声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

170929_瀬戸内旅行記最終回

●瀬戸内で撮った写真⑱。最終日(9月3日)のつづき。ようやく最終回です。

●前回のラストでとりあげた、シーラカンス設計の『アストラムライン新白島駅』のすぐそばに建っているのが、大高正人による『基町高層アパート』だ。大高の設計といえば、9月15日の「瀬戸内で撮った写真⑧」で、『坂出人工土地』をとりあげている。ここで『人工土地』に関しては、少々辛辣なこと書いてしまったけれど、『基町高層アパート』に関してはとても良い印象をもっている。

 

いわゆる「原爆スラム」と呼ばれた地域をクリアランスし建てられた集合住宅群である。林立する「くの字」型の高層ボリュームが、中央の人工地盤(下の緑化された部分)によって接続されている。「くの字」の構成は、この中央の広場を作り出すために考案されたカタチなのかなと思ってたけど、実際にいってみると、この形態によって外部空間の質がかなり良くなっているなと感じた。全室が南側を向くように、ヨウカンのような細長いボリュームを東西に伸ばすという配置が、団地等の高層集合住宅だと典型的なものなのだけど、その場合、南側に対し北側が極端に暗くなってしまう。一方で「くの字」の場合は、北側に光が入り込み、かつ東西にも建物の壁面を反射した光が落ちることで、ボリュームの周りにぼんやりと明るい環境が形成されていて、これは結構いいなと思った。

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ピロティも工夫されていて、地面のレベルから半階上がるとエレベーターやポストがある少し閉じた領域になっていて、そこからさらに半階上がると人工地盤上の公園にいく。地上からの高さと天高等の寸法が多様に、かつ適切に設定されていて、パブリックな領域とプライベートな領域がグラデーションがかってずるずるとつながり、視線も抜ける。『坂出人工土地』では、人工地盤が地上から5mの高さまで一気に持ち上げていたけれど、『基町』ではかなり有機的に、身体的に、地上との距離が設計されている。「坂出」とは異なり、人工地盤が無理なく、自然に存在しているように感じた。

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棟同士をつなぐ人工地盤は、屋上が緑化された公園となっていて、内部が商店街となっている。お昼はこの商店街の焼肉屋で、800円の豚ロース定食を食べた。一人用のコンロで一人焼肉をするスタイルで、大満足であった。一時期はシャッター街になりかけていたみたいだけど、最近になってこの商店街をもう一度盛り上げようという運動が起こっているみたいだった。

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居室は2行2列の4ユニットが1セットになっているため、共用廊下が偶数階にしか存在しない。これにより共用廊下の環境がかなり開放的になっていて、とても気持ちのいい空間となっていた。今回はいけなかったけど、屋上は緑化されていて、住人の方々が野菜とかを育てているそう。ピロティ、屋上庭園に加え、保育施設や交番、商店街、集会所といった空間も備えられているということから、当然このプロジェクトはコルビュジェの『ユニテ・ダビタシオン』を強く参照しているものなんだと思うけど、「高層建築の群造形」というものに正面から取り組み、そこに様々なアイデアが盛り込まれていることで、かなり独自性を帯びた仕事となっていると感じた。都市的な、ある閉じた循環みたいなものが、建築の群によってつくられていて、かつそれが現在でも割合良い環境のまま保持されているというのは、実際に見てみるとけっこう衝撃をうける。

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(市営基町高層アパート, 1969-78, 大高正人)

 

太田川基町護岸を歩き、平和記念公園へ。

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原爆ドーム平和記念公園をみて、資料館へ。言葉で書くのは難しいけれど、「祈り」のような感覚が自然と芽生える。過去の不遇な死を遂げた人々や、食物にされるため殺された動物たち、あるいは道端に倒れているけが人を前にしたとき、ぼくたち人間は、誰に何をいわれずとも、自分を「責任ある存在」だと感じる力をもっている。「責任ある存在」への生成変化により、ぼくたちは、けが人に手を差し伸べたり、食物への感謝の気持ちをもったり、心から、死者に祈りを捧げたりすることができる。戦争や原爆といったものは、戦後半世紀近くたって生まれたぼくらからすれば、「神話」のなかのお話のように感じられてしまう。でも実際には違う。過去と現在は決して断絶しておらず、なめらかなプロセスのなかで連続している。この土地で不遇の死を遂げた人々に対する「責任」を、ここでぼくが感じることができたのは、たとえば原爆ドームやこの平和記念公園という空間が、現在からなめらかに繋がった過去としての戦争を、ありありとぼくらに突きつけてくるからだ。それは、ほんとうの意味での、空間のもつ力だと思う。

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(広島平和記念公園, 1954, 丹下健三+イサムノグチ)

 

●そこから、すぐそばの『おりづるタワー』へ向かう。三分一博志による設計で、高層ビルのリノベーション。最上階が展望台になっていて、戦後たくましく復興を遂げた広島の街並みを俯瞰することができる。三分一さんの仕事は、相変わらず期待を裏切らない。平和記念公園と同じように、「祈り」に向けてぼくらを導いてくれるような、静謐な空間だった。

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(おりづるタワー, 2016, 三分一博志)

(Canon AE-1, New FD Zoom 35-70mm 1:3.5-4.5, FUJIFILM PRO 400H)

 

●「瀬戸内旅行記」は今回で最終回。パート18まで続く、当初の予定をはるかに超える長期シリーズとなってしまったけれど、瀬戸内の建物はこれで制覇したぜ!というくらい、かなりの数の建築をみることができて、とても勉強になる旅となった。とはいっても、記憶は風化してしまうから、こうしてブログを書くことは自分にとってとても大切なことだなと感じている。いま感じていることを、たとえ正しくはなくても、文字に起こして、外部化しておくこと。未来の自分に対しての、いまのぼくらからの、楔のようなものだ。未来の自分が、律儀に過去のブログを読み返してくれれば、だけど。

今年の5月にパリにいったときも記事にしたけど、これからも旅行にいったときは写真を撮り、こうしてブログで公開していきたいと思う。ちなみに、写真はすべてフィルムで撮ったのだけど、フィルム代と現像代でもう、家計簿は火の車である。ということで、しばらく写真のアップロードはできないかもしれない。その間によろしければ、というのもなんだけど、パリの方の記事もチェックしていただけると嬉しいです。