声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨Takahiro Ohmura

DEC.21,2019_エリー・モサエビ

 エリー・モサエビさんという女性の建築家がいて、最近すごく気になっている。というのもETHZ(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)のモサエビさんのスタジオ成果物のクオリティがやばくって。彼女のことは佐伯(達也)さんに教えてもらって知ったんだけど、博論がルイジ・カッチャ・ドミニオーニ論らしいんだよね。佐伯さんも修論がカッチャ論で、その関係で興味をもったっておっしゃっていた、と思う(カッチャ自体ぼくは全然知らなかったのですが)。それにしても、いったいどんな教育をしたらこのレベルの成果をコンスタントに出せるんだろうか。ETHZに留学した人でモサエビさんのスタジオ取った人とかいないかしら。ちょっと詳しく聞いてみたい。

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Nils Benedixsource: https://mosayebi.arch.ethz.ch/en/projects/autumn-semester-2018/

 

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Manoёl Prinz & Manuel Viecelli(source: https://mosayebi.arch.ethz.ch/en/projects/spring-semester-2019/

 

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Ömer Acar & Tobias Lenggenhager(source: https://mosayebi.arch.ethz.ch/en/projects/spring-semester-2019/

 

vimeo.comJames Horkulak(source: https://mosayebi.arch.ethz.ch/en/master-thesis/

 

  提案の内容がそもそもハイクオリティだなと思うんだけど、ドローイングとか模型とか、単純に表現自体が新しい感じ。さらに、単に水準が高いだけではなく各提案にある一貫性を感じるのは、モサエビさんが自身のスタジオのマニフェストのようなものを開示しているからかもしれない。https://mosayebi.arch.ethz.ch/en/twelve-theses/。これは「Twelve Theses on the Architecture of the Second Modernity」という短い宣言文で、これがまた熱い。グッとくる。やはり教育においては「理念を共有する」ということがすごい大切なんだよなーと、あらためて思う。その理念が正しいか正しくないかというのはもはやどうでもよくって、むしろ議論の下敷きになりうるということ自体が大切で、それは学生たちがあれこれ迷うことなくある方向性のなかで思考実験を積み重ね、ディスカッションし、高密度かつ高速に議論を蓄積していく下地となる。教員の強いキャラクターや作家性みたいもので学生が方向性を共有したり、あるいは共通の研究手法があったり、みたいなことはよくあるけれど、宣言文を共有するというのはなかなかどうして……いいじゃないか。あきらかに正しいのでもなければあきらに間違っているのでもない、議論のしがいがありそうなトピックの選び方だと思う。挑発的かつ抽象的だけれど、なにか手を動かしてみたいと思わせるような感じがする。ちょっと和訳してみよう。

第二の近代に関する12の論題

 

1: 第二の近代は建築の自律性に疑義を投げかけ、作家性(authorship)と政治的参与を結びつける。

2: 第二の近代における建築は、主観をおろそかにすることのない物性(objectivity)と合理性を要求する。

3: 第二の近代における建築は現行のポストモダンとノスタルジックな傾向を避けるが、建築史の参照をまったく放棄することはない。

4: 第二の近代が要求するのは、比喩と表象を組み合わせた絵画的かつ観念的、連続的だか状況的、シャープでありつつ曖昧な、脆さと力強さをあわせもつ「新しい抽象作用」 である。

5: 第二の近代は二分法を用いて思考する。それは二分法の(逆説的な)副作用なしに進展を十全に思案することはできないと知っているからだ。

6: 第二の近代における建築は、もはやコンセプトだけでは現実の複雑さを把握することはできないがために、独自のフィクションを作り上げる。

7: 第二の近代は、思考の制約を打ち破り、現代における活動をありようを導いてくれる新たな概念を見つ出すため、実験主義を標榜する。

8: 第二の近代における建築は、敷地から独立した固有のコンテクストを創造する。

9: 第二の近代は、現実の複雑さを完全に把握することは決してできないということを認識しようとする。

10: 第二の近代は、過度(hyper-)と横断(trans- )と間(inter-)の同時性である。

11: 第二の近代における建築は、可変性、翻訳、溶解、揮発性──すなわち、もはや固定化されていない特性──のほうへ向かう。

12: 第二の近代のインフラストラクチャは、海底、宇宙空間、極地に隠されている。

Elli Mosayebi: Twelve Theses on the Architecture of the Second Modernity

ぼく個人が最近考えていることともリンクするところがあって、共感する。というか、いろいろなルートで介入しうる経路をもった、個々人が各々固有な仕方で改変しうる可能性をもったマニフェスト、って感じかな。たとえば主観性(subjectivity)と物性(objectivity, 客観性ではなく物性といいたい)を切り離さず考えること。ぼくはこれを「身体の部位と建物の部位の癒着」(先日の了二さんのトークショーの感想のところで書いたようなこと)と言ってるけれど、遠くはないと感じる。あるいは、歴史の参照回路を発明し直すこと、や、「コンセプト」に取って代わって「フィクション」を立ち上げること。敷地の文脈から独立した「自治」を標榜する──あるいは「例外的な場」の立ち上げる──ことで、「コンテクストを取り込む」のではなく「自身が周囲へのコンテクストになる」こと。などなど……。

 「Second Modernity」という言葉はドイツの社会学者のウルリッヒ・ベックが使ってるらしいのだけど、モサエビさんがベックを踏襲しているかは不明。ちなみにモサエビさんは独自の用語集みたいなものも作っていて、これもめちゃ面白い。ゼミでの議論の蓄積を辞典的にアウトプットしてるってことだろうか。これも次の世代へ議論をうまくリレーできるいい仕組みだと思う。これの「Modernisation」の項目にはベックへの言及があるから、やっぱ「第二の近代」もベック由来なのか。ちょっと本読んでみます。

https://mosayebi.arch.ethz.ch/en/thesaurus/

 

 なおかつ(まだあるのか!)モサエビさん自身の設計も非常に面白そうhttp://www.emi-architekten.ch/。シャロウンのアパートや住宅を感じさせるようなプランだ。要チェック人物。

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Edelaar Mosayebi Inderbitzin Architekten: Wohnbauten Steinwies-/Irisstrasse, Zürich-Hottingen, 2011–2015