声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

MAR,10.2019_アアルト展の会場設計について

 告知もかねて、「アルヴァ・アアルト -内省する空間-アアルトの図書館と住宅」展の会場構成にあたって考えていたことを書いていきます。

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 この展覧会はアアルトの住宅と図書館に焦点をしぼり、とくにその内省的な空間の質に注目したもので、中心となる展示物は模型、とくに断面模型となるということは、こちらに会場デザインの依頼がきた当初から決まっていた。与えられた時間は一ヶ月強とものすごく少なかく、予算も限られていたので、できることといえば展示台をどう設計するか、そしてそれらをいかにレイアウト(配置)するかということのみ。

 展示空間はこざっぱりとしたホワイトキューブというよりはどこにでもある小さな市民ギャラリーのような雰囲気で、お世辞にも展示壁はキレイとはいえないし、地下の図書館の動線上に配置されているので実際の展示に使える面積は広くない。とはいえ大きなガラス面があることや展示室の奥に窓があることはおもしろく、かつ来場者の多くは必ずしも展示を第一目的に来ているわけではなくて、建築会館にきた「ついで」であることが予想された。人の往来が頻繁で自然光がたっぷり入る。あと床がきれい。条件としてはこんな感じ。わるくない *1

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 今回の展示タイトル「内省する空間」でも示されている「内省」というものをいかに思考するか、という問題が、会場デザインで終始意識していたことだった。内省すること、自らの考えや行動を深くかえりみること。展示の公式な英題は「introspective space」だったけど、個人的には「place for reflection」もしっくりくる 。内面に自発的に潜り込んでいく、というよりは、鏡にうつった自分をふとした瞬間に目撃する、というイメージのほうが、すごく直感的にではあるけれど、アアルトの建築の内省的な感触にマッチするように思う。

 鏡の空間、たとえば。そこで私は、鏡に反射する私自身をみる。私はそこで、私に似た像が私を模倣する瞬間と出会い、それと同時に、その反転した状況ーー眼の前のイメージを私自身が模倣する瞬間ーーとも出会う。フィリップ・ソレルス、そしてロブ=グリエを引きながら展開する宮川淳の一説を引用しよう。

似ていること、あるいはイマージュの根源的な体験。《僕》はたえず見つづけているが、しかし、それは鏡に映して、いいかえれば、現実の対象をではなく、すでにイマージュをであることは象徴的だろう。ここではイマージュはもはやなにものかの再現、いいかえれば、その背後にあるべき意味なり現実なりに送りつどけるのではない。それはそれ自体としてのイマージュ、単純に、そして純粋に似ていることなのであり、イマージュはいわばその背後によってではなく、その表面、それ自身の現前においてとらえられている。似ていること、このイマージュの根源的体験であり、魅惑であるもの、いや、それによって《僕》がとらえられているのだ。まさしくこの鏡のなか。(……)同じものであり、しかも同時にほかのものであること、それがあることとは別のところでそれ自体であること、それゆえに、ある〈中間的な〉空間、「表と裏、夜と昼ーーというよりも蝶番のように表と夜、裏と昼、そのどちらでもなく、しかも同時にその両者であるもの」、いわばこの非人称的な〈と〉の空間そのものの浸透であり、それがすべての自己同一性(「彼が彼と自分の肉体を占有しており、彼と彼の大きさを占めておりーー道のほこりにまみれてそこにある二本の足ーー時間と空間のすべてを占めており、それをかんづかれることなく離れようとする彼の努力にもかかわらず、ついに逃れうるものでもなく……」)をむしばむのだ。(……)この鏡の空間、この二重化の体験、この自己同一性の裂け目、それは《彼》が、たえず、そしてたとえば、車を全速力で疾走させることによって空しく期待していたものにほかならないだろう。しかしそれはまたすぐれて〈本〉の空間ではないだろうか。

宮川淳『鏡・空間・イマージュ』, 美術出版社, pp.33-34., 1967

アアルトの建築に登場する「本を読む空間」のことごとくが独特の内省的な空気をまとっているのだが、これは上記の宮川の指摘と決して無関係ではない(それどころかかなり深いところで関係していると思う)。この内省的な空間の質は「マイレア邸」や「ルイ・カレ邸」にみられる小さな図書室に限った話ではなく、「ヴィープリの図書館」や「ロヴァニエミの図書館」といった公共建築でも同様のことだ。ある種の切断的な、外部と切り離された独特のスケールをもった場所を、アアルトはしばしば読書空間として用意する。

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△左から「ロヴァニエミの図書館」、「ルイ・カレ邸図書室」、「マイレア邸宅ウィンターガーデン」©小泉隆 *2。 

 本を読むこと。この行為は、宮川が指摘しているように、対象に深く没入する(我を忘れる)経験であると同時に、自分自身を深く顧みる経験にもなりうる。我を忘れること、と、顧みることの絶え間ない往還、安定したコギト=自己同一性の二重化、その先に、「想像力にとって、もはやなにものかのイマージュなのではなく、イマージュそのものの根源的なイマージュにほかならない(『鏡・空間・イマージュ』, p.62)ものが現れる。「本を読む空間」の特異性はこの点にあるのであり、アアルトがそういった状況にたいしてどういった物理的環境を与えているのか、ということが、本展の重要なテーマである(とぼくは勝手に考えていた)

  こういった認識を前提として、会場構成としては展示物と一対一の関係で向き合うことが大切だと考えた。ひとつの展示物を複数人で同じ場所から眺める、ということではなくて、ひとりの鑑賞者がひとつの展示物を独占すること。 「あなたと私」という鑑賞者と展示物の対話的状況をつくること。本を読むように模型と出会うこと、宮川の表現を借りれば「鏡(あるいは〈と〉)の空間」にできるだけ接近した状況を限られた展示スペースのなかで用意すること。であればコンセプトは単純明快で、展示物の鑑賞位置を分散・独立させ、展示空間をできる限り広く使いながら配置すること、が必要条件となる。

 そのうえで、鑑賞者と展示物のひとつのセットーー「ここ」からの眺めーーが、展示室内に、どの方向をむいて、どの高さで、いくつあって、それらはどのような仕方で相互に関係しているのか、という問題を精査することが、自分に与えられた役割であると考えた。

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 少し脱線するのだけど、ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans)のいわゆる「散らし貼り」は、流行りまくってもはやスタンダートともいえるような写真の展示方法になってしまっている気がするのだけど、これはけっこう不幸な誤解をうけているんじゃないか、と思ったりする。ティルマンスの発案した展示方法の要は、展示室全体に星座のように、あるいは楽譜のように写真を配置したときのそのグラフィカルなかっこよさではなく、もっと即物的に、写真の鑑賞位置が展示室内に分散すること、だとぼくは思っている。つまり散らされるのは写真ではなく、鑑賞者の身体だ。

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△ Layout of Wolfgang Tillmans 2003 Tate Britain exhibition “If one thing matters, everything matters”

 ティルマンスの展示方法が大きな示唆を与えてくれるのは、展示空間をもっとも特徴づけるオブジェクトは、実は展示物ではなくそれを鑑賞する人間の身体なのだということだ。あなたがある作品をじっくりと見ているときに、他の鑑賞者の身体がどの位置にあり、どのような角度を向いていて、どれくらいそこにとどまっているのか。展示室において、複数の鑑賞者が特定の場所に集中しているのか、あるいは分散しているのか、で、作品の経験のされかたはまるっきり変わってしまう。鑑賞経験における他の鑑賞者の身体の位置を勘定に入れて会場構成をおこなうこと。ティルマンスの名前を(大変おこがましいと思いつつも)わざわざ挙げたのは、今回ぼくが考えていたことは、まさにこういうことだったからだ。

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 そもそも「断面模型」というものが結構特殊な展示物で、ひとりの鑑賞者の身体が他の人間の鑑賞を妨害さざるをない構造をもっている。たとえば建築の展覧会で断面模型が展示されているとき、前の鑑賞者がその模型を見終わるまで手持ち無沙汰になってしまう、ということはしばしばあることだし、あるいは後ろに迫ってきている他の鑑賞者のプレッシャーを感じながら急いで模型をみる、という経験もまたしばしば。

 いずれにしても今回重要だったのは、当たり前のように模型の前に長時間いすわって鑑賞を占拠すること、それをしてもいいというような雰囲気をつくること、だった。であれば、他の展示物(テキスト、写真、図面)にも、断面模型と同様の効果を付加してやればいいのではないか、と考えた。たとえばアクリルが載せられた写真は、ギリギリ近くまで寄ってみないと何が映っているかわからない。机上のアクリル-写真は、少なくともスツールに座って模型を眺めているあいだは、展示室の空間的な広さを拡張するためだけの装置となる。

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 模型をじっくりと眺めたあと、首を動かした先に写真が見える。しかしその場所からは、写真に何が映っているかはよく見えない。展示物をみるためには、身体を動かして近づかなければならない。テーブルの上のテキストも同様の効果を持っている。その鑑賞範囲は壁面に配置されるテキストに比べ格段に狭い。

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 個々の展示物を鑑賞しやすいように配置するのではなく、むしろ特定の体勢を促すように、鑑賞におけるごく微弱な拘束を少しずつ展示物に加えていくよう、サイズや色、距離関係をチューニングしていくこと。そうした個々の展示物のレイアウトを調整によって、展示室内の鑑賞者の位置、体勢、首の角度、動線や移動の速さ、等々は散り散りになっていく。翻ってはそれが、展示物(とくに断面模型)とのじっくりした対話的鑑賞を約束するものとなる(といいなと思う)。 

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 什器は天板の高さは950mmなので、展示室の下1/3はスカスカ、視線がすっと抜けた先には鑑賞者の足とスツールだけが点在する。天板の見付を薄く、かつ斜材がでてこない設計としたので、床のきれいさが際立ってくる、という想定。 

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 と、こんなふうに会場構成は進めていたのだけど、実際に展示がはじまってみてぼくの狙いはある程度成立していることがわかったので、いまは少しホッとしている。展示室内をぐるぐると歩き回るひとと、模型や写真、映像のまえに長時間居座っている人が同居している、という現象が起きていた。

 繰り返すが今回ぼくがおこなったのは、作品の鑑賞位置を特定の位置に集中させないため展示物を適切にレイアウトすること、と、それらの寸法を慎重に決定していくこと、に終始している。ある人物、ある展示物、ある場所がつくるひとつの個別具体的な「ここ」からの眺めのセットーー鑑賞者と展示物の局所的な関係性のもつれーーのレイアウトの検討、というと聞こえはいいが、作業は死ぬほど地味なもので、各関係者とやりとりをしつつ展示台や展示物の配置を微妙に変化させ、現場での即興的な判断の混入も受け入れながら修正と調整を延々繰り返す感じ。しかし個人的にはこの作業、意外と性に合っていたようで、すごく面白かった。会場構成、またやってみたい。

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 あとは細かいポイントをいくつか。模型を覗いたときの視点で撮られた写真が、模型の向こう側に、向きを変えて配されている。内観写真の外側の状況がとなりの模型をみたときにわかるような関係性。ここでは模型と写真のアングルを揃えて並べるというオーソドックスな方法をとっておらず、同じ建築物のふた通りの眺めが隣接するという状況を優先している(いずれにせよ写真をみながら模型をみることはできないのだから)

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 いわば複数のパースペクティヴの併置(juxtaposition)。細かいポイントとはいったものの、これは個人的には結構重要なレイアウトの指針で、写真を選定し使用許可を交渉していたときからそれを配置する段階まで、終始意識していた。展示室内に配置される現実空間の身体もさることながら、写真や断面模型によって立ち上がる架空の身体の位置(その建築のどこに自分が立っているのか)もまた分散・複数化させ、一望できない視点から建築の全体を再編成することがうながされる、ように。

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  複数の知覚のセットにともなってあらわれるのは複数の断片化した「私」であり、それを段階的に統合していく(あるいは複数の相容れなさとして併置させていく)プロセスこそ、建築経験が生成する現場である。であれば、まさに展示室で起こるであろうこともまた、うまくやれば、きわめて建築的な経験となるだろう。現実の建築作品のリプレゼンテーションではなく、それによく似た、とはいえまったく別物の建築経験が生成する現場として展示経験を構成すべきだ、ということは、レイアウトの作業を進めていて強く思ったことだ。建築は1 / 1を展示室に置くことのできないジャンルなので、そのためには思い切った判断と工夫が必要になる。

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 もうひとつ細かいポイント。消火栓置場となっている小部屋はこのギャラリーの結構厄介なポイントなのだけど、そこにプロジェクターを設置し、スクリーンに映像をリア投影することでデッドスペースを隠しつつ活用することにした。非常時に備え密閉することはゆるされないので、これが最善だと判断。左側の壁は展示壁になっていないが、コンクリート壁の面取り部分の隙間に木片を木殺しによって嵌めることで解決している。職人・堀越一希による展示台と同じジョイント方法。

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 最後に、本展では展示物に穴を開けないという態度が通底している。今後の巡回に備え、壁面の展示物はマグネットやクリップで留め、机の上の写真やキャプションは透明のアクリルをおくだけ、図面は文鎮で抑えるだけとした。ちなみに東京ステーションギャラリーで開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」展は、葉山→名古屋→東京ときて、次は青森に巡回するらしい(青木さんの青森県立美術館!)ので、この展示も青森までいってくれないかなぁ、とみんなで話していた。

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 ということで、会場構成で考えていたこととしてはこんなところだろうか。当然だけど、展覧会において会場構成はできるかぎり透明になることが求められるし、それが最も重要なことだと個人的にも思う。展示物に集中していただくのが何より大切なことだ。とはいえ、この記事をよんで展示に興味をもってくれた方がいたら嬉しいし、また、何を考えてこういう構成にしたのか、ということはきっとすぐに忘れてしまうだろうから(ぼくは忘れっぽいし会期も短いしで)、こうして備忘録を残しておくことも自分にとっては大切なことだったりする。加えて今回の実践が、この展示に関わってくれたあらゆる個々人にとっての、今後の設計のための探索・検討素材に少しでもなればいいと思う。

 ともかく、この展覧会が、アアルト建築のもつ空間の豊かさの一旦を垣間見る機会になっていただければ何よりである。残りは会期一週間。ぜひぜひよろしくお願いいたします。

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*1:あとから聞いた話だけど、この場所は建築学会の報告的な場所として使われることが多く、展示什器をわざわざ制作したり、会場の構成をあれこれ練ったりすることはめずらしいみたい。

*2:今回の展示会では、建築家であると同時に自らの写真を用いた多数の著作を出版されている小泉隆氏に、写真をご提供いただいた。たとえば 小泉氏の著書『アルヴァル・アールト 光と建築』(プチグラパブリッシング, 2013)では「光」というテーマからアアルトの建築がきわめてフレッシュに捉え直されている。資料性も高く写真も美しい良書である。

MAR,8.2019_展示什器メイキング

 堀越くんが制作した展示什器のメイキング動画+会場風景の動画です。ぜひご高覧ください。

youtu.be

 

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 展示台はホームセンターにて廉価で手に入る素材(ラワンランバーコア、赤松60mm角材)を用い、同時に(ランバーコアの端材を梁や貫に使ったりして)歩留まりをできるだけ高くとりつつも、安全マージンを十分とっても100kg弱の荷重には耐えうるよう設計されています。動画を見てもらえればわかりますが、木ビスや釘を一切用いず、ホゾ差しのみでジョイントが成立しています。

 たとえホームセンターで販売されているような平凡な素材を用いていても、設計や加工の精度の厳密さをそこに投入し、かつ大量生産された素材に “につかわしくない” ディテールをあえて選択することで、平凡さから半歩はみ出すような価値をもたせることができる。「半歩はみ出ている」ということが大切で、そこではラワンや赤松のもつ平凡さは決して手放されてはいないけれど、明らかに日常的ではない異質な精度が与えられている。限界まで無駄なディテールは削ぎ落とされ、結果として、「おそらくあれは台のような何かだ」としかいえないような質をもった構築物がそこに現れる。そこではなんでもないラワンの木目や赤松の節がなぜか美しく見えてきてしまう。そういうことがさりげなく実践されています。

 天板の高さは950mmで、模型の観賞に適した寸法になっています。通常のテーブルよりも250mmほど高く、立呑みに適した感じの高さ、という感じ。アアルトのスツール60に座ると、模型をちょうどアイレベルから覗くことができます。ぜひ実物をみてみてください〜。

 明日は会場構成について少し書こうかと思います。

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追記。

設計・制作の堀越くんが自身のHPで什器の詳細を紹介しています。一品生産品の販売も可能とのこと。

www.kazukihorikoshi.com

MAR,6.2019_〈告知〉アアルト展はじまりました

 フィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトの展覧会「アルヴァ・アアルト 内省する空間」展が開催されています(〜3月17日)。ぼくが会場設計を担当し、同期の堀越一希が展示什器の設計・制作を担当しました。東京ステーションギャラリーで開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」展のサテライト的位置づけの本展ですが、こちらは断面模型が多めで差別化された内容となっています。合わせてご観賞されると、より楽しめるかと思います。

 近くまでお越しの際など、ぜひお立ち寄りいただければ。
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「アルヴァ・アアルト 内省する空間」
3/4 - 3/17 (10:00 - 19:00, 会期中無休)
建築会館ギャラリー(田町駅から徒歩3分)

 

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 会場構成や展示什器についての詳細は、また後日落ち着いたら書くと思います。準備期間が短く、かつ予算もかなり限られた環境でしたが、それでも(だからこそ)やれることは色々とあるものです。それもこれも、後輩の皆さんの協力のおかげでした。関わってくれた方々、本当にありがとうございました!!

FEB,22.2019_展覧会準備

 バタバタしていて全然更新できず、、。修士設計の講評会についてとか、書きたいことはあるのだけど。

 というのも(告知をかねてかくと)、3月4日から田町の建築会館ギャラリーで開催される展覧会「アルヴァ・アアルト 内省する空間」の会場デザインをやっていて、最近はそれにつきっきりなのでした。詳細は以下のリンクなどをどうぞ。

www.onvisiting.com

先週土曜から東京駅のステーションギャラリーで開催されている「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」展(葉山、名古屋と周回してきた展覧会)の、サテライト展示という位置づけ。展示会場のインストールが完了したら、また詳しく書くと思います。展示期間は17日までの二週間なので、お時間あったらぜひ。

 のこり一週間、ここからが正念場だ、、。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJICHROME Velvia100

FEB,11.2019_無題

 Contax S2、ネガよりもポジ向きかもしれない。このカメラでポジ入れて撮るとなんだか映像みたいに撮れていい感じ。Canon AE-1のほうをネガ用にして、使い分けてみようかしら。いまのところAE-1は、フラッシュをつけてモノクロフィルムを入れてときおり夜中散歩にでかけバシャバシャ人のいない街をとるという使い方をしている(完全に不審者)。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJICHROME Velvia100

FEB,10.2019_無題

  雪がふって、うっすらとつもっている。今日は晴天で、陽を受けた雪はすでにぽたぽたと解けはじめていた。駅に向かって歩きながら、水びたしの木々や草花をみて、りんご飴みたいだなと思う。

  寝違えたみたいで、首が痛い。よく寝違える。たぶん枕が高すぎるんだろう。でも枕を高くして(枕の上にクッションや毛布を重ねて)寝るのが好きなので、しょうがない。そのほうが、わるい夢をみないきがする。

  駅に着く。首の痛みはおさまってきたし、角に座れたし、今日はいい日だなと思う。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak PORTRA 800

 

FEB,2.2019_中平卓馬について②

  Google Search Consoleをチェックしていると、「中平卓馬」という検索ワードでこのブログに到達していただいている方が非常に多い(切ないことに、ぼくの名前で検索してくれている方よりも多かったりするくらいだ)。ということで今回は、「次回につづく(多分)。」といいつつ9ヶ月くらい経ってしまった以下の記事の続き(というか書き直し)

www.ohmura-takahiro.com

 

例えばアナーキストの建築家、世界の根底からの転倒をもくろむ建築家などというものがはたして存在しうるものなのであるか否か。極論すれば、革命家と建築家とはそもそも形式論理からいっても敵対矛盾の関係にあるのではないか。(……)近代の建築の論理に反抗し、なおかつ建築家として作品を創り続ける、そのような建築家はいないものなのだろうか。(……)だが無念にも都市、建築の破壊は一手早く権力の側から行われているというのが現状である。すでに建設業者と建築解体業者とは手を結んで「列島改造」を進めている・権力の側からの都市の破壊、それに対するわれわれの側からの都市の解体・破壊はいかなる形態をとるべきなのか。そしてその時、建築家に何ができるか?それが今日の危機的状況を危機的に生きぬこうと決意した建築家に問われるたったひとつの問いなのではないだろうか。(……)だが、しかもなお建築家であることをひきうけつつ真の解放(むろんそれはあらゆる意味を含んでいる)を目指す者は、今一体、何を考えているのだろうか?*1

 1974年、中平卓馬は自身が表紙を担当していた『近代建築』誌上でいささか挑発的なテキストを寄稿する。64年の東京五輪から70年の大阪万博にむけて加速していた高度経済成長が公害問題やオイル・ショックにより一時頓挫し、70年安保改定を前にした全共闘運動がすでに息をひそめていた時期であり、同時に、大規模なスクラップ・アンド・ビルドによる都市空間の変貌の只中にあった時期のことである。中平が投げかけたのは、世界の普遍性・不動性に対する建築家のオプティミスティックな態度への批判であり、「アナーキストは建築家になり得るか?」という疑義であった。

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△ 『近代建築』1974年の表紙

 その確信に満ちた口調の背景にあったのは「今をときめく黒川紀章の一冊の薄っぺらな本」で彼が感じた、建築家の、世界は無限に安定をかさねてゆくであろうといった歴史観、あるいはバラ色の未来を描くその世界観への、“ほとんど生理的な反ぱつ”であったという。岡崎乾二郎が指摘しているように*2、黒川をはじめとした戦後のメタボリストたちの計画で実装されたのは、中心となる主体の座(コア=インフラとなる主要部分)を永続させるため周辺の消耗的な部分を交替させるという仕組みであった。つまるところそれは基幹構造(政府であり交通網でありインフラ設備であり、なにより当時未来のエネルギー源として期待されていた原子力発電所)をむしろ強化するシステムであり、近代的な政治権力をより一層増長させるものにほかならず、中平の指摘する通り、このときまさに建築家はアナーキストとは正反対の立場にあったのである。

 上記の中平の疑義はあくまで〈建築〉に向けられたものだが、しかしこれは同時に自己批判でもあった。このテキストからおおよそ2年前の1972年、中平は『プロヴォーク』の総括を以下のように綴っている。

われわれの戦線は明白に二つの領域にわたっている。第一に権力による具体的な政治的な情報操作の領域、第二に、それこそがエンツェンスベルガーのいう「意識産業」の主要なホーム・グラウンドであるが、われわれの日常に深く浸透する日々の意識と感性の操作と収奪、その二つにいかに具体的な反撃を加えてゆくか、それがわれわれの二つの戦線である。だがむろんのことこの二つはともに「人間と人間の関係」に根ざすものである以上、必然的に政治的な戦いにならざるを得ないだろう。*3 

 マス・メディアのなかで仕事をするしかないということを引き受けながらも、ただそれをいたずらに非難するのではなく、具体的かつ現実的な実践を通して批判していくこと。具体的にはこの後、「植物図鑑」というコンセプトで、「まず第一に〈関係〉であり、人間と事物と空間との〈媒介項〉」*4 である都市を解きほぐし、開いていくための写真の視覚的実践のモデルが提示されることになる。

 中平の実践は、往々にして1977年9月の記憶喪失の病をさかいに分別される。しかしそうではない。いささか伝説化してしまっている記憶喪失の前後の中平の実践はむしろ驚くほど連続しているのであり、同時に、中平の後期の写真作品はまさに上記の「第二の戦線」(日常に浸透する日々の意識と感性の操作)に差し向けられたものなのである。

茫漠とした日常性においてこそ情報社会におけるマス・メディアが果たす真に政治的な役割があるように私には思える。マス・メディアはわれわれの日常性を制度化し、そのことによってわれわれの感性を制度化し、統御する。*5

 この一点に、建築的な実践が「生の解放」のためになすべき政治的闘争と、中平の写真実践が重なる地平を見つけ出すことができるかもしれない(建築家であるぼくがこういうテキストを書いているひとつのモチベーションはそこにある)。そのうえで本稿が企図するのは、私たちの生を枠付けている制度への違反・冒険・逸脱の形式を中平自身の言説及び制作物から改めて取り出すことで、記憶喪失以前の中平の言語的実践と、以後の写真実践の間のなめらかな連続性を位置づけなおすことである

 

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 「個人的主体の自律性」と「社会の際限なき発展」という近代のふたつの信仰は、「理性主義」という概念において重なり合う。世界の有り様にはすべて必然的な根拠があり、あらゆる真理は理性によって論証される必要があるという理性主義は近代に特徴的な啓蒙的思想である。非論理的な因習の脱却を目指した「理性」は近代的な主体の第一の行動基準であり、近代人はそれを賭け金とすることで、「個人の自由」あるいは「主体の自律性」の実現可能性を得た。しかし同時にそれは、「生産性」に応じて最大の利益を得るプロセスを約束する枠組みでもあり、社会の資本による合理的な支配とその滑らかな運用の基盤となる概念であった。

 この「個人の自律」の功罪こそが追求されるべき大きな問題だったのであり、だからこそ「理性」は資本制に対抗する政治的・文化的・社会的闘争の場となる主要なサブジェクトだった。左翼運動の画期となったのは1968年5月、「学生紛争」という前代未聞の出来事による地政学的な危機である。中平もまた「熱い」運動に見を投じたひとりであった。しかし、武力を用いた左翼運動の激化とその悲惨な結果を受け、国民は急激に脱政治化していくことになる。その後出現するのはコルネリュウス・カストリアディスが「順応主義」と定義したもの*6、すなわち政治的な問題の理解の拒否・無関心という姿勢である。資本主義的な合理性に対する体系的な批判が息を潜め、代議制民主主義が消極的に受容され、「多元論」と「差異の尊重」に重きを置かれるようになった時代。まさに我々が生きてきているこの時代だ。

 近代社会が目指した自律性、それは個人の主体性を約束するものであった一方で、コインの裏側にはあったのは、政治的主体を生産-流通-消費の網の目に絡みとることで資本の支配下におくという生権力人々の生に働きかけ介入しようとする近代産業社会の権力構造)である。中平が初期の「アレ・ブレ・ボケ」を用いた写真制作で目指したのは、こうした高度に発展した資本制における循環-流通-消費の不可視のシステムを「切断」することであった。しかし先に示したように、その後の中平の制作は「第二の戦線」(日常に浸透する日々の意識と感性の操作)へと、つまり、写真というメディアがもつ生権力への直接的な攻撃というよりは、むしろ日常に根ざした内在的な批判に移行していく。

はっきり言ってしまうならば、状況をひきうけて〈私〉は初めて成りたつのであり、エンツェスベルガーが一笑に付すように、隠れ家としての〈私〉などはない。それはブルジョイ・イデオロギーがふりまいた幻影としての個=ワタクシであるにすぎない。(……)なぜいまさら〈私〉をことさらに言いたてる必要があるのか。反対に〈私〉を世界に向かって開き、〈世界〉に対して事物に対してできうるかぎり「受容的」であることがいまこそ必要とされているのではないか。(……)われわれは毎日毎日をひとつの意味の体系としての〈遠近法〉にしたがって生きている。この〈遠近法〉はわれわれの行為と経験、身振りと習慣、こういったものがより合わさってでき上がったものである。*7

 エンツェスベルガーが『意識産業』でしめしたのはまさに、情報産業が裏打ちする権力構造のなかでは自律的な個というのは存在せず、ずたずたに引き裂かれているという現実であった。近代が目指した個の自律性が生み出したのは、世界の有り様をあらかじめ規定する〈遠近法=パースペクティヴ〉であり、事物や経験、習慣の布置は措定された「架空の消失点」によって統御される。中平が求めていたのは、写真というメディウムがもつ「受動性」をラディカルに引き受けることで、規定の〈遠近法=パースペクティヴ〉を撹拌し、その先に、事後的かつ仮設的に軽やかな主体性を再-編成する可能性であり、そしてそのための新しい写真制作の方法を見つけ出すことであった。『アサヒカメラ』で「決闘写真論」連載されていた76年は、多木浩二の『生きられた家』が出版された年でもある。すでに主戦場は、ゆるやかに、日常的な環境への批判的実践へと移りつつあった。

 ここで、『プロヴォーク』以降の中平の制作の軌跡を簡単に紹介しておこう。中平は1968年創刊の『プロヴォーク』、そして70年に刊行した写真集『来たるべき言葉のために』において、グラフ・ジャーナリズムの予定調和的な物語づくりへの徹底した批判を展開し、風景と対峙した。中平はここで欧米や日本における大量消費社会、あるいは情報社会の到来に対して視覚の不確かさをラディカルなかたちで提示することに成功する。が、それがアクチュアルな状況への批判であればあるほど、そのときの「否定の身振り」はスタイルとして消費され、瞬時に陳腐化してしまうだろうことは、中平自身がもっともよくわかっていたことであった。

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△中平卓馬『来たるべき言葉のために』, 1970

 

 翌年のパリ青年ビエンナーレでは、とりわけ制作過程が重きにおかれることになる(《サーキュレーション 日付、場所、行為》)。中平はパリを縦横無尽に撮影し、大量のプリントを日々追加・変更を繰り返しながら展示した。それは写真家が自らを作品の演算子=オペレーターとして位置づけることで「書き直し」をくりかえす新陳代謝のプロセスであり、エンゲルスが『自然弁証法』で示した物質連関=物質代謝の様を――黒川らメタボリストよりもよほど正確に――描き出していた。生命活動において、敵に食われるということは敵の身体を自己の身体をもって作り直すことを意味する。つまりそこでは自己と他者、敵と味方の対立がなんなく止揚してしまうのであるが、まさに中平は《サーキュレーション》において、モノとイメージの断片が循環・流通するさまをインスタレーション化すると同時に、自らの身体をそうしたフィードバック・プロセスのたんなる媒介物と化すことで、遠近法的世界観に固着した主体性を解体・廃棄するのである。それは68年の熱気が冷めやまぬパリという場にあって、強烈な批判的実践であった。

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△《サーキュレーション 日付、場所、行為》, インスタレーション・ビュー, 1971

 

 74年、東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」において中平がおこなった制作《氾濫》は、《サーキュレーション》から地続きの問題意識のなかにあり、73年の「なぜ、植物図鑑か」(以下、「植物図鑑」)で提起された問題と並行している(fig.2)。冒頭で引用した中平の論考「アナーキスト」が発表されたのは74年であり、《氾濫》には『近代建築』誌上で発表された写真も含まれている。間違いなく《氾濫》および「植物図鑑」で結晶化している問題意識の本質こそ、筆者がここで取り出さなくてはならないものだ。

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△《氾濫》(写真: 1995年 東京国立近代美術館)

  

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 《氾濫》における問題意識について、フランツ・K・プリチャードは次のような分析をおこなっている。

《来たるべき言葉のために》に支配的だった様式から離れて、都市の物質的現実をカラー写真でとらえたこの連作を通して明らかに示されているのは(……)「植物的なもの」の諸形態に対する、境界画定的な分離と不気味な遭遇の二つの感覚である。安全な距離感覚を所有せず、風景に対して抗議の声をあげるための適切な言葉を欠いた「植物的なもの」。この呼称は、異質な次元を媒介する関係の諸形式を開こうとする、暫定的な方法を意味した。*8

「植物」は中平にとって、「樹液=血液、葉脈=動脈という類縁、一瞬ぼくの心を安堵させるなにかしらの人間的なものがある *9」一方で、「防水性の外皮」による感情移入の拒絶をもたらすものであった。つまり植物は、人間でなく、かつ人間でなくもないような、両義的な存在を範例として示すものだったのである。都市のなかで出会う「植物的なもの」。中平はこの存在に、人間と人間、人間と事物の関係を固着化する一元的なパースペクティヴを脱構築する可能性をみていた。「なぜ、植物図鑑か」での記述をみていこう。

世界と私は、一方的な私の視線によって繋がっているのではない。事物、物の視線によって私もまた存在しているのだ。(……)いかにも私は世界を見る、だが同時に世界は、事物は私に向ってまた物の視線を投げ返してくるのだ。そこには私の視線を拒絶する世界、事物の固い〈防水性の外皮〉がただあるばかりである。(……)写真を撮るということ、それは事物の思考、事物の視線を組織化することである。(……)おそらく写真による表現とはこのようにして事物の思考と私の思考との共同作業によって初めて構成されるものであるに違いないのだ。*10

 中平が示した方法は事物と私の共同作業、いわば非-人間とのパースペクティヴの交換であった。事物を凝視すること、と、事物に視線を投げ返されること、の同時性。多木が指摘していたように*11、こうした「身体を世界に貸し与える」という態度は、『来たるべき言葉のために』の時点ですでに発現していたものである。そこにはロマンティシズムへの欲望がわずかに残存していたが、「植物図鑑」の時点では、もはや情緒はノイズでしかなく、徹底して排除すべきものになっていた。

たしかに一枚の写真をとりあげてみる限り、それは私という一点から一方向的に覗き見た空間を呈示しているだけにすぎない。だが一枚の写真の空間に限定するのではなく、時間と場所に媒介された無数の写真を考える時、一枚一枚の写真のもつパースペクティブは次第にその意味が薄められてゆくのではないか。つまり、そうすることによって時間に媒介され、無限に乗り越え、乗り越えられるもの、それはまさしく世界と私、それら二次元的対立をつつみ込んだ場としての世界の構造を明らかにしていくことが可能なのではないか、ということなのである。そこにはもはやスタティックな私と世界という図式は消え、無限に動き続ける無数の視点が構造化されてゆくのではないか。*12

 《サーキュレーション》におけるおびただしい数の写真の列挙、あるいは《氾濫》における都市の「不気味なもの」の凝視といった姿勢は、こうしたパースペクティヴの複数性を目指す姿勢に基礎づけられている。「都市は氾濫する。事物は氾濫し、叛乱を開始する。大切なことは絶望的にそれを認めることなのだ。それが出発である*13」。中平が政治的闘争の場として目指したのは、人間中心主義を脱した先にある「私の視線と事物の視線が織りなす磁気を帯びた場」であった。

植物、図鑑、そしてこの二つの語の繋がりは奇妙に私の関心をひく。(……)なによりも図鑑であること。魚類図鑑、鉱山植物図鑑、錦鯉図鑑といった子供の本でよく見るような図鑑であること。図鑑は直接的に当の対象を明快に指示することをその最大の機能とする。あらゆる陰影、またそこにしのび込む情緒を斥けてなりたつのが図鑑である。(……)あらゆるものの羅列、並置がまた図鑑の性格である。図鑑はけっしてあるものを特権化し、それを中心に組み立てられる全体ではない。(……)この並置の方法こそまた私の方法でなければならない。そしてまた図鑑は輝くばかりの事物の表層をなぞるだけである。その内側に入り込んだり、その裏側にある意味を探ろうとする下司な好奇心、あるいは私の思い上がりを図鑑は徹底的に拒絶して、事物が事物であることを明確化することだけで成立する。これはまた私の方法でなければならないだろう。*14

 中心をもたない全体のなかで、事物が並列・併存すること。「図鑑」はあくまでの写真的な手法だが、それは都市環境あるいは「見ること」の近代的な統制に対する批評行為のための方法論でもあった。

 植物図鑑。すなわち、人間でなく、かつ人間でなくもないような事物とのパースペクティヴの交差の場を並立・併存させること。日常のやりきれない世界のなかにあって、しかし、決して一元化されえない無数の事物たちによる葛藤・抗争の場がそれでもありうるのだということを、たとえフィクションだとしても、示すこと。中平にとって写真の可能性はこの一点にこそあったのではないか。特定の枠組みの秩序に回収されえない自由な身体と精神の場を、写真というメディアのもつ特性を最大限酷使することによって表現するということ、それが中平のアナーキズムである。 

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(つづく?)

*1:中平卓馬「アナーキストは建築家になり得るか?」, 『近代建築』, pp.37-38., 1974.6

*2:岡崎乾二郎『抽象の力』, 亜紀書房, p.274, 2018

*3:中平卓馬「記録という幻影」, 『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』, 筑摩書房, p.73, 2007

*4:中平卓馬「アナーキストは建築家になり得るか?」, p.38

*5:中平卓馬「記録という幻影」, pp.66-67.

*6:カストリアディス「自律からの後退: 一般化された順応主義の時代」, 『細分化された世界』, 右京頼三訳, 法政大学出版局, 1995

*7:中平卓馬「まち――見ることの遠近法」, 『決闘写真論』, 朝日新聞社, pp.77-80., 1995

*8:フランツ・K・プリチャード「都市氾濫の図鑑――中平卓馬の写真的思考と実践」, 倉石信乃訳, 『氾濫』, Case Publishing, 2018

*9:中平卓馬「植物図鑑」, 『朝日ジャーナル 1978年8月20・27日合併号』

*10:中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」, 『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』, 筑摩書房, p.p.19-20., 2007

*11:多木浩二「来るべき言葉のために――中平卓馬の写真集」, 『写真論集成』, 岩波書店, 2003

*12:中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」, p.28

*13:Ibid., p.31

*14:Ibid., pp.34-35.

FEB,1.2019_引っ越しはしない

いまのアパートの契約が三月で終わるので、更新するか、引っ越すか、まよっていた。きょう不動産屋をいくつかまわって、てごろなアパートをいくつかみつくろってもらって内見させてもらったのだけど、しっくりくるところはなかった。調べていたら、いまのアパートは更新料がかからないということがわかり(ずっと家賃一ヶ月分かかるものだとおもっていた)、それならば引っ越さなくてもいいかなとおもいはじめている。

昨日の夜は雪が降った。じとじととした大粒の雪。今は昨日の天気がうそのような青空だ。日はまだ、ずいぶんと短い。春の雰囲気はまだ遠くのほうだが、遠くのほうにはたしかにある。

喫茶店にはいって紅茶をのんでいる。コンビニの搬入口のスチールドア、ちょうどその部分にだけ光が当たっているさまを、二階のガラス窓からみることができる。鉄の、温かい部分と冷たい部分を切り分ける光と影のぼやけた境界線が、左から右へ少しずつ移動していくのを、ただぼうっと眺めている。ほお白色の光は、徐々に琥珀色へと変わりつつある。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJICHROME Velvia100

JAN,27.2018_無題

 岡崎乾二郎の『抽象の力』の、坂田一男について述べられた以下の箇所は特に重要な気がする。建築空間における実践とも関係が深い。

渡仏後、「セクシオン・ドール」(ピュトー・グループ)と接して以来、後期に至るまで坂田の作品は以下の一貫した特徴を持っていた。それは、
・積極的に表された図(たとえば「a」とする)に対して、(図の周囲の)ネガティヴな地としての領域(「非a」とする)こそを充実したものとして扱うこと。
・図「a」を描くと発生する地の領域「非a」と図「b」を描くと発生する地の領域「非b」を同じ空間であるとは前提しないこと。
・図ではなく地である「非a」「非b」「非c」という異なる領域自体を重ね合わせること。
という性格につきる。(……)今日に至るまで、通俗的なモダニズム絵画のルーティンはニュートラルな空間(多くは白色の余白)の提示にあり、そのニュートラルな空間を基底にして、その上に複数の形態、異質なオブジェが、ときに整合的にときにランダムに浮遊するように配置される、あるいはそれぞれの形態が透明に重なりあっているかのように表されてあるというものだった。つまり、ここで図となる事物たちと、それが置かれるニュートラルな空間は階層が別であり、あくまでもニュートラルな空間が上位で、事物、形態はそこに配置される要素として下位レベルにある。すでに記したように坂田の絵画ははじめから、それとは異なる特性を持っていた。坂田の絵画で実験が繰り返されていたのは、ニュートラルだとみなされていた空間に特性を与え、それを単一なものとみなさず、複数化し同時に併存させることだったのである。図である異質な事物の遭遇、併存ではなく、地である領域(空間)それ自体の複数化であり遭遇、併存である。*1

 『抽象の力』は内容をまとめてみようかともおもってのだけど、どうも(自分にとって重要なことが広範囲に渡って書かれまくっていくということもあり)手が進まない。岡崎さんの書き方も、たったひとつのすごく大切なことをあの手この手その手でさまざまな切り口から通釈している感じなので、この書籍以上にわかりやすくまとめる、ということは考えづらい。ただ、10+1とかの書評を読んでいると、もっとしっかりと内容の考察がされてもいいのになぁと少し不満におもう自分もいて(字数の制限もあってのことだろうけど)、やっぱり建築を専門としている人間からみて重要だなとおもう箇所については、このブログでまとめておこうかなという気分になっている。

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 体調はだいぶ快復してきて、現在はまだ咳がでるのと、あと頭痛が多少あるくらい。 とはいえ火曜までは外出できないので、家でできることをやろうとおもう。
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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, Kodak GOLD 200

*1:岡崎乾二郎: 抽象の力 近代芸術の解析, 亜紀書房, pp.57-59, 2018

JAN,26.2018_零度・透明・環境=建築の手許性

前回の記事の補足として、いくつかのメモを。

www.ohmura-takahiro.com

 

○空間から構成へ

「家形」から「家型」への用語の微妙な変化は、即物的なモノ同士の関係性に焦点をあてた思考だけではなく、人間からみた世界そのものにもちゃんと向き合っていこうという坂本さんの姿勢をよく示している、ということを前回書いた(変化のタイミングがおそらく1979年前後だとということも)。抽象的な「空間」あるいは「構築性」への考察だけではなく、俗物的な世界ともきちんと正面から向き合っていこう、という非-人間(即物的なモノの世界)から人間へ(図像や意味の次元へ)への主題の変化と、「家形」から「家型」への用語の変化のあいだには、実は非常に本質的な相関がある*1

 今回は《代田》にいたるまでの坂本さんの思考も簡単にまとめつつ、その後の展開を振り返っていこうとおもう。まずは1971年のテキストから。

先に述べてきたように私はなるべく乾いた住宅をつくろうと考えてきた。そしてそのような住宅はそのものとして力強いはずだと思ってきた。その空間にどのような物が入り込もうと、たとえば、いかなる家具が入り込もうと、そのような空間は自立できるであろうと思う。(……)人間と空間の関係をふたたび問い返しはじめた。それは人間の生活、環境に対する配慮を根底において、情緒性を消したドライな空間をつくることであろうと思えてならない。すなわち住宅において情緒に由来するであろう曖昧な部分、あるいは要素を徹底的に消すことであり、そしてあるいはそのことによって住宅が建築であるぎりぎりの線まで追いつめられるかもしれないほど即物化させようということだ。(……)しかしそこで残ったリアリティこそ確かな「建築としての住宅」であろうと確信する。*2

 「即物性」や「空間の自立性」などを鍵語としながら、「住まいとしての住宅」と「建築としての住宅」を意図的に分けた上で、日常的な部分に隠されている住宅の建築的としか言えないような空間の質をなんとか前景化しようとする《代田の町家》以前の坂本さんの態度を、ここで確認することができるだろうと思う。生活には十分配慮しながらも「住まいとしての住宅」に由来するような情緒的・日常的な要素を排除し、モノそのものの関係により形成される〈乾いた空間〉をつくり出すこと。人間から見た世界というよりは、自立したモノ同士の関係性に重心が置かれている時期だとおもう。

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△ 雲野流山の家, 1973

 しかしここで主調をなしているのは、あくまで「空間」への問題意識だ。そして「空間」をテーマとしてしまえば、宿命的に「人間」という視座は免れ得ない。しかし《代田》に至っては「空間」から「構造性」(≒「構成」)へと、中心的なテーマが移行していくこととなる。

空間という内容が抽象的ということであれば構成材の示す内容は具体的なことであり建築がアプリオリな確かさを必要とするならば、まさにその部分で成立するということである。そしてその構成材が持つ内容は即物的なボリュームの限定と、その限定の仕方の面にある関係の位置づけということになろう。そのことは各構成材のあり方の内とそれらの互いの関係の内にひとつの〈建築〉があるということを意味する。そのことを私は建築の〈構造性〉と呼んできたのではないだろうか。*3

 ここで述べられている「構造性」、つまり「各構成材のあり方とそれらの互いの関係」は、後に坂本さんが「構成」という語で展開することとなる概念そのものだ。

私はたった1枚の平面図に「建築」を感じることがある。ときにその感覚は直感的だ。もちろんその平面を分析することでその「建築性」を知ることもある。しかしこの場合もその作業の前に、直感的にその存在を予感する。(……)そこではここで確認する「建築」とはどういうことであろうか。すなわち具体的に「建築性」として何を示すのだろうか。平面図は原則として基準の床レベルからのある高さの水平切断面で切り取られた断面図である。そこに表れるのはその断面と向こう側に見える表面を示す。だからそれは断面としての柱、壁等の垂直材と表面としてあらわれた水平材の床等を一定縮尺で示す。どのような計画も原則として直接表示されるのはこのことだけだ。そして建築の平面はそれらの構成によって生じる内容である。そこで問題なのはその構成である。つまり、平面図に投影されている構成材がどのように「統合(インテグレイト)」されているか、またどのように「分節(アーティキュレイト)」されているか、ということであろう。(……)ここで問題にしているのは「建築が建築であるための文脈」ということだ。いい変えれば、造形論や、施設論や、技術論でない建築固有の論理、それが「建築が建築である文脈」となるということであろう。つまりそのことは建築を意味論的内容でとらえるとき文脈が成立するといっていることにならないか。*4

 坂本さんはここで、平面図に投影されている意味内容の考察を通して、平面図から直感的に感じる「建築性」が、構成材の統合と分節の関係に依拠しているだろうことを分析している(おそらく同時期のアイゼンマンを意識していたであろう認識だ)。同テキストからもう少し引用しよう。

柱、壁、床、天井は構成されることによって「室」という概念を成立させる。もし全体平面を、あるいは建築を囲まれた領域の集まりとしてみれば、それは分節化された構成材を前提とした室の集合となる。そしてそこではその集合にインテグレイションが成立しているかどうかが問題となる。それではそのレベルでの分節と統合はどのようなことなのであろうか。まずそのレベルでのアーティキュレイションはその室自体の構成で、そこでの構成材の統合であると考えられる。そしてインテグレイションは室レベルでのその領域と他の同様な領域との関係のあり方に関するであろう。*5

 坂本さんはこの時期にすでに、さまざまな次元で発生する部分同士の関係性すなわち「構成」に、「建築性」なるものを見出している*6。人間を徹底して排除した先にある「建築性」なるものをつきつめて考えれば、そこで見出されるのは「空間」ではなく「構造性」(=「構成」)なんだと、これは坂本さんによるひとつの結論だといっていい。それは建築を分析する着眼点としてのみ有効なものではなく、方法論としての重要性ももっていた。以下の1994年のテキストは、坂本さんの仕事を理解する上でとくに重要な箇所かとおもう。

硬直化し、凝り固まった私たちの身体が、ただ自由で気ままな姿勢を取るのではなく、気功や太極拳、またさまざまな体操の形式化された方に沿うことで、柔軟さを回復し、自由を獲得するように、構成されたある種の空間や場にかかわることで快適な自由を獲得する、そんな構成の形式による建築の私たちへのかかわり方を〈構成の形式としての建築〉と位置づけることができそうだ。(……)問題は、私たちの生活や活動が生き生きと活気づき、精神や身体が解放される、つまり人びとが自由なかたちで自分を獲得する、そんな場を成立させる座標としての空間を提出する形式である。それは、現代での自由を獲得する、インクルーシブで私たちを枠付けない、意味の希薄な、あるいは未だ意味に染まらぬ〈意味の零度の場〉として与えられる構成である。*7

 非人間的な「構造性」(=「構成」)は、人間にとって他者であるからこそ、わたしたちを自由にしてくれる可能性をもっている。坂本さんはどこかで、ヒューマンスケールだけでできている建築は息苦しいといっていたとおもう。ヒューマンスケールと架構のスケールが葛藤しながらある緊張感のなかで両立しているとき、ふと身体が自由になる感覚を得る、と。建築の他者性をつきつめていった先にある「構造性」。これはぼくらが「道具」といっているものときわめて近しい存在である。そこで目指されるのは、「硬直化し、凝り固まった私たちの身体」が、「柔軟さを回復し、自由を獲得する」ための、〈意味の零度の場〉として与えられる形式である。

 

○道具の手許性=零度の座標 / 透明の器 / 環境としての建築

 ふたたび「平面を通して」にもどってみよう。

建築を象徴論的にとらえたり、文学論になったり、また記号学的なメタコノテイションによって生じる文化論になったりすることで建築を曇らし、不鮮明に私達はしている。だから付着した意味を消すことによって「建築」は浮上すると考えてきた。しかし建築においての意味を消しさることは一種の統辞論のレベルだけでそれを読み、つくることになり得ないことになり、そのことは今書いてきたように「建築」の文脈を超えて「造形」の水準になる可能性を持つのではないかとさらに考えるようになった。そう考えると意味を消すということは意味をなくすということではなく、零度の意味を求める、つまり記号学の用語を用いれば、無限に発生するコノテイションを消去する、あるいは停止させることではないかと思いはじめた。*8

 ここで登場する「零度の意味」が、「家形」論では「機能性記号化」として展開されているものであり、1994年のテキストでは〈意味の零度の場〉と表現されている概念だ。坂本さんの仕事において、一貫して重要な役割をになっている言葉だとおもう。「〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉」という1978年のテキストをみてみよう。 

〈住むこと〉と〈建てること〉(ハイデッガー)が分離してしまった現在において、建てる者、建築家に可能なことは、ただ人の住まう場を発生させる座標を提出、設定することに過ぎない。(……)それではその〈日常としての空間〉の座標を設定するとはどういうことか。それは〈日常としての空間〉のような現象するものではなく、また感覚的なヴィジブルな様相でもない。その座標は具体的な物によって構成されるが、それ自身は抽象的なものである。それは人の生活の直接の形式ではなく、住まう場の形式を成立させるものであり、さらにその形式を成り立たせる構造を含んだ構築となる。言い換えれば、〈日常としての空間〉に対して〈零度の座標〉を意味する。そこに建築という固有の概念が成り立ち、ひとつの文化を成立させることになると考えるのだが。*9

ハイデガーの「建てること、住むこと、考えること(Bauen Wohnen Denken)」(1951)を意識して書かれたこのテキストを読むと、ああなるほどなと、「零度」に込められた意味がだんだんとわかってくる。つづけて引用してみよう。

たとえばその直接的な座標は、屋根であり、壁であり、床であり、あるいはそれらで囲まれる物理的空間であり、また立面であり、ファサードであり、それらで成り立つ建物のボディである。当然架構も含まれる。まちろんまた、それら自体の性質であり、構成であり、またそれらどうしの関係であり、またさらに、それらとそれらを取り巻く世界との関係である。そしてそれらのことに投影される意味の関係でもあり、それらの統合によって成り立つ総体の持つ意味でもある。これらのことがいろいろな水準で、またいろいろな分節で、またさまざまな統合で、各種の生活のための座標を提出する。その現れた各種の座標が〈人の住まう場所〉として自由な生活の空間を現象させることを可能とするのだ。それを〈零度の座標〉と呼んだ。*10

 ハイデガーが有名な「道具分析」で提起したのは、道具が「指示」を複雑に交錯させるネットワークのなかに位置づけられているということだった。たとえばハンマーは釘を打つためにあるが、ハンマーや釘が共に用いられるのは、制作すべき作品、たとえば靴や時計があるからである。そして靴や時計といった制作物は、歩く“ため”、時を知る"ため”など、「使用可能性が向けられているところ=用途」をあらかじめ含みこんでいて、これがハンマー・釘・私の関係性を有機的に結び合わせる。さらに靴や時計といった制作物は同時に、「材料への指示」(靴が材料である靴・紐・釘に依存している)もある程度持ち合わせている。また、当の道具であったハンマーや釘もまた「制作物」であり、鉄や木材、鉱石を指示する道具である。さらに、制作された靴や時計は利用者への指示を含み持っている。 事物がこうした道具連関のなかにあるということ、そしてあらゆる存在者が用具的であるということを、ハイデガーは存在論的規定とみなした。あらゆるものがある種の道具である、と。ぼくらは目的に応じて、こうした各々の道具の「指示」を読み取り、(自らも「道具」としてそのネットワークに組み込まれながら)適切に道具を扱うと同時に、ある種の制作行為として、こうした道具の指示のネットワークを組み替えたり、変化させたり、意図的に切断したり、意外なところでつなぎ直したりしているのだ。

 ぼくらは、こうした事物の道具的な連関を「見ること(Sicht)」によって認識し、道具同士の指示関係を判断して、日々それらと交渉している。この、道具の指示作用を見抜くようなモードを、ハイデガーは「配視(Umsicht)」と表現する。例えば友人の家をはじめて訪ねるとき、ぼくらは玄関の前にたち、ドアらしきものを確認して、そこに取り付けられた金属でできた何かを発見する。ぼくらはそれをドアの開閉を用とするモノ=取っ手であるとみなし、それが含みこむ「時計回りにひねる」という指示を了解した上で、それを実行する。ぼくらはそれを「見て」いる(道具の眼前性)。しかし道具と交渉するときのぼくらは、いつでも道具の存在を意識しているわけではない。むしろうまく機能している道具ほど、ぼくらはそれを無意識に使う。自宅のドアの取っ手をことさら意識することはあまりないように、道具が手許でうまく機能しているとき、それは控えめであり、しばしば無意識に使用される(道具の手許性)。ぼくらは普段、心臓やコンタクトレンズを意識し続けて生活しているわけではない。それらは普段、ぼくらの意識から退隠(withdraw)している。それらはうまく機能しているからこそ、決して感知されることはない。

 「眼前性(手前性)」と「手許性」という対比的なモードは、道具に限らず様々な存在者に向けて、非常に広範な応用範囲をもった重要な概念であり、あきらかに坂本さんはハイデガーのこの議論をひきうけている、とおもう。

ひとつの壁面に暖炉がしつらえられていたとする。それでも、その部屋に入る人にとって、ただそこになにかがあるといった程度の知覚を得ているだけなら、それは床、壁、天井といった環境(空間)を構成している一要素でしかない。ところがその形象をはっきりと認識したとき、その暖炉は図像として機能し、明確にそれがなんであるかを対象物として示すことになる。もっとも、私たちは多くの場合、そこになにがあるという程度の知覚を持っても、それがなんであるかを気に留めずにその環境にとどまっている。そのようなところでは、その暖炉はいま述べたように環境化(空間化)していると言える。 ところで、そのような部屋はたいへん暖かく和やかな良い雰囲気を持っている場だと感じられることが多いかもしれない。あるいはその部屋にいたときには気づかなかったが、そこを出て他の場へ移ったとき、その今いた部屋がたいへん居心地良く、気分の良い部屋であったことを感じることがあるかもしれない。どうして、そのどうということもない部屋がそのような雰囲気を持つ空間として働きかけていたか。それは、それがあることすら気づかなかった暖炉が(だからこそ空間化しているのだが)、その空間に働きかけていたことによると言えないだろうか(……)ところがその暖炉の形象が好ましいものとして所有対象化された物の図像を現象させ続けていれば、その場にそのものが持ちうる願わしい雰囲気が形成されていることになる。(……)つまりそこでは、そこにいる人間は意識しない状態で、自分でも気づかない状態で、その暖炉の形象、図像を見ているのである。(……)本人の意識の裏側、無意識的なところにおいて、所有対象としての図像が記号作用を起こし、その図像の判示的意味(コノテーション)によってその場の気分、雰囲気(イメージ)が形成されているということになる。*11

 こういうところで暖炉を例に取るところなんかが、ハイデガー引き受けてる感あるなと感じるのだけど、それはともかく、ここでいわれている「環境化する」という感覚はその後、「対象としての建築 / 環境としての建築」という対概念に昇華され、より明確なコンセプトとして言語化されることとなる。もちろん前者はハイデガーの定義でいう「手前」にある状態を指し、後者は「手許」にある状態を指しているとみていい。くわえていうならば、「環境としての建築」は「意味の零度の場」や「透明な器」という言葉でパラフレーズされていたものであり、つまるところ坂本さんは一貫して、建築の「手許性」の重要性を主張し続けてきた、とぼくは考えている。これが補足で付け加えたかった一番重要なこと。 

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△ Hut AO, 2015

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インフルは熱も下がり、だいぶよくなってきました。きょうはいちごをたべたけれど、今まで食べたなかでいちばんおいしく感じたいちごでした。

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Contax S2, Carl Zeiss Planar T* 1.7/50, FUJIFILM 業務用フィルム 400

*1:加えて坂本さんの研究に目をむければ、前者は「構成論」に、後者は「イメージ調査」に該当していることがわかる。

*2:坂本一成: 建築としての住宅ーー乾いた空間のために, 新建築1971年10月号

*3:坂本一成: 〈具体〉そして関係へ, 新建築1976年11月号

*4:坂本一成: 平面を通して―建築を語る言葉, GA HOUSES No.4, 1978.10

*5:Ibid.

*6:ここで述べられている、室という水準における分節(アーティキュレイション)すなわち構成材という水準における統合(インテグレイション)について詳しく展開した言説が「柱の意味の基盤」(『インテリア』1978.4)であり、室という水準での統合(インテグレイション)について詳しく展開した言説が「部屋の意味の基盤―異化と同化の間に」(『インテリア』1978.11)となるとおもう。

*7:坂本一成: 構成の形式としての建築, 小さい建築に大きい夢を, 1994

*8:坂本一成: 平面を通して―建築を語る言葉, GA HOUSES No.4, 1978.10

*9:坂本一成: 〈住むこと〉、〈建てること〉、そして〈建築すること〉, 新建築1978年12月号

*10:Ibid.

*11:坂本一成: 建築における図像性ーー建築のかたちの意味V 建築での図像性とその機能, 建築文化, 1986.2