声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

DEC.6,2018_ 唐丹小学校/中学校/児童館

東北で撮った写真⑤

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○ 唐丹地区は震災による大きな被害を受けた釜石市の小さな漁村集落だ。被災した小学校・中学校・そして児童館の再建を手がけたのは乾久美子+東急建設コンサルタント。乾さんらしく実に真摯な、こちらの背筋がピンとのびるような素晴らしいプロジェクトだった。被災した街への、建築への、与えられた敷地への、そして子どもたちへの99%の真摯さに、1%の過激さが混入している感じ(ちなみに見学・撮影の許可もらったのは外構と一部の内部空間だけだったので、後者の写真は少なめ)

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プロポーザル時からこの敷地だったとおもうけれど、再建にあたって設定されたこの敷地ははっきりいって、通常の学校施設の敷地としては異常な場所だ。海から大きくセットバックした、裏山の崖がギリギリまで迫るような斜面地。撤退、まさしく沿岸部からの撤退だ。どれほど離れれば「安心」できるのか、ということが、この海からの距離にはっきりと現れている気がして、悲痛な思いを感じる。海からの撤退。これは漁村集落のアイデンティティの根幹を揺るがすような問題でもある。であれば建築家に課せられた任務は、この撤退を徹底して肯定すること、計画に圧倒的な必当然性をもたらすこと、にほかならない。

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敷地の目の前にある郵便局。かなり直接的な参照源にしたのではと思えるほどよく似ている。


○ 唐丹の人々のアイデンティティを守りつつ(あるいは回復させ)、子どもたちが安心して学ぶことのできる教育施設(かつ防災拠点・防災教育施設)を沿岸部から遠く離れた斜面地につくること。この建築に実装されているすべてのアイデアは、この「撤退の肯定」という信念に貫かれているが、この問題を還元していった先に行き当たるのは斜面の造成(=土木)と建築(=小さな風景)にどう折り合いをつけるかということだ。

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造成が設計の主役となるエレメントとして最初から勘定に入れられているというプロジェクトは結構めずらしく、その条件を活かしきっている事例となればほとんど思い出せないくらいで、そういう意味でこの建築はとてもユニークだ。大きな特徴のひとつは、造成された地盤のレベル差と建築のレベルがピタリと合うことだろう。これ、単純なことに思えるのだけれど、実際に体験するとびっくりするような新鮮さがある。1階から2階へ登るとちょうど上の地盤面にいっているという関係で、地形にピタリと連動するように内部空間を体験することになる。造成された法面の高さは4mくらいだろうか。そのスケールに歩み寄っているため、校舎の一階部分は少々ゆとりがあり、逆に二階部分は少しだけスケールダウンしてそこに乗っかっているのだけど、それが立面のバランスの良さをもたらしている。胸を張って堂々としているようなプロポーション。そしてこの「どこかで見たことある感じ」はかなり意図的なんだろうなぁ。素材や色の選択。想像に過ぎないけれど、もしかすると被災前の学校の雰囲気も意識しているのかもしれない。

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児童館棟下部

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児童館棟上部

土木が少しだけ建築に歩み寄り、建築が少しだけ土木に歩み寄る。決して一体化するのではなく、相変わらず土木は土木らしく、建築は建築らしくしているのだけど、両者が奇妙にシンクロしている、という状態。AとBという異なる問題系をCという第三項に止揚してしまうのではなく、AとBを併存させつつ、両者が部分的に協同する一点を導くすること。部分的妥協点を見出すために必要なのはその都度その都度の丁寧な対話と、小さな「工夫」の積み重ねだ。造成と建築の関係はそのすごくわかりやすい例だけれど、これは他の二点間(たとえば「提案部分-周辺環境」「小・中学校-児童館」「架構-仕上げ」という異なるレベルで発生するあらゆる二分法)でも繰り返し反復されている解決方法である。「部分的な整合性」の徹底(まさにアレグザンダーが「サブ・シンメトリー」と表現するものだ)の結果、エレメントは必然的にバラバラになっていく。具体的にいろいろ挙げていったらキリがないのだけど、まず良いなぁと思ったのは外壁の処理だった。外壁の色はいくつかのブロックに分かれる庭にあわせて決定されていて、造成の断面的なレベル差をまたぎつつ、離れた棟を結びつけている。さらに写真を改めてみても斜面、とくに法面と建築の関係が絶妙で(決して融合するわけではないが両者が気持ちよくシンクロしているという)、理想的だなと思う。

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あと、すごく良かったのは廊下だなあ。片廊下のスケールが通常の小学校のスケールよりやや大ぶりで、かつ架構はおおらかな作りで高さのゆとりもあって、それが造成した法面との隙間にできた外部空間と一体化している。扉を開けば教室とも一体化する(写真は撮れなかったけれど、上段の棟の廊下の方がよかったかな)。発明的ともいって良いような廊下のスケールだと思った。片廊下というステレオタイプがスケールの調整と外部空間との関係で別物になっている。

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斜面と建築の境界のあつかいもとても良かった。植栽も精密かつラフで、たいへん手が込んでいる。しっかりとリサーチしたんだろう、周辺環境と見事に連続している。

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この建築は海に向かって堂々と建っている。それは斜面の造成を変に凝るのではなく、地形に対して素直におこなった結果だ。基本的にこうした沿岸部では海に向かって垂直に斜面ができているので(あたりまえだけど)、造成のラインは海に対して水平にひかれることになる。そして造成部と連動して配置される建物のボリュームもまた、当然だけど海に対して水平に配置されることになる。先程触れた一階と二階のプロポーションの違い、そして縦長の窓が海と「面と向かう」立面を堂々たるものとしている。この窓がすごく良いんだよな。上下階をまたいでいるから、窓からはスラブのラインがビシッと見えている。これがポイントだろう。このスラブのラインが後ろの造成部分とピタリと合っているから、非常に抽象的なかたちで場の一体感が高められている。部分の形態言語は周辺環境からのサンプリングといっていいものだが、しかしそれは土木と建築がシンクロすることでもたらされる秩序によって貫かれている。周辺環境と連続しつつも埋没しきらないという、建築で例えるなら坂本さんの代田の町家に近いようなバランスの建ち方だと個人的には感じた。

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○たとえば今年の夏にイタリアで見た現代建築(たとえば世界的にも注目されたOMAのプラダ財団とか)と比較してもこの建築はまったく見劣りしない。大きな規模であっても、難しい与条件であっても、JVであっても、ここまでの建築を建ち上げることのできる乾久美子という人の底抜けの力量を感じた日だった。ちなみに唐丹には釜石駅から三陸鉄道南リアス線というローカル線に乗るのだけど、これがま〜素敵だったので多くの人に乗ってもらいたいなと思った。

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乾久美子 + 東急建設コンサルタント:釜石市立唐丹小学校・釜石市立唐丹中学校・釜石市唐丹児童館, 岩手県, 2018

(Canon AE-1 Program, FD F1.4 50mm, FUJICOLOR 100)