声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨Takahiro Ohmura

SEPT.23,2020_藪を歩く

 昨日は4連休の最終日だったが、とくに遠出をすることもなく、一昨日の夜に見たTENET(ノーランの最新作)のことを考えていた。ナイトショーで見たのだけど、帰ったら疲れてぱたりと寝てしまったものだから、起きてから、目まぐるしいくらい、この映画のことを考えていた。感想をまとめるというよりも、感想を書くための下調べで一日終わってしまった感じだけど。

 この映画、個人的には非常に楽しめたのだけど、感想をどう書こうか考えているうちに、自分は純粋に映像のもつ構造とそれを目撃する際の知覚の形式性みたいなものに感銘を受けたのであって、物語やキャラクターに関してはほとんど何も頭に残っていないということに気がつく。映像として非常に複雑な構造をもった映画なので、キャラクター造形に関しては極力シンプルに、ある意味では型にはまったものにする必要があったということかもしれない。これはSF映画あるあるだとは思うけれど、登場人物の心理描写やそこでの人間的なやりとりを期待して見てしまうと、なんと薄っぺらい映画なんだろうという印象を抱いてしまいかねないと思う。それくらい、超自然的な時間の映像的な表象にステータスを振り切っているような作品だと思う。とまれ、キャラクターの“うすっぺらさ”を軽く凌駕するくらいには、映画として未踏の領域に踏み込んでいるすごい作品だとぼくは思った。

 そんなこんなで一日家でうだうだしているような休日だったのだが、午後を過ぎたあたりで、関東に大きな台風が近づいているという情報をキャッチし、これはいかん、買い物へいかねばと思い立つ。ついでに散歩もしなければ、とも思う。涼しくなってきたので、どこかの休みの日にでも、近所のいったことのない場所へでかけたいとずっと考えていたのだった。

 特に目的地もなく、たぶん2時間くらい、カメラを持ってたくさん歩いた。1時間くらい歩いたあたりで、いかがわしい雰囲気の藪(林?)を発見したので、個人の敷地ではないことを確認して、しんちょうに、なかに入った。下の写真ような感じ(これで14時くらい)。あやしいでしょう。

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 台風が近づいているからだろうか、この日はずっと曇り空で、空は実家の富山のような鉛色だった。そういうわけで、林のなかに入ると、とてもくらい。でも、獣道のような開けは確実に林のなかに一本、すうっと通っていて、おそらく近所の人が少なくない頻度でこの場所を歩いているのだろうということは予想された。

 歩いていると、たまに明るい場所があったり、すごく暗い場所があったりした。明るい場所というのは、道のかたほうが崖になっているようなところで、そこでは雷に打たれたのか、あるいは台風で吹き飛ばされたのか、倒木が互いに寄りかかったりしていた。蚊がものすごい勢いでよってきて少し嫌だったが、道を進むと、空間がひんぱんに明るくなったり暗くなったりするので、ああ、これ探検みたいなだなと思われて、蚊に血を吸われるのは入場料みたいなもんだな、という気持ちになり、かまわないことにした。

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 このままいけば、いずれ街のとば口にはたどり着くだろうと気楽に考えていたが、いっこうにたどりつかず、藪は深くなるばかりであった。そのうち、道はどんどん細くなってきて、とうとう行き止まった。けっこう急な斜面を降りていけば先にも進めそうだったけれど、もとの道に帰れるかどうか不安になっていたところだったので、ここらで素直に道を引き返した。

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 気がついたら林の奥深くまで迷い込んでしまっていたみたいで、帰り道、自分は入ってはいけないヤバい道に迷い込んでしまったのではないか......ナタを持った老婆とか出てきたらどうしよう......と不安に襲われた(オカルト的思考の弊害だ)。なんとか無事に、もとのアスファルトの道に戻ったころには、全身を蚊に刺されていたみたいで、信じられないくらいの痒みに襲われていた。入場料にしては高すぎるのではないか、としばらく震えていた。ヤブ蚊どもは服のうえから血を吸っていたみたいだった(薄手のジャージを履いていたことが災いした)。たくましいことだと、感心もした。

 近代的な、舗装された道を歩いていると、蕎麦屋を見つけた。おばあちゃんが一人で店を切り盛りする店だった。腹もへっていたので、天ぷらそばを一杯食べた。特段おいしくはなかったが、つゆはすべて飲んでしまった。おばあちゃんはお会計の際、少しだけ自慢げな、ちょっとだけ嬉しそうな表情をしていたように見えたけれど、ぼくはかまわず、そこまでおいしくはなかったけれどつい飲み干しちゃいましたね、の顔で会釈をし、店を出た。また来ようと思った。

 蕎麦屋の近くのスーパーで夕食の食材を探していると、いちじくが売っていた。先週からずっと探していたので嬉しかった。家に着いたのは16時くらいだったと思う。日が暮れるまでは、自分の持っている書籍のなかで、時間に関する記述がなされているものを本棚から取り出し、じっくりと読むことにした。調べたいのは、客観的な時間(時空を等質的で、分割可能で、測定可能な媒体として表象するようなニュートン的な時空の枠組み)ではなく、主観的な時間についてであった。とくに、複数の行為主体が観測する主観的な時間の「二次的な組織化(束ね)」に関する文言を探していた。TENETについて書くためには必要だと思えたからだ。ベルクソン、バシュラール、マクタガート、アインシュタイン、エリー・デューリングなどの文章を棚からひっぱりだして、ひとまず読んでみている。

 そろそろ夕食を作ろうかというときに、大切な友人からメッセージが届いたので、メッセージを返す。生について、あるいは他者とともに孤独でいることについて(いささか唐突ではあったが)真剣にメッセージを交わしたものだから、どこまでもおだやかな心地なまま、ぼくは孤独でいられるような気がした。単に孤独であるのでなく、誰かとともに孤独であること、は、ひとつの希望だと思えた。

 メッセージがひと段落し、少し真剣な気分をそのままに、ぼくはかなり真剣に、パイナップルの代わりにいちじくを使った酢豚を作った。黒酢、砂糖、醤油、酒、山椒などを混ぜ合わせたタレを煮込み、カラッと揚げた豚肉とパプリカを投入し、火を止め、フライパンのなかでいちじくを優しくまぜあわせる。おいしかった。未知の領域という感じであった。が、パイナップルとは異なり、果肉が柔らかいいちじくは甘みがタレにかなり溶け出してしまうので、想定したよりも甘めの味付けになってしまった。誤算であった。今後は砂糖の量は少し気をつけなければいけないなと思った。このころになると、蚊に刺された痒みはいつのまにか消えていた。風呂に入って、先ほどの作業の続きを少し進めて、寝た。

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