声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、アニメ、人文学等について書いている備忘録です。

JULY29,2018_オブジェクト指向存在論⑤

○今日はバケツをひっくり返したような、すごい雨が降ってた。午後になってもまだ断続的にスコールがあったけれど、そのあいまには嘘みたいな青空が広がっていてとても綺麗だった。スコールの様子を見ながら、「地球の歩き方」を買いに駅に向かったのだけど、今日は柏祭りの日だったらしくて、駅前は屋台が並んでいて大変な混雑状況だった。子どもたちもたくさんいて、手にはかき氷やら焼いたイカやらをもっていたが、ずぶぬれの子たちも多かった(大人はなぜかぬれていなかった)。この雨で残念といえば残念だが、しかし、それはそれで夏っぽくて良い思い出になりそうだなと思う。女子と男子が一緒に祭りにきたけど急なスコールがきちゃったので雨宿りして、、というのは、中学男子的にはかなりグッとくるシチュエーションにちがいない(断定)。

○さて、OOOのまとめはようやくスタート地点までくることができた。OOOそのものに興味がある人は、これまでの議論はそこまで重要ではなくて、今日のまとめの最後で示される図に注目すべきだろう。ただし、個人的にはこの図式を作り上げるハーマンの手付きそのものに興味をひかれる面もあるのだ。過去の議論をどのように書き換え、組み合わせて、自分独自の理論を作り上げるか。ハーマンの手付きは非常にあざやかなので、とても勉強になる。この手付きそのものがモデルになるくらいだ。

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Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Fujifilm SUPERIA PREMIUM 400)

 

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(前回からの続き)

www.ohmura-takahiro.com

 

○実在的対象

 ハーマンの記述の分析に戻ろう。これまでみてきたように、ハイデガーは事物の道具的な存在の仕方を、事物の原初的な本性として論じている。かんたんにまとめるとそこでの指摘は、まず対象のほとんどが心に対して決して明示的に現前しておらず、それらはむしろ控えめで手許にあるという存在様態を有しているということだった(手許性)。私たちはある対象に注目し、よく見ることで、それを近み(手前)に引き寄せるのだけれど(開離)、そうでなければどんな存在者も、謎めいた背景の中に住まう傾向があるのだった。

要するに、道具は道具である限り、全く不可視なのだ。そして、道具が不可視であるのは、それが何らかの目的を果たすために消え去ってしまうからである。(QO, p.64.)

存在者は自らを現前させ、自らのある側面で他の存在者とコミュニケーションをとるけれども、ほとんどの場合、静かな地下世界へと退隠している。それはシャベルや熊手といったわかりやすい道具にかぎらず、「色や形や数でさえ、いずれもみな、実在性を有しており、その実在性は、それらを特定の仕方で思考することで完全に汲み尽くされるものではない」(QO, p.66.)のだし、「こうした存在者も、木製や金属製の製品と同じように、手許性と手前性という包括的な二元論のうちに組み込まれているのだ」(QO, p.67.)。

したがって、フッサールの主張とは反対に、事物の通常のあり方というのは、現象として現れることではなくて、人目につかない地下領域に退隠することなのである。通常私たちが道具に気づくのは、それが何らかの仕方で機能しない場合のみである。(QO, p.65.)

ハイデガーの主張のうち、ハーマンが最も重要視するのはこの部分である。すなわち、世界はことごとく、「道具」と「壊れた道具」によってできているのだ。しかし、実は既にこの時点で、道具分析の一般的な解釈からはずれている。具体的に、ハーマンは従来の道具分析の解釈、たとえば「意識的な気づきの発生には、無意識的な事物の使用が先行している」(QO, p.70.)というプラグマティスト的な解釈を不十分だとしている。手前性と手許性は、事物への「意識的な気づき」と「無意識の実践」を単に示すものではない、と。なぜならぼくらは、たとえ「実践」によっても事物を汲み尽くしてはいないからだ。

「立っていること」は、床のほんの一握りの性質ーー例えば、硬さや丈夫さーーに依存している。「立つための道具」としての床の私たちによる使用は、犬や蚊であれば検知するかもしれない他の多くの性質にはふれてはいない。要するに、理論と実践はいずれも等しく、事物を手前性に還元するという罪を犯しているのである。(……)道具分析による基本的な対立は、意識と無意識の間にあるのではない。真に重要な亀裂は、対象の退隠した実在性と、理論“と”実践によるその対象の歪曲との間にあるのだ。(QO, p.71.)

床は、自分以外の存在者の使用にも開かれており、その分だけ、私には感知できない過剰な情報量をもっている。これは、以前に感覚対象の実在的性質として考察したものだった(他の存在者のパースペクティヴの留保)。すなわちこれはあくまで、ハーマンの議論においては「感覚的対象」での問題ということになる。ハンマーはいくら抽象化・理論化して意識しても、あるいはいくら無意識的・実践的に使用しても、それは「感覚的」なハンマーであり、戯画化されたハンマーであることには変わらない。そして、無意識的・実践的なハンマーの使用によっても汲み尽くすことのできなかったハンマーの実在的な「深さ」は、それが壊れたときにのみ気づくことができるのだ。

 

 「意識的な気づき」と「無意識の実践」という仕方で道具の手前性と手許性を解釈するのではなく、「道具」と「壊れた道具」によって道具分析を解釈すること。これが、ハーマンによるハイデガーの道具分析の、ひとつの大きな修正である。さらにここからハーマンは、決してハイデガーが同意することのないだろう道具分析の根本的な修正をおこなっていく。

事物の存在があらゆる理論と実践の背後に隠れているという主張は、人間的現存在が有する何らかの貴重な長所や短所に由来する事態ではなく、どんな関係もーー無生物な関係でさえーーそれが関わるものを翻訳ないし歪曲してしまうという事実に由来することだからである。火は、綿を燃やすとき、この素材の可燃性とだけ接する。火は綿の匂いや色には決して作用しないだろうが、それはこれらの性質が感覚器官を備えた生物だけに関わるものだからである。たしかに火は、自らが把握できない様々な性質を変化させたり破壊したりすることができる。しかしそれは間接的になされることなのである。綿の存在は、それが焼き尽くされ、破壊される場合でも、炎から退隠している。(……)対象の退隠は、人間やいくつかの賢い動物だけを悩ます認知的トラウマではなく、あらゆる関係の恒久的な不十分さを表現しているのである。(QO, pp.73-74.)

ここは本当に重要なジャンプだ。ハーマンは、カントのコペルニクス的転回(人間と世界の関係が他のあらゆるものを優越するという認識)に逆らい、この一点においてハイデガー形而上学へと追いやり、むしろ「人間的存在者と非人間的存在者は皆、他の事物を抱握(prehend)し、それに対し何らかの仕方で関係する限りにおいて、いずれも全て等しい身分をもっていると言うことによってカント的な先入観を破棄した」(QO, p.76.)、ホワイトヘッド的立場をとる。ハイデガーにおける「世界」と「現存在」の特権的な関係をホワイトヘッド的に解体するのだ。他方、ハーマンはハイデガーが示したような「存在の底のなさ」も採用するので、単純な関係主義にいくというわけでもない。このバランスが面白い。

 

 ハーマンは、ハイデガーの道具分析を修正したモデルーー①存在は、意識的な分析や無意識の実践によっては決して汲み尽くすことのできない「深さ」をもっている。すなわち存在はいつもあらゆる相互関係から退隠した「秘密」をもった「過剰」なものであり、私たちは「壊れたとき」にのみその存在の過剰さを暗示的に知ることができる。②これは人間的現存在のみに由来するものではなく、無生物的存在者を含めたあらゆる存在に適応できる主張であるーーを、「実在的対象(real object)」と表現する。

実在的対象は、二つの点で感覚的対象と異なっている。第一に、実在的対象は、それが出会うあらゆるものから自立している。感覚的な木は、私が寝たり死んだりして目を閉じれば蒸発してしまうのに対し、実在的な木は、感覚を有する全存在者が私とともに破壊されようとも、成長し続ける。第二に、感覚的対象がつねに経験の内にあって自らの性質の背後に隠れたりすることはないのに対し、実在的対象はつねに隠れていなければならない。(QO, p.79.)

実在的対象は感覚的対象と同様に、感覚的性質と実在的性質という2種類の分極された性質をもっている。道具分析であきらかになったように、あらゆるアクセスから退隠した実在的な対象をぼくらは壊れた瞬間に暗示的に知ることができるのだけれど、それは感覚的ないくつかの性質を通じて意識に現前しているからである、と(ハイデガーの「手前性」と「手許性」)。また、実在的対象は他の実在的対象と区別されるための多数の性質をその内に潜ませている(ハーマンはこれをライプニッツモナドの議論と接続している)。

 こうしたハーマンの主張を一旦受け入れてみると、以前取り上げた下のようなハイデガーの記述も、また違った“趣”で読めるようになるだろう。

かりに隙間がゼロであったとしても、机は原理的に、壁に触れることができないからである。《触れる》ことができるためには、壁が椅子に《向かって》出会うことができるということが、前提条件になるであろう。(……)世界の内部で客体的に存在していて、その上、それ自体において「無世界的」であるようなふたつの存在者は、決して《触れあう》ことがありえないし、一方が他方の「もとにある」ことはありえない。(SZ, §12) 

机と壁は、各々に強固な自律的実在性をその内に潜めているので、決して「触れ合う」ことはないが、ハーマンによれば、私と机の間でも同じような事態が起こっているのだ。

 

 ハーマンはこれまでの議論をまとめ、以下のような四つ組のダイアグラムを提唱する。フッサールハイデガーの主張から、彼ら自身の議論からもこぼれ落ちている“バグ”のような構造を見つけ出し、それらをハイブリッドさせることで、ハーマンはもはや完全にオリジナルな実在論を組み上げている。既存の議論から、いかにして新しい認識を生んでいくか。このハーマンの手付きこそ、ぼくらは参考にすべきかもしれない。 

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△The Fourfold Structure Emerges, "The Quadruple Object"*1 p.50より

ハーマンはこのダイアグラムを以下のように概説している。

感覚的対象(sensual object)と感覚的性質(sensual qualities)のペアは、フッサールの最初の偉大な発見である。感覚的対象は完全に現前してはいるが、つねに偶有的な特徴とプロフィールの霧に包まれている。彼の第二の偉大な発見は、感覚的対象と実在的性質(real qualities)の結合である。意識における現象は、確固たる性格をもたなければ、空虚な統一的極となってしまう。そうした性格は、感性的直観ではなく知性によってしか捉えられない実在的な形相的性質から成るものであった。実在的対象(real object)と感覚的性質の対は、ハイデガーの道具分析の主題である。道具分析においては、地下に隠されたハンマーが、思考ないし行為にアクセス可能な表面を介して、どうにかして感覚的現前へと翻訳される。最後に実在的対象と実在的性質のペアの存在によって、実在的対象は、確固たる性格を欠いた空虚な統一的実体であることなく、他の実在的対象と互いに異なることができる。こうしたモデルをより詳細に発展させることで、私たちは新しい哲学の入り口に到達することになるだろう。(QO, pp.81-82.)

 

 さて、ようやくOOOのスタート地点まで来ることができた。あらゆる対象がもつこの4つの極からは、10の組み合わせを得ることができる。ハーマンはこの組み合わせを検証していくことで、自身が提唱する個体的事物の実在論のより具体的な解説をおこなっていくのだ(ただ個人的には、感覚的対象に紐づけされた実在的性質と、実在的対象に紐づけされた実在的性質は全然別物だと思える。議論を単純な図式に落とし込み、独自に発展可能なものとするため、意図的に混同してまとめているのだとは思うが、注意が必要だと思う)。以下、この図式から読み出すことのできる10の関係性を俯瞰するため、研究者の飯盛元章さんが作成された図を掲載させていただこう(現代思想1月号『オブジェクトへの道』より)。

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 なお、飯盛元章さんは『オブジェクトへの道』*2、『現象学のホラーについて ラヴクラフトフッサール*3、『大陸実在論の未来 ハイデガーの四方界』*4など、グレアム・ハーマンのテキストを積極的に翻訳してらっしゃる方で、ハーマンに注目している人間にとっては今最も注目すべき若手の研究者である。とくに、飯盛さんが翻訳されたハーマンの『オブジェクト指向哲学の76テーゼ』はウェブ上で読むことができるので必見(https://www2.chuo-u.ac.jp/philosophy/image/76_Theses_on_OOP.pdf)。また、これまたウェブ上で読むことのできる飯盛さんの論文『断絶の形而上学 ーーグレアム・ハーマンのオブジェクト指向哲学における「断絶」と「魅惑」の概念についてーー』も、ものすごく面白かった(http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/9731/s/8234/)。ハーマンに興味をもった方は、ぼくの稚拙なまとめは置いておいて、まずウェブ上で読めるこの2点に目を通せばいいと思う。

 

学会があるのでOOOのまとめは小休止。次回からはこの四つ組の図式を読み込んでいこうと思う。

(つづく)

*1:Harman, Graham: The Quadruple Object, John Hunt Publishing, Zero Books, 2011

*2:Harman, Graham: The Road to Objects, continent 1.3, 2011. / 邦訳『オブジェクトへの道』飯盛元章訳, 現代思想 1月号, pp. 112-132.

*3:Harman, Graham: On the Horror of Phenomenology: Lovecraft and Husserl, in Collapse, no. 4, 2008, pp.333-365. / 邦訳『現象学のホラーについて ラヴクラフトフッサール』, 飯盛元章+小嶋恭道訳, ユリイカ 2月号, pp. 158-181.

*4:Harman, Graham: The Future of Continental Realism : Heidegger's Fourfold, Chiasma : A Site For Thought : Vol. 3, Article 6, 2016, pp. 81-98. / 邦訳『大陸実在論の未来 ハイデガーの四方界』, 高野浩之+飯盛元章訳, 現代思想 2月臨時増刊号, pp. 126-145.