声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

FEB,3.2019_岡崎乾二郎『抽象の力』

 岡崎乾二郎の新刊『抽象の力』は、2017年に豊田市美術館でおこなわれた同名の展覧会に合わせ書き下ろされた長大な論考(展覧会の公式サイト上で公開されていて、個人的には当時何回も読み返した論考だった)を中心に、ここ10年余り期間に書かれた岡崎さんの論考を集めた書籍だ。とはいえここには例外がふたつある。ひとつは書き下ろしの「先行するF」、そしてもうひとつは最終章の「批評を召喚する」である。後者が発表されたのは2007年であり、本書を構成するテキストのなかではもっとも古い論考だが、このテキストが最後に添えられている効果はすこぶる大きいように感じられる。この例外的なふたつのテキストーー本書におけるもっとも新しい論考と、もっとも古い論考ーーは、本書をつらぬくいくつかの重要なテーマを端的に表現しつつ、そのあいだに、種々雑多な作家や作品に眼差しをむける膨大な情報量をもった他の論考を挟み込んでいる。

 

 

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 最終章の「批評を召喚する」は、個人的には本書を手にとってではじめて読むことになった論考で、素晴らしすぎて感動した内容だったのだけど、もしかしたら岡崎さんのテキストのなかでもかなり有名なものだったのかもしれない。本論は宮川淳のデビュー作である「アンフォルメル以降」(1963)を巡って書かれたものである。宮川のこの論文は美術批評の構造的な不可能性を問うたもので、そこでは美術批評を含めおおよそ近代以降の〈芸術〉をめぐる言説が「〈芸術〉とは何か」という問いを含むことをおいてしか成立しなかったこと、そして同時に、「〈芸術〉とは何か」という問いは永遠に不毛なものであり、誰も答えをだすことができないということが暴きだされた。しかし〈芸術〉が到達不可能なものとして措定されていること、すなわち〈芸術〉が永遠に不在であることこそが、〈芸術〉を決して消去されえないブラックボックスのなかに封じ込めるためにもっとも重要なことであった。

宮川の後期の仕事は、この逆説的な認識をそのまま引きずったまま、そこから出ることはなかった。すなわち、〈芸術〉という名(概念)は、積極的に定義されないこと、それに対するいかなる定義も確定的ではないと退けられることにおいて永遠に持続するだろう。(……)こうした認識を背景にして、宮川のその後の美術評論家としての仕事には、否応なくアイロニカルな影が射すことになった。*1

こうした宮川自身の反語的な議論の帰着に対し、宮川の論考が宿していた“そうではない可能性”を徹底して検討していくことを岡崎は目指す。

それは仕方ないが、しかし「アンフォルメル以降」には、こうした反語(=制度内での言語的反映)に陥ることのない、つまり美術批評というカテゴリーには回収されない方法上のヒントが含まれていたことは改めて注目されてもいいだろう。つまり問題が言説の構造的な閉塞にあるのならば、作品のそれぞれを〈芸術〉という一つの概念に帰属させることなく(〈芸術〉という概念を括弧に入れ)、それぞれが自律した別の生産形式によって統御された生産物=道具=オブジェクトとして捉え、分析することーー道具としての事物は、オブジェクトとして存在それ自体が、物質とそれに関わる人間の行為(認識を含む)双方を機能的に結びつけ制御する規範として働いているーーつまり芸術を無数の異なる道具=生産規範の集合に解体すること。 宮川の論に含まれていた可能性としてのプログラムはたぶん以上のように要約できる。もしこのプログラムが正確に作動していれば、当然、〈芸術〉をめぐる言説のパラダイムもまた複数のパラダイムに分解してしまっただろう。けれども、この複数に分裂しているセリー(体系、集合)を、なお相互に接続し、交通させること、それが可能でなければ批評はそもそも存在価値を持たないものではなかったか。近代的な意味での批評とは本来、こうして通訳不可能な複数の体系の間(いかなる体系にも帰属できない不安定な位置)にあって、なお相互を応答、翻訳せんと試みる営みとしてしか成立しえないはずだったのではないか。*2

 岡崎の戦略は明確だ。〈芸術〉という概念を自明かつ到達不可能なものとしてあらかじめ設定することをやめ、制作物の各々を「それぞれが自律した別の生産形式によって統御された生産物=道具=オブジェクトとして捉え、分析すること」。制作物はひとつの自律したオブジェクト=道具であり、他の事物と同様、「指示」が複雑に交錯するネットワークのなかに存在している。少し一般的な話をしよう。たとえばハンマーは釘を打つためにあるが、ハンマーが釘や木材と共に用いられるのは、制作すべき別のオブジェクト、たとえば木造建築の架構やイス、靴や時計といったものがあるからである。そして椅子や靴、時計といった制作物は、座るため、歩くため、時を知るため、など、「使用可能性が向けられているところ=用途」をあらかじめ含みこんでおり、これがハンマー・釘・私の関係性を有機的に結び合わせている。靴や時計といった制作物はそれと同時に「材料への指示」もある程度持ち合わせているし、当の道具であったハンマーや釘もまた「制作物」であり、鉄や木材、鉱石を指示する道具(ひとつの形式)であり、さらにいえば、制作された靴や時計は利用者への指示をも含みもっている。私らは目的に応じて、こうした各々の道具の「指示」を読み取り、(自らも「道具」としてそのネットワークに組み込まれながら)適切に道具を扱うと同時に、ある種の制作行為として、こうした道具の指示のネットワークを組み替えたり、変化させたり、意図的に切断したり、意外なところでつなぎ直したりしている。

 さて、いかなる道具的事物も形式と内容をともなって存在しているわけだが、内容はどうあれ、形式はそこで、物質と人間の精神の双方に関わりつつ両者を関係づける機能的な役割を果たしている。ざっくりと説明すれば、「靴」や「建築」、「椅子」や「時計」といった枠組みが道具のもつ指示のネットワークをある程度制御する形式として、各々に「機能(=関数)」をもちあわせており、形態や関係を事後的に導出する役目を果たしている(これについては後ほどまた触れるだろう)。ここでいわれている「機能(=関数)」とは、本来は何の関係もない複数のバラバラなオブジェクトにたいしてある「統一」を与える概念である、とひとまずは理解しておこう。これは本書の重要なテーマである「抽象」(=可視的な形象として何かを表現、代表するという仕組み)と深く関わるものだ。「靴」や「建築」、「椅子」、「時計」、「礼拝堂」、「ラジオ」、「カセット」、「もんじゃ焼き」、「お好み焼き」……、と、こうした様々な形式が、存在者の生成と、存在者たちの関係を規定する本質的な条件として、各々に独自の「機能」をもって自律して存在していることを、ここでは理解しておこう。

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 そもそも、批評には大きくふたつのアプローチが考えられる。ひとつは外在的な批評であり、芸術作品が受容され、位置づけられるだろう文化的な文脈によってその作品を評価し批判するアプローチであるが、その判断は依拠する文脈の取り方で変化し、おおよそ相対的なものにとどまるだろう。もうひとつは内在的な批評であり、これはひとつの対象それ自身の形式に基づく批判となるが、ここでは外延(extension、具体的な内容)にもとづくものと内包(Intension、意図、内容規定)にもとづくもの、その双方からの形式批評がありうる。芸術批評に即して理解するならば、前者は制作物をメディウムの特性あるいは素材の特質に条件づけられるものとみなすから、そこでは物質的特質の必然から形式批判が繰り出されることになるだろう。後者は、対象をひとつの作品として組織づけられているオブジェクト群の一部とみなし、そこに論理的完結性を見出すことーーつまり作品を形式として統制する主体=サブジェクトの存在を認めることーーで展開する批評のアプローチとなるだろう。結果としてここでは形式が、内包と外延の結合として理解されてしまう。つまり、“作者の意図”と“物質”を結びつけるものが形式であり、形式こそがこのふたつの区分を成立させる、と。そこではしばしば形式の恣意性が物質への考察によって暴露されるか、あるいは作家の意図によって形式の虚構性が告発されることになるが、しかし、これは本質主義的に「物質」ないし「作者の意志」を前提としてしまう態度に依ってしまっている(「形式」は物質を抑圧したうえで形成されるものであり、かつ作者の意思にもともと含まれていた表現意志を歪曲するものである、と)。「アンフォルメル以降」では近代芸術の歴史を形式批判の悪循環と捉えられているが、ここでもこうした認識が前提とされており、その認識を前提とする限り、芸術批評に関する逆説的な認識(〈芸術〉という概念は積極的に定義されず、それに対するいかなる定義も確定的ではないと退けられる)は永遠に持続することになるだろう。しかし、岡崎は宮川が陥ってしまったこうした閉塞を以下のように看破する。

物質(物自体?)がそのまま露呈するということも、内的自我(精神)が直接発露されるということも、イデオロギー的に措定された決して実現するはずのない架空の点であるにすぎない。形式の否定自体が、本質主義的な図式が繰り返す、一つの型(形式)、ルーティンにすぎない*3

この閉塞からの脱却を目指してさまざまな論考を参照されていくわけだけれど、そこで一貫しているのは形式の取扱い、その見方を転換していく必要があるという主張だ。

外在的批評が相対主義に陥らずに必然性を確保しようとしたとき、歴史主義へと傾斜する。内包と外延の関係は一義的に確定されるものなのか、あるいは双方の関係は偶有的であり切り離し、組み換えできるものなのか。いずれにせよ作品形式は分裂を含むことに違いはない。この分裂を止揚すべく内包と外延を必然的なものとして(相互規定的に)結びつけようとすることが、むしろ歴史を弁証法的に構成する契機となる。(……)けれど周知のように、こうした一元的な歴史観は、すでに第一次世界大戦およびロシア革命以後に、おおよそ説得力を失ってしまっていた。この転換に決定的な楔を打ち込んだとされるアントニオ・グラムシ、ミハイル・バフチンあるいはカール・ポパー、ヴァルター・ベンヤミンなどの1930年代の思想家の仕事で、注目すべきなのは、彼らの行なった仕事(=総じていえば歴史主義批判)が、徹底した形式主義批判とその帰結から導き出されたということにある。彼らは、歴史的必然とは形式主義的な自己撞着にすぎないということこそを明らかにしたのである。 この思想家たちの思考によって、浮かび上がってきた新たな認識の布置をおそろしく単純化して語り直すとすれば、言語に代表される、あらゆる表現形式を、内包、外延の対による閉じた系から切り離し、形式それ自身を自律したものとして扱うことにある。つまりあらかじめ固定されたものとして措定された外延(物質)や内包(精神)によって形式が規定されるのではなく、形式こそが内包そして外延を規定すると考えること(たとえば民族や階級によって規定される表現形式、あるいは表現素材によって規定される表現形式があるのではなく、表現形式によって素材が規定され、精神が規定されると考えること)だ。 したがって形式それ自身は生産関係や階級に対して偶有的であり、複数(無数)同時にありうる。そして、それらの複数の異なる形式はそれぞれ自己再生産能力(素材および生産主体を含め、生産秩序全体を再生産する)を持つ。*4

 物質に準じたものでもなく精神そのものでもない、むしろそれらを結びつける一種の機能として、あるいは双方に準ずるものを事後的に産出する能力をもった「道具」として、形式を捉えなおすこと。このとき芸術作品は、事物間の複雑に絡まりあう無限のネットワークを“剪定”し、有限化された対象を一定の仕方で「指示」する一種の生産規範へと解体されるだろう(もちろんそこにはメディウムや制作者あるいは観賞者の身体もたんなる事物のひとつとして、ひとつの構成材として、組み込まれている)。たとえば徹底した形式主義者であったジョージ・クブラーが論じたのは、事物のそれぞれが自らを再生産していく自律したシステムをもっていること、そして各々の事物には必ず雛形たる事物=プライムオブジェクトがあり、それ自身が法となって一つの生産技術、セリーを作り出しているということであった。プライムオブジェクトとは、事物を系統的に分析・分解していった先の、それ以上還元できない基本となる事物として定義されるものである。異なるプライムオブジェクト同士は互いに通訳不可能であり、残存し続ける。例えば、事物の多くは異なる時間軸で生成してきた複数の事物系列の複合でできていることが多く(塔と礼拝堂を組み合わせたゴシック礼拝堂。ラジオとカセットを組み合わせたラジカセ)、それらはそれぞれ異なる再生産のリズムで作られる複数の事物のセリーの融合することなき複合であると考えることができる。われわれはそもそも、並列され、それぞればらばらな周期で流れるさまざまな事物の時間軸上で生きている、ということ。こうした事物や時間、歴史に対するクブラーのパースペクティヴは、「批評」ということを改めて問い直すための大きな導きの手となるだろう。

現在性とは、たかだか、その言語活動の行われる場として確保される現在性にほかならない。その活動の主体も同様にその活動の場においてはじめて承認、自覚されるものにすぎなかった。 1962年以降、なおも美術批評が可能であったかどうか、と問おうとするならば、美術において現在とは何でありうるのか?(端的に〈現代〉という冠詞のつく「現代美術」はどこでその現在性を担保しうるのかどうか?)という問いに直結するだろう。残ったのは、市場の中のテリトリー争い、その支配/排除、被支配をめぐるヘゲモニー争いである。である限り、その評価は生産物そのものではなく、それを産出した場所、あるいは受容される場所の、政治的位置づけ、あるいは地政学的位置づけにこそ対応させられる。(……)こうした世俗的(人間的)秩序(政治)を反映する限りにおいて、批評はもはや批判的でも判断でもなく、付随的な解説あるいは見解以上のものにはなりえなくなった。しかし現在という時間の共有を前提としなければ、それでも批評はありえる。*5

 現在という時間を絶対化しないパースペクティヴに立つときにのみ、批評が批評としてが成立する地平を、私たちは見ることできる。現在性、あるいは「現代的だ」という視点が立ち上がる瞬間は、いつだって事後的だ(私たちはたとえ100年前の評論を読んでいるときでも「現代的だな」と感じることができるだろう)。現在性はあくまで、批評の演算子=オペレーター(すなわち読者)の身体の内側で起動する。

たとえば、建築家が使い古された椅子や机を使って、建築を作ることができるように、あるいは反対に、家具職人が建築の廃材から、椅子や机を作り出すことができるように。あるいはお好み焼き屋はピザの具であるチーズやアンチョビを使ってもお好み焼きを作ることができ、ピザ屋はお好み焼きの具、キャベツやかつおぶしを使ってもピザを作ることができる。それどころか建築家はキャベツやアンチョビを使って建築を作ることもできるし、ピザ屋は椅子をピザに仕立てることもできるだろう。 しかしながら、だとしても建築は建築であり、椅子は椅子であり、ピザはピザであり、お好み焼きはお好み焼きであり、その区分が曖昧になることは決してない。椅子で作った建築(バリケード?)と建築からできた家具が同じになることは決してない。つまり、それぞれの事物の体系性、一貫性が壊れることもない。事物が事物であるのは、それを構成する素材によるのでも、主体によるのでもなく、それぞれがその事物(完結した一つの事物)であるという体系性つまり事物の全体を仕切っている文法=形式によるからである。 事物の体系性=規範形成力とは、あくまでも形式ーーそれが形成するシンタックスの具体性、完結性であって、素材、物質そのものに由来するものではない。*6

 事物を本質的に規定するのは固有の素材でも、物質でも精神でもなく、当の事物の体系性=規範形成力(それは形式、すなわち文法の具体性・完結性を意味する)であり、そこには固有の場所も時もない。批評がほんらい、通訳不可能な複数の体系の間にあり、なおも執拗にそれらの応答・翻訳を試みる営為であるならば、だからこそ、「現在」という時制に縛られる必要はないのである。私たちにできることは、事物の体系性=規範形成力を信じて、複数の体系のあいだの愚直な模倣(ミメーシス)を自らの身体を用いて演ずることを通して、その先にある破綻まで泳ぎ切ることだけだ。

事物による語り=思考は、詩人が建築を使って詩を書くことや、哲学者が椅子を使い、あるいはときにはお好み焼きともんじゃ焼きを使って哲学を語ることとも変わりはない。事物が世界を語る、それはたとえば、お好み焼きの技術でもって、ピザを写すこと。たとえば(パルテノン神殿がそうだったように)木造建築を石造建築によって写すこと、つまりそれぞれの手持ちの体系で別の生産体系、事物の秩序に属する対象を模写(ミメーシス)することであり、むしろ、それぞれの形式の一貫性、完結性は、こうして他のセリー、他の領域に対応させられること、他の領域に適応されることによってこそ試される。だが同時に、それぞれの領域の境界画定は、その結果、必ず現れるだろうミメーシスの破綻、つまりは決して達成されえない同一化=切断として顕在化する。獲得されえない同一性、通約不可能性として。お好み焼きでは語りえないピザ、ピザでは語りえないお好み焼き。ゆえにお好み焼きとピザは融合せず、われわれはその両方を、別の時間、別の態度(判断基準)をもって味わうことができると自覚もするのだ。この切断の自覚つまり境界画定、それこそが批判と呼ばれるものの本質だった。*7

 私たちは複数の異なる形式に沿って主体を分裂させ(そもそも主体とはつねに事後的に生じるものなのだという認識を共有しながら)、それらを自らの内で葛藤させるだけではなく、複数の形式・セリーの闘争そのものを内在化させることもできる。外在的に(すなわち文脈によって)その制作物を批評するのでもなく、精神と物質の“妥協点”としての「形式」を見出すという内在的な批評に陥るのでもなく、物質や精神、意味や形態がそこから生成されるという零地点を指し示すこと、それが批評に残されたひとつの突破口だろう。批評とは、この複数の形式を内在化した先にある不可避の葛藤=分裂、あるいは他の領域との同一化の破綻の内在化=受け入れであり、繰り返すがそれは「通約不可能性の上演」なわけだけれど、だからこそ批評は、未来に開かれた可能性=別の通約不可能性への道、をこじ開けるのである。

むしろ芸術も批評も、完結した事物でも場所でもありえない。それは複数の規範の通約不可能性=それぞれにとっての例外性そのものの現れである。(……)だとしても、固有の批評基準が存在しないことと判断基準が存在しないことは断固として同じではない。判断基準は技術体系、事物のセリーの数だけ無数に存在する。(……)繰り返せば、批評はただ、このさまざまな技術体系、事物が強いる判断基準に、そのつど身を投げ(その固有技術を自らに身体化し)、それぞれがいつか、対抗して現れる別の事物の体系、技術基準、判断基準とぶつかり座礁する瞬間まで随伴してみるだけでよい。 批評に必要なのは、いかなる判断基準にも身をまかせ、あらかじめある主体を引き裂き、それぞれの言語ゲームによって生成する(あるいは破壊される)新たな主体を引き受ける覚悟(と勇気)にすぎない。 さまざまな事物のセリーが別の事物のセリーを語ることによって自己を展開し、あるいは自己をすり減らす。こうした日常のやりきれない、葛藤、抗争、決して一元化されえない、無数の事物たちの政治の中にだけ現在は出現する。その現在が批評の立つ場所だろう。だから批評家は技術を持たなければならない(座礁と破綻を明示するために)。これが批評に要請される、諸技術の政治主義=芸術である。*8

 メディウムの交錯とその破綻の先にある領域の確定、その先にあるのは、「では、新しいプライムオブジェクト(形式、道具、機能)はいかにして生み出しうるか」という問題だ。つづけて、本書のもう一つの重要な論考「先行するF」に書かれている内容に目を向けてみよう。

 

 

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 漱石の「F+f」の議論は本書の主調となっている重要なアイデアである。漱石は近代日本の文学・文化のあり方をおおきく決定することになる人物だが、20世紀の初頭、彼は文学の形態学たる『文学論』を構想する(ベースとなったのは1903年から05まで、東京帝大英文科でおこなった講義であった)

夏目漱石はその『文学論』の土台となる理論を「F+f」の図式で提示した。 「F」は焦点的印象もしくは観念、「f」はこれに付着する情緒として、漱石は冒頭で説明している。英語にすれば、「F」はfocus、「f」はfeelingのそれぞれの頭文字である。なるほど英語で考えれば「f」と「F」の関係の理解は容易である。 feelingは、われわれが感じるところの感覚的入力条件のすべてである。その一つは外界が感覚器官に与える情報すなわち感覚与件である。二つ目は(それにともなって発生することもあるが)精神内部に自ずから生じ、感受される気分、情緒、印象である。外部からもたらされるか、精神内部から生じるかの違いはあっても、いずれにも、これらは刻々、感受されている=感じている(feelされる)ことでは同じである。 一方の「F」は、焦点的印象もしくは観点であると漱石が説明したとおり、この刻々とバラバラに感受される無数の情緒「f」、その組織されざる感覚情報、印象の集合を統合し、焦点を与えるものである。焦点を与えられることによって、それらの情報はひとつの像として統合される。観念とはこうして、散漫で分散的な感覚の群れを、なにものかの表象として焦点を絞る=統合する作用を持つ。*9

焦点「F」(客観としての概念)を与えることで、ちりぢりの感覚、関心、感情(=f)の群れに密度の偏差を作り出し、そこでの運動を組織する術として、漱石の文学的方法論は構想された。まとまりのない主観「f」を客観「F」へと成長させ統御する技術として。

このような理解に基づけば、むしろ漱石の示した図式は「f→F」あるいは「f(1,2,3,………)→F」という表記にしたほうが適切なように思える。(……)これはいうまでもなく、漱石も学んだはずのデイヴィッド・ヒュームなどのイギリス経験論の問題設定に沿っている。(……)にもかかわらず、漱石が「f→F」ではなく、「F」と「f」を並列して、「F+f」としなければならなかったのはなぜか。それはこの論が言語を用いた表現の分析であり、またその理論すなわち文学論であったからに他ならない、と考えられる。いうまでもなく文学は言語、すなわちあらかじめ共有された言葉=単語を用いる(絵画においては図像にあたる)。そこで用いられる個々の言葉は、一定に絞り込まれた意味対象を示すものとして受け取られる。その単語が何かを有意しているという前提が、その単語が言語として機能していることである。つまり言語は記号として、何かをすでに指示している。すなわち焦点(つまり「F」)を備えた意味作用を持つ。*10

当然のことながら、言語は(というか事物一般は)あらかじめ給された意味を含みこんでおり、それは「焦点=F」の役割を果たしている。現に科学的な言説は意味=焦点が確定した「焦点=F」のみで文を構成しようとするだろうが、しかし、文学は「焦点=F」に付着する情緒「f」によってこそ成立するものであり、そこでは主体の感情(=f)を付加することで、確定的な意味(=F)を揺り動かすことが目論まれる。

しかし、個々の単語はすべからず「F」すなわち観念を示しているのであれば、「f」すなわち感情の表出はいかに可能になるのか。「f」は個々の単語ではなく、この単語と単語の連結の様態、基本は同じ意味内容を伝えている文の異なる言い回し、様相(モダリティ)、文体として示される。いわば言い回しの違いによって、文学は、物語られている同じ対象、事実=「F」に対する、それを語る人の位置、距離、視点の違い、それにともなう驚き、感嘆。躊躇、動揺、悲しみ、疑い、怒りなどの差異までをも提示するということになろう。*11

 宿命的に先行する「F」に対して、いかにして立ち向かっていくか。そしてそのための技術をいかにして共有可能なかたちで立ち上げることができるか。あきらかに、近代国家の成立過程にあった当時の日本において、このような漱石の文学理論はそのまま国民国家の成立過程への批判意識と重なっていた。

漱石の「F」と「f」の理論に対応させれば、矢代幸雄にしろ、井上充夫にせよ日本美術や建築においては「F」よりも「f」が優勢である、と指摘していたことになる。が「F+f」は普遍的な図式であり、見出される個々の創作物の得意性は、あくまでも相対的な評価にすぎない。漱石は決して、民族やジェンダーなどの本来的特殊性を求めようとしたのではない。むしろこうした本来性(その代表は国民性)とみなされる特殊性が「F」として仮構されてしまう過程こそを批判的に分析しようとしたのである。*12

 当時形成途上にあった国民国家とはまさに、個々人のちりぢりに分散してしまうほかない感覚や関心の群れに対し、いかにして「焦点=F」を与え、ひとつの集合的な主観(つまり国民精神)を組織するか、というきわめて人為的な営みのもとで成立していたのであり、漱石が「f(1,2,3,………)→F」ではなく「F+f」という図式を用いる必要があったのは、こうした「Fの先行性」への問題意識を決して忘却しないためであった。

 詩を読むこと、歌うこと、踊ること、演じること、スポーツを楽しむこと、窓から朝日が入ること、絵をみること、絵を描くこと、物語を読むこと、祈ること、あいさつすること、犬と遊ぶこと、鳥と会話すること。こうした、我々の暮らしに存在にする「表現」なるものの一切合財は、困難な現実をいっとき忘れさせ、それによって人を奮い立たせ、その人に本来持っている以上の力を発揮させるためにある。それは制度化した日常を生きるなかで硬直化し、凝り固まってしまった私たちの身体を解きほぐし、柔軟さを回復させ、自由をもたらすひとつの方法となるだろう。本書『抽象の力』で度々変奏される「F+f」という図式は、こうしたさまざまな「表現」を理解し、他の表現媒体を自らの実践のうちに吸収し、模倣(ミメーシス)しながら、道具として扱っていくための非常に便利な図式となるのだが、しかし同時にその図式は、例えば国家が「国民性」を仮構するための技術とも本質的に関わっている。それが諸刃の剣であることを忘れてはならない、と、「先行するF」というテキストが強調するのはこの決して見逃せない二面性なのである。

 

 

3

 

 制作物を自律した別の生産形式(プライムオブジェクト)のもとで統御された生産物=道具=オブジェクトとして捉え、分析すること。そこでは「形式」が物質と人間の精神の双方に関わりつつ両者を関係づける機能的な役割を果たしているが、問題は各々の「形式」の領域確定がいかにして可能なのかということであった。岡崎は、さまざまな技術体系・事物が強いる判断基準にそのつど身を投げ(その固有技術を内在化、身体化し)、対抗して現れる別の事物の体系、技術基準、判断基準とぶつかり座礁する瞬間まで粘り強く随伴してみせることをその方法として示した。決して一元化されえない、無数の事物たちの政治的闘争の上演舞台として、自らの身体を世界に貸し与える覚悟が、そこでは求められていた。

 「機能(=関数)」とは、本来は何の関係もない複数のバラバラなオブジェクトにたいしてある「統一」を与える概念であり、事物はつねに、自らの形式=機能に即して他の事物を自らのシステムのうちに布置しようとする。そうした「座の奪い合い」の激しい抗争のなかに、事物はつねに身を置かれているのである。これは「抽象」(=可視的な形象として何かを表現、代表するという仕組み)と深く関わるものである。というのも、抽象とは感覚によって得られた無数の現象から有限な対象をいかに把握するのかということ、もっといえば主観的に感覚される現象からより普遍的かつ総合的な秩序=形式をいかに把握するのかという問題であり、「抽象の力」を追求することとは、何かを代表することや、何かを統一することにおけるある固定化した状況に疑義を投げかけ、「代表=統一」に至る回路を一度解体し、ちりぢりの感覚・関心・感情の群れと私たちの身体が、きわめて具体的な作用のなかで再び出会い直すための新たな方法を、どこまでも執拗に問い続けることにほかならない。

 複数の事物の「座の奪い合い」のゲームのただなかに身をおくこと。何かを代表するという仕組みに疑義を投げかけること。確定的に先行するようにふるまう「焦点=F」を批判し、どうにかして新たな「焦点=F」を事後的に立ち上げ、「ちりぢりの感覚=f」を再編成すること。これらは、「抽象の力」を執拗に再検討する行為の一部である。しかしこの時点で、「抽象の力」はたんに称揚すべきものでも、否定すべきものでもない。「抽象の力」とは多元的な情報をなんらかのかたちで縮約しとりまとめるものだが、上述したようにこれは功罪相半ばであるからだ。本書において、「抽象の力」に向かう芸術家たちの立ち位置が様々な角度から検討されているのはこのためである。たとえば、

熊谷の長い画歴のはじめから最後まで、その関心は漱石理論における、この「f」と「F」、すなわち直接感受された感覚と認識される像の間の落差があり、その制作は「f」と「F」を結ぶ錯綜した回路を整理し、それを新たに繋ぎ直す近道(ショートカット)を発見し、作り出すことだったといってもいい。(……)ばらばらに入ってくる感覚刺戟=感覚の断片が、それを感受した人の脳の中で知的に作り出す構成が対象である。この落差(プロセス)が絵画の力を作り出す。*13

対して、

夏目漱石の文学論における「F」にせよ、T.S.エリオットの「客観的相関物」にせよ、エズラ・バウンド(1885-1972)の「イマジズム」にせよ、その要は、もともとまとまりを持たないさまざまな感覚、感情の集合を、一つの外的対応物を(仮設しそれを)通してまとめ=代表し表現することにあった。つまり表現されることではじめて、とりとめのない感覚、感情の集まりは一つの特定の概念として定位されるということである。(……)その意味で抽象芸術は必ずしもキュビズムの展開として出現したのではないし、むしろ(ピカソやブラックを考えれば明らかなように)キュビズムからは抽象は直接的には派生しえない。反対にキュビズムこそが、抽象が発生する前提である表象システム=可視的な形象として何かを表現、代表するという仕組みへの懐疑、不信を共有し、その同じ土台から分岐して派生したと見るべきだろう*14

さらに、もっとも重要だと私が思うのはチューリッヒ・ダダに関する記述で、

ダダ(特に1916年にチューリッヒのキャバレー・ヴォルテールを拠点として誕生した「チューリッヒ・ダダ」)は第一次世界大戦中に唯一、反戦と反美術(と称されたその活動)が思想的中心において重なった運動だったといっていいだろう。ダダにはニヒリズムもシニシズムも存在しなかった。その根本にあったのはあらゆる主体の破壊、自己意識つまり主体による中枢的統御の解体であったが、その結果、出現したのは驚くべき能産性であり、ユーモアだった。 何かを何かが代表することへの反対ーーダダの思想を一言にまとめればこうなるだろう。もちろん、そこには自分が自分を代表することも含まれる。当然、代表することを目指して行われる権力闘争などは徹底的に批判される。そして芸術作品が何かを代表すること、すなわち権威を代行することを意味するのであれば、芸術が批判されるのはいうまでもない。 繰り返せば、だがこうしたダダの思考は決して非生産性をもたらすのではなく、むしろ反対だった。よく知られているように、ダダは日常生活の細々した雑音、とりとめもない人の行動、どうでもいいような小さな生産物に注目した(……)日常的な生活場面での、むしろ身体行為に組み込まれた無意識的な感知・接触こそを主にするこれらの生産物は、ゆえに応用芸術あるいは工芸として見下されてもきた。しかし、これらは何もとりたてて代表していないが、身体と共に活動、機能するという具体性を持っている。身体の各部分はそのつど、それぞれの事物と協働して行為を遂行する。ときに互いに意識せず、同時に複数の行為を一つの身体が遂行していることもある。つまり身体各部分は意識の中枢的な支配を逃れ、行為ごとに、そのつど自律的無意識的(互いにばらばら)に、その編成を解体、変化させ事物との共同作業を行う。*15

合わせて、ゴンブリッチ『棒馬考』はこのダダの核心を突いている。

ゴンブリッチはこの論文で、芸術表現に、代表/表現(representation)モデルではない別のモデルがあると提示する。それは何かを模倣するのではなく、その事物とそれに関わる主体との関係そのものを組織する。たとえば金槌とは形態ではなく、金槌としてそれを使うこと、その機能それ自体をいう。(……)実は見かけ上の類似性などは意味を持たない。抽象とは外観に現れたかたちの抽出ではなく、この具体性に基づいた認識であり、判断である。(……)身体の諸性質は道具との触発によってはじめて生起させられるのだから、道具の中に身体が潜在しているとさえいえるだろう。道具を持てば誰の身体であれ同じように行為する。身体は道具によってはじめて具体化される潜在性である。*16 

 大きく分別して、「抽象の力」には「代表/表現モデル」と具体的な行為と密接に結びつく「道具/行為遂行モデル」があるといえるだろうか。いずれにせよ、「抽象の力」にむかう様々な立場が(ごくごく一部しか紹介できないけれど)ここで示されていることに注目しよう。

 巻頭論文である『抽象の力』は「批評を招喚する」で示された批評の可能性を極めて正確に展開しているものだ。本論考では個々の芸術作品を自律した別の生産形式のもとで統御された生産物=道具=オブジェクトとして捉え、それらが強いる判断基準にそのつど身を投げながら、結果として浮かび上がるオブジェクト群の布置がひとつのパラグラフ(段落)として束ねられている。しかし、本論を構成する17のパラグラフは決して一元化されておらず、むしろ各々に独自のパースペクティヴを提供する内容となっているので、むしろ交通渋滞をおこして座礁しまくっている。まさに本論考は、無数の事物たちの政治的闘争の上演舞台として、覚悟と勇気をもって世界に貸し与えられた場所であるといえると思う。だからこそ、本書を読み、無数の事物のネットワークから「世界」を立ち上げるための最後のピースとなるのは、読者である私たち自身の身体の固有性にほかならない。本書と私の共同作業の構成材として、私は私自身の、「建築」という形式に実践の舞台を置くこの身体を貸し与えるだろう。

 

 

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 本書の議論を建築的実践に結びつけるための補助線となるのは、本書でも引用されているコーリン・ロウの「透明性 実と虚」*17だろう。建築というよりもむしろキュビズム絵画におけるコラージュの様相を分別するために用いられることの多い本概念であるが、ここではあくまで建築空間の経験に即して言及していきたい。ロウはまず「透明性」の定義を、ハンガリーの芸術家ジョージ・ケペッシュの記述から導出する。

 二つまたはそれ以上の像が重なり合い、その各々が共通部分をゆずらないとする。そうすると見る人は空間の奥行の食違いに遭遇することになる。この矛盾を解消するために見る人はもう一つの視覚上の特性の存在を想定しなければならない。像には透明性が贈与されるのである。すなわち像は互いに視覚上の矛盾をきたすことなく相互に貫入することができるのである。しかし、透明性は単なる視覚上の特性以上のもの、更に広範な空間秩序を意味しているのだ。透明性とは空間的に異次元に存在するものが同時に知覚できるということをいうのである。*18 

 なるほど、ガラスやルーバーといった透過性のある素材が多重に折り重なるとき、我々は「透明性」という性質を事後的に適応することで、それらの奥行きの食違いの矛盾を止揚している(リテラルな透明性)。問題はロウが「視覚的でない」透明性として指摘する〈現象する透明性〉である。建築分野において〈現象する透明性〉はしばしば「正面性」の問題として消費されてしまっているのだが(これはロウの功罪でもある)、これは本来の意味を歪曲した解釈である。
 〈現象する透明性〉は端的にいって、離散的な知覚経験が意識の中で統合されることで生じる構造的な透明性である。どういうことだろうか。例えばある建築を経験するさいに、a-b-c-d-eという経路の順番があるとしよう。その建築を何度も経験していれば、cを過ぎた先のdにいるとき、このまま歩いていていけばeに到達するだろうという予想は当然可能だし、それができなければ日常生活に支障をきたすことだろう。これを可能としているのは、仮想的な建築の一望性を私たちが想像できているからだ。建築はその構造上、つねに部分的にしか空間を経験できない。部分的な経験は分岐・分裂し、記憶として蓄積され、雑多に重なり合う。が、人間はそれを制御してひとつの像をつくりだす能力がある。つまり、建築空間の局所性をそのつど “演算”し、仮止めの解=「仮設的な全体性」をそのときどきで導出しているのである。
 ロウが「現象」という言葉を用いたことからも明らかだが、この概念はフッサールの「形相的還元」ほとんど同義だ。フッサールによれば対象の形相は、性質を「足し合わせる」ことによって得られるものではなく、逆に射影されている性質を「差し引く」ことによって得られるものである。例えば目の前のリンゴは、丸みを帯びているとか、甘いとか、赤くツヤツヤしているとか、冷たく固い肌触りであるとか、とにかく多様な偶有的特徴で覆われている。その対象を「リンゴ」として認識できるのは、それを様々な角度から観察したり、味わったり、肌触りをよく確認したりしながら、対象が変化する様子を様々な仕方で確認し、それでも変化しない核心のようなものを認識するからである。時間や空間の変化によって移り変わる質感と、時間や空間の変化に抗する持続性を見極めること。これによって私たちは事物を特定の対象として認定している。そのために必要な作業は、対象を覆う無数の偶有的特徴をひとつひとつ引き剥がしていくことである。これはまさに、建築空間を部分的に体験していくことで、その全体性を仮設的に組み上げていくという〈現象する透明性〉と合致するものである。
 当然、この「時所を異にした現象の束ね」をコントロールする技術を、建築家は長い年月をかけて培ってきた。 たとえば、はじめてその建築物を目撃するさいの「正面」(外形)のあり方は、その後の部分的な経験を演算していくための土台となるし、構成材の継ぎ目たる「目地」は、バラバラな位置における空間経験を結びつけるための手綱となる。あるいは特定の部分だけを経験すれば、あとはその反復だけで全体が成立しているという「透明な構成」もまた、建築経験を串刺しにして制御する技術のひとつだといえるだろう。これらは漱石の定義でいう「焦点=F」を制御する技術に該当する。〈現象する透明性〉は、いかなる時代にも、いかなる建築家にも、いかなる状況にも束縛されることない建築一般がもつ権利であるとすれば(何も特殊な条件というわけではない)、建築家はその可能性を、プロジェクトの条件に即してそのつど吟味しつつ引き受けていけばいいはずだ。たとえば各々のプロジェクトごとに、一回きりの経験で「焦点=F」が明確に設定される必要がある場合もあれば、数万回の反復運動の果てに「焦点=F」がなおもフレッシュな仕方で浮かび上がる、ということが要請される場合もある。この「焦点=F」の出現位置と強度の伸び縮みこそが、建築の構成を決定づけるおおきな判断材料となっているといってもいい。問題は、近代的なイデオロギーが〈現象する透明性〉をより明快にすることを志向する一方で(近代建築は、あらゆる人間に平等な経験をもたらし、同一の全体性を与え、似たような身体を生成することを欲望する)、むしろ仮設される全体性を撹乱し、〈現象する透明性〉を不透明にする道具を、われわれは十全に持ちあわあせてはいないことなのである。
 〈現象する透明性〉は、良い意味でも悪い意味でも、人間の生活を「毎日」という枠組みの中に編成する道具となりうる。その枠のなかでは、人間の活動・行為が、本能的に、意識下の、無意識の、無反省のメカニズムへと変化するだろう。ようは、我々は環境に慣れるという根本的な特徴をもっている。私たちは快楽にも慣れるが、痛みにもなれてしまうのである。こうした環境への無反省性こそが「日常性」なのだとすれば、建築家の政治的闘争は、この〈現象する透明性〉を何らかの仕方で制御することで近代的な制度から日常性を解放する、というところに最終的には帰着するだろう。たとえば建築家・建築史家のロビン・エヴァンスは、日常的な生活に潜むもっとも典型的な政治的道具を「パッセージ=廊下」に見出した。なるほどたしかに廊下こそ、〈現象する透明性〉を制御するもっとも強力な制度である。エヴァンスによれば、モダニズムの中心的な建築言語であるパッセージ=廊下は、フランス革命以降もてはやされた「個の自律性」を確保するにあたって、住居の動線と プライバシーの問題を解くため導入されたという経緯がある。すなわちきわめて近代的な空間装置なのであるが、現代の我々はそれが あたかも建築の原初的な建築言語のように誤解してしまっているのである*19。建築というものは、いかに長い年月を過ごそうとも汲み尽くせない対象=他者である。しかし近代建築はそうした「汲み尽くせなさ」をいかに弱めるか、という点に力を注いできたのであり、そこでは空間的な装置として、「プライベート」や「廊下」といった概念が“制作”されてきたのである。

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 と、ここまでくれば様々な仕方でパラフレーズされていた「抽象の力」と、ロウが指摘した建築における構造的な透明性が見事に一致するということがわかると思う*20。もちろんこれはあくまで私の個人的な見解ではあるけれど、少なくとも私は『抽象の力』を、つねに〈現象する透明性〉とリンクさせながら読んでいたように思う。日々の生活で想像的に仮設され、時が経過すれば容易に固定化してしまう建築のフィクショナルな全体像に対する裏切り、新たな発見、驚き、汲み尽くせなさを「いま=ここ」に宿し(ルーチン化した日常に「批評を招喚する」)、固定化しがちな「焦点=F」に対する違反・侵略・冒険を繰り出すための具体的な道具として〈現象する透明性〉は酷使されなければならないと、常々考えていた。それは建築経験における“演算の失敗”を企図することだけど、これこそ、建築家が担うべき「抽象の力」の実践にほかならない、と私はおもう。

 住宅の設計であれば、何万回、何十万回の反復運動の先にある「焦点=F」の再編成を“設計する”という困難な目論見がそこでは要請されるのであり、そこでは例えば、一日何十回・何百回とおこなわれる「ドアを開ける」という行為が数十年持続するという凄まじさを前提としながら、ドアノブの手触りや室間の移動にともなう眼の動き、音の変化、足の裏が感知する触感などが徹底して吟味される。使用者が五感を駆使して、建築物(を構成する部分的な事物群)と絶えず「交渉」をおこなうことで(これはいつなんどきも二人称的な経験となるだろう)、様々な行為は遂行されていくわけだけれど、とりわけ何年も過ごして「環境化」した家にあっては、身体の各部分が互いに意識せぬまま連動し、同時に複数の行為を一つの身体が遂行している場合がほとんどである(ドアノブにかける手、真鍮の冷たさを感じ取る指先、床の素材の変化を感じ取る足の裏、ドアを開けて左にあるはずの窓にむけて視線を動かそうとする眼、窓の外の鳥の鳴き声を聴きとる耳、が同時に立ちあがる)。身体の各部分は行為ごとに、そのつど自律的かつ無意識的に、その編成を解体・変化させつつ事物との共同作業を(その組み合わせと起動パタンをルーチン化させつつ)おこなっているのであり、建築家が可能なのは、そうした状況に対してあらかじめ確定的な行為のあり方を設定することなく、身体の各部分が建築の各部分と具体的な交渉を遂行することで生じるちりぢりの感覚・関心・感情の群れを個別に前景化しながら、なおかつそこに密度の偏差を作り出し、無数に生じる身体-事物の交渉の思いがけない編成を産出しつつ、それらが日常の反復のなかで組織・固定化された状況に対してはそれを揺り動かす「焦点=F」を事後的に柔らかく立ち上げるコンセプトを(たとえば〈現象する透明性〉を用いながら)実装することになるだろう*21。そういうことを考えている建築家にとって本書は、批評すること(=通約不可能性の上演)、「F+f」、そして〈現象する透明性〉に関わる具体的かつ高度な実践が極めて高密度に束ねられた参照点の塊として、唯一無二の存在となるに違いないのだ。

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*1:岡崎乾二郎: 抽象の力 近代芸術の解析, 亜紀書房, pp.382-383, 2018

*2:Ibid., p.383

*3:Ibid., p.386

*4:Ibid., pp.387-389

*5:Ibid., pp.405-406

*6:Ibid., pp.406-407

*7:Ibid., p.407-408

*8:Ibid., pp.409-410

*9:Ibid., p.190

*10:Ibid., pp.190-191

*11:Ibid., p.192

*12:Ibid., p.197

*13:Ibid., pp.19-22

*14:Ibid., pp.24-25

*15:Ibid., pp.42-43

*16:Ibid., p.49

*17:コーリン・ロウ「透明性 実と虚」, 『マニエリスムと近代建築』, 伊東豊雄・松永安光訳, 彰国社, 1981

*18: コーリン・ロウ「透明性 実と虚」, pp.206-207. より再引用

*19:ロビン・エヴァンス「Figures, Doors and Passages」, 『Translations from Drawing to Building and Other Essays』, The MIT Press, 1997

*20:現に〈現象する透明性〉は「F+f」と言い換えても何の差支えもないし、むしろ「透明」という表現が厄介なので言い換えたほうがいいかもしれないとも思うのだけど、しかし全体を一望する視座がもたらされ得ない建築というジャンルにおいて、「焦点=F」を設定するに〈リテラルな透明性〉が不可欠だったりするで、やはりロウの対概念は有効だよな、とも思う。

*21:ひとつ、例を。幸いにも、建築には「最後まで決して演算しきれない場所」があることをここで示しておこう。それは建築が宿命的にもつこととなる名状しがたい質料の厚み=ポシェである。「天井裏」をなくし、「より薄く」を志向する現代建築にあってあまり顧みられることのない空間の残余=ポシェであるが、たとえばヴェンチューリはこのポシェの重要性をだれよりもよくわかっていた。ヴェンチューリはキッチュな看板建築を称揚することで外形と内部空間の一致を撹乱させ、厚みを自在にコントロールし、煙突をむやみに巨大化しつつ、バナールな「家」のイメージを意図的に取り入れる。とはいえ、方法はもちろんヴェンチューリが実践したようなことに限定されるわけではない。その方法を個々人が創造していくためにも、『抽象の力』の内容を、〈現象する透明性〉と絶えずリンクさせながら読み込んでいくことは決して無駄にはならないだろうと思われる。