声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨Takahiro Ohmura

APR.8,2020

 今年で8年目になるMacbookが、ついに逝ってしまった。突然電源が落ちて、起動しても真っ暗な画面にはてなマークが表示されるだけで進展がない、という明らかにヤバイ状況だったのだけど、この画面になったらどうやらもう手遅れだということがわかり、観念した。ハードディスクが認識できないとき(つまり損傷しているとき)にこの画面が出るみたい。先週、ちょうど不穏な空気を感じて(急に電源が落ちるなど)バックアップはとっていたのでデータ紛失の心配はないのだけど、今週作っていた書類だけはどうしても取り戻したかったので、あらゆる手を尽くして再起動をチャレンジしていたら、30回目くらいの挑戦でなぜか普通に起動できたので急ぎUSBに必要な書類をサルベージした。これでもう大丈夫(なはず)。長い間お世話になったpcなので、悲しい。しかし、起きてる時間はずっと電源ついてるみたいな酷使の仕方で7年間がんばってくれたのはすごいことだと思う。本当にお疲れ様。

 そういうわけでブログの投稿がしばらく止まってしまっていたわけです。あと一週間くらいで到着する予定なのだけど、apple storeの注文状況がずっと「処理中」のままなので、もっと時間がかかるのかもしれない。こういう状況だからね。べつにiPadなりiPhoneなり使って投稿すればいいわけだけど、なんとなく手が動かなくって。

 そういえば今年に入って、いろいろなものが壊れまくっている気がする。まず先日書いたイスでしょ。そして今回のパソコン。あと上京してからずっと使ってたお皿が欠けたり、コップが割れたり。ずっと歯医者にいってなかったのだけどついに虫歯ができたり(現在治療中)。これはそんなに年月経ってないけれど、今日、数年前に買ったイヤホンが片耳断線して音出なくなったし。なんというか、いろいろなところに「がた」がきている感じ。モノをなかなか捨てられない人間なので、基本的には買ったりもらったりしたものは壊れるまで使うのだけど、その節目が10年という年月なのかもしれない。身体に関しては、30手前にしてこのままではやばいぞという危機感がついに増してきて、生活習慣をかなり見直している今日このごろです。

 下の写真は、近所で一番美しいなと思っている場所の写真。青い色の、艶のあるタイル、の玄関。この家はうちから数百メートルくらい先にあって、幅員2mくらいの路地に面している。とくだん華やかではなく、質素で装飾のないすごく小さな家なのだけど、玄関の前はつねにきちんと掃除されていて、清潔で、庭の植物も手入れが行き届いている。住人の方の人柄の丁寧さがとてもよくあらわれていると、前を通るたびに思う。この小さな家の角っこには、ちょうど庇のようなかたちで、L字型のバルコニーが付加されていて、そこにときおり洗濯物が干されていて、それもとても素敵だ。

 天気がいいと、この青いタイルがきらきらと光っている。テレビをつけるとコロナのことばっかりだし、深刻さは日に日に増していくしで、悪い意味で歴史に立ち会っているなと、どうしても気分は落ち込み気味になってしまうのだけれど、散歩の途中でこのタイルの質感に出会うと、ぼくはなんだかそれだけで救われる気がするのだ。世界の状況とも、人間関係とも、あるいは個人的な未来への不安ともまったく無関係に、この美しい質感が当たり前のように存在しているということに、たぶん救われているのだ。それは、自分が生きている環境への信頼、みたいなものを取り戻すための、すごく大切なトリガーであるように思われる。今のような状況で自分にできることといえば、こういう救いの感情を作るための道筋を、この小さな部屋のなかで、ひっそりと考えることだけだ。

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PENTAX 67, SMC TAKUMAR 6×7 105mm / F2.4, FUJI PRO400H