声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨Takahiro Ohmura

SEPT.21,2020

 おどろくほど快適な気候で、いちど9時くらいに目が覚めたが、暑いとも寒いともいえないような、どちらかというと涼しいようななんとも言えない心地良い気温のなかでは起きる気がわかず、再び寝た。

 12時ごろにようやく起き上がり、睡眠のあいまにせっせとメモを取っていた夢占いの結果を吟味したり、ここ数日にあったことをあれこれ思い出しては嬉しい気持ちになったり、人にかけられた呪いのような言葉を反芻してげんなりもしながら、服をぬぎ、やや熱めのシャワーを浴びて雑念を吹き飛ばす。

 おいしいコーヒー豆(定期購入中)が届いていたので、時間をかけてコーヒーを一杯煎れる。浅入りの豆なので、少し細かめに挽いてから、たっぷりとお湯を入れ、マドラーでグルグルとかき混ぜてから、時間をかけてゆっくり蒸らす。だいたい1分半くらい待ったあと、30秒くらいで約200gのお湯を注ぎ切る。その後の1分くらいで、お湯が落ち切るようにする。グアテマラの甘い豆。

 

 少しだけ眠いが、ラジオを聴きながら、先週の空き時間にiPhoneのメモに残していた日記の下書きみたいなものを少しまとめてみる。今年に入ってからはちょっと心身の余裕がなく、その日にあったことをリアルタイムでブログに書くということができなくて、このような仕方で日記を書くことが多い。電車のなかで取った日記のようなメモを、次の週にまとまった文として復元するような作業だ。たとえば9/15のブログは、9/15の前後に書かれた日記のようなメモをもとに今日書いたものなのだが、これはもはや日記といえるかどうか怪しい。いったいなんなのだろうと思う。限りなく日記に近いものなのだけど、記憶の不確かさを埋めるように、今日考えたこともところどころに織り込まれている。

 少なくとも、まったきドキュメンタリーとはいえない何かにはなっている。ぼくは記憶力が悪いので、出来事を文に書き起こす作業を通さなければ、大事なこともすぐに忘れてしまう。だからこのブログは、ぼくが、ぼくの身に起こったことを忘れないためにおこなっている作業の結果、という感じがする。

 フィルム写真を撮ることを前提にブログを組み立てていることも、こうした書き方の理由になっているかもしれない。フィルムは、撮ってから現像までの時間のずれがある。そしてそのずれを復元するように、日記という体をとって、過去を組み立て直す。iPhoneのメモにのこしている断片的な文章は、そういう意味では、フィルムで撮った写真によく似ている。

 もう可能でない未来や、死んでしまった命や、自分だけが抱えている想いや、誰からも忘れられてしまった物どもを、どうしても忘れたくないと、意地でも覚えておいてやろう思っているから、わざわざ復元してまで、書いたり、撮ったりするのだろう。

 

 日記の復元がおおむね完了し、外出する。つい2週間前まではただ熱風を受けるだった過酷な下り坂も、今日では、自転車ですーっと下ると、少し肌寒いが肩をすぼめるとまではいかないくらいの涼しい風が全身を覆う、快適な下り坂になっている。自転車をこいでいると、遠くのほうから、何かが燃えているにおいがする。ぼくの実家の地域でも確か、この時期になると、これと似たような焦げくさいにおいがどこからともなくしてきた。落ち葉や枝葉を、畑の焼却機で(あるいはたんにドラム缶で)燃やしているにおいだろう。だから秋口にかけて、ひんぱんに嗅ぐにおいなのだろう。よくいく喫茶店の目の前の木にはすずめがたくさんとまっていて、木の周りをたくさんとびまわっている。

 いま、この日記を書き終わったところだ。18時くらい。今日の日記はリアルタイムで書いている。今から映画館に行って、TENETを見ようと思っている。