声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

SEPT.30,2018_セグラーテの噴水

イタリアで撮った写真④

フィレンツェの翌日。この日は午後から学会のオープニングパーティーがあったのだけど、それまでの時間でミラノ市内のアルド・ロッシの建築物を見学した。研究室の助教で、アルド・ロッシの専門家である片桐先生がツアーを組んでくださって、東大の加藤道夫先生ご夫妻とぼくと片桐さんの4人で、早朝からミラノ市内をまわった。

まずはじめに訪れたのは郊外にある《セグラーテの噴水》(セグラーテのパルチザン追悼記念碑と広場)だ。1965年に設計された彼の処女作であり*1、ちょうどロッシが『都市の建築』*2 を執筆していたころに並行して進められていた計画だ。プロポーザルとはいえ、ロッシのデビュー作が単体の建築作品ではなく広場の外構計画であるというのは興味深い。

で、ぼくはこの作品、正直いってあまり期待していなかったのだけど(専門家である片桐さんはロッシの仕事でベスト級だといっていたのだけど、なんでなんだろうと思っていた)、実際にいってみて評価は180度かわることになる。あとになってわかったけど、ぼくがみていた『a +u』誌のロッシ特集号に掲載されている《セグラーテ》はまだ未完成の状態の写真で、それも原因としてあったのかもしれない。

今日書くことは、おそらく自分の制作における核のようなものに触れる気がするので、気を引き締めて書きたいと思う。

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セグラーテはミラノ中心部からバスで30分ほどいったところにある町で、まさに郊外という感じの場所。バス停から歩いていくと、高層の団地が立ち並ぶのが見えてくるのだけど、なんとなく日本にもありそうで、ぼくはどこか親近感がわく風景だなと感じていた。昨日のフィレンツェで負った腰のダメージ(第5腰椎あたり)を若干感じていたけれど、夏のイタリア特有の暑さには慣れてきていたのか、昨日よりは身体がよく動く感じがした。とはいえこの暑さでは少し歩くだけで体力が持っていかれる。

遠くで水の音が聞こえる。そろそろ、《セグラーテの噴水》がある広場に到着するみたいだった。

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まず驚くのは記念碑と、その周辺の配置されたエレメントの適切なスケール感だ。三角噴水はおもったよりも大きい。そしてそのまわりに、子供からご老人まで、年代を問わず多くの人々があつまっていて、何やら話している。ペイブメントはここに来るまでにどこかでみたような、赤っぽい石だ。水がキラキラと輝いていて、照りつける太陽の暑さを一瞬忘れてしまった。

丸や三角でできた造形は、雑誌でみているかぎりはどこかポストモダン的な、純粋幾何学の「意味」によりすぎたデザインのような気もしていたのだけど、実際にみてみると、たぶんサイズや環境の問題なのだけど、かえって「カタチの無意味さ」が表現された形態であるように感じた。計画時に描かれたドローイングをみてみよう。いくつか変更点はあるものの、おおむね現状の配置計画をあらわしている。このとき、噴水を構成する「大きな円柱」とドローイング上部と左部の「小さな円柱群」が、互いに引きをとって敷地の“端”に配置されているということを覚えておこう。

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さて、図面上もかっこいいのだけど、実際の体験としても、左右にバシっと配置される浅い水場が効いている。片桐さんはこの配置計画にミースの影響があると指摘されていたような気がするのだけれど、たしかにとても幾何学的な操作で、噴水を構成する幾何学的なエレメントと同じ扱いがなされていることがわかる。

下の写真をみてほしいのだけど、とにかく三角から落ちる水の形態が薄くって、とても美しい(この薄さはかなりすごい技術なんじゃないかと思うのだけど)。

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単なる図的なかっこよさを超えて、この水の効果は大きい。前回のパッツィ家礼拝堂の感想でも書いたけれど、建築体験において音環境は決定的なものだ。この記念碑は何度もいうけれど「思ったより大きい」ので、落ちる水は途中ではじけ、分散して水場に落ち、柔らかな音で広場を満たす。ちょうど彼が「建築を可能にするのは、はっきりとした形態が時間とエレメントとにぶつかり合うことだ」*3 というように、この水の音と、近所のおばちゃんたちの話し声と、子どもたちがキャッキャと遊びまわる音で、幾何学的なコンクリートの塊は完全に別物へと変質しているように思った。大きくて重たいが、子供の玩具のような軽さもあわせもつこのモニュメントは、待合所であり、日よけであり、子どもたちのための展望台でもある。

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またロッシは、「腰掛ける」ということをとても大切にしていたのではないか、と思った。座るための取っ掛かりがいたるところにあり、そのために慎重にスケールが調整されている。この記念碑は一種の「座所のある建物」(fabrica del dôm)*4 であり、いわばセグラーテのドゥオーモなのだろう。 

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* * * 

さて、そろそろ本題に入らなければならない。この広場で展開されているのは、小さな事物=断片が集合する建築のあり方である。各々の事物は都市の徴であり、記憶であり象徴であるわけだけれど、そうした意味論的な話はいったん置いておくとしよう。むしろここで指摘したいのは、断片の「対象=装置」としての側面であり、断片的な事物が離散するさいの形式的な効果である。《セグラーテ》でキーとなるのは円柱だ。噴水の構成要素であると円柱と、そのまわりに配される、プロポーションとサイズが変形された2種類の円柱(上の配置図も参考に)。

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△三角噴水と円柱の間には微妙な隙間がもうけられている。円柱を単体のオブジェクトとして知覚させるための細やかな意匠的操作だ。

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これらのちいさな円柱たちは、理由はわからないのだけど、1965年の段階では建設されなかったらしい(『a+u』の写真にこいつらはいない)。未完のままストップしていたこのプロジェクトが完結するのはおよそ20年経ってからである。なんという執念だろうか。ロッシにとっては、これらの小さな円柱がそれほど重要だったのだろうか。

ロッシは『科学的自伝』において、円柱について次のように述べている。

ある朝のことである。私がヴェネツィアで連絡船に乗って大運河を横切っていた時、だれかが私にフィラレーテの円柱とヴィコロ・デル・ドゥカ、そしてこのミラノの君主の勇壮なパラッツォがあったに違いないとことに建てられたみすぼらしい住居群のことを指摘した。私はこの円柱とその柱礎をいつも眼にしている。始まりであるとともに終わりでもある円柱である。けだし、時の遺物とでもいうべきこの史料は、いつでも、形態上の絶対的純粋性を宿し、それを取り巻く生活によって費やされた建築の象徴となるのだ。私はブダベストのローマ遺跡に、ある種の円形劇場を変形させたものとして、なかんずく山とあった建物を示しうるただひとつの断片として、フィラレーテの円柱を発見した。それと同じようなことだが、おそらくは、つきあいのなくなった人間に出会うのは幸運だとこれまでずっと考えてきたのと同様の理由から、私は断片が好きである。このことは、われわれ自身という断片に寄せる信頼を表している。*5

「始まりであるとともに終わりでもある円柱」と「出会う」、そして「われわれ自身という断片」という言葉は《セグラーテ》を理解するうえで重要なモチーフとなる。ただし、上記のロッシの記述を意味論的に捉えることで「広場に配置されている小さな円柱群はいまわなき建築の痕跡を表現しているのだ!」とかいってしまうのはあまりも容易いが、同時にあまりに問題を矮小化しすぎている。ここでは「始まりであるとともに終わりでもある円柱」という問題を、あくまでも円柱群を装置としてみたときの知覚の一形式を表現したものであると捉えて、考察をおこなっていきたいと思う。

《セグラーテ》において、「始まりであるとともに終わりでもある円柱」と「われわれ自身という断片」が「出会う」という言葉は、この建築における知覚経験を正確に表現している(と仮定してみよう)。これは彼が「出来事の媒体となる建築」*6 と表現することともおそらく一致する。この出来事とは、ロッシにとっては「内部と外部を同時に知覚すること」であり、「ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かになること」*7 である。どういうことだろうか。意味不明な用語が乱立している気がする。これらの用語をつなぎ合わせ、自然に解釈ができる読み筋をこれから示していきたい。出来事が起こるということは、AとBが出会うこと、そしてそれらが同時に起こるということを意味している。ここではさしあたり「異なるAとBの同時性」であるということにしておこう。これは、彼のミニチュアへの憧れ *8  ーー私の身体にふたつのスケールが内在することーーと軌を一にする問題だ。

* * * 

円柱がこの場所で具体的にどう知覚されるか、というところに戻ろう。まず条件として、噴水の構成要素である円柱(下の写真の手前)は、周辺に配された円柱群(下の写真の奥)よりもかなり大きいということを覚えておこう。おそらく倍以上、噴水の円柱のほうがサイズが大きかったと思う。このサイズとプロポーションの変形が引き起こすのは、距離の多重化である。

まず、実在の距離Aがある。しかしこのとき、手前の円柱(噴水の円柱)と奥の円柱(より小さな円柱)は形態が一致しているために、奥にある円柱が、手前にある円柱と同じサイズであるとみなすことができる(周辺にものさしとなる人や物がない限り、両者の規模を特定することは難しい)。つまり奥にある円柱を、実際の大きさの倍以上のサイズであると錯覚してしまうような知覚の動きを想定することができる。このとき知覚されるヴァーチャルな距離A'は、当然ながら実際の距離Aよりもはなれていなければならない。

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ちなみに奥の円柱は、ちょうど座りやすいような高さで設計されている。ここに人が座っている状態、すなわち奥の円柱の周囲に、ものさしとなる何らかのオブジェクト隣接している状態を想像してみてほしい。このとき演繹されるのは、手前にある円柱のサイズが、奥にある小さな(座れるくらいの)円柱のサイズと同じであるという錯覚である。つまりさっきとは逆に、手前の円柱の大きさを縮小するような想像だ。こう認識してしまった途端に、手前の円柱に隣接する私の身体もまた一緒に縮小し、これによって身体感覚としては、円柱の間の距離がまたしても実際の倍以上に離れることになる。ロッシがコーヒー・ポットをスケッチし、しばしばそれを住宅とみなして妄想したような、そんなミニチュア化の働きが、この広場には実装されているのだ。

向こうからこちらをみると、ちょうど逆転した現象が起きる。むこうにある円柱が、こちらにある円柱と同じサイズであると認識した瞬間に、記念碑はミニチュア化し、こちらとあちらの距離は短くなってしまう。

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さて、ふたつ上の写真の画角から右に90度旋回すると、下の写真のような場面に出くわすことになる。奥に円柱がある。再び、奥にある円柱を手前にある円柱と同じサイズであると想像してみよう。先程のミニ円柱よりもこちらのミニ円柱のほうが背丈があるから、あたかも向こうの階段のうえに見えるものが、丘の上に立つ巨大な円柱のように思えてくる。奥に人がいれば、先ほどと同じように、私の身体のほうがミニチュア化することになるだろう。いずれにせよ私は、実在の距離と、仮設の距離を、二重に知覚することになる。

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この、同一の形態であると同時にサイズとプロポーションが異なる断片を離散的に配置することで引き込こされる距離の多重化は、極めて重要である。実際の距離と仮想の距離が識別不可能になるような局面の設計。同様の性質は、ロッシの代表作である《世界劇場》(1979)でも指摘することができる。

f:id:o_tkhr:20180930111018j:plain△『a+u』,1982年11月臨時増刊号,  p.113.(左), p.121.(右)

ヴェネチア・ビエンナーレに出品されたこの建築は、18世紀のヴェニスでおこなわれていた水上劇場を再現するに、建築=船というアイデアをロッシがとったことで実現したものだ。この建築=船は、遠くからみると古典主義風であり、聖堂の塔屋を模した重々しい形態的特徴をもっていることがわかる。と同時に、この建築=船は水上でぷかぷかと浮いているのであり、その色彩と仮設性、そして単純な形態もあいまって、どこか子どものおもちゃのようにも見える(周囲を取り囲む不動の古典建築群が、ロッシの世界劇場のおもちゃ感をより引き立てている)。世界劇場は約10mの立方体に高さ6mの八角錐の屋根がかかるという規模なのだけど、これをおもちゃとしてみた場合、多分その10分の1、すなわち1m四方くらいの大きさにしかみえないはずである。たとえば、50m先からこの建築を眺めていたとしよう。しかしこの建物を1/10のミニチュアと認識した瞬間、対象との距離もまたミニチュア化し、50mあった距離は5mとなる(このとき、ヴェニスの町全体が一緒くたに1/10化してしまうことも面白い)。私たちが《世界劇場》をみるとき、実際の距離とミニチュア化した距離を同時に知覚しているのだ。

 * * * 

ミニチュア化をともなう距離の多重化と、それによって引き裂かれる私の身体。この、「見たまま」という水準におけるロッシ建築の特徴は、実はあまり指摘されていないような気がするのだけど、超重要だと思う(繰り返すけど)。子どものころに多くの人が体験する「不思議の国のアリス症候群」的な身体感覚を与える空間性、といってもいい。過去の評論をみていると、ロッシのこうした空間的挑戦を前にして、それは貧弱で簡素な形態の反復によるキリコ的な「無意味な建築」であるのだとか、白痴的なユーモアを表現しているのだとか、そこには幽霊が住んでいるのだとかいって、しまいにはそれに「当惑させられる」と解釈を突き放してしまう人がけっこういるのだけど、それはあまりに不十分な評価というか、批評の不徹底だなと思う。建築空間、あるいは都市空間の制作者であるぼくらは、ロッシの建築がもっている空間的な「効果」に徹底的に向き合って、できる限りそれを言語化し、道具化しなければならない。

この問題を理解する補助線となるのは、「計測できない距離」(見えない距離)*9 と「類推」ーー両者は同じ概念のふたつのバージョンであるーーという概念である。

 * * * 

ロッシの『科学的自伝』には、非常に興味深い “建築の定義” が二度登場する。

私はある燈台のこと、記憶のこと、夏のことを考えている。どうやってこうした事物の規模を定めることになるのか。そして実際、それらはどの程度の規模を有しているのか。今年、1977年の夏、私のオステリア・デッラ・マッダレーナに滞在していた。その時、そうでなければとても覚えてはいなかった会話の中で、ひとつの建築の定義がひらめいたのだ。

私はそれをこのように言葉に直した。「部屋のもっとも高いところから一気に10メートルも落っこちた。」この文章の文脈がどういうものか自分でもわからないが、ここで新しい規模=次元が開かれたと思う。*10 

「部屋のもっとも高いところから一気に10メートルも落っこちた」。いったいどういうことだろうか。『科学的自伝』で最も重要な記述のひとつであり、最も解釈が困難な箇所でもあると思う(ロッシ自身もかなり直感的に書いているような気がする)。

これはぼくの想像なのだけど、ラ・マッダレーナ諸島の海岸沿いで燈台を見たロッシは、自宅にもどったあと、目の前にあるコーヒー・ポットと先ほどみた燈台をアナロジカルに重ね合わせたのかもしれない。

f:id:o_tkhr:20180930142511j:plain△ 左: Aldo Rossi《Il ritorno dalla scuola》(学校からの帰り), 1983 / 右: Studio di Aldo Rossi, Photo by Luigi Ghirri, 1988

少し想像してみよう。あなたは部屋のなかにいる。天井高はせいぜい3メートルくらいの、普通の部屋だ。あなたは午後のティータイムにエスプレッソを飲みながら、目をつぶり、今朝、海岸沿いを散歩していたことを思い出す。カモメの声、青い空、潮の匂い、学校へ向かう子どもたちの後ろ姿。ある風景を思い出すということは、無数のオブジェクトからなる布置=アレンジメントを思い出すということだ。あの子どもたちは、今ごろ道草を食いながら帰宅している途中だろうか。あの海岸。あなたは、海辺でひときわ高くそびえる10メートルの燈台を思い出すだろう。目の前のテーブルには、燈台と同じようなかたちをしたマキネッタ(コーヒポット、正確には直火式エスプレッソメーカー)が置かれている。あなたは思わず、自分の身体を縮小して、燈台(=マキネッタ)に入り込む妄想をおこなってしまうかもしれない。あなたはマキネッタのなかの螺旋階段を登って、その上部へと向かうのだ。いまや、この部屋でもっとも高い場所は、マキネッタのふたの上である。あたかも未知の都市を探索するような眼で部屋を眺めながら、ふたの上からジャンプする。まっさかさまに10メートル落ちて、、、バタン!!とおおきな振動を感じる。……少しうとうとしていた気がするが、目が覚めた。さあ、仕事に戻ろう。

勝手な想像なので全然あてにできないのだけど、少なくともぼくは、ロッシが建築の定義として提示したものは、こういうことなのかなと読んだ。身体をミニチュア化すること。スケールを自由に行き来すること。ロッシはこの「部屋のもっとも高いところから一気に10メートルも落っこちた」という建築の定義を、「測れない距離」とも言いかえている。

先にある種の部屋に関連させて語ったあの空間へのまっさかさまの落ち込みに、規模とか質を測ることなどできるのだろうか。……円形劇場が都市になり、劇場が住宅になりうるとしたら、建物を一体どうやって測ればよいのか。*11

ロッシが「計測できない」と表現することは、「設計できない」と言い換えても問題ないだろう。建築は機能を超えてコンバージョンしうるし、私たちは家を劇場とみなしたり、目の前のマキネッタを見ながら「まっさかさまに10メートル落ちる」こともできる。そこで私が感じる「10メートル」はありありとした実感として確かにそこにあるのであり、それはこの小さな部屋で仕事をする私に、実際の規模以上の空間の広がりと、解放感と、自由を与えてくれるものだ。しかしそれは、科学的な方法では決して測定できない。

ちなみに、恥ずかしいので読んだら忘れてほしいのだけど、ガンダムが大好きだった中学生のときのぼくは授業中、シャープペンシルを宇宙戦艦に見立ててしばしば妄想していた。シャープペンシルのなかにあるはずの隊員たちの居住区を想像しながら、そこでの生活を想像していたのだ(思えばそこで妄想していたのは戦艦同士の戦いではなく、居住区での生活だった。もしかしたらここに、自分が建築をやっている原風景があるのかもしれない、、、)。「宇宙戦艦っぽいかどうか」という選定基準で筆記用具を買っていたので、かなり重度の症状だったように思う。そういう妄想はいつも、つまらない授業を受けているのときの現実逃避として展開された。

ロッシがいう「10メートル」もまた、ある種の「逃避」であるように思われる。それは、どうしようもなく平凡な日々の生活だったり、如何ともし難い個人的な問題だったり、仕事の行き詰まりだったりを、いっとき「忘れる」ことだ。ぼくらは、そうした「逃避の力」みたいなものによって鼓舞され、毎日の生活にひいひい言いながらも、明日も頑張ろうと思えるのだと思う。祈りにしろ、日々の儀礼にも似たあいさつにしろ、詩にしろ、歌にしろ、ダンスにしろ、スポーツにしろ、そして建築にしろ、我々の暮らしの中に存在にする「表現」なるものはその一切合財が、困難な現実をいっとき忘れさせ、それによって人を奮い立たせ、その人に本来持っている以上の力を発揮させるためにある。ひとつひとつはささやかだが、それらは次第に影響しあい、波及に波及を重ね、やがては巨大なうねりとなって、もともとは絶対に達成不可能と思われた何かを達成することに結びついていく。だから何であれ表現というものはそれ自体が、政治権力や暴力による抑圧に対抗しうる唯一の方法であり、つまりは革命的な戦いそのものなのだと思う*12。 

ロッシは「建築を忘れること」が大切であると自伝で繰り返し述べているが、このときの「建築」は「現実」とイコールで結んでもいい気がする。建築はきわめて科学的な方法で、シェルターとして、私たちの生活を物理的に下支えする。それは建築の第一のアイデンティティであり、私たちの現実をつくる物理的な実体だ。一方でロッシは、妄想であれ非科学的(魔術的)な方法であれ、建築には建築自身を忘れる能力が備わっている必要があると考えた。空想によって、現実=建築を忘れること。すなわちロッシにとって、現実と空想は、現実=建築=空想として、建築を媒介にして等号で結ばれる必要があったのだ。彼は現実と空想を、科学的な技術と魔術的な演劇を、燈台とコーヒーポットを、両方とも愛していたのだから。建築は「10メートル落ちる」とロッシが形容する性質をもつときにのみ、単なるシェルターを超えて、人々を鼓舞する力能を宿すのである。アウレーリをひきながら*13、これを一種の「例外状態」あるいは「引きこもりの力」として、当時のアウトノミア運動と結びつけて考察することもできると思うのだけど、ここではそこまではしない。問題は、くだんの10メートルは、はたして建築家が設計できるものなのだろうか?という問いだ。おそらくロッシはこの問いを持ち続けていたのだろうと思う。

さて、《セグラーテ》の空間的な構造を規定していた「距離の複数性とその同時性」という性質は、この「計測できない距離」(見えない距離)に取り憑かれていたロッシのひとつの解答なのではないだろうか、とぼくは思うのだ(ようやく《セグラーテ》に戻ってくることができた)。ここでぼくが言いたいのは、円柱同士の錯視効果によって現象する仮想の距離を重視する、ということでは決してない。現実の距離と仮想の距離のあいだに絶対的な「見えない距離」があり、バラバラな距離を事実として統合している私の身体がどうしようもなく残される、ということが重要なのだ。「見えない距離」の追求によってロッシはある幸福な瞬間の実現を目指した。それは、「二人の子供が睨めっこをして最初に笑った方が負け」*14のようなものだという。それは互いに笑いをこらえながら、“前言語的”にいろいろなコミュニケーションをとりあって、どちらかが笑いをこらえられなくなって吹き出してしまったときの、あの感じなのだろう。笑いがはじけるあの瞬間の高揚。だからこそ、現実の距離と仮想の距離はどちらかが重要というものではなく、あくまでの両者の緊張関係とその破れが重要なのだと思う。

ところで、「計測できない距離」を建築の核とするロッシの考え方は、ベルクソンとの奇妙な響き合いをもっている。先日感想をまとめたドゥルーズの『シネマ』および『眼がスクリーンになるとき』にも通ずる問題だ*15。ベルクソンは「持続」という概念を説明するさいに、砂糖水の比喩を用いる。水の入ったコップに、角砂糖を入れる。一定の時間が経つと角砂糖は溶け、砂糖水ができあがる。この過程はいっけんすると、例えば物質の溶解度といった科学的な検知からグラフ化し、すべて記述可能であるようにも思える。しかし、「何をしようと、私は砂糖が溶けるのを待たなければならない」*16。この「私が待つ時間」というのはたとえ時計の秒針によっても分割されず、科学的な方法では組み尽くすことのできない、私の生きられた持続として残される。ロッシの「計測できない距離」もまた、このベルクソンの議論に連続するもののように思われる(ロッシがまったくベルクソンに言及していないということが、かなり不思議に思えるくらいだ)。

さらにベルクソンは事物と生物を、作用と反作用のあいだに「間隔」が存在するかどうかによって分別する。計算可能な自然法則にしたがう「事物」において作用と反作用は釣り合い、それゆえ動きは予想することができる。いっぽう「生物」は刺激に対して運動を選択する力をもっており、ここでは作用と反作用が釣り合わず、身体が「不確定性の中心」としてはたらく。ここで対照するべきは、『科学的自伝』のラストである。

私はこの本を、自分のプロジェクトや著作を切れ目ない説話的な情景の中で分析していこうと考えていた。だが、これを全部書き終えてみると、もうひとつのプロジェクトが出来上がっていのが眼に浮かんできた。それ自体の内に何か予知不可能で偶然なものを含み込んだプロジェクトである。(……)別の記憶、別の動機が視野に入ってきて、まだ私にとってはとても愛しい元のプロジェクトを変化させていく。*17

ロッシは自身のプロジェクトを、あたかも「不確定性の中心」をもつ生命のように捉えていたのであろうか。生命であるがゆえに「終局」をもち、「終局」があるからこそ、そこからまた新たな生命が生まれるような、そんな生きたプロジェクトとして。

一般的な考えとして、建築とは科学的なシステムによる無機的なオブジェクトであり、私たち人間は持続をもった生命として、生きたオブジェクトとして建築と対面する。しかしロッシは、建築のほうが生きたプロジェクトであり、一方の人間が「発展のない体液停止の感覚」*18 をもってそこに向き合うような瞬間を確信していたのではないだろうか。私の身体は「石化」し、事物として、たんなるひとつの断片として、都市の記憶を内在した断片的な「生きたプロジェクト」である建築と対面する。一方で「私の建築はつめたく、ことばなく立つ」*19 のであり、そこでは前言語的な「出会い」が見出される必要があるだろう。彼が「出会い」と呼ぶものを、上記で「異なるAとBの同時性」であると書いた。ぼくの理解では、この「出会い」と《セグラーテ》や《世界劇場》での距離の複数性の問題は連続している。それは、石化し、「体液停止」してしまった私の身体が、新たな身体を再び取り戻すための方法である。それこそが、ロッシが「計測できない距離」(見えない距離)という言葉で表現しようとした、現実と空想が同居する可能性としての建築空間であり、「人間の出来事の凝固した場面」*20 あるいは「類推」という言葉でパラフレーズされるものである。 

 * * * 

「計測できない距離」(見えない距離)を別の側面から表現したのが、ロッシのいう「類推」であるように思う。注目すべきは弁証法と類推の、類似点と相違点である。

建築は、われわれが欲する出来事に対して、たとえそれが実際に起ころうとも起こらずとも、その媒体となる。われわれが出来事を欲するとは、その出来事がヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かになることである。(……)そうであるがゆえに机や住宅の規模なるものがきわめて重要である。むろん、このことは機能主義的な考えにもとづいて、そこにひとつの決定された機能が付与されているとみなすからではなく、かえって他のさまざまの機能がそこに許されるためである。 つまるところ、人生で予知不可能なものすべてがそこに可能だからである。*21

「ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かになる」という記述の、“なる”という部分に注目すべきだ。《セグラーテ》においてぼくは、異なる規模をもった円柱のあいだで、現実の距離とフィクショナルな距離を同時に知覚していた。散りばめられた断片によって生成された複数の距離は、私の身体というこの一点において統合されていたわけだ。これを弁証法的に表現すれば、ジンテーゼ(私の身体という統合点)からテーゼ(現実の距離)とアンチテーゼ(フィクショナルな距離)を「ふりかえっている」といえないだろうか。そしてこれが、ロッシのいう「ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かに“なる”」ということなのではないだろうか。事後的に、その場限りの内的必然性として私の身体が位置付けられること。

ロッシはギルバート・ライルの『心の概念』から、「類推とは、結果のみが報告されるプロセスを通してすでに了解された事柄によってかたちづくられる。」という言葉を引き、「類推」を以下のように定義している。

この文章は単に建築だけではなく、科学、芸術、そして技術の上でも私にはきわめて重要に思われた。ここでは類推という考え方が、確かどこかで書いたと思うが、ユングの定義から大きく異なったかたちで表現されている。(……)先ほど私が触れた計測上の誤まりにも似て、類推とは結果のみが知られている何物かを獲得することに他ならない。言い換えれば、どうやらあらゆるプロセスにおいて実際には最終的な結果しか知られていないように思われて仕方がないのだ。*22

こうした類推の定義を図式をヘーゲルの弁証法と対比させて示すと以下のようになる(筆者作成*23)。矢印が逆転していることに注目していただきたい。私の身体は、敷地に配置された複数の断片=円柱と結びつくことで、ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かに“なる”のだ。ここでたとえば、よくドゥルーズが引用するような雀蜂と蘭の関係を思い浮かべてもいいかもしれない。蘭はその外観によって雀蜂を「捕獲」し、捕獲された雀蜂は植物の生殖器官の機能を保証する。花と昆虫は、連帯していると同時に分離しているが、生成のなかでブロック化するこの出会いによって、蘭の受粉を保証する。

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《セグラーテ》で実践されていたことは、都市の瓦礫であり、粉砕した骨である円柱に対し、事後的な生を与えることであったといえよう。「始まりであると同時に終わりでもある円柱」というロッシの言葉を思い出そう。《セグラーテ》の円柱はあくまでも「結果」であり「終わり」を示すものであるが、それと同時に、生成の起点ともなる「対象=装置」であった。

このとき生成の媒介になるのは私自身であり、私の身体は実在の距離(現実)と仮想の距離(空想)が共存する座となる。現実=建築であり私=空想とすれば、私と建築が等号で結ばれるときにはじめて、現実=建築=空想という図式が成立する。私の身体は、私自身が住まうひとつの住居である。《セグラーテ》において、円柱という断片と私の身体という断片が出会い、両者が雀蜂と蘭のように連帯するとき、私は私のなかにひとつの建築をみつけるのである。

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* * *  

建築であると“同時に”都市であるものについて、科学的であると“同時に”自伝的であるものについて、ロッシは著している。対立する二項AとBは決して混ざりあうことはなく、第三項=Cである私の身体から類推的に、遡及的に記述される。ロッシは類推という方法で弁証法を逆向きにおこなうのであり、そこにあるのは、対立項AとBのあいだを行き来する運動であった。それによって明らかになるのは、絶えず引き裂かれ多重化する私の身体=Cであり、そして、そこでの「計測できない距離」(見えない距離)こそが、ロッシにとっての「建築」だったのではないか。

もっと踏み込んだ言い方をすれば、実在の距離と仮設の距離のあいだを行き来するときに生じる、その絶対的な空隙こそが知覚される、といってもいい。この点に気づいたとき、ヴェンチューリとロッシは、その根っこではまったく同じ問題意識をもっていたのだなとぼくは思った。ヴェンチューリとロッシは、ライトやミース、コルビュジエらとはまったく異なる建築のエポックをつくりだした存在として認知されていると思うのだけど、両者は重なり合う部分もありながら、その根本は対極である存在だと語られることが多い。しかしヴェンチューリが、外観と内観の間にある計測できない質量の厚み=ポシェにことさら肩入れしていたのは、建築の核となる要素をこの部分にこそ見出していたからである。ロッシとヴェンチューリの共通点は、建築の「計測できない」(見えない)部分を徹底して追求していくことで、機能と建築の合理的な関係を疑い、機能と形式の癒着から、形式それ自体を解き放つことだった。しっかり書いちゃうといよいよ終わらなくなるのでこの辺にしておくけれど、アビ・ヴァールブルク - ルドルフ・ウィットカウアー - コーリン・ロウ(あるいはドナルド・ジャッド)へと引き継がれた議論からそのあたりを正確に位置づけることは可能だ(万が一要望があればいずれ書くが)。建築という形式のもっている本来的な生命を現象させること。このとき建築は、現実と空想を、機能と遊びを、大きさと小ささを、内部と外部を、自由に行き来するための媒介となり、人々を鼓舞する存在になるだろう。これはいわゆるポストモダンとよばれる時期の実践が残した、未だ磨かれざるダイヤモンドの原石のような議論である。

ここで書いてきたことは、ロッシについてのあまりにも一面的な記述だと思う。記念碑の形態がもっている象徴的な意味については何も触れていないし、世界劇場の内部空間についても同様だ。ぼくはいまのところ、ロッシの建築の「物語性」と形容される部分に立ち入っていないし、立ち入る必要もないと思っている。ぼくが信頼するのは、《セグラーテ》の広場が、待ち合わせ場所として、遊び場として、日よけのベンチとして、この場所の人々にうまく使われていたという事実だけである。これまで書いてきた「距離の複数性」とそこでの「見えない距離」という問題が、まちの人々の日々の生活を鼓舞しているかどうかはわからないけれど、でもこれらの性質は間違いなくこの場所のなんらかの雰囲気、ムードみたいなものをかたち作っていたことは確かで、そしてこの場所が居場所になっていたのも確かなのだ。設計者が意図した「効果」は、意識される必要はないし、むしろされないほうがいい(だからこそ難しい)。ぼくは建築が、きわめて控えめに、無口な隣人としてあらゆる人々を迎え入れ、そしてひそかに、彼らを鼓舞する存在であってほしいと思う。

ぼくが興味があるのは、徹底して形式的な側面だけだ*24。ぼくが分析できるのはたんに見えたものだけであり、形態の背後に込められた意味なんかについては考察する権利もない。が、ある意味ではそれで十分であり、はじめに述べたように、今日書いたことはぼく自身の制作における核のようなものの、ある断面を表現していると思う。

土地を経験し、表面をみて、空間を満たす音を聞けば、それで十分なのだ。

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Aldo Rossi: Monumental fountain at Segrate, 1965, Milan, Italy
(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, Kodak Portra 160)

*1:その前にヴィラの設計もやっているらしいのだけど、あまり表沙汰になっていないみたい。

*2:1966年に出版されたロッシの最初の著作であり、彼の方法論上の基礎をつくった。時間を超えた類型学の固定法則を求め、都市と建築の分析を試みられている。

*3:Aldo Rossi: A Scientific Autobiography, MIT Press, Cambridge, Mass. & London, 1981 / アルド・ロッシ自伝, 三宅理一訳, 鹿島出版会, 1993, p.12.  以下、ページ数は邦訳版のものを示す。

*4:Ibid., p.135.

*5:Ibid., pp.21-24.

*6:Ibid., p.18.

*7:Ibid., p.15.

*8: 「今日でも私はこれらの大きなコーヒー・ポットを好んでスケッチする。それを煉瓦の壁体になぞらえ、内に入ることのできる建物として想い浮かべるのだ。」(Ibid., p.13.)

*9:「見えない距離」については、片桐悠自による以下の論文を参照。

片桐悠自: アルド・ロッシの類推概念における宗教的イメージ 論考「見えない距離」における伊勢神宮のイメージ論の分析, 日本建築学会大会学術講演梗概集・建築デザイン発表梗概集, 2017, pp.393-394.

*10:ロッシ『科学的自伝』, p.56.

*11:Ibid., p.179.

*12:ライムスターの宇多丸師匠がどこかの映画批評でいっていたことだ

*13:ピエール・ヴィットーリオ・アウレーリ: プロジェクト・アウトノミア, 北川佳子訳, 鹿島出版会, 2018

*14:ロッシ『科学的自伝』, p.57.

*15:https://www.ohmura-takahiro.com/entry/20180905/1536075721

*16:アンリ・ベルクソン: 創造的進化, 合田正人・松井久訳, ちくま学芸文庫, 2010, p.28.

*17:ロッシ『科学的自伝』, pp.195-196.

*18:Ibid., p.9.

*19:Ibid., p.101.

*20:Ibid., p.184.

*21:Ibid., p.15.

*22:Ibid., pp.163-164.

*23:いきおいでつくった図なので、話半分で見てください。

*24:ぼくらは過去のプロジェクトから学び、そこでの学びを、ぼくら自身のプロジェクトをよりよくするための道具としなければならない。そのときに、時代や場所の文脈を超えて展開できるのは形式だけだとぼくは思う。