声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

OCT.14, 2018_補講:プロジェクト・アウトノミア

新しい政治的主体性を構築する試みは、とりわけ戦後の社会がポスト工業社会へと転換するなかで、世界同時多発的に起こったことであった。

たとえばイタリアにおいて、1960年代を通して専門領域の垣根を超えて議論され理論化された「自律性」のプロジェクトは、新しい経済的・文化的勢力を組織する新たな主体性の構築が緊急に必要になったため起こったことだった。1950-60年代に展開した「オペライズモ(労働者主義)」の構成員であるオペライスタたちは、フォードとテイラーの生産システムに反対する労働者闘争を理論化して、「闘争の先行性」とそれによる「資本主義の再編成」を可能にする新たな主体性を求める運動を進めていた。左翼運動の画期となったのは1968年5月、「学生紛争」という前代未聞の出来事による地政学的な危機である*1。その後に展開するのがアウトノミア運動であり、60年代末期の闘争とその一定の成果を経て、1970年代には多くの闘士(ミリタント)たちが革命は「暴動」というかたち以外にはなしえないことに気づく。最終的にイタリア社会は熱い政治的実践とその失敗を経験し(1977年の全面的な武力衝突 - 1978年の極左テロ組織「赤い旅団」によるアルド・モーロ元首相誘拐暗殺事件 - 1979年の活動家一斉逮捕)、以降、労働者による支配階級への政治的介入は徐々に追いやられていくことになる。

というのは、1980年代と1990年代において、イタリアの支配組織の文化的イデオロギーは退化し、ルネサンス以降のこの国の政治史および文化史上の最低地点まで堕ちたからである。(……)1970年代から80年代にかけて自律性と意思決定力を求める切迫感が失われていき、それにともなって政治と哲学から建築と都市計画までのそれぞれの学問領域は専門化した領域の溝に落ち、同時代の政治経済の現実に対して自律したのではなく、単にそれぞれが互いに自律的になった。*2

この辺の流れは日本の状況ともパラレルだなと思う。1968年の学生運動があり、その後の武力を用いた左翼運動の激化(日本でいえばたとえば連合赤軍)とその悲惨な結果を受け、国民が急激に脱政治化していくという流れ*3。こうした地政学的な背景のなかで、アルド・ロッシの「自律的建築」は1973年のミラノ・トリエンナーレを通して世界中に周知・評価されることになるのだけど、このとき、彼自身の政治的な動機を共有しない他の国際グループにまで自律性の構想を拡大していたため、新理性主義=テンデンツァがもっていた政治的な存在理由はすっかり骨抜きにされ、変質してしまうことになった。にもかかわらず、いや、だからこそ、ロッシの建築は世界中で評価され、「様式」としてのポストモダン主義として成功することになったのだと思う。

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P. V. Aureliの『The Project of Autonomy 』(2012) は、ロッシやアルキズームの理論的なベース(パンツィエーリ、トロンティ、カッチャーリ)に精密に言及することで、そうした「誤解」をほどくものとして書かれている。ぼくは、いわゆる「ポストモダン」と呼ばれてきた作品群の「既存の読み筋」を解体したうえで、それらを現代のぼくらの感覚でもう一度読み直し、出会いなおすことが必要だとおもっている*4。彼らの残した仕事を、いかにして既存の言説を経由せずに、彼ら自身の建築物とドローイングと言説だけで結晶化させるか、ということが重要だ。それは《セグラーテの噴水》(1965)の感想を書いたときにも意識したことで、《セグラーテ》ではとりわけその身体性について焦点を当てたのだけれど、ロッシを語る上ではもうひとつの重要な側面、その政治性ついて語らざるをえない。とくに《ガララテーゼの集合住宅》(1969-73)を理解するうえでは切り離せないだろうし(なにせ集合住宅だし)、ぼくは政治的な話が非常に苦手なのだけど、がんばってまとめてみようと思った次第だ。

そう思えるのも、先月この『The Project of Autonomy 』の邦訳、『プロジェクト・アウトノミア』が出版されたからだ。アウレーリの議論は、ロッシをはじめとしたテンデンツァの建築家たちやアルキズームに代表されるラディカル・アーキテクチャーの仕事が甘く解釈されて世界中で消費された、その「以前」の状況をぼくらに教えてくれる。本書は、ぼくが目指している「ラジカルなアナクロニズム」をまさに実践してくれている本だ。ちなみに英語版も一応目を通しているのだけれど、本書は建築分野以外の専門用語が多すぎて(邦訳されていないイタリアの政治哲学の文献を扱っていたりするので)まともに読めていない状況だった。その点、北川佳子さんの翻訳はかなりすごくって、邦訳で新たに追加された巻末の用語解説が異様に充実している。おそらくイタリア語文献もすべてあたっているということなのだろう……これがないと日本人はまともに読めないという配慮なのだと思うのだけど、すさまじい仕事量だ。他分野の知見にかなり慎重に配慮されてなされた翻訳だと思うし、相当網羅的に学べるので、巻末までぜひ読みこむべきだろう。

さて、今回のブログは「補講: プロジェクト・アウトノミア」というタイトルをつけた。ここで目指すのは、イタリアでみたロッシの作品をより深く理解するために、彼がアイモニーノと共有していた地政学的な議論に関する見識について少しでも理解していくことだ。そのためにアウレーリの『プロジェクト・アウトノミア』を以下の三点で要約する。
i  ). 自律性の歴史的概要
ii ). オペライズモの構想
iii ). アルド・ロッシによる「プロジェクト・アウトノミア」

 

i ). 自律性の歴史的概要

■ 自律性の3つの体制

批判の時代、あるいはモダン(近代)という時代は啓蒙運動(1750年ごろ)から全体主義の末期(1955-60年)まで続いた。[コルネリュウス・]カストリアディスによると、この時代はふたつの信仰が収斂することで特徴づけられる。すなわち、個人的、社会的主体の自律性(自治)という信仰、そして技術の発展に内在する合理性が際限なく拡大することに対する信仰である。(……)理性主義は本来、資本制にただちに適用され、その領域を拡大して全体化することで進展させる考えである。ようするに資本制とは、単に蓄積するプロセスではなく、資本そのものの連続的な刷新、生産、消費そして財政の間断ない改革を科学的に理解することなのだ。*5

「個人的主体の自律性」と「社会の際限なき発展」という近代のふたつの信仰は、「理性主義」という概念において重なり合うことになる。世界の有り様にはすべて必然的な根拠があり、あらゆる真理は理性によって論証される必要があるという理性主義(ラショナリズム)は近代に特徴的な啓蒙的思想である。非論理的な因習の脱却を目指した「理性」は近代的な主体の第一の行動基準であり、近代人はそれを賭け金とすることで、「個人の自由」あるいは「主体の自律性」の実現可能性を得た。しかし同時にそれは、「生産性」に応じて最大の利益を得るプロセスを約束する枠組みでもあり、社会の資本による合理的な支配とその滑らかな運用の基盤となる概念であった。この「個人の自律」の功罪こそが追求されるべき大きな問題だったのであり、だからこそ「理性」は資本制に対抗する政治的・文化的・社会的闘争の場となる主要なサブジェクトだった。ここでの当時の知識人たちの闘争は1960年代に頂点に達することとなるのだが、その後出現するのは、カストリアディスが「順応主義」と定義したもの、すなわち政治的な問題の理解の拒否・無関心という姿勢である。資本主義的な合理性に対する体系的な批判が息を潜め、代議制民主主義が消極的に受容され、「多元論」と「差異の尊重」に重きを置かれるようになった時代。まさにぼくらが生きてきた時代だ。

カストリアディスが近代的な主体の基盤として位置づけた個人の主体における自律性(autonomy)と、たとえばマイケル・ハートとアントニオ・ネグリの『帝国』*6 において言及されるアウトノミア(autonomia)は区別されなければならない。というのも、ネグリのいう自律性-アウトノミアの由来は1970年代のイタリア知識人活動家たちの一連の運動において構想された自律性の概念に限定されているからだ。後者のアウトノミア運動の原型となった1960年代のオペライズモの構想における自律性が、本書でアウレーリが再検討するものである。

ローマの哲学者で政治思想家のマリオ・トロンティが徹底して理論的に説明したように、オペライズモの中心的命題は、労働者の、たとえばストライキの行使など、仕事をしないという抵抗の戦略によって資本が発展するのでありその他の方法によってではない、という主張からなる。(……)その運動をオペライズモと呼ぶのは、この理論の中心となる原理は、生産システムという科学的客体ではなく、労働者(オペライズモ)という政治的主体だからだ。はじめに明らかにしなければいけないのは、アウトノミアとして知られている運動がオペライズモを由来としているにもかかわらず、双方は交換不可能ということである。この二つの運動の根本的な違いは、オペライズモは政治と権力という共産主義的な展望において展開した一方で、アウトノミアは徹底して反共産主義の立場をとったことである。*7

ロッシはグラムシに共感していたりと共産主義的な展望を持っていた人なので、オペライズモの議論とは接続しうる一方で、ネグリをはじめとするアウトノミア運動のイデオロギーとはむしろ対立する立場にあった。この点には注意しよう。

ここまでの議論で、アウレーリは3つの「自律性」を提示し、それらを差異を正確に読み取る必要があることを強調している。1つ目は近代社会が目指した自律性であり、それは個人の主体性を約束するものであった一方で、コインの裏側にはあったのは、政治的主体を生産-流通-消費の網の目に絡みとることで資本の支配下におくという権力構造=生権力であった。つまり、一見すると「主体の自律」を実現したようにみえる近代のイデオロギーは、翻っては個人を他律的な主体へと落とし込んでいた、と*8。この近代的な主体性はヘーゲル的な伝統から受け継がれた主体概念といってもいい。2つ目はオペライズモで議論された自律性であり、ここでの自律性はいま述べた生権力(人々の生に働きかけ介入しようとする近代産業社会の権力構造)への対抗手段として理論化されたもので、そこでは「労働の拒否」に代表されるような、労働者側が行使しうる力が示された。

そして3つ目がアウトノミア運動で展開した自律性である。「私はここで、オペライズモのもっとも正統で重要な理論は、政治的なものの自律性についてのトロンティの考えであると断言したい。それはようするに、オペライズモが労働者階級の伝統において政治的権限の自律した領域を発見した*9、一方で、「アウトノミアは資本を主な標的として、資本に対して闘争したのではない。彼らは、高度に進んだ資本制の軌跡における社会的、文化的な時代遅れの象徴として左翼機関、たとえば共産党、社会党などを狡猾に攻撃したのだ*10。この移行によってアウトノミスタたちは想像力に富んだ既存の概念の「読み替え」をおこなうことになる。たとえば彼らは、労働が工業労働から非物質労働へ移行したことに着目し、既存の「労働者」というくくりを「ソーシャル・ワーカー」(工業労働のみならず、介護労働などの非物質的労働、さらには知的な労働を統合した労働者像)として位置づけ直した。資本の支配は全社会化しており、もはや工場労働者だけではなくあらゆる人間が資本の利潤追求に搾取されている、と。さらにその概念は1990年以降、グローバル化する社会情勢をたくみに取り入れることで「マルチチュード」(超国家的な資本制の支配=「帝国」に対抗するネットワーク状の権力をもった集団的主体)となる。
アウレーリは1990年以降のアウトノミストたちの議論には懐疑的である。というのもネグリとハートは「マルチチュード」と彼らが呼ぶ政治的主体が資本制にたいして「行動を起こす」さいのモチベーションを、生産する衝動、その欲望のサイエンスによって説明するのだけど、しかし、欲望の喚起は往々にして資本制の本質的構造(生産する欲望の刺激→新たな生産条件の創造→技術的発展のコントロール)によるものだからだ。結局のところ、自律性という概念はアウトノミスタ自身によって他律性に変換されてしまったのだ、とアウレーリは主張する。

労働者は、今度はーー彼らは資本制の側に搾取されて賃金労働者に変換させられ、したがって単に自分たちの生産物だけではなく、生産に対する特権、つまり生産するかどうかの決定権を奪われた集団的主体であるがーー想像上の「マルチチュード」となったのだ。*11

ソーシャル・ワーカーからマルチチュードへ、いわば段階的に「労働者の定義を仮想的に拡大」したのがネグリらによるアウトノミア運動だったとすれば、それによってオペライズモから引き継いだはずの自律性の概念は致死的な変形を被ることとなった。

■ もうひとつの「アウトノミア運動」の仮構

これに対するアウレーリの方針は明快だ。それは1960年代のオペライズモまで議論を遡及し、そこでの議論をネグリをはじめとした政治分野でのアウトノミア運動(それは1979年に「失敗」することになる)に接続するのではなく、建築家であるアルド・ロッシに直接接続すること、である。彼は本書で、1970年代以降のネグリたちによるアウトノミア運動を特権化するのではなく、その原点となった1960年代までのオペライズモの議論を精密に分析し、それがどういった仕方で建築や都市研究の分野に流れ込んでいったかを指摘することで、アルド・ロッシとアルキズームを中心とした「オルタナティヴなアウトノミア運動」を仮構する。そして最終的には、ロッシを媒介として現代のわれわれへとオペライスタの議論を流し込むことで、「プロジェクト・アウトノミアーー自律性の企図」を現代的なコンテクストで「再開」することが目指される。換言すれば、ネグリの『帝国』に代表されるような、ネオリベラルなグローバル化の直撃ーー地球規模で人々が際限なく接続していくという社会像ーーを受けて変容した「自律性」という概念をいったん巻き戻し、それをふたたび「切断」(「ひきこもりよ、団結せよ!」)という文脈で語り直すことで「ものをつくる」理論として構築しなおすこと、といえるだろう。

建築と都市論におけるロッシの自律性の理念は、トロンティが政治において取り組んだ自治の理念とおもしろいほどに類似していることがわかる。資本制が都市計画学の技術的合理性を完全に吸収していく状況にもかかわらず、ロッシは都市を理論的に再考するためのもっとも重要な分野として、建築、すなわち計画学を媒介しない建築に特権を与えようとした。*12

ロッシとトロンティが「おもしろいほど似ている」というところに、アウレーリの独自性が現れている。建築分野における自律性の構想は、ヴェネツィア(ロッシとアイモニーノ)とフィレンツェ(アルキズームとスーペルストゥディオ)というふたつの地域で展開することになるのだけど、このブログでは便宜上ロッシの側だけをあつかうことになるだろう。ここでおさえておきたいのは、彼らがともに単純な「反資本主義」ではないということだ。

これから示すように、このふたつのタイプの自律性の企図は、一方は政治に応用され、また一方は都市に応用されたが、資本制文化とブルジョワの歴史そのものを破壊しようとするものではなく、それどころか反対にそれらを深く分析し、手段として利用するものだった。自律性の企図は、無からの政治性と詩学の創造物ではなく、資本が支配している状況のオルタナティヴを構築するために、政治的領域を奪い取ろうとする大胆な取組みである。*13

オペライズモと連続するロッシらの「自律性のプロジェクト」は、いわば既存の近代都市をその内部から変質させる“ウイルス”のようなものだ。先に、近代的な自律性はヘーゲル的な個人の主体概念に端を発するものだということを述べたけれど、ロッシが「類推」によってヘーゲル的な弁証法を*14、そして「類型」によって既存の都市構造を、否定するのではなく「利用」して読み替えようとしていたということには、深く共感する。

ぼくが本書を読んで率直に感じたことを簡単にまとめよう。それはアウレーリが、1970年以降の、ともすれば暴力を行使した革命運動に接続してしまうような過激な左翼運動を断固として肯定しない立場をとっているように思えたことだ。本書では、確定しているようにみえる歴史観を一旦ほぐし、実行に移すというよりは徹底して理論的・思弁的に「自律性」の概念を練っていた60年代の議論に時間を巻き戻すことが試みられる。それが目指すところは、グラムシよろしく「知性による慎重さ」*15 を忘れずに、「暴動」という手段とは全く異なる「知的な仕方での行動」を準備することだ。ここで、イタリア国内で「アウトノミア運動」というと、一般的にはかなり否定的な感情があるということを押さえておこう。それはぼくらが1968年の学生運動やその後の連合赤軍などのテロ活動なんかを耳にしたときに「やだなぁ」とおもう感情とそう遠いものでもないだろう。行き過ぎた左翼運動が残したネガティブなイメージは、たとえばその痕跡が、いま20代であるぼくの思考や経験にも刻まれているくらい強力なものだ。対してアウレーリが念頭に置いているのは、おそらく当時の建築学生などが行っていた「社会センター(centro sociale)運動」だと思う。例えば1970年代の若者が古びた工場や未使用の公的建造物といった社会的な「空白」に目をつけて何をしたのかというと、「映画上映、インフォメーション・サービス、本屋、フリーショップ、護身のレッスン、カフェ、バー、ギグのスペース、言語学習の授業、移民・庇護申請者・難民への支援、世界中からの連帯商品(パレスチナのオリーブオイルやサパティスタの自治村からのコーヒー)、福祉・慈善サービス、無料でのコンピュータへのアクセスと「ハッカースペース」、図書館や読書グループ、政治的集会・議論・行動計画・話し合い」の、「自発的な運営」であった*16。彼らが目指したのは大文字の「革命」ではなく、もっと身近な、力なき人々のための運動だったわけだ。そこでは社会関係の再形成が摸索され、彼らは事実そう行動し、場所をみつけ、協同したのだ。アウレーリは後者こそを、「アウトノミア運動」の本当の可能性として位置づけなおそうとしているのだと思う。

議論をまとめよう。アウレーリがここで示した自律性は以下の3点である。

A: 近代的な主体概念における自律性

B: トロンティら60年代のオペライズモにおける自律性

C: 70年以降のネグリらによる自律性

いっぱんにこれらは、A→B→Cという通時的なシナリオで理解されている。そしてこれは現代のぼくらの政治への無関心さ、日和見主義へと連続するシナリオである。しかしアウレーリはここに以下の観点を付け加えた。

C': ロッシをはじめとした、オペライズモを引き受けた建築家が実践した自律性

アウレーリは、A→B→C'という別のシナリオを我々に提示するのだ。

 

ii ). オペライズモの構想

■ 新資本制(ネオ・カピタリズモ)に抗して

1960年代イタリアの、とくに政治グループにとっての重大な課題は、まず労働者階級運動の内部から厳格な理論的アプローチを再構築することだった。このように理論を求めた結果として、自律性のテーマが最初に現れた。そして、労働者が資本主義だけでなく、共産党のような反資本主義組織からも自律することが議論された。*17

このような自律性の議論は、フランスの『社会主義か野蛮か』(1949-65)とイタリアの『クァーデルニ・ロッシ』(1961-65)というふたつの政治誌において理論的に論議された。そして後者の『クァーデルニ・ロッシ』誌の周囲にあつまった政治活動家と知識人たちが、後にオペライスタ(労働者主義)と呼ばれるグループを形成することになる。

『クァーデルニ・ロッシ』の周囲に集まった人々は、マルクス-レーニン主義の遺産を拒否するのではなく、むしろその遺産をそっくり取り入れて、自由民主主義は第二次大戦後のヨーロッパ資本主義国家に押しつけられたという今日的な視座によって、スターリン主義の崩壊と伝統的な労働組織の順応主義を対立させたのだ。いいかえるとイタリアの活動家は、自由主義が提示する解放という名のもとで共産主義を放棄する代わりに、共産主義の原典、すなわち『共産党宣言』をより分析的に、厳格に、政治的に徹底させ、また知的に洗練させて解釈する方法を選んだ。*18

ここで日本人であるぼくらが念頭におくべきは、戦前のイタリアにおいてイタリア共産党がムッソリーニ率いるファシスト政権に熾烈な弾圧を受けていたことであり(グラムシが逮捕されたりと)、戦後になるとファシズムへの反感から、翻ってはイタリア共産党が国民の広い支持を集めていたことだ。おなじ敗戦国とはいえ日本の文脈とは大きく異なる部分だし、これを前提としなければオペライスタたちの、ひいてはロッシをはじめとした当時のイタリアの若手建築家たちのモチベーションを理解できないだろう。そのうえで、オペライスタたちが最初に目指したのは職工たちの自律性を再び確立することだったことを理解しよう。アウレーリによれば、職工の自律性の再定義するうえで彼らがとった方法論を理解するうえで重要なのは「労働者階級」という言葉の意味を明確にすることだという。

労働者階級について語ることは、「生活労働者」、つまり労働と交換に賃金を受け取る物質財と非物質財の生産者の集合体について語ることである。この労働による成果はただちに労働における資本制の側に搾取され、商品という形で流通のなかに組み込まれる。正統マルクス派の経済理論によると、工業生産はそのものに論理があり、社会はその論理によって急速に発展する。循環と流通のシステムが無秩序なシステムは、資本が利益を生み出す要因であり、そのシステムによって資本が労働者より優位になるのだ。オペライズモは、この正統マルクス主義の考え、すなわち一方の生産と、他方の循環と流通という二者の間に矛盾があるという考えに反対した。オペライスタにとって、生産システムそのものはーーその継続的な技術的発展と、労働におけるシステムが複雑になり刷新されることによってーー資本が労働者階級を支配する権力の根源だった。このことを理由として、オペライスタは循環、流通、消費というシステムの影響によって理解される資本制の分析から、システムのもっとも深い権力、すなわち「生産を支配する権力」について、資本制を構造的に広く分析するように注意させる。*19

本書の極めて重要な記述のひとつである。生産システムそのものではなく、循環と流通のシステムに問題を見出す正統マルクス主義の考えに対して、オペライスタは具体化された生産システム内部に潜む政治的権力、すなわち「労働者=生産システムの構成材」を組織するヒエラルキーにこそ問題を見出す。

このように労働者階級が再定義された背景には、競争という慣習にもとづく資本制度からオペライスタがネオ・カピタリズモ(新資本主義)と呼ぶ主張、すなわち第二次世界大戦後の高度成長によって成立した独裁的で独占的な統制が一目瞭然であり、より組織的に拡散していく資本制への移行があった。この移行のキーフレーズは経済計画である。1960年代のイタリア、そしてヨーロッパ全体で行われたことは、1930年代にアメリカで起きたことであり。つまり生産システムはより効率的に組織されたのだ。これは工場を超えて社会全体へ、さらに一般的に拡大し普及したことを意味する。1960年代に、新資本主義は蓄積という資本制のシステムと、福祉国家のプログラムを有機的に結びつけた。*20

1930年代のアメリカでは恐慌、そしてニューディール政策を経て、資本制のシステムと福祉国家のシステムが融合することになるが、その動きはその後、地球規模で拡大することになる。技術発展第一主義の考え方と福祉国家的な「人間至上主義」が合流することにより、社会総体がひとつの生産システムとへ、ひとつの工場へと成り代わっていった。こうした新資本制を背景として、政治分野の研究者たちによるオペライズモが成立するわけだけど、当時の他の知識人グループの動きはそれと完全にパラレルであった。

文学分野の「グルッポ ‘63」のような知識人グループと建築分野のアルド・ロッシの周囲にグループは、新しい政治的主体性という理念を中心として結成され、彼らは生成(ポイエーシス)の行為としてこの理念をすぐに検証した。彼らが政治的にも文化的にも、新資本主義という背景から自律しようとして共同で確立した詩学は、その背景に対抗する手段として明示的に構想されたものである。*21

ロッシやウンベルト・エーコ、フォルティーニをはじめとした当時30代そこそこの建築家や前衛芸術家、作家、詩人、音楽家たちは小さな共同体を組織し、政治意識-世界観の基盤をそこで培った。それは圧力団体でも政治的なロビー活動をする団体でもなく、文化的・倫理的に豊かな生活な場となる共同体であり、多数の実践(プラクティス)が合流する制作(ポイエーシス)の場となった。彼らは「制作する共同体」、すなわち何かものを作り表現するという場を通して、当時の新たに切迫した政治状況に対抗したのである。この「制作する共同体」においても、そしてオペライズモにとっても、ものをつくること、すなわち「生産すること」こそが、つねに議論の主題であった。

 ■ パンツィエーリからトロンティへ、その理論の継承と展開

生権力と技術の発展による資本の支配権拡大という今日的な生産批評をおこなうときにキーパーソンとなるのが、1965年に43歳という若さで他界したラニェーロ・パンツィエーリである。マルクスの著作の革新的な解釈者であった彼は、前述した正統マルクス主義の欠陥を指摘した当の人物であり、資本制を厳密に分析することでオペライズモの理論的基盤を形成した。

パンツィエーリによると、正統マルクス主義は商品の生産プロセスをその商品の評価プロセスから誤って引き離してしまったのである。前者のプロセスは「市民権を与えられ」「生産力の発展」として楽観的に信じられて描かれた。他方で価値の生産は、蓄積に傾きがちな資本の機能として考えられた。このことを理由に、正統マルクス主義とーー実にほとんどのマルクス主義の理論と哲学はーー生産のモーメントを見逃し、循環、流通と消費の方法を批評しがちであった。*22

パンツィエーリが労働者の主観性を再評価した理論的背景にあったのは、資本制下の労働状況が変化する局面に対応して『共産党宣言』のマルクスとエンゲルスの議論を覆すというアイデアであった。

マルクスとエンゲルスは、個々の労働者たちは次第に機械の付属物となっていくことで労働への意欲を失うだろうと主張した。パンツィエーリはその主張に反対して、技術が絶えず発展することによって機械は全面的なオートメーション化へと向かい。情報は労働者のためにさらにやりがいとなる動機をつくりだす、という現代的なシナリオで対抗した。*23

終わりのない技術発展のなかで、資本制は絶えず新しい機械を導入し、それによってもたらされた新基軸のファクターが新たな価値と「やりがい」を生み出す。その無限ループのなかで、労働者は「ほどほどに幸せ」な状態を維持されつつ、資本制のシステムに組み込まれることになる。そこで生み出される剰余価値は労働者が安定した生活を送るには十分なものであり、同時に情報技術の発展によって、労働者は労働そのものに意欲を見いだせずとも、余暇において十分な歓びを甘受することができるだろう。高度に発展した資本制においては循環-流通-消費がきわめて複雑な不可視のシステムとなるため、こうなってしまうと従来の共産主義者たちの理論ではまったく立ち行かなくなる、と *24。パンツィエーリがここで展開している議論は、たとえば同じく60年代にマクルーハンが展開したメディア批判と完全にパラレルだったんだなと思う。

この剰余価値の抽出、すなわち利潤の抽出は、資本制を革新するための基本的な機動力だった。(……)パンツィエーリによると、この活動的な状態を維持するために、資本制は突然、飛躍的に前進することによってそういった継続性を定着させなければならなかった。そして資本制は、このような突発的な技術的跳躍をふたつの方法で世界に投影した。一方は生産レヴェルにおける労働条件の改善であり、他方は消費レヴェルにおける商品改良である。 パンツィエーリは、資本制的生産力が発展するときのこの「弁明的な」性質を批評することによって、労働者が資本から自律する可能性を明確に示した。彼は、資本制がとどまることのない技術革新によって新規の仕事、新しいスキル、新しい専門知識を継続的に生みだすようなイデオロギーの状況に注意を向けた。*25

もちろん本当に革新的な技術革新もあるわけだけど、往々にして新製品における「発明」というのは単なる語義上の、あるいはパフォーマティブなものだったりする(ちょっとしたデザイン変更とか)。でもそれは、消費者が新しい製品を買うための「動機」にはなっているわけだ。iPhoneを2年ごとに書い直す感じとか、まさに…と思ったりする*26。「新技術」あるいは「新製品の発表」により、新しい労働・商品と古い労働・商品が切り分けられ、それがたとえ錯覚に過ぎないとしても、古いものは事実として急激に価値を失い、同時に購買意欲の刺激と多分野に渡る労働条件の改変が起こり、それによって資本が循環する運動エネルギーが絶えず生み出される。先に述べたように、オペライスタはパンツィエーリのこの資本制への分析を下敷きにして、生産システムそのものを問いの対象とすることとなる。

オペライスタの自律性の企図全体を基礎にしたこの問いを明らかにし、政治的に、しかし社会学的ではない解明法で答えることが取り組むべきことそのものだった。パンツィエーリにとって、資本制がより広い範囲で経済的に社会を統合する状況において、自律性は技術的発展を解明すること、そして労働者が政治性によってこの発展をコントロールすることを意味する。このことは、生産と消費を分離できないひとつのプロセスとして理解する必要性を示唆する。(……)それでは、工場における機械の根本的な役割とはなんであろうか? パンツィエーリにとって、それはプロセスの最終段階で資本制的生産の実際の剰余価値に相当するもの、すなわち労働者の協業を占有することである。労働者はもともとは個の集合体であるが、ひとたび協業的なグループに転換すると資本制の側が無償で利用できる生産力となる。(……)パンツィエーリは、このシナリオに労働者が資本制度を破壊する究極の行為を「労働者による統制」と名づけて提案した。それは、彼らが社会レヴェルの制度改革で圧力をかけるように導くのではなく、それに対して政治的な潜勢力を民主的に遂行するという能力である。*27

パンツィエーリの視座によれば、生産とは単なる有形財の生産を指すのではなく、労働力を生産的にさせるために必要な社会関係の組織で成り立っている。パンツィエーリは隻眼であったが、同時に早逝であった。彼はこのような明晰な分析にも関わらず、労働者が民主的な仕方で行動し社会を統制すべきという、上の引用部の最後でアウレーリが指摘しているような“曖昧な提唱”から先に進めなかったのだ。ひいてはオペライスタたちの次なる課題は、パンツィエーリのパースペクティヴを前提として、「労働者による統制」に関する実行可能な政治的主張を組み立てることだった。この組み立て、理論形成の直接的な材料となったのは、1960年代のはじめにかけて工業都市トリノに大量に押し寄せたイタリア南部からの移民であった。

彼らはこれまでの熟練労働者よりもずっと疎外された立場にあり、したがって仕事に対して無関心といわないまでも反抗的だった。新たに出現した労働者は、単に仕事を嫌うのではなく憎んでいた。彼らは工場に対してまったく日和見的に依存していて、従来の労働者にあった倫理観や生産に対する責任感に欠いていた。*28

彼らは、従来の労働に誇りをもつ「熟練労働者」に代わる新しいタイプの労働者であった。すごく現代的な問題だなと思う。これまでもそうだったけれど、ぼくはこの本を半世紀前のイタリアの出来事だと傍観者的に読むのではなく、極力現代のぼくらの問題と接続しながら読むことを心がけていた。学的には誤読かもしれないのだけど、でもその危険を犯す価値はあるし、実際にそれは可能だと思う。「働きたくないでござる」という感情の背景には、時代や地域を越境してそれを成立させるための生産システムにおける構造的な問題があるに違いない、と。

特筆すべきは、仕事に対する労働者たちの嫌悪感は、資本制がさらに高度な生産システムを目指して発展した直接の結果であることだ。新しい大衆労働者は、無教養で異端人種の出現としてオペライスタたちに称揚され、資本制の社会組織のもっとも高次のレヴェルの労働者階級運動に関して、革命的な新しい展望の可能性を切り開くだろうと考えられた。*29

彼らを「待ってました!」と言わんばかりに歓迎するあたり、オペライスタやべーなという感じがする(すごくおもしろい)。パンツィエーリの視座をさらに推し進め、この新しいタイプのプロレタリアートの出現に可能性を見出すことで具体的な理論を彫琢した人物こそ、マリオ・トロンティである。彼はトリノで「新しいタイプの労働者」が起こした闘争を受けて、十分に発達した資本制はある意味で、ブルジョア階級そのものよりもプロレタリアートにずっと有益なのだということを主張した。

トロンティが提唱していたことは、労働者を民主的に動員するという曖昧な考えによって資本制的発展に対して異議を唱えることではなく、資本制的発展そのものの「内部から対抗する」労働者の政治的潜勢力である。パンツィエーリがすでに主張していたが、資本の進歩は労働者から剰余を搾取する必要性と結びつき、その搾取は労働者が反抗する可能性を抑えこむことで実行された。トロンティはこの前提を否定するのではなく、労働者の視点からその前提を徹底して引き受けることによってこの分析を超える必要性を唱えた。この考え方は、ある階級が資本と間断なく闘争することによって、資本を発展させる能力のなかに自らの権力を認識するという見通しを表している。資本制が進歩するほど、労働者階級の攻撃能力はいっそう高まる。*30

資本制が高度に発達すればするほど、労働者側の攻撃力、すなわちブルジョアジーとの「交渉能力」は高まっていく(トロンティは徹底してポジティブだ)。その力はいわば、ぼくらの生活の隅々まで及ぶ生産-循環-消費のネットワークを部分的に切断する能力、ともいえるだろう。例えば効果的なストライキには資本のサイクルに決定的な風穴を開ける力があるが(つまり傍から見るとめちゃくちゃ「迷惑」なものたりうるが)、しかしそれは決して単に社会秩序を阻害するものではない。というのもストライキによる労働環境の改善や賃金底上げは労働者の所得改善につながるわけで、それによる消費行動の拡大、ひいてはデフレの脱却など、むしろ経済発展のプラスとなる側面も考えられるからだ。資本制と労働者の間の「適正な闘争関係」は、むしろ資本制をベースにした既存の社会環境の健全さの基盤となる。トロンティが、資本制に代わる新たな政治体制を導入しようとしたこれまでの共産主義者とはまったく異なる政治思想をもっていたということがここでわかるだろう。彼はあくまでの既存の資本制を否定せず、その内部で、労働者の自律性を理論化しようとしていた。これは無論、ロッシにも完全に引き継がれている態度である。そしてこれは、現代に生きるぼくらにも多分に響くものだと思う。なぜならぼくらはiPhoneはつかうし、コンビニにはお世話になっているし、コーラはおいしく飲んじゃうのであり、つまるところ簡単に資本制を否定することなどできないからだ。大切なのは消費社会にどっぷり浸かりながらも、しかしその内部で何ができるのかを考えることだろう。

トロンティは、こうして資本の権力のおもな原理は「生きる労働」(労働者の協業、価値をつくる生産力)を「死んだ労働」(価値そのもの)と合成する能力であると考えた。(……)したがって、労働者の自律とは「究極的には相反するふたつのプロセスとして、ひとつのプロセスをもう一方に対置するまでに」、労働のプロセス(労働者自身)と価値の形成プロセス(資本)を区別することの実現可能性である。このことは、資本が自らの価値を創造する積極的なプロセスに対抗して、労働者自らの価値をつくりだす消極的なプロセスを意味する。労働者の消極的プロセスとは、非労働的であろうとする意志、仕事を拒否する労働者の意志であり、すなわち「資本の制度の核心に位置しながら資本性を解体する具体的な手段」であろうとする意志である。*31 

トロンティは生産システム(労働力を生産的にさせるために必要な社会関係の組織)にこそ目を向けるべきだというというパンツィエーリの視座を引き継ぎ*32、さらにそこに一捻り加え、工場の概念が無限に拡大するというシナリオを提唱した。社会のあらゆる関係が生産-流通-消費のサイクルに組み込まれ「工場化」している、というアルキズームのノー・ストップ・シティへと引き継がれる概念だ。このような状況がさらに進展していけば、人間的な生は必ずどこかで疎外されることになる、とトロンティは確信していたのだろう。では対抗策は? 手持ちの武器はなんだろう?
ここで提唱されるのが自律性の概念であり、トロンティは1970年代のアウトノミア運動の原典となった書籍『労働者と資本』(1966)において、そのもっとも過激な結論にたどりつく。それは「労働者階級は権力を奪取するために資本を拒否するのではなく、資本のもっとも本質的な前提である労働そのものを拒否すべきである*33 という結論だ。資本制の目的はより少ない原料からより多くの商品を生産することであり、そこではつねに「労働時間を延長しながら、労働者数を縮小することにつねに取り組むという戦略*34 がとられる。これに対抗するには、「労働者たちはより多くのもの、より多くの金のためにより少ないもの、すなわち、より少ない労働を提供することを目的とすべきである*35 とトロンティは考えた。そして彼はそれを、労働者と資本の間の制度化された関係性を改善するための一種の「交渉術」として位置づける。労働者が「労働の拒否」によって企業の私的所有を切り崩し、自らの力でそれを再分配するよう動くこと。

資本の価値創造のプロセスの前提として労働者階級が必要であり、そたがってそれは資本の究極の脅威であるという考えである。この概念において、労働者階級の政治的な目的は、単純に労働の拒否となった。(……)労働者が拒否するときに、すなわち資本になること、単なる労働力になるような企図に彼らが消極的、非協力的であるときに、資本制的発展からの政治的開解放と徹底した自律性の隠れた核心部分が現れると[トロンティは]考えた。*36

工業社会からポスト工業社会へ移行する激動期にあって必要だったのは、より少ない労働に対してより多くの給料を支払うよう求め、組織のボスに対してノーと返答する勇気であり、つまりは順応と改善ではなく拒否と自律性によって、圧力からの解放と実行の権限を獲得するという戦略であった。 

■ 「否定的思考」の批判的実践

1970年以降、オペライズモの影響を受けて展開したアウトノミア運動において、拒否と自律性という戦略は文字通り採用されることになるが、アントニオ・ネグリの影響もあり、自律性の企図は拒否そのものを目的化して実行される個人主義的な破壊行為へと変容していった。しかしながらトロンティにとって「拒否という戦略は労働からのアナーキーな逃避ではなく、戦略の唯一の手段*37 であったのであり、手段と目的の混同はきわめて危険なことだった。同時にトロンティが意図していたのは、既存の文化的・政治的基盤を徹底して“利用”することであったことも忘れてはならない。

偉大なブルジョア思想家たちがブルジョア階級と資本制との関係において発見したこと、すなわち経済システム内部にある危機、つまり恐慌の役割と、そういった消極性を自己再生産する原動力に体系的に変えていくことによって、厳格で目的論的な近代政治の基盤を崩壊させる資本制の潜在能力を構想することは必然だった。(……)労働者たちに、毛沢東の小さな赤本の代わりにムージルの偉大なブルジョア小説を読ませよう、とトロンティは提案した。いいかえると、ブルジョア階級が貴族社会を倒すために用いた武器そのもの、すなわち資本が支配するための究極の方法である否定の概念を今度は労働者たちに利用させよう、ということである。*38

資本主義革命でブルジョアジーが貴族社会を打倒したのと「同じ方法」で、今度は労働者がブルジョアジーに対抗するのだ。ここはすごく重要な箇所で、というのもトロンティのこうした思想が流れ込んでいたと考えると、ロッシが、フランス革命前後の新古典主義の建築言語を積極的に用いた態度をよく理解できるからだ。ロジェような還元主義で、ブーレーのように単純幾何学(プライマリー・フォーム)を用い、デュランのように類型を重視する態度。これについてはまた後ほど触れるとして、トロンティの理論を実践に落とし込もうとしたときに最も重要な文献となるのは、マッシモ・カッチャーリの『否定的思考の起源について』(1969)であるという。

否定的思考は、カッチャーリが後期資本主義の思考形式として理解したように、究極的にはショーペンハウアー、キルケゴールとニーチェの哲学に由来する。それはふたつの否定を起源とする。ひとつは、世界に自我、個人の感性を解放し、主観を投影すると理解されるロマン主義による、十七世紀以来の古典主義、理性偏重の合理主義の否定である。そしてもうひとつは、歴史の内在的側面にある矛盾を解決して対立者を完全に統合すると理解される弁証法による、(矛盾あるいは否定)の否定である。ロマン主義が矛盾と考えられていた言葉や行為などを錯覚させて称賛し、それらを個人の自律性として舞台にあげた一方で、弁証法は矛盾と止揚のプロセスを手段として、否定の行為を肯定的なものとして回復することの表明である。(……)カッチャーリによると、否定的思考は内部から弁証法にいど挑み、ブルジョワ的資本主義の不朽の権力を左右する構造そのものに対して挑む企てだった。*39

否定的思考の内実は「ロマン主義」と「弁証法」にある。カッチャーリとトロンティは、この近代における最大の武器であるふたつの思考方法(ロマン主義+弁証法)を慎重に取り入れることを主張した。政治的なものの自律性は、否定的思考を素朴に称揚するのでも否定するのでもなく(ネオリベラリズムでもなくニヒリズムでもなく)、それを批判的に実践することで現実のものとなるのだ。ここは超重要で、目指されるのはいわばオルタナティヴ・モダンなのである。

またカッチャーリは「群島(アーキペラゴ)」という言葉も使うのだけど(これは磯崎さん経由で日本にも紹介されている*40)、これはおそらくオズワルド・マティアス・ウンガース譲りのものであり、アウレーリのもうひとつの主著『絶対建築の可能性 』(The Possibility of an Absolut Architecture, MIT Press, 2011)の骨子となっている概念だ。参考までに、『絶対建築の可能性 』の拙訳の一部を以下に示そう。

この分離された部分というアイデアは、絶対建築の可能性と、都市に向かう形式としての「群島(アーキペラゴ)」のアイデアを繋ぎ合わせる。群島とはつまるところ、部分(=島)が併置される共通の場において、それらが分離されつつも一体となっている状態を表している。統合装置としての都市化とは対照的に、群島は「部分=島」の間断なき闘争として都市を記述する。このとき島の形態は有限であるが、まさにこの有限性によって、島同士の、あるいはそれらを枠付けて境界を定める海との間の対比的な関係がもたらされるのだ。群島の島々が描きだすのは、海(=都市化)によっていよいよ支配された場の只中にある建築形態の役割である。島(=建築)は海(=都市化)という枠組みに大きな影響を受けるが、一方で外形を規定しているその境界には、枠組みを決定する主体としての島々を理解する可能性と、一定の範囲で島々の間の海を(再)定義する余地が残されている。*41

オペライズモの「自律性」という概念をアウレーリがしっかりと引き継いでいるということがよく分かる。また、彼は〈群島〉というアイデアを基盤として、「島派」の建築家と「海派」の建築家を明確に分別して考えているようだ。前者は“Absolute Architecture”を志向するパラーディオやブーレー、ウンガース、ピラネージ等が位置づけられる。一方後者は“Architecture without Quality”と彼が形容する建築を志向する一派であり、ブルネレスキ、J. N. L デュラン、セドリック・プライス、ヒルベルザイマー等が位置づけられる。「Absolute Architecture / Architecture without Quality」という対概念は非常に興味深いが(簡単にいえば前者がオブジェクト派で後者がシステム派といったところだろうか)、これはあくまで権利的なカテゴリーであり、事実として建設される建物はどちらの特徴も少なからずあわせ持つことに注意しよう。どちらか一方の特徴だけで成立するのはアンビルドのドローイングだけである(現にアウレーリの挙げる例にはアンビルドの建築家が多い)。たとえば「Absolute Architecture / Architecture without Quality」という対概念の、どちらの特徴もよくあわせもつ建築家の代表はミース・ファン・デル・ローエであり、この点がミースの建築のもつ圧倒的な面白さにつながっている。レム・コールハースの試みも同様だ。この都市化に対する建築家の二極の志向を把握することではじめて、アウレーリが〈群島〉という言葉で表現しようとしている内容を理解することができる*42 。〈群島〉という単語は本書でもところどころ出てくるので、注視して読んでみたいところだ。

と、ここまでくるとエリー・デューリングとアウレーリの連続性を指摘せずにはいられない。両者ともぼく自身の理論形成の基盤になっているので、勝手につなげて読んでしまっているところはあると思うのだが、これについてはずいぶん前からどこかで書いておきたかった。たとえば直接的に連続するのは上記のロマン主義批判という文脈だろう(ここでの“批判”は「吟味する」という意味でとってほしい)。簡単に紹介すれば、デューリングは有限の「作品」と無限の「観念」という二項のうち後者を特権化するロマン主義に対して、その中間領域に「プロトタイプ」という概念を位置づける*43。彼は芸術作品の制作において、作品という有限の形態への無限の降下=崇高の美学(メジャーなロマン主義)と、終わりのないプロセスとしての「開かれた作品」(マイナーなロマン主義)という2つのロマン主義を指摘しているが、他方で、彼がプロジェクトとオブジェのあいだに位置付ける「プロトタイプ」は単なるプロセスの中断であり、切断面として切り出される仮設の形態のことを指す(ロマン主義の「有限化」あるいは「中断」)。それは経験による「テスト」を受ける余地を残したオブジェのことであり、ゆえにその中断のなかには、次なるプロジェクトへの継続性や新たな生産体制を見出すことができるだろう。資本制や情報環境が徹底して要求するのは、身体の実空間での断片化と情報空間での連続性という相反する傾向である。こまぎれの身体と無限のプロセスのあいだにあるはずの、私の身体という「中途半端な大きさ」を今一度立ち上げ直すためにはどうすればいいのか、という問いこそが、デューリングの狙いのひとつにあると思う。これは実のところフラクタル(スケールフリー)な問題で、私の身体というスケールでも生じている問題だし、都市と建築というスケールでも生じている問題だと思うのだけど、ぼくのなかでは、前者の身体というスケールで論を展開しているのがデューリングであり(ここでは美学・哲学が問題となる)、後者の都市と建築という文脈で論を展開しているのがアウレーリ(ここでは政治性が問題となる)という認識。また両者の議論ではともに「生産」という概念の脱構築と再構成が非常に重要になってくるのだけど、その辺も含めて、アウレーリのいう「アーキペラゴ」や「自律性の企図」とデューリングの「プロトタイプ」は合流させながら読めるなあ、と思う。

大きく話が逸れてしまったので本題に戻ろう。トロンティにしろ、カッチャーリにしろ、重要なのはロマン主義や弁証法といった「否定的思考」を最大限「利用」すること、すなわちそれらを批判的に用いることで今度は資本主義そのものを変容させてしまおう、ということだった。既存の資本制とは異なる別の権力理論を構築するためのイデオロギー批判を放棄することで、彼らは断固たる態度で経済を引き受けたのであり、同時に経済発展を遂げた既存の都市を引き受けたのである。結果として彼らは、政治だけでなく、とりわけ建築と都市レベルでの文化に焦点をあわせたイデオロギー批判を重視することとなる。

以上のような認識を背景として、この時期には「赤いウィーン」で建設された巨大な公営住宅群が再評価されていた。「赤いウィーン」とは、第一次大戦後、ハプスブルク家に代わりオーストリア社会民主党がウィーン市議会で初めて与党となり民主的に統治をおこなった、1918年からヒトラーのオーストリア併合(1934年)までの同市の通称である。この時期には実に計6万5千戸を配する大規模な公営住宅(団地)が、街区を構成する形で建設された(この際、400以上もの設計事務所が建設に関わったとされる)。街区の内部は緑地化された中庭で、その多くが幼稚園や洗濯場などの公的サービス施設を備えていた。この時期のウィーンにとって、かつてのハプスブルク帝国の諸内国からウィーンに移住した労働者層に公共住宅を供給することが急務であったわけだけど、このとき建設された公営住宅は90年経った今でも現役であり、街の景観を形作っている*44

f:id:o_tkhr:20181014130707p:plain△左: Bebel-hof (1925-26). 設計はカール・マルクス・ホーフと同様のカール・エーン(Karl Ehn) / 右: 各々に中庭をとりつつ街区を構成する公営住宅群

ロッシ、アイモニーノ、パンツィエーリ、トロンティはこのウィーンの巨大住居地区を称揚していたが、これは同世代のO. M. ウンガース(1921-2007)も同様であり、このウンガースのパースペクティヴは1977年の共同プロジェクト*45 でレム・コールハースへと流れ込んでいる。ドイツ人のウンガースの頭には当然ベルリンの壁があったはずで、上述したように、ウンガースの「都市の中の都市」というアイデアについてアウレーリは『The Possibility of an Absolute Architecture』で詳しく検討している。ちなみにチャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』 (早川書房, 2011) はまさにこの辺の議論と接続しうるすごく面白いSF小説なので、興味がある方はぜひ読んでみてほしい。

f:id:o_tkhr:20181014044114p:plain△論考 “Die Wiener Superblocks”から抜粋したウンガースによる赤いウィーンの分析

 

[オットー・]バウアーと同胞たちは、(……)社会主義的な目的と民主主義的な合意のバランスをとること、現代政治用語で「第三の方法」と呼ばれる政策を主張した。こうしてオーストリア・マルクス主義者に対して、資本制の既存の都市構造に対抗する高度な現実政策が求められた。(……)まさに、赤いウィーンの非凡なことは、国家の経済プログラムを第一として改革することなく都市形態を変えようとした試みである。*46

タフーリはこの「経済政策と都市政策の分離」を「改革の失敗」として徹底して非難するのだけど、トロンティたちにとっては、この点こそが称揚に値するのであった。つまり、資本主義的体制の「内側」で社会主義的な自治領域を構築すること、つまり資本制の「例外」となる閉じた中庭空間を街に配することである。既存の都市構造を否定するのではなく利用して、「全体計画」なしに、離散的な「点=例外空間」をところどころに配置していくことで都市構造を改変しようとする試み。
これは個人的な考えだけど、社会主義的な体制を運用するには恐らく適切な空間の規模(サイズ)があって、ゆえに国家単位で社会主義化してしまうと、ことごとくうまくいかない。その点で赤いウィーンが面白いのは、反資本主義的な空間(たとえば物物交換だけで経済システムが成立していたり、金銭の取引なしに公的サービスが受けられるような社会主義的な空間)がひとつの街区の内側に囲われて成立していることであり、このシステムに対する空間のスケール・サイズ感が絶妙だったのではないかと思う。資本制が運用される都市の中で閉じた街区、閉じた自治領域をつくるときの「規模」への興味が、アウレーリには常にあると思う(理顕さんが『地域社会圏』で500人という単位に着目しているのも、同様の規模に対する問題意識があるからかと思う)。ここで対比されるのがルードヴィッヒ・ヒルベルザイマーだ。

このように、ウィーンの都市政治を経済計画から「分離」することは、ほぼ同時代にルードヴィッヒ・ヒルベルザイマーが『大都市建築』で提示したこととまったく反対である。ヒルベルザイマーは、単一の細胞から都市組織全体までエレメントごとにデザインする近代大都市を理論的に提唱した。タフーリは、都市が資本主義的に統合されるときに潜在している全体規模について明快に考察するためには、ヒルベルザイマーの提案が唯一の近代都市構想であると繰り返し主張した。ヒルベルザイマーのこのモデルと比較すると、タフーリには範囲を定めて建築的に確定した形で都市をデザインするような他の試みは、すべてロマンティックで時代遅れで、まさに「退行的なユートピア」のように見えた。*47

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△ Ludwig Hilberseimer,《Hochhausstadt》, 1924. / ヒルベルザイマーは、移動空間・オフィス・住居の徹底したスーパーインポーズとして都市化を描きだした。このとき建築は、都市の理想的なシステムにおける無限の反復へと置き換えられる(オブジェクトの危機)。

 

しかし、トロンティの評価は真逆といっていい。

タフーリがウィーンにおいて退行的なユートピアと見なしたものは、トロンティにとっては社会民主主義の市当局側の稀有な能力だった。すなわち、彼らは第一次世界大戦後のオーストリアの悲惨な経済・政治状況を利用して、ブルジョア都市の形態の内部から、それに対抗して社会主義都市を建設しはじめたのだ。(……)都市全体を計画するマスタープランの代替案としてのモニュメンタルな創成物で構成された群島は、最善の成果ーートロンティはその成果が政治的なものの自律性のマニュフェストになると考えていたーーを達成するための、単なる機転のきいた妥協を意味するのではなく、非常に高度な都市デザインの提案だった。資本主義都市の全体計画学に対する拒否として、その都市デザインはまさにその否定性、すなわちそれが弁証法的プロセスに還元できないこと、永続的な危機と対立の場をつくることによって、この提案のアプローチを取り入れた。赤いウィーンのモニュメントは、否定的思考が前提とする理論にしたがって、ようするに形づくることの意思を表現したのだ。*48

きわめて聡明であったタフーリに唯一欠けていたのは、スケールに対する認識だったのではないか。その点、ロッシやコールハースはスケールやサイズに関する極めてクリティカルな視点を持っていた。ある意味で建築家の仕事は、タフーリのような建築史家や理論家だったり、あるいはオペライズモのような他の領域での言説や理論を“引き継ぎ”、そこに寸法や構築のための補助線、結合部のアイデアを与える職能だと思うから、タフーリとロッシの間のこの認識の差異はある意味で健全なことなのかもしれない。

彼らの考えでは、都市の全体計画ではなく都市理論が資本主義的計画学のオルタナティヴを前進させる唯一の具体的手段だった。都市のなかのブルジョワ権力がシステムやプログラムよりも例外性と特異性によって形成されると、この例外性と特異性そのものは潜在的に労働者の自律した潜勢力を表象する形態になりえた。しかし、そういったアプローチは、これまでの都市計画学とはまったく異なる都市の読解を要したのだ。それは計画学と開発という抽象的なメカニズムにもとづく場よりも不測の事態、交戦そして例外が政治的に形成される場として都市を理解することを必要とした。このような視座において、計画学よりも場所の特異性という概念にもとづいた自律的建築というアルド・ロッシの構想が、オペライスタの結論に近づいた。*49

資本主義のオルタナティヴを構築するために必要だったものは全体計画ではなく「都市理論」であり、それは「都市の新たな読解」に向けて差し向けられると同時に、「不測の事態、交戦そして例外が政治的に形成される場」を準備するものとして構想された。こうしたオペライズモの視座は一体どういう仕方で建築家に流れ込み、そして具体化したのだろうか。

 

iii ). アルド・ロッシによる「プロジェクト・アウトノミア」

ロッシが引き継いだオペライズモの戦略は以下のようにまとめることができる。
a). 循環-流通-消費のサイクルに着目する資本制の分析(正統派マルクス主義)から、生産システム内部に潜む政治的権力とそこでの労働者の政治的主観性への議論の移行(パンツィエーリ)。
b). 技術発展第一主義と国家の市場への介入が合流したニューディール政策以降の後期資本主義(新資本主義)においては、社会総体が「工場化」している(トロンティ)。
c). 新資本主義の生産体制に抗するために、労働者自身に備わる力(究極的には「労働の拒否」)を再評価し、それを準備しうる労働者の自治空間を都市に設けること。具体的には、資本制の内部で「否定的思考」を批判的に実践するという視座から、資本制的発展を遂げた既存の都市の内部に、“部分的に”、そこから切り離された自律した場を「発見」もしくは「構築」すること(トロンティとカッチャーリ)*50
これらを踏まえたうえで、本書のロッシに関する記述を確認していく。

ロッシによる自律的建築の仮説は、機能主義のナイーヴさを拒絶すること以上のことを意味していて、ただ研究領域の特殊性だけを求めることではなかった。その仮説はむしろある理性的な言語、すなわち支配的なブルジョア体制に奉仕するような一連の様式から解放された形態理論の探求だった。彼による理性主義の建築の再発掘は、ブルジョワ都市の遺産を回復し、それを社会主義都市の形態として再採用する試みだった。*51

新古典主義の建築は、既存の貴族階級に対抗するブルジョワ階級の意志を反映していた。ロッシは、革命期のロドゥーやブーレーが古典の建築様式を採用・再発見したのと同じように、既存のブルジョア階級への対抗として、「18世紀のブーレーから20世紀のロースまでのヨーロッパ・ブルジョワの理性主義の歴史に立ち戻った*52。ロッシが書評を書いているゼードルマイヤーの『中心の喪失』から少し引用しよう。

1780年ごろには建築的モニュメントという新しい課題が現れてくる。この課題は、とりわけ革命期の指導的な建築家たちや、ヘンダーリンやベートヴェンと同世代のドイツの追随者たちの心をとらえた。(……)建築的モニュメントは、バロックそのものも、後期バロックの古典主義にみられる媒介者的な試みもともに拒絶するという精神のいちじるしいあらわれである。*53

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△ E. L. ブーレー(Etienne Louis Boullée)によるドローイング

「建築は、彫刻的な要素や擬人的な要素や絵画的な要素ーーバロックにおいて互いにとけ合っていた諸要素ーーをすべて排除し、さらに色彩の要素や装飾、またついにはルネサンス以来の建築の基礎となっていた〈オーダー〉をも排除するという傾向をみせてくる。建築は〈純粋な〉建築になろうとし、誇らかにその〈自律性〉を主張する。 このような〈純粋な〉建築を求める戦いは、20世紀初頭になってやっと始まったものではない。このころアドルフ・ロースは装飾に戦いに挑み、建築家たちはコンクリートで考えることを始めたのであるが、しかしこうした〈純粋さ〉を求める傾向は、すでに18世紀末に、政治的革命に先だってルドゥーのような建築家が建築革命を始めたとき、その動きのなかに認められたのである。 まず第一に、絵画的・舞台的な要素が排除される。 次には建築から〈プロフィール〉が消えていく。*54

ロッシの建築がもつ純粋幾何学志向を、この新古典主義の参照という文脈で理解することができるかもしれない。つまるところロッシは革命期における「歴史の切断への意志」に基づく“形態の自律性”(autonomy)とオペライズモに立脚する“政治的な自律性”(autonomia)を意図的に短絡し、文字通りに重ね合わせていたのだ、と。この点はロッシの独自性であると同時に、誤解されやすい点だったのだろうと思う。さらに、ロッシが「新古典主義」ならぬ「新理性主義」を主張したときにもうひとつ重要な参照点となったのは、アドルフ・ロースに代表される近代建築の黎明期の仕事だ。

1960年代に一般的だった大袈裟な表現のデザインとは対照的に、ロッシは合理主義の伝統を再びとりあげた。それは規範的で機能的言語としての近代運動の流行からではなく、むしろ、当時のいわゆる後期資本主義的な都市計画が激しく混乱させていた、混成的で技術に支配された(他律的な)形態に対抗して、潜在的に自律した建築を主張するためだった。*55

既存の資本主義社会が生産する建築物(たとえば多くの商業ビル)がベースにする建築言語について、あるところまで遡及すると、後期資本主義と共産主義の分化以前までたどり着く。たとえば、ロッシが参照するハンネス・マイヤーなんかはその典型で、彼は厳格な共産主義者だったことでよく知られている。極端なことをいえば、いわば共産主義的なユートピア思想をベースに組み立てられたハードに、後期資本主義というソフトがインストールされた状態が既存の都市の様相なわけだ。であればそこで必要なのは革命でもなく、新たな建築様式の発明でもなく、「既存の見方を変えるため」の理論にほかならない。

f:id:o_tkhr:20181014043522p:plain△ ハンネス・マイヤー(Hannes Meyer)による《ペータースシューレ Petersschule》(個人的にすごく好きな建築)

テンデンツァは、資本制都市のオルタナティヴとなる都市をつくることを目的とした著名な建築運動である。ロッシによると、この構想において必要とされることは建築様式や都市形態を変えることではなく、都市と建築に関する新しい理論的な視座を確立することである。*56

近代都市・建築の黎明期まで遡及し、その形態を「再採用」すること。そしてそれらに「自律性の企図」に基づく再チューニングを施し、既存の資本主義都市に「実装 implementation」すること。ロッシの建築的実践は、政治的なオルタナティヴを「視覚化」*57 するためのプロトタイプをつくることであった。既存の都市の「類型」に着目し自身の設計する建築物に実装するという態度も、それを通して「既存を様変わりさせるパースペクティヴ」を利用者にもたらすためであると思えば、とても理解がしやすい。「特異点」となる建築の布置により、「都市の解釈を限定する*58 こと。さらにロッシが記念碑性(モニュメンタリティ)と集団的記憶を取り入れたことも「都市に対する新しい政治的読解を確立する取組みとして理解されるべきである*59。ロッシの建築は「視座の構築」に向けた実践であり、それによって既存の都市を新たにカテゴライズし、「ひそかに見てとったものを眼にみえるようにする*60 ためのものであった。これは「異化」という詩的実践にほかならならない。

このように考えると、自律的な建築についてのロッシの取組みは、彼が提案する都市理論と一致する。それは、彼が1960年代初期に資本主義的な都市計画事業、つまり技術称賛をともなう全体主義的な都市計画に意義を唱え、それに対して挑んだ理論である。ロッシにとって現代都市理論の前提は、政治的な選択の場としての都市であり、市街化のように全体性と連続性に単純化することのできない場を具体的な地勢とする都市であるべきだった。*61

「政治的な選択の場」という概念は非常に重要だと思う。ロッシが目指したのは、資本主義によって全体主義的に計画された都市でもなく、単に社会主義的体制で運営される都市でもない。おそらく「政治的な選択の場」を地勢とする都市とは、資本主義的な自由競争の場と、労働者が自治的に運営する例外的な場が、軽やかに「スイッチ」できるような構造をもった都市のことを指しているのだと思う。ロッシは資本主義的計画学の都市-周辺領域(自由競争の場である都市の中心部があって、その周辺領域が主に市街化区域として、インフラの技術開発とともに発展するというツリー状の都市構想)に対して意義を唱えていた。「赤いウィーン」をイメージしてほしいのだけど、ロッシにとって重要だったのは、資本主義的な場の只中に、そこから自律した空間が部分的に離散して配置されており、両者が「歩けばすぐ」という距離感で併置されていることだったのだろうと思う。


「赤いウィーン」の場合は建物のボリュームに囲まれた中庭だったけれど、「スイッチ性」ということでいえば、労働者の自治空間にもっともふさわしい建築の部分はピロティやロッジアということになると思う。ここまでくれば、ようやく本来の目的であった《ガララテーゼの集合住宅》の設計にロッシとアイモニーノが込めた思いを理解することができる。ロッシは《ガララテーゼ》のピロティ空間でぜひマーケットを開いてほしいと考えていたようだけど、それはまさに、この空間で外部とは別の経済システムが稼働されることを望んでいたということだろう。ロッシが当時の「社会センター」運動を想定していたことはまず間違いないと思う。当時の実例からここで想定されるプログラムを再び書くと、《映画上映、インフォメーション・サービス、本屋、フリーショップ、護身のレッスン、カフェ、バー、ギグのスペース、言語学習の授業、移民・庇護申請者・難民への支援、世界中からの連帯商品(パレスチナのオリーブオイルやサパティスタの自治村からのコーヒー)、福祉・慈善サービス、無料でのコンピュータへのアクセスと「ハッカースペース」、図書館や読書グループ、政治的集会・議論・行動計画・話し合い*62 などである。このピロティ空間では、外側に存在する資本主義経済的なシステムとは別の経済システムが「例外」として仮構されることが目指されていたが、このふたつの「場 locus」はすこし歩けば容易に切り替わるのである。両者がほどよく切り離され、互いに行ったり来たりできるという空間性。

ここで《ガララテーゼ》のピロティと、たとえばコルビュジエの《サヴォア邸》や《ユニテ・ダビタシオン》のピロティを対比してみよう。

f:id:o_tkhr:20181014043444p:plain△《ガララテーゼの集合住宅》(左)と《サヴォア邸》(右)のピロティの比較(筆者撮影)

(とりわけ第一機械時代の)コルビュジエにとってピロティとは、大量生産が始まり所有者も増えていた自動車の駐車場として利用したり、あるいは来るべき交通渋滞に備えてそのまま自動車で走り抜けてしまえるように設けられたものだったと思う。対して《ガララテーゼ》の壁柱のリズムはあきらかに自動車が侵入できない寸法を意図しており、同時に「通り抜け」というよりは一定の期間そこに滞在するための、ある程度閉じられた空間となっている。既存の都市に見られる類型的な形態言語(ロッジア)の拡大解釈であること、自動車のためではなく人間が集まって自治的に用いることを意図された空間であったこと、そして貧しい素材でつくられながらも詩的な効果をもつ空間であること。このピロティ部分だけを見ても、ロッシのこれまでの理論的な探求がしっかりと反映されていることがよくわかる。ここで、《ガララテーゼ》の感想で書いた内容を再掲しよう。また違った角度から読むことができようになっていると思う(たぶん、、)。

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複雑化する都市における地理的な特異点として、誰のものでもないような場をロッシはつくった。なんの機能もないようで、同時にどんな機能も充填できるような場。都市の疎外から逃れるための、一種の精神的なシェルターだとぼくは思った。交換価値に代替不可能な「この性」をもった空間、とでも言えるだろうか。しかし、この空間が住人のための一種の自治空間として、すなわち自律的な場として企図されたものだとしても、それはけっして閉じることはなく、そこには外部への“糸”みたいなものがたしかに伸びている。

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この空虚な空間は、隣り合う建物を反射した色彩で満たされる。似ているようで似ていない、圧倒的な他者であるアイモニーノ棟を反射した赤い光。ロッシが目指したアウトノミア=自律性は決して閉鎖的なものではなく、それはあくまで仮設的な自律の場を建築の側が住民に用意しうるかどうか、という議論だったのだとぼくは考えているのだけど、このときポイントになるのがこの“糸”=他者の光、だ。

資本主義的なシステムと関係しながらも、そこからいっとき自律する場を仮構すること。外部と接続しながらも閉じ、あるいは閉じながらも接続し、そこに、外部とは別の流れ方をもった時間の形式を実装すること。

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OCT.5,2018_ガララテーゼの集合住宅 - 声にだして読みたくなるブログ

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ぼくらは資本制の技術発展を十分に享受して日々生活している。コンビニには行くし、Youtubeは見るし、ぼくは今もMacでこの文章を打っている。必要なのは資本制を否定することではなく、資本制の内部にいながら、その生産体制から部分的に切り離された準-自律的な場を仮構することだ。いっときの例外として、フィクションとして。その場を、われわれにとっての詩学と政治性を検証するための、多数の実践が合流する制作の場としよう。煎じ詰めると、このとき建築家に課されている大きな仕事は、近代都市のポリティクスを成り立たせるためのその主たる手段として、建築という形式を再び見出すことなのである。

*  *  *
予想以上に長くなってしまったが、このへんで筆を置こう。普段から話題が発散しがちだとはいえ、大切なことを書き漏らさないようにしようと思っていたら、まとめるのに一週間以上はかかるし、字数は3万字超えとなってしまった(誰が読むんだという)。短く感想をまとめることもできたのだけど、その辺はブログということでご勘弁を…という感じだ。ただ、本書の普及を考えるともっと短く的確にまとめたほうがよかったかな、とも思う。まぁ書評の仕事とかならともかく(そんな仕事ぼくのところに来るわけがないのであって)、繰り返すがこれは個人のブログなのだし、問題ないだろうと思う。

ロッシの建築は、直感的に「これはただごとではないぞ」と思うような空間を言語化することの大変さを示す好例だ。しかし重要なのは、その「ただごとじゃなさ」は、直感的には“わかる”という紛れもない事実である。空間のもっている情報量の多さを、脳が処理しきれていないのだ。とはいえ、ぼくら自身の「自律性」を考え、別の文脈での「プロジェクト・アウトノミア」を始めようと思うと、話は変わってくる。ここでは自らの身体的な経験をできるだけ正確な言葉に置き換え、それらを道具に変換する必要がある。このブログで試みていることはそういうことだし、そのための補助線として、ぼくにとってはアウレーリほど重要な研究者もいないと思う。しかしまあ、半世紀前のイタリアの政治運動からこれほど多くの学びがあるということには、改めて新鮮な驚きと喜びがある。この記事を最後まで読んでくれた稀有な人がもしいらっしゃれば、そういう方々と、本書が提示する「自律性」をわれわれの仕方で引き継ぐための具体的な方法について、(直接的であれ間接的であれ)ぜひ共に考えていきたいものだなと思う。

 

* 本稿は以下の記事の補講となっています。

www.ohmura-takahiro.com

 

www.ohmura-takahiro.com

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*1:加えてイタリアにおいては1969年の「熱い秋」

*2:ピエール・ヴィットーリオ・アウレーリ: プロジェクト・アウトノミア(自律運動) 戦後期イタリアに交錯した政治性と建築, 北川佳子訳, 鹿島出版会, 2018.9., p.164.

*3:とくにぼくらの世代がそうだとおもうのだけど(ぼくは91年に生まれ)、政治的な抑圧や経済的な不平等に対し面と向かって「闘う」気概みたいなものがすっかり抜き取られた世代のような気がする。そんなこと考えたこともないし興味もない。むしろ所有や成功の欲望自体が薄い。ネットがあればそこそこ楽しくていい。そんな感じ

*4:ただし読み直しが必要なものとそうでないものは確実にあって、むしろ読み直す必要のある建築家はかなり限られている印象がある。個人的な感覚ではチャールズ・ジェンクスなんかを読み直す必要はまったくないし(もっと高水準のポストモダン言説がたくさんあるわけで)、建築作品でいえば、たとえばグレイヴスなんかはまったく再批評の必要はないという感じ。

*5:Ibid., pp.8-9. なお、アウレーリが本論で引用しているのはカストリアディスの『細分化された世界』所収「自律からの後退: 一般化された順応主義の時代」(右京頼三訳, 法政大学出版局, 1995)である。

*6:アントニオ・ネグリ+マイケル・ハート: 帝国―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性, 水嶋一憲+浜邦彦+酒井隆史+吉田俊実訳, 以文社, 2003

*7:アウレーリ(2018), pp.13-15.

*8:この点に関しては、ラトゥールの『虚構の近代』なんかとも響き合う内容かもしれない。

*9:Ibid., p.15

*10:Ibid., p.15

*11:Ibid., p.17.

*12:Ibid., p.20.

*13:Ibid., p.25.

*14:《セグラーテ》の感想 (SEPT.30,2018_セグラーテの噴水 - 声にだして読みたくなるブログ)で著者は、以下のような図を用いてロッシの「類推」に「振り返る弁証法」という性格があることを指摘した。

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*15:“I'm a pessimist because of intelligence, but an optimist because of will.” from Gramsci's Prison Letters

*16:これに関しては、フランコ ベラルディ(ビフォ)著『NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史』(洛北出版, 2010.)の訳者である北川さんの以下の論文を参照されたい。

北川眞也: イタリア・ミラノにおける社会センターという自律空間の創造 社会的包摂と自律性の間で, 都市文化研究Vol. 14, pp.12-25., 2012.

https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2012/03/p12.pdf

*17:Ibid., p.30.

*18:Ibid., p.31.

*19:Ibid., pp.32-33.

*20:Ibid., pp.33-34.

*21:Ibid., p.38

*22:Ibid., p.43.

*23:Ibid., p.46.

*24:ぼくがここで想起してしまうのは(不適切かもしれないけれど)、休日はお金を使わずともYoutubeをみていれば楽しいやというぼくらの世代の傾向だ。ぼくらはYoutubeを無料でみることができるが、そこにはたしかに利潤が発生している。しかし、そこでのお金の流れはほとんどブラックボックスで、消費者にはうかがい知ることができない。Youtubeのような動画共有サイトの場合、誰でも配信者側ーーつまりは利潤を獲得する側もなれるわけだが、そこでも相変わらず資本の流れは不透明なのだけど、しかしその不透明さは「クリエイティブ」という謳い文句によって覆い隠される。問題は循環、流通、消費の異様な「速さ」だ。もはや誰が支配者で、だれが被支配者なのかという区分は意味をなさず、まさに非人間的なシステムによって全人類が他律的な存在になってしまっている、というのが現状なのかもしれない

*25:Ibid., p.47.

*26:パンツィエーリはイタリアのオリベッティ工場を例に出しているけれど、現代で言えばAppleの経営戦略や、デザインや建築物を通したイメージ戦略に注目すべきかもしれない。

*27:Ibid., p.53.

*28:Ibid., p.54.

*29:Ibid., p.55.

*30:Ibid., p.60.

*31:Ibid., p.64.

*32:ちなみにこの辺の議論は近代建築を批判するうえでも極めて重要になってくる考え方なので、建築畑の人間は注意して読まなければいけない。モダニズムは様式の問題ではなく一貫して生産体制の問題だとぼくは思っている。

*33:Ibid., p.69.

*34:Ibid., p.67.

*35:Ibid.

*36:Ibid., pp.70-71.

*37:Ibid., pp.75-76.

*38:Ibid., pp.77-78.

*39:Ibid., p.85.

*40:小澤京子さんがまとめてらっしゃるのでリンクを貼っておこう。

http://d.hatena.ne.jp/baby-alone/20040908/p2

また、カッチャーリの著作については岡本源太さんのページも参照。

http://passing.nobody.jp/thought/cacciari.html

*41:P. V. Aureli: The Possibility of an Absolut Architecture, MIT Press, pp.xi-xii, 2011

*42:Pier Vittorio Aureli Interviewed by 0300TV, ARQ ediciones, Venecia, 2012, pp.154-159.

また、The Possibility of an Absolut Architectureの概要については以下のリンクから読める佐伯達也さんの記事も参照されたい。

text - tatsuya saeki

*43:エリー・デューリング: プロトタイプー芸術作品の新たな身分ー, 現代思想2015年1月号, pp.177-199., 2015

*44:以下のリンクも参考に。

Re-Visiting Red Vienna — Austrian Information

Historical Plans Archives - GRIDS blogGRIDS blog

*45:Oswald Mathias Ungers and Rem Koolhaas, et al.: The City in the City Berlin: A Green Archipelago, Florian Hertweck and Sébastien Marotv, 1977

*46:アウレーリ(2018), p.92.

*47:Ibid., pp.92-93.

*48:Ibid., pp.93-96.

*49:Ibid., p.97.

*50:さらに、これはアウレーリによる理論的展開だが、部分的に都市と切り離された自治空間を「群島」としてネットワーク化するというウンガースの視座をここに加えることもできるだろう。

*51:Ibid., p.106.

*52:Ibid., p.107.

*53:ハンス・ゼードルマイヤー: 中心の喪失, 石川公一 / 阿部公正訳, 美術出版社, p.33., 1965(原著: 1948)

*54:Ibid., p.104.

*55:アウレーリ(2018), pp.107-111.

*56:Ibid., p.111.

*57:《理論はトロンティがパウル・クレーを引用したように視覚化 sichtbar machen すること、すなわち具体的概念のカテゴリーという確固たる根拠にもとづいた明快で分析的、そして政治的な視座の構築である。》(Ibid., p.103.)

*58:Ibid., p.120.

*59:Ibid.

*60:Ibid., p.204.

*61:Ibid., p.111.

*62:北川眞也: イタリア・ミラノにおける社会センターという自律空間の創造 社会的包摂と自律性の間で, 都市文化研究Vol. 14, p.14., 2012.)