわかるでしょう。それはx軸、y軸、z軸のすべてに直行する第四の座標軸、w軸にほかなりません。  鉛筆は紙の上に描かれた三次元空間からはみ出る方向に伸びている。ということは、その鉛筆が指し示す方向に四次元空間が広がっているということです。つまり、いままで三次元空間だと思っていた世界が四次元空間に化けたことになります。そして、あなたはその四次元空間の中にいて、紙の上に存在している三次元空間を見下ろしているのですよ。*27

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  虚構にペンをつきたてる

 実際に経験してみるとすぐさま理解できるが、たったこれだけのことで、驚愕するような未知の空間体験――あたかも四次元にさわっているような――がもたらされる。なにが〈第4の次元〉の触知を可能にしているのだろうか。その条件は、直行に交わるx-y-z軸を三次元として認識できていること、そしてそのイリュージョナルな空間把握を崩さぬまま、鉛筆をたてている実空間でのw軸を明確に認識できていることである。換言すれば、二次元に折りたたまれた(射影された)フィクショナルな空間と現実空間が、あたかもネッカー・キューブのようなかたちで、ある絶妙なバランス、力関係のもとに置かれていることである。際限のない “シュール”な現実の追求にむかうのではなく、「虚構=フィクション」と「現実=リアル」を同時に知覚する体制がここでは問題となっている。もうすこし掘り下げてみると、「私の身体」が、「私が見ている状況」のたんなる構成材として組み込まれていることがなによりポイントだということがわかる。主客が二重化し、たんなる習慣と情態と力能の束と化した「私の身体」を、私自身が冷静に見つめているような状況。たんに「ながめているだけ」ではこの知覚体験はもたらされ得ない。これは視覚以外の五感をすべて酷使し、五感ごとに主体を分裂・並列させた結果に生じる感覚だ。私の身体が、「見ている私」、「触れている私」、「聴いている私」、「重力を感じている私」、、等々の多重化した主体の葛藤・抗争の場となること。

 

 一元的な遠近法的世界を切り崩し「事物とのパースペクティヴの交換」を目指した後期中平の作品は、「没入を誘発するもの=視線を受け止める事物」(=虚構)と「観賞者の身体を刺激するもの=視線をこちらに送り返す事物」(=現実)の組み合わせにより成立していた。その場では、観賞者が構成材として〈眼〉の往還のシステムのなかに組み込まれることで、無数の事物たちによる人間もまた一事物としてそこにはめこまれた葛藤・抗争の場を実現していたのであるが、その背後にあったのは〈第4の次元〉における空間的かつ具体的な技術すなわち「現実(リアル)と虚構(フィクション)の同時性」(類推に頼らない4次元空間の表現)であった。

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 さて、ここで〈第4の次元〉=〈アンフラマンス〉を模索していた芸術家、マルセル・デュシャンを思い出す人も多いはずだ。実際に彼の作品、たとえば《彼女の独身たちによって裸にされた花嫁、さえも》(1915~1923年, 以下《大ガラス》)では、上で指摘したような〈第四の次元〉の成立条件をほぼ完璧に満たしている。

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△ マルセル・デュシャン『彼女の独身たちによって裸にされた花嫁、さえも』(1915-1923)

 デュシャンの《大ガラス》をリテラルに読解すると、まず三次元的な造形が二次元に射影されたオブジェがあり、そしてオブジェの内容に観賞者を没入させるための物語的仕掛けがある。観賞者にはフィクショナルな三次元空間への没入が促されるだろう。他方でガラスはそれとは無関係に、表面のヒビの物質性と、あるいは向こう側に横切る他者の姿をフィクショナルな没入空間に介入させ、現実空間への次元の拡張(w軸)を示唆する(このガラスが「虚構につきたてられた鉛筆」の役割を果たしている)。《大ガラス》は「フラットランドの住人」と「この現実の世界の住人」へと見るもの身体を分裂させ、同時に両者を共存させる態勢を要求するのである。1918年の《Tu m'》はより直接的にその事実を示しているが、デュシャンについてはここまでにしておこう。あくまで強調したいのは、(嘘みたいな話ではあるが)私たちは中平の特に後期の写真作品とデュシャンの一部の作品に、ある共通性を見出すことができるのだということである。

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人間でなく、かつ人間でなくもないような事物(=植物的なもの)とのパースペクティヴの交差の場を並立・併存させることで、決して一元化されえない無数の事物たちによる葛藤・抗争の場=政治的空間を示すこと。真に解放された自由な身体と精神の場を目指して、中平は〈パースペクティヴィズム〉とそれを成立させる〈第4の次元〉の実装を試みた。それが中平の写真表現におけるアナーキズムの中心的課題であり、それは近代の産業構造によって制度化される日常性(主体の自律性)を解体し、イデオロギーによる感性の統御に抗するための、いわば身体の再-編成のプロセスだった。

  写真においては、観賞者の身体がどこまでいっても観賞経験の障害となってしまう。私は写真をみるとき、私の身体を忘れることは決してできない。しかし裏を返せば、そこで繰り出されるフィクションに対して、観賞する身体が垂直に突き立てられるとき、写真は〈第4の次元〉=〈パースペクティヴの交換可能性〉に開かれる。つまり写真は、いまここ、あるいは現在から遠く離れた思いもかけない状況、想像もできないような痛みや苦しみを、まったく正反対の人々の身体へと突き刺すためのメディアとしては、依然として有効なのである。しかし、たとえば映像と写真が大きく異なるのは、写真はよりいっそう能動的な態度がもとめられることだ。それは能動的に写真を解釈する、ということではない。能動的に、受動的な態勢をとるということである。そのために、写真家は技術をもたなければいけない。

 これ以上書いても蛇足になりそうなので、このへんで筆を置くとしよう。ぼくの個人的な立場からいえば、ここからいかに建築の方へと問題を折り返していけるのかというところが残す課題となるわけだが、それはつまるところ、冒頭の引用文へと再び立ち返ることを意味する。「アナーキストは建築家になり得るか?」という中平の疑義に対して、ぼくはぼくなりの仕方で、具体的な実践のなかで応答していければとおもう。そのためのひとつのスタディとして、このテキストをぼくは書いたし、書かざるをえなかった。とはいえ、40年間建築の側からはまったく顧みられることのなかった中平の挑戦的なテキストを、まったく別の視点から読み直すためのひとつの素材としてここで書いた内容が役に立てば、うれしい。

*1:中平卓馬「アナーキストは建築家になり得るか?」, 『近代建築』, pp.37-38., 1974.6

*2:岡崎乾二郎『抽象の力』, 亜紀書房, p.274, 2018

*3:中平卓馬「記録という幻影」, 『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』, 筑摩書房, p.73, 2007

*4:中平卓馬「アナーキストは建築家になり得るか?」, p.38

*5:中平卓馬「記録という幻影」, pp.66-67.

*6:カストリアディス「自律からの後退: 一般化された順応主義の時代」, 『細分化された世界』, 右京頼三訳, 法政大学出版局, 1995

*7:中平卓馬「まち――見ることの遠近法」, 『決闘写真論』, 朝日新聞社, pp.77-80., 1995

*8:フランツ・K・プリチャード「都市氾濫の図鑑――中平卓馬の写真的思考と実践」, 倉石信乃訳, 『氾濫』, Case Publishing, 2018

*9:中平卓馬「植物図鑑」, 『朝日ジャーナル 1978年8月20・27日合併号』

*10:中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」, 『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』, 筑摩書房, p.p.19-20., 2007

*11:多木浩二「来るべき言葉のために――中平卓馬の写真集」, 『写真論集成』, 岩波書店, 2003

*12:中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」, p.28

*13:Ibid., p.31

*14:Ibid., pp.34-35.

*15:倉石信乃「人と動物 後期中平卓馬の写真」, 『沖縄』, Rat Hole Gallery, 2017

*16:ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ:自然の再発明』, 高橋さきの訳, 青土社, p.323, 2000

*17:中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』, p.28

*18:エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ「アメリカ先住民のパースペクティヴィズムと多自然主義」, 『現代思想 2016 3月臨時増刊号』, 近藤宏訳, 青土社, p.42-43., 2016

*19:レーン・ウィラースレフ『ソウル・ハンターズ ― シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』, 奥野克巳・近藤祉秋・古川不可知 訳, 亜紀書房, pp.168-169, 2018

*20:中平卓馬「都市への視線あるいは都市からの視線」, 『決闘写真論』, pp.12-13.

*21:《私たちの知覚は、すでにそう語っておいたとおり、本源的には、精神のなかに存在するというよりは、むしろ事物のうちにあるのであり、じぶんの外部に存在するのであって、私たちの内部にあるのではない。さまざまな種類の知覚は、それぞれにリアリテの真の方向をしるしづけている。》 アンリ・ベルクソン『物質と記憶』, 熊野純彦訳, 岩波書店, p.430, 2015

*22:中平卓馬『Documentary』, Akio Nagasawa Publishing,  2011

*23:それまで特徴的だった二枚組展示は、同名の展覧会においてはすでに見られない。これは中平の写真制作の傾向の変化そのものを示していると思われるが、ただし書籍の構成に関してはその限りではない。

*24:清水穣「連載 逸脱写真論3 日々是写真――中平卓馬の写真2」, 『写真空間3』, 青土社, p.172, 2009

*25:エリー・デューリング「スーパー・タイム――ヴィヴェイロス・デ・カストロの時間的パースペクティヴ主義の哲学的読解――」, 『思想 2017年12月号』, p.117

*26:www.ohmura-takahiro.com

*27:根上生也『四次元が見えるようになる本』, 日本評論社, pp.163-165., 2012

FEB,1.2019_引っ越しはしない

いまのアパートの契約が三月で終わるので、更新するか、引っ越すか、まよっていた。きょう不動産屋をいくつかまわって、てごろなアパートをいくつかみつくろってもらって内見させてもらったのだけど、しっくりくるところはなかった。調べていたら、いまのアパートは更新料がかからないということがわかり(ずっと家賃一ヶ月分かかるものだとおもっていた)、それならば引っ越さなくてもいいかなとおもいはじめている。

昨日の夜は雪が降った。じとじととした大粒の雪。今は昨日の天気がうそのような青空だ。日はまだ、ずいぶんと短い。春の雰囲気はまだ遠くのほうだが、遠くのほうにはたしかにある。

喫茶店にはいって紅茶をのんでいる。コンビニの搬入口のスチールドア、ちょうどその部分にだけ光が当たっているさまを、二階のガラス窓からみることができる。鉄の、温かい部分と冷たい部分を切り分ける光と影のぼやけた境界線が、左から右へ少しずつ移動していくのを、ただぼうっと眺めている。ほお白色の光は、徐々に琥珀色へと変わりつつある。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJICHROME Velvia100

JAN,27.2018_無題

 岡崎乾二郎の『抽象の力』の、坂田一男について述べられた以下の箇所は特に重要な気がする。建築空間における実践とも関係が深い。

渡仏後、「セクシオン・ドール」(ピュトー・グループ)と接して以来、後期に至るまで坂田の作品は以下の一貫した特徴を持っていた。それは、
・積極的に表された図(たとえば「a」とする)に対して、(図の周囲の)ネガティヴな地としての領域(「非a」とする)こそを充実したものとして扱うこと。
・図「a」を描くと発生する地の領域「非a」と図「b」を描くと発生する地の領域「非b」を同じ空間であるとは前提しないこと。
・図ではなく地である「非a」「非b」「非c」という異なる領域自体を重ね合わせること。
という性格につきる。(……)今日に至るまで、通俗的なモダニズム絵画のルーティンはニュートラルな空間(多くは白色の余白)の提示にあり、そのニュートラルな空間を基底にして、その上に複数の形態、異質なオブジェが、ときに整合的にときにランダムに浮遊するように配置される、あるいはそれぞれの形態が透明に重なりあっているかのように表されてあるというものだった。つまり、ここで図となる事物たちと、それが置かれるニュートラルな空間は階層が別であり、あくまでもニュートラルな空間が上位で、事物、形態はそこに配置される要素として下位レベルにある。すでに記したように坂田の絵画ははじめから、それとは異なる特性を持っていた。坂田の絵画で実験が繰り返されていたのは、ニュートラルだとみなされていた空間に特性を与え、それを単一なものとみなさず、複数化し同時に併存させることだったのである。図である異質な事物の遭遇、併存ではなく、地である領域(空間)それ自体の複数化であり遭遇、併存である。*1

 『抽象の力』は内容をまとめてみようかともおもってのだけど、どうも(自分にとって重要なことが広範囲に渡って書かれまくっていくということもあり)手が進まない。岡崎さんの書き方も、たったひとつのすごく大切なことをあの手この手その手でさまざまな切り口から通釈している感じなので、この書籍以上にわかりやすくまとめる、ということは考えづらい。ただ、10+1とかの書評を読んでいると、もっとしっかりと内容の考察がされてもいいのになぁと少し不満におもう自分もいて(字数の制限もあってのことだろうけど)、やっぱり建築を専門としている人間からみて重要だなとおもう箇所については、このブログでまとめておこうかなという気分になっている。

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 体調はだいぶ快復してきて、現在はまだ咳がでるのと、あと頭痛が多少あるくらい。 とはいえ火曜までは外出できないので、家でできることをやろうとおもう。
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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak GOLD 200

*1:岡崎乾二郎: 抽象の力 近代芸術の解析, 亜紀書房, pp.57-59, 2018

JAN,26.2018_零度・透明・環境=建築の手許性

前回の記事の補足として、いくつかのメモを。

www.ohmura-takahiro.com

 

○空間から構成へ

「家形」から「家型」への用語の微妙な変化は、即物的なモノ同士の関係性に焦点をあてた思考だけではなく、人間からみた世界そのものにもちゃんと向き合っていこうという坂本さんの姿勢をよく示している、ということを前回書いた(変化のタイミングがおそらく1979年前後だとということも)。抽象的な「空間」あるいは「構築性」への考察だけではなく、俗物的な世界ともきちんと正面から向き合っていこう、という非-人間(即物的なモノの世界)から人間へ(図像や意味の次元へ)への主題の変化と、「家形」から「家型」への用語の変化のあいだには、実は非常に本質的な相関がある*1

 今回は《代田》にいたるまでの坂本さんの思考も簡単にまとめつつ、その後の展開を振り返っていこうとおもう。まずは1971年のテキストから。

先に述べてきたように私はなるべく乾いた住宅をつくろうと考えてきた。そしてそのような住宅はそのものとして力強いはずだと思ってきた。その空間にどのような物が入り込もうと、たとえば、いかなる家具が入り込もうと、そのような空間は自立できるであろうと思う。(……)人間と空間の関係をふたたび問い返しはじめた。それは人間の生活、環境に対する配慮を根底において、情緒性を消したドライな空間をつくることであろうと思えてならない。すなわち住宅において情緒に由来するであろう曖昧な部分、あるいは要素を徹底的に消すことであり、そしてあるいはそのことによって住宅が建築であるぎりぎりの線まで追いつめられるかもしれないほど即物化させようということだ。(……)しかしそこで残ったリアリティこそ確かな「建築としての住宅」であろうと確信する。*2

 「即物性」や「空間の自立性」などを鍵語としながら、「住まいとしての住宅」と「建築としての住宅」を意図的に分けた上で、日常的な部分に隠されている住宅の建築的としか言えないような空間の質をなんとか前景化しようとする《代田の町家》以前の坂本さんの態度を、ここで確認することができるだろうと思う。生活には十分配慮しながらも「住まいとしての住宅」に由来するような情緒的・日常的な要素を排除し、モノそのものの関係により形成される〈乾いた空間〉をつくり出すこと。人間から見た世界というよりは、自立したモノ同士の関係性に重心が置かれている時期だとおもう。

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△ 雲野流山の家, 1973

 しかしここで主調をなしているのは、あくまで「空間」への問題意識だ。そして「空間」をテーマとしてしまえば、宿命的に「人間」という視座は免れ得ない。しかし《代田》に至っては「空間」から「構造性」(≒「構成」)へと、中心的なテーマが移行していくこととなる。

空間という内容が抽象的ということであれば構成材の示す内容は具体的なことであり建築がアプリオリな確かさを必要とするならば、まさにその部分で成立するということである。そしてその構成材が持つ内容は即物的なボリュームの限定と、その限定の仕方の面にある関係の位置づけということになろう。そのことは各構成材のあり方の内とそれらの互いの関係の内にひとつの〈建築〉があるということを意味する。そのことを私は建築の〈構造性〉と呼んできたのではないだろうか。*3

 ここで述べられている「構造性」、つまり「各構成材のあり方とそれらの互いの関係」は、後に坂本さんが「構成」という語で展開することとなる概念そのものだ。

私はたった1枚の平面図に「建築」を感じることがある。ときにその感覚は直感的だ。もちろんその平面を分析することでその「建築性」を知ることもある。しかしこの場合もその作業の前に、直感的にその存在を予感する。(……)そこではここで確認する「建築」とはどういうことであろうか。すなわち具体的に「建築性」として何を示すのだろうか。平面図は原則として基準の床レベルからのある高さの水平切断面で切り取られた断面図である。そこに表れるのはその断面と向こう側に見える表面を示す。だからそれは断面としての柱、壁等の垂直材と表面としてあらわれた水平材の床等を一定縮尺で示す。どのような計画も原則として直接表示されるのはこのことだけだ。そして建築の平面はそれらの構成によって生じる内容である。そこで問題なのはその構成である。つまり、平面図に投影されている構成材がどのように「統合(インテグレイト)」されているか、またどのように「分節(アーティキュレイト)」されているか、ということであろう。(……)ここで問題にしているのは「建築が建築であるための文脈」ということだ。いい変えれば、造形論や、施設論や、技術論でない建築固有の論理、それが「建築が建築である文脈」となるということであろう。つまりそのことは建築を意味論的内容でとらえるとき文脈が成立するといっていることにならないか。*4

 坂本さんはここで、平面図に投影されている意味内容の考察を通して、平面図から直感的に感じる「建築性」が、構成材の統合と分節の関係に依拠しているだろうことを分析している(おそらく同時期のアイゼンマンを意識していたであろう認識だ)。同テキストからもう少し引用しよう。

柱、壁、床、天井は構成されることによって「室」という概念を成立させる。もし全体平面を、あるいは建築を囲まれた領域の集まりとしてみれば、それは分節化された構成材を前提とした室の集合となる。そしてそこではその集合にインテグレイションが成立しているかどうかが問題となる。それではそのレベルでの分節と統合はどのようなことなのであろうか。まずそのレベルでのアーティキュレイションはその室自体の構成で、そこでの構成材の統合であると考えられる。そしてインテグレイションは室レベルでのその領域と他の同様な領域との関係のあり方に関するであろう。*5

 坂本さんはこの時期にすでに、さまざまな次元で発生する部分同士の関係性すなわち「構成」に、「建築性」なるものを見出している*6。人間を徹底して排除した先にある「建築性」なるものをつきつめて考えれば、そこで見出されるのは「空間」ではなく「構造性」(=「構成」)なんだと、これは坂本さんによるひとつの結論だといっていい。それは建築を分析する着眼点としてのみ有効なものではなく、方法論としての重要性ももっていた。以下の1994年のテキストは、坂本さんの仕事を理解する上でとくに重要な箇所かとおもう。

硬直化し、凝り固まった私たちの身体が、ただ自由で気ままな姿勢を取るのではなく、気功や太極拳、またさまざまな体操の形式化された方に沿うことで、柔軟さを回復し、自由を獲得するように、構成されたある種の空間や場にかかわることで快適な自由を獲得する、そんな構成の形式による建築の私たちへのかかわり方を〈構成の形式としての建築〉と位置づけることができそうだ。(……)問題は、私たちの生活や活動が生き生きと活気づき、精神や身体が解放される、つまり人びとが自由なかたちで自分を獲得する、そんな場を成立させる座標としての空間を提出する形式である。それは、現代での自由を獲得する、インクルーシブで私たちを枠付けない、意味の希薄な、あるいは未だ意味に染まらぬ〈意味の零度の場〉として与えられる構成である。*7

 非人間的な「構造性」(=「構成」)は、人間にとって他者であるからこそ、わたしたちを自由にしてくれる可能性をもっている。坂本さんはどこかで、ヒューマンスケールだけでできている建築は息苦しいといっていたとおもう。ヒューマンスケールと架構のスケールが葛藤しながらある緊張感のなかで両立しているとき、ふと身体が自由になる感覚を得る、と。建築の他者性をつきつめていった先にある「構造性」。これはぼくらが「道具」といっているものときわめて近しい存在である。そこで目指されるのは、「硬直化し、凝り固まった私たちの身体」が、「柔軟さを回復し、自由を獲得する」ための、〈意味の零度の場〉として与えられる形式である。

 

○道具の手許性=零度の座標 / 透明の器 / 環境としての建築

 ふたたび「平面を通して」にもどってみよう。

建築を象徴論的にとらえたり、文学論になったり、また記号学的なメタコノテイションによって生じる文化論になったりすることで建築を曇らし、不鮮明に私達はしている。だから付着した意味を消すことによって「建築」は浮上すると考えてきた。しかし建築においての意味を消しさることは一種の統辞論のレベルだけでそれを読み、つくることになり得ないことになり、そのことは今書いてきたように「建築」の文脈を超えて「造形」の水準になる可能性を持つのではないかとさらに考えるようになった。そう考えると意味を消すということは意味をなくすということではなく、零度の意味を求める、つまり記号学の用語を用いれば、無限に発生するコノテイションを消去する、あるいは停止させることではないかと思いはじめた。*8

 ここで登場する「零度の意味」が、「家形」論では「機能性記号化」として展開されているものであり、1994年のテキストでは〈意味の零度の場〉と表現されている概念だ。坂本さんの仕事において、一貫して重要な役割をになっている言葉だとおもう。「〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉」という1978年のテキストをみてみよう。 

〈住むこと〉と〈建てること〉(ハイデッガー)が分離してしまった現在において、建てる者、建築家に可能なことは、ただ人の住まう場を発生させる座標を提出、設定することに過ぎない。(……)それではその〈日常としての空間〉の座標を設定するとはどういうことか。それは〈日常としての空間〉のような現象するものではなく、また感覚的なヴィジブルな様相でもない。その座標は具体的な物によって構成されるが、それ自身は抽象的なものである。それは人の生活の直接の形式ではなく、住まう場の形式を成立させるものであり、さらにその形式を成り立たせる構造を含んだ構築となる。言い換えれば、〈日常としての空間〉に対して〈零度の座標〉を意味する。そこに建築という固有の概念が成り立ち、ひとつの文化を成立させることになると考えるのだが。*9

ハイデガーの「建てること、住むこと、考えること(Bauen Wohnen Denken)」(1951)を意識して書かれたこのテキストを読むと、ああなるほどなと、「零度」に込められた意味がだんだんとわかってくる。つづけて引用してみよう。

たとえばその直接的な座標は、屋根であり、壁であり、床であり、あるいはそれらで囲まれる物理的空間であり、また立面であり、ファサードであり、それらで成り立つ建物のボディである。当然架構も含まれる。まちろんまた、それら自体の性質であり、構成であり、またそれらどうしの関係であり、またさらに、それらとそれらを取り巻く世界との関係である。そしてそれらのことに投影される意味の関係でもあり、それらの統合によって成り立つ総体の持つ意味でもある。これらのことがいろいろな水準で、またいろいろな分節で、またさまざまな統合で、各種の生活のための座標を提出する。その現れた各種の座標が〈人の住まう場所〉として自由な生活の空間を現象させることを可能とするのだ。それを〈零度の座標〉と呼んだ。*10

 ハイデガーが有名な「道具分析」で提起したのは、道具が「指示」を複雑に交錯させるネットワークのなかに位置づけられているということだった。たとえばハンマーは釘を打つためにあるが、ハンマーや釘が共に用いられるのは、制作すべき作品、たとえば靴や時計があるからである。そして靴や時計といった制作物は、歩く“ため”、時を知る"ため”など、「使用可能性が向けられているところ=用途」をあらかじめ含みこんでいて、これがハンマー・釘・私の関係性を有機的に結び合わせる。さらに靴や時計といった制作物は同時に、「材料への指示」(靴が材料である靴・紐・釘に依存している)もある程度持ち合わせている。また、当の道具であったハンマーや釘もまた「制作物」であり、鉄や木材、鉱石を指示する道具である。さらに、制作された靴や時計は利用者への指示を含み持っている。 事物がこうした道具連関のなかにあるということ、そしてあらゆる存在者が用具的であるということを、ハイデガーは存在論的規定とみなした。あらゆるものがある種の道具である、と。ぼくらは目的に応じて、こうした各々の道具の「指示」を読み取り、(自らも「道具」としてそのネットワークに組み込まれながら)適切に道具を扱うと同時に、ある種の制作行為として、こうした道具の指示のネットワークを組み替えたり、変化させたり、意図的に切断したり、意外なところでつなぎ直したりしているのだ。

 ぼくらは、こうした事物の道具的な連関を「見ること(Sicht)」によって認識し、道具同士の指示関係を判断して、日々それらと交渉している。この、道具の指示作用を見抜くようなモードを、ハイデガーは「配視(Umsicht)」と表現する。例えば友人の家をはじめて訪ねるとき、ぼくらは玄関の前にたち、ドアらしきものを確認して、そこに取り付けられた金属でできた何かを発見する。ぼくらはそれをドアの開閉を用とするモノ=取っ手であるとみなし、それが含みこむ「時計回りにひねる」という指示を了解した上で、それを実行する。ぼくらはそれを「見て」いる(道具の眼前性)。しかし道具と交渉するときのぼくらは、いつでも道具の存在を意識しているわけではない。むしろうまく機能している道具ほど、ぼくらはそれを無意識に使う。自宅のドアの取っ手をことさら意識することはあまりないように、道具が手許でうまく機能しているとき、それは控えめであり、しばしば無意識に使用される(道具の手許性)。ぼくらは普段、心臓やコンタクトレンズを意識し続けて生活しているわけではない。それらは普段、ぼくらの意識から退隠(withdraw)している。それらはうまく機能しているからこそ、決して感知されることはない。

 「眼前性(手前性)」と「手許性」という対比的なモードは、道具に限らず様々な存在者に向けて、非常に広範な応用範囲をもった重要な概念であり、あきらかに坂本さんはハイデガーのこの議論をひきうけている、とおもう。

ひとつの壁面に暖炉がしつらえられていたとする。それでも、その部屋に入る人にとって、ただそこになにかがあるといった程度の知覚を得ているだけなら、それは床、壁、天井といった環境(空間)を構成している一要素でしかない。ところがその形象をはっきりと認識したとき、その暖炉は図像として機能し、明確にそれがなんであるかを対象物として示すことになる。もっとも、私たちは多くの場合、そこになにがあるという程度の知覚を持っても、それがなんであるかを気に留めずにその環境にとどまっている。そのようなところでは、その暖炉はいま述べたように環境化(空間化)していると言える。 ところで、そのような部屋はたいへん暖かく和やかな良い雰囲気を持っている場だと感じられることが多いかもしれない。あるいはその部屋にいたときには気づかなかったが、そこを出て他の場へ移ったとき、その今いた部屋がたいへん居心地良く、気分の良い部屋であったことを感じることがあるかもしれない。どうして、そのどうということもない部屋がそのような雰囲気を持つ空間として働きかけていたか。それは、それがあることすら気づかなかった暖炉が(だからこそ空間化しているのだが)、その空間に働きかけていたことによると言えないだろうか(……)ところがその暖炉の形象が好ましいものとして所有対象化された物の図像を現象させ続けていれば、その場にそのものが持ちうる願わしい雰囲気が形成されていることになる。(……)つまりそこでは、そこにいる人間は意識しない状態で、自分でも気づかない状態で、その暖炉の形象、図像を見ているのである。(……)本人の意識の裏側、無意識的なところにおいて、所有対象としての図像が記号作用を起こし、その図像の判示的意味(コノテーション)によってその場の気分、雰囲気(イメージ)が形成されているということになる。*11

 こういうところで暖炉を例に取るところなんかが、ハイデガー引き受けてる感あるなと感じるのだけど、それはともかく、ここでいわれている「環境化する」という感覚はその後、「対象としての建築 / 環境としての建築」という対概念に昇華され、より明確なコンセプトとして言語化されることとなる。もちろん前者はハイデガーの定義でいう「手前」にある状態を指し、後者は「手許」にある状態を指しているとみていい。くわえていうならば、「環境としての建築」は「意味の零度の場」や「透明な器」という言葉でパラフレーズされていたものであり、つまるところ坂本さんは一貫して、建築の「手許性」の重要性を主張し続けてきた、とぼくは考えている。これが補足で付け加えたかった一番重要なこと。 

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△ Hut AO, 2015

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インフルは熱も下がり、だいぶよくなってきました。きょうはいちごをたべたけれど、今まで食べたなかでいちばんおいしく感じたいちごでした。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJIFILM 業務用フィルム 400

*1:加えて坂本さんの研究に目をむければ、前者は「構成論」に、後者は「イメージ調査」に該当していることがわかる。

*2:坂本一成: 建築としての住宅ーー乾いた空間のために, 新建築1971年10月号

*3:坂本一成: 〈具体〉そして関係へ, 新建築1976年11月号

*4:坂本一成: 平面を通して―建築を語る言葉, GA HOUSES No.4, 1978.10

*5:Ibid.

*6:ここで述べられている、室という水準における分節(アーティキュレイション)すなわち構成材という水準における統合(インテグレイション)について詳しく展開した言説が「柱の意味の基盤」(『インテリア』1978.4)であり、室という水準での統合(インテグレイション)について詳しく展開した言説が「部屋の意味の基盤―異化と同化の間に」(『インテリア』1978.11)となるとおもう。

*7:坂本一成: 構成の形式としての建築, 小さい建築に大きい夢を, 1994

*8:坂本一成: 平面を通して―建築を語る言葉, GA HOUSES No.4, 1978.10

*9:坂本一成: 〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉, 新建築1978年12月号

*10:Ibid.

*11:坂本一成: 建築における図像性ーー建築のかたちの意味V 建築での図像性とその機能, 建築文化, 1986.2

JAN.24,2018_インフル?

 風邪をひいてしまった。3日前のこと、自分のデスクの目の前に座っている先生がずっとゴホゴホいっていて、大丈夫かなぁとおもっていたら、一昨日の夜からぼくにもまったく同じ症状がではじめた。昨日の夜には微熱がでてきて、こりゃ本格的に風邪だなとおもい、今日は一日療養していた(こんなに華麗に風邪をうつされたのは久しぶりだと思いながら)。午前中には熱が38.8度まであがってしまったのだけど、昼頃には37度くらいまでさがって安心していたら、今、熱は39.4度まであがっている。これはあれかな、インフルかな、、。明日の朝一番で近所の内科にいってこよう。みなさんも気をつけてください。それにしても、39度台に入ると一周まわって全然倦怠感とか悪寒がない。ずっとぼーっとしている感じ。

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f:id:o_tkhr:20190124185606j:plainContax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJIFILM 業務用フィルム 400

JAN.21,2018_家形と家型

 坂本さんのテキストをあらためて読みなおしたりしているのだけど、「家形」から「家型」への微妙な用語の変遷は、あらためてけっこう重要だなあとおもう。

 《代田の町家》(1976)の発表時にはまだ「家形」あるいは「家型」という言葉は用いられていない。それどころかこのプロジェクトはもともとRCで計画されていて(最初しったときはびっくりした)、ゆるい勾配の切妻かつ袖壁を備えたあの外形は、やむをえない事情で構造形式の変更を求められたさいに、木造住宅の持っている自然な存在様態を突き詰めていった先ににあらわれたものだった。

「代田の町家」は最初はRCで計画しましたが、ある事情で木造に変わった。RCのときはフラットルーフだったのですが、木造に変わっても、全体の構成はほとんど変わっていない。変わったのは、外形です。雨仕舞による勾配と木造がもっている自然な形態ですが、木造的軽さとも関係あると思いますし、軽さを含めての自然さとも言えますが……、またたまたまこの敷地の斜め前に、勾配屋根をもった教会があったものですから、ゲニウス・ロキとまではいわなくとも、いくぶんそうした土地の雰囲気に同化しようという考え方があったかもしれません。(……)家型という言葉にも多少の誤解があり、私としては、必ずしも勾配屋根をもっているから家型と言ったわけではなく、住宅がなんでもなくその場所に成立するあり方を突き詰めていったときに、そのように出現する住宅の形式に家の型という言葉をあてがったわけです。*1

《雲野流山の家》(1973)からの大きな変化として坂本さんが意識していたのはあくまで、入れ子状の構成から室が隣接する形式へ、という構成上の変化だったはずで、外形の問題はあくまで付随的な、竣工後に前景化してくる問題にすぎなかった。

 その後、1979年2月の『新建築』において《南湖の家》、《坂田山附の家》、《今宿の家》とともに発表された論考「家形を思い、求めて」ではじめて「家形」という言葉が登場する。しかしここでは「家形」が「家型」ではないことに注意する必要がある。坂本さんが後者の「家型」という言葉をはじめて用いたのは、1979年6月の『新建築』に掲載され『建築に内在する言葉』にも収録された論考「建築での象徴作用とその図式ーー両義的なことの内に」においてだ、とぼくは思ってたのだけど(『建築に内在する言葉』収録バージョンはそうなってるのだが)、よくよく『新建築』掲載時のテキストを確認してみると、ここで使われているのは「家形」であり、「家型」が初出するのはその次の言説「覆いに描かれた〈記憶の家〉と〈今日を刻む家〉」(1980)からである。「建築での象徴作用とその図式」での「家形」から「家型」への修正に関しては、おそらく『建築に内在する言葉』収録時に坂本さん自身が文脈に合わせて修正したのではないかとおもう。言語に使用にきわめて厳密な坂本さんらしいエピソードだし、両者の“使用方法”が、すくなくとも坂本さんのなかでは明確に分別されていることがわかる。そして1979年前後という時期が少なくとも、「家形」と「家型」が重ね合わされている狭間のタイミングであったということはいえるだろうとおもわれる。

 「家形」が“house form”、すなわち単に家のかたち自体を示しているだけでなのに対し、「家型」は“house type”であり、ここでは建築の元型としての〈家〉あるいは〈家のイメージ〉が問題となっている。この一般的には見逃されがちな「家形」から「家型」への用語の微妙な変化は、こういった意味のわずかな(かつ重大な)変化を明らかにしている。前者で重視されていたのはあくまでモノとして覆い=架構の自然なあり方や構成材の関係の仕方であったと思うが、後者ではイコノロジーも射程に入っているわけで。たとえば「家形」という用語を使用していた際には、家の外形をトートロジー的に表徴し〈機能性記号化〉することで、家のかたちが持っている二次的な意味の発生を抑えるという「意味の消去」の文脈で用いられていたと思うのだけど、「家型」の場合には、なんでもない家のかたちがステレオタイプとしての通俗性を持っていると同時に、人間の個別性を超えて存在する深層の構造をももっているという、文化人類学的な考察が含有されていた。

建築の外形の類型とは、私たちの祖先が自然界の、たとえば横穴の転用を超えて、原始的ではあっても人為的架構として家のために覆いをつくって以来、それと同時に現れたその覆いのかたち自体に、その覆いによって形成されている人の生活し、住まう家を投象し、かたちという具体的なものに〈人の住まう場〉という抽象的なことを結びつけた家のかたち、つまり〈家型〉を徐々に人の心の内に形成してきた、そうしたかたちと考えられる。このような祖先以来の〈人の住まう場〉を連想させるかたちを、ここでは元型(アーキタイプ)と呼んでいる。*2

 1980年のこのテキストでは、「家型」が単に架構の自然な状態を目指したものである(=「家形」)ということを超え、「〈住まう場〉の元型を表徴する覆いのかたち」であるとされる。「代田の町家」でやむをえない計画上の理由で採用された「家形」が、その後は思考の対象として明確に意識されるようになり、より図像学的な「意味」の次元での考察が進められていく、という展開。その狭間が1979年というタイミングであったことは、やっぱり重要だよなとおもう。おそろしく単純に表現すれば、1979年をさかいに「人間から見た世界」との真正面からの対決がはじまる、ということになるのだろう。それまでの坂本さんの創作の主調は、どちらかというと人間的な情緒を徹底して排除した先にある「建築性」なるものの追求、という面が強かった。非-人間(即物的なモノの世界)から人間へ(図像や意味の次元へ)、という主題の変化と、「家形」から「家型」へ、という用語の変化のあいだには本質的な関わり合いがある。

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△ 代田の町家, 1976

 坂本さんの設計活動は、ハイデガーが道具分析で指摘するところの「手許性」をいかに建築作品において全面化するか、ということで終始一貫している。それは「意味の零度」と表現されたり、「透明な器」と表現されたり、「環境としての建築」と表現されたりするのだけど、「家形」にしろ「家型」にしろ、そういった建築のありかたを目指して導出されたアイデアであることには変わらない。ただし「手許性」へと向かうアプローチの仕方が両者で全然違うのだ(「家形」は構成論的なアプローチ、「家型」は図像学的なアプローチ)。長くなりそうなので、続きは明日。

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そのへんの素材をつかいきって庭をつくろうとしていることに感動する。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJIFILM 業務用フィルム 400

*1:坂本一成+多木浩二: 対話・建築の思考,住まいの図書館出版局, pp.48-49. 1996

*2:坂本一成: 覆いに描かれた〈記憶の家〉と〈今日を刻む家〉ーー建築でのアイデンティティと活性化 / 建築の外形を例として, 新建築1980年6月号

JAN.18,2018_四次元が見えるようになる本

 後輩から教えてもらった『四次元が見えるようになる本』(著者は数学者の根上生也さん)という本がすごくおもしろかった。アナロジーとかではなく、本当に四次元がみえるようになってしまえる本だった。

 とくにおもしろいのが、著者が “四次元を見るための奥義”として紹介している方法で、曰く、

 あなたが用意するものは、紙と鉛筆だけ。まず、用意した紙を机の上に広げ、そこに三本の座標軸が直交してい る絵を描いてください。何の解釈も加えなければ、その絵には一点で交差する三本の長い矢印が描かれているだ けです。しかし、あなたはその絵を見て、そこに三次元空間を見出すことができる。本当は紙の世界は二次元空 間でしかないのに、それは三次元空間だと思える。当たり前のことだけれど、そういう力があなたに備わっているということを自覚することが大切です。 次にあなたがすべきことは、三本の座標軸の交点、つまり、三次元 空間の原点に当たるところに鉛筆を立てることです。

「え、それだけ?」

 そう、それだけです。でも、紙に 書かれた三次元空間を意識できるあなたなら、原点の位置に立てた鉛筆が何に相当しているかがわかるでしょう。 それはx軸、y軸、z軸のすべてに直行する第四の座標軸、w軸にほかなりません。 鉛筆は紙の上に描かれた三 次元空間からはみ出る方向に伸びている。ということは、その鉛筆が指し示す方向に四次元空間が広がっている ということです。つまり、いままで三次元空間だと思っていた世界が四次元空間に化けたことになります。そして、 あなたはその四次元空間の中にいて、紙の上に存在している三次元空間を見下ろしているのですよ。*1

 実際にやってみるとわかるけど、たったこれだけで驚愕するような空間体験がもたらされる。次元を拡張していくには順繰りに直角に座標を増やしていけばいいわけで(点→線、線→面、面→立体)、四次元をみるためには、要は立体に垂線がひければよい。そして「虚構にペンをつきたてる」ことはこの要件を満たしている(次元を折りたためば、立体に垂線を引くことは可能だ)。テンションがすごくあがっちゃったので下のような写真まで用意してしまったが、これを見ているだけじゃあの感覚は得られないだろう。自分の手でやらないと、、。

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 この現象を形式的に分析してみると、x-y-z軸のイリュージョナルな三次元空間にめちゃくちゃ没入しつつ、鉛筆をたてている実空間でのw軸も明確に認識できていること、となる。換言すれば、二次元に折りたたまれた(射影された)フィクショナルな空間と現実空間が、あたかもネッカー・キューブのようなかたちで、ある絶妙なバランス、瞬時に切り替わりうる力関係のもとに置かれていること、となるだろうか。ここで問題になっているのは、際限のない“シュール”な世界ではなく、「虚構=フィクション」と「現実=リアル」を同時に知覚する体制だ。

 もうすこし掘り下げてみると、「私の身体」が、「私が見ている状況」のたんなる構成材として組み込まれていることがなによりポイントだということがわかる。主客が二重化し、たんなる習慣と情態と力能の束と化した「私の身体」を、私自身が冷静に見つめているような状況。繰り返すけれど、たんに「ながめているだけ」ではこの知覚体験はもたらされ得ない。これは視覚以外の五感をすべて酷使し、五感ごとに主体を分裂・並列させた結果に生じる感覚だ。私の身体が、「見ている私」、「触れている私」、「聴いている私」、「重力を感じている私」、、等々の多重化した主体の葛藤・抗争の場となること。

 で、ここまでくればガチで四次元を模索していたデュシャンの作品、たとえば《彼女の独身たちによって裸にされた花嫁、さえも》 (以下《大ガラス》)は、この成立条件をほぼ完璧に満たしていることがわかる。三次元的な造形が二次元に射影されたオブジェがあり、そのオブジェの内容に観賞者を没入させるための物語的仕掛けがあって、他方ガラスはそれとは無関係に表面のヒビの物質性、あるいは向こう側に横切る他者の姿をフィクショナルな没入空間に介入させ、現実空間への次元の拡張(w軸) を示唆する(このガラスが「虚構につきたてられた鉛筆」の役割を果たしている)。《大ガラス》は「フラットラ ンドの住人」と「この現実の世界の住人」へと見るもの身体を分裂させ、同時に両者を共存させる態勢を要求するのだ。 

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△マルセル・デュシャン『彼女の独身たちによって裸にされた花嫁、さえも』(1915-1923)

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak GOLD 200

*1:根上生也『四次元が見えるようになる本』, 日本評論社, pp.163-165., 2012

JAN,16.2019_ジャイアントコーン

 ジャイアントコーン(アイスじゃなくてスナック菓子のほう)、なんでこんなにおいしんだろう。ナッツ類のパックのなかで見つけたらまっさきに食べている。ジャイアントコーンだけが入ったパックをカルディで買ってきた。おいしい。「ペルー中南部ウルバンバ地方の標高約3000mのごく限られた地域でのみ栽培される」らしい(Wiki情報)。貴重なものだ。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak GOLD 200

JAN,15.2019_加湿器、ジェフ・ウォール

 土曜日のことだけど、すこしだけ雪がふった。粉雪ってやつだろうか、きれいだった。たしかに土曜はそれほど寒かった。ぼくは防寒力が貧弱なコートしかもっていいないので、コートのしたにウィンドブレーカーをきてそのしたにベスト型のダウンを着込むという方法をとっているのだけど(いろいろ試した結果それが一番効果があった)、それでもだめだった。たちいかないくらいさむかった。

 とてもさむいので、外ではきだす息はとても白い。加湿器みたいな色。たばこをすっていると、自分がたばこの煙をはいているのかそうではないのかわからなくなり、肺から煙が出続けているような感覚におそわれる。加湿器をかった。3000円くらいの安物だが、6畳くらいのアパートならこれくらいで十分だそうだ。さきほど届いたが、ものすごく快適でびっくりしている。なぜもっとはやく手に入れなかったのか、と悔やまれる。青白い光をはなっているので、就寝時には水槽のなかみたいなゆらめく光で部屋が照らされる。安物というだけあって、みごとに安っぽい青色なのだが、けっこう好きだ。外ではく息みたいなものをはきだしつづけている。

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 その日、都写美で「小さいながらもたしかなこと」展(〜今月27日)をみた。写真展では久しぶりに、そうとういいなと思った。とくにミヤギフトシさんの作品はひじょうによかった。ライトボックス+トランスペアレンシーの作品って、おもえばはじめてみたかもしれない(ミヤギさんの作品、モニターじゃなく、たぶんそうだったと思うのだけど、、)。あれほどまでに美しいイメージをつくるものだとは知らなかった。ジェフ・ウォールとか、しょうじきそれほどかね?って思っていたけれど、実際に生でみると圧倒的に美しいのだろうな。

 そのウォールの、バルセロナ・パヴィリオンをうつした作品は、現代美術における写真をもちいた作品では、おそらくもっとも有名なもののひとつだろう。

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△ Jeff Wall: Morning Cleaning, Mies van der Rohe Foundation, Barcelona, 1999

 

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△ installation view ( Jeff Wall Actuality | Well Designed and Built より)

 ライトボックス+トランスペアレンシーっていうのはようは、ポジフィルムをそのままライトボックスのうえに固定して展示しているようなものだ。それは写真をもっとも美しく展示する手法のひとつで(コストはかなりかかるけれど)、ウォールの場合はサイズもめちゃくちゃでかい。畳一畳ぶんくらいのポジフィルムがそのまま展示されているとおもえばいい。すさまじいことである。結果として観賞者への写真へのすさまじい没入感がもたらされるわけだけれど、ウォールの作品はコンストラクティッド・フォトグラフィ(構成的写真、演出写真。すなわちスナップショットを“模倣”した作品)なので没入しつつもどこか違和感が残り続ける(フリードの用語を借りれば、きわめてアブソープティヴな性質をもちつつも、同時にシアトリカルでもある、というような)。虚構=フィクションと現実=リアルの同時性。

 同時にこの手法は、非常に自己言及的でもある。バルセロナ・パビリオンはモダニズムのひとつの到達点で、その美しさは象徴化され、イメージ化して世界中で消費されている。しかし、その美しさを維持するためには毎朝の掃除がかかせない。近代は古くなること、風化を拒否を欲望する。それは美しい虚構であり、しかしそれと同時にこの世界に実在するモノでもある、と、それはウォールの写真の形式と完全にシンクロしている。リアルとフィクションが同時に、同じ強度で立ち上がること。ウォールの作品において、それは内容と形式の両方に組み込まれ不可分となっている。

 一般に写真に没入するということは、端的にカメラと眼を等号で結ぶようなフィクショナルな知覚のモードであり(眼=カメラという体制はいわば比喩である)、もういっぽうにあるのは、眼の前にある印画紙を単に目撃するという知覚のモードである。ウォールの作品においては、「対象を見ている私」(ライトボックス+トランスペアレンシーかつ巨大、という形式により、否応なく写真の内容に没入させられ、「我を忘れる」と、「印画紙を見る私」(それが演出された場面であることにきづき、「我に返る」)がすばやく往来を繰り返すことで、私の主体性は分割され、二重化するのである。とのとき観賞する身体は、このような知覚のモードの二重性を構成する癒着点となる。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak GOLD 200