声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

180113

●ちょっと色々と作業が溜まってしまっていて、ブログの更新が滞ってしまっていたのだけど、段々と落ち着いてきたのでまたボチボチ再開しようかなと思う。ちょっと休むつもりが、やっぱり継続しないとやる気なくなっちゃうんだな。更新頻度は落ちるかもしれないけれど、2018年もよろしくお願いします。

●更新する気持ちが起きなかったのは、物理的な問題もあった。というのも11月頃だったと思うのだけど、ノートパソコンに飲んでいた午後ティーをこぼしちゃって、w、a、s、x、c、2あたりが再起不能になってしまい(よりにもよって割とよく使うキー)、5年目にしてこんな不注意をするとは…macbook君ごめん……と落ち込んでいたのだ。特にテキスト打つ場合、sとかを打てないのは結構致命的だった。sの重要性をとくと感じた。

ハイデガーは「道具分析」のなかで、道具的な存在性は壊れたときに初めて意識されると論じているけれど、まさにそれだった。ぼくたちは普段、ハンマーで釘を打っているとき、ハンマーのことを意識していない。健康であれば、内臓のことを意識することはない。でもハンマーが突如壊れたとき、あるいは突然胃の痛みに襲われたとき、僕らはハンマーや内臓の「存在感」をまじまじと感じる。いま、ぼくのなかではノートパソコンの「s」がすごく存在感を発揮している。s、すげー大事。あと、CADで図面引いたりする場合、sとかcとかそのへんのキーに重要なショートカットが集中しているので、かなり困っていた。

ひとまずの解決策として、普段は画面の右下にキーボードビューアをだし、作業時には外付けキーボードを使うことでなんとかしているというのが今の状況。外付けキーボードの導入はかなり画期的だった。ノートパソコンの画面をそっ閉じして、外付けのディスプレイとキーボード、マウスをつなげたサイボーグ状態でmacbookを運用する日も近いかもしれない。

●年末年始は大学で作業する必要があって帰省できなかったので、明日から1週間弱富山に帰ろうかと思っている。今日は本屋にいきたくて都内に出たのだけど、せっかくなので見たいとおもっていた展示をいくつか帰省前にまわってきた。自由が丘の「galleyr21yo-j」というギャラリーで見た末永史尚さんの展示が特によかった。メジャーを模して描かれたオブジェクトは、あきらかにどうみてもメジャーであり、それがあまりにも明確がゆえに、他の余分な意味をよせつけない。そして、「それ以外のなにものでもない」というトートロジーは、翻ってそれ自体の色・色の組み合わせ・表面の質感・空間に布置されるいくつかスケールとそれらの対比・室の平面が分割されることよる緊張感、等々の抽象的な感覚に意識を向かわせる。宙づりにされた、そしてさじ加減された抽象性、それだけが空間の中にぱらぱらと布置されているというような、不思議な感触。とはいえ、「記号性機能体」としてはたらく「描かれたもの」は、外部の世界とも接続しうるオブジェクトで、そういういみでの開放感もある。このギャラリーの外装材が、RC造の打ちっぱなし壁を模した外装材でできていて、これが展示内容となんとも響き合っていたことが印象的で、空間体験としては強烈だった。

http://www.art-it.asia/u/admin_ed_pics/vp9ArDmZP4Nc6yzJfLRb

●ここ数ヶ月で撮った写真を。

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