声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

MAY.24,2019

こっそり美術出版社の「芸術評論募集」という論文のコンペに応募していたのだけど、めでたく落選となった。「アナーキズムの条件」というタイトルの、写真家の中平卓馬をあつかったテキストで、要旨は以下の通り。

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1974年、中平卓馬は自身が表紙を担当していた『近代建築』誌上でいささか挑発的なテキストを寄稿する。64年の東京五輪から70年の大阪万博にむけて加速していた高度経済成長が公害問題やオイル・ショックにより一時頓挫し、70年安保改定を前にした全共闘運動がすでに息をひそめていた時期であり、同時に、大規模なスクラップ・アンド・ビルドによる都市空間の変貌の只中にあった時期のことである。中平が投げかけたのは、世界の普遍性・不動性に対する建築家のオプティミスティックな態度への批判であり、「アナーキストは建築家になり得るか?」という疑義であった。

建築的な実践が「生の解放」のためになすべき政治的闘争と、中平の写真実践が重なる地平を、見つけ出すことはできるだろうか。本稿が企図するのは、私たちの生を枠付けている制度への違反・冒険・逸脱の形式を中平自身の言説及び制作物から取り出すことで、「アナーキスト的建築家」という中平が提示した建築家像をより明確にすることである。

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ようは、ほとんど黙殺されてしまった写真家から建築家への批判に対して、建築家の立場からきちんと正面から向き合って返答しよう、というテキストです。中平を扱っているとはいえかなりニッチなテーマだし新規性のあるテーマでもないから、はなから勝算のうすいテキストではあったのだけど、ぼくとしてはこのマイナーさと新しくなさ(半世紀近く前の写真家から建築家への疑義に対して、いま、建築を専門としている自分が返答するということ)こそ意義があると思っていた。

原稿はこのままお蔵入りにするのか、どこかで公開するのか、まだ考え中、、。改めて読んでみると欠陥だらけなので、かなり書き直すことにはなるとおもうけれど。

わざわざこんなことをブログに書いたのは、今月発売の美術手帖6月号で芸術評論入選作の発表があり、それにあわせて審査員(椹木野衣、清水穣、星野太)による選考過程についての座談会があって、そこで惜しかった選外、みたいな感じでぼくが書いた論が紹介されていたからだ(一番はずかしい名前の登場の仕方、、)。批評のコメントは的確で、いつもの悪い癖(脱線を繰り返し盛り込みすぎてしまう)が指摘されておりただだだ反省する。とはいえ、この三者にテキストが読まれ、写真の専門ではない自分が書いた中平論が一定の評価をいただけたというのはありがたいことだと思った。ダメだったけど。