声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨Takahiro Ohmura

MAR.9,2020_ミッドサマー

 昨日は御茶ノ水での労働のあと、御徒町のTOHOシネマズ上野で「ミッドサマー」(アリ・アスター監督)を見た。
 前作の「ヘレディタリー/継承」がスーパーハイクオリティだったので今回も期待していたのだけれど、やっぱりすごかった。恐怖と笑い、美しさと気持ち悪さ、親密さと疎外感、みたいな共存しえない(とつい考えてしまう)感情が目まぐるしく展開しながら同時に一気にやってくるような映画で、めちゃくちゃおもしろかった。怖いのだけど、観賞後には謎の清涼感があるから不思議。
 ネタバレ抜きでこの映画について書くことはかなり難しいので、内容についてはなかなか書きづらい。公式サイトに、絶対に映画未観賞の人は見てはいけない「完全解析」ページなるものがあって、ここを読むと疑問に思っていた箇所がだいたい解消するのでおすすめ。とはいえ内容はそれほど難しいものではない、と思う。むしろ異常にシンプルというか、要約すると、ひとりの女性が外国への旅と人々との交流によって家族の死と恋人からのひどい仕打ちを乗り越える!みたいなことになるのだろう。間違っていはいないはずだ、うん。しかしそこにどぎついフレーバーがふりかけられる。
 内容はまあ置いておいて、ぼくは普通に映像の作り方に度肝を抜かれた。この映画はおおきくは、前半のアメリカ編と後半のスウェーデン編の分けられる。で、前半はほぼパンフォーカス(画面の隅々までピントがあっている)もしくは前ピンのフォーカスにも関わらず、後半は被写界深度の浅い後ピンの画面構成を多用する。すごかったのは物語の主要な舞台となる「ホルガ」というカルト村に入る直前に挟み込まれた主人公ダニーのバッドトリップ描写で、嫌々ドラッグをキメたダニーのストレスが高まっていくタイミングで被写界深度もグーッと浅くなっていって、焦点がどんどん狭くなっていく=ピントが合っていない部分が拡大していくのだけど、そのぼやけた部分に奇妙なデジタル処理がなされて、うにゃ〜って感じで歪んだりするのだ。個人的には映画史における数多のドラッグ描写、それもバッドトリップの描写において、これほど優れたものはなかったように思う。すくなくとも自分が見た映画ではこれがナンバーワンに気持ち悪かった(乗り物酔いしやすい人なんかは本当に気をつけたほうがいいシーンだと思う)。前述したように、このバッドトリップ描写後に入っていくファニーな雰囲気のホルガでは、被写界深度が浅く、さらに後ピンで撮られたシーンがすごく増える。そこでは画面手前に映り込むボヤケた木々や花々、あるいは白装束の住民らの蠢きがどうしても目に入ってしまうのだけど、直前のバッドトリップ描写があるために、これが非常に怖いのだ(前ピンなら絶対にこうはならない。非常によく設計されている)。予告を見れば分かる通り、このシーンは一見するとすごくおしゃれで洗練された、恐怖とは無縁の画面なのだけど、あのバッドトリップ描写があるだけでこの画面づくりの意味がまるで反転してしまう。

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 「ピントのぼけ」によって恐怖を生み出すという手法自体は、ホラー映画としては特に新しいものではない。むしろ王道だ。焦点の外に、得体のしれないナニかがいる……みたいなね。アリ・アスターが発見したのは、そういうホラー的な手法と、被写界深度が浅い一眼レフ的でおしゃれな画面づくりが、“似ている”ということだ。「おしゃれ」と「不気味」が等号で結ばれるとき、白夜によって終始明るく空が青い北欧という舞台は、恐怖の世界へと一変する。この本来は怖くない画面づくりを怖く感じられてしまうというマジックをかけられてしまったとたん、あたかもゾンビ映画における墓場のような恐怖の世界として、ぼくらは北欧を再発見するのである。ここまでくるともう引き返せない。
 ぽつぽつと点在する建物の配置も非常に気味が悪い。棟数が少なすぎて人々の生活感が皆無だし、不自然に斜めに食い込んでいるボリュームはなんらかの儀礼的な意味を感じさせると同時に、この場所が、すくなくとも近代的な価値基準からするとバランスの崩れた世界であることを感じさせる。物語終盤で活躍するホルガにおける最も重要な建物は鮮やかな黄色の正三角形をしているのだけど、要所で登場するこの建物を中心に据えたシンメトリカルな画面づくり(食事シーンなど)もとても気持ち悪く、最高だった。建物のぽつぽつ感というのは、単純にいえば、広大な風景を引きで撮ったときに建物がスクリーンに一軒映るかどうかというバランスなのだけど、この風景が画面の構図としては非常に洗練されていて、むしろイメージが先行して建物の配置(集落の空間構成)が決められたのかなという感じがした。それによって、胡散臭く怪しげでいかがわしいと同時にファニーで美しい「芝居がかった集落」の風景ができあがり、そのなかで仮面のような表情の住民たちが、奇声をあげながら運動する。そして、そうしたジェフ・ウォール的(絵画的)な画面構成に混ざり込んだ「外部の人間たち」は強烈な異物として画面から浮き上がり、生々しい困惑をその身振りと表情で観客に突きつけるのだ。