声にだして読みたくなるブログ

大村高広丨建築と写真を中心に、音楽、映画、美術、人文学などについて書いている備忘録です。

外構整備のための対話 / 2018.5

 

齋藤直紀  まずはじめに、プロジェクトの立地状況やその特異性を大枠として提示して、議論をはじめていきましょう。このプロジェクトの計画地は群馬県高崎市の倉賀野駅前で、駅前開発の工事が進められている北口に面しています。敷地の東面と南面は市道(42条1項4号道路)で、南側には倉賀野駅のプラットフォームが道路を挟んで接しています。また西面は駅前ロータリーとの接続が、北面は住戸の建設が予定されています(西面と北面は現在空き地)。私たちがこのプロジェクトと関わり始めた当初は、敷地周辺はまだほとんど道路の整備も進んでいないような状況で、120坪の大きな敷地に、既存の住宅がポツンと孤立しているような状況でした。

 施主からの最初の要望は、「外構整備」でした。というのも、既存の住宅は5年前に他の設計事務所によって建設されたものなのですが、線路に面する南側は外構整備が放置されているような状況だったのです。なぜかというと、南側は前面道路が車道から歩道になる関係で、1.5mの道路縮小工事が計画されていたからです。つまり自分たちの敷地が1.5m拡張することが予定されていたのですが、この状態ではもちろん塀は立てられないわけです。しかし工事は遅々として進まず、住宅建設から5年近く経った2018年にようやく完了するということになりました。これに合わせ、こちらに相談がきたということです。

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△ 2017年12月地点での敷地状況。この月から前面道路の工事が始まり、今年の3月に完了した。


大村高広  5年の歳月というのはとても大きくて、施主のひとりである老婦人(以下、婦人Aさんとする)の趣味が園芸ということで、敷地にはかなり豊かな庭が「育ってしまっている」という状況でした。ジル・クレマンの『動いている庭』よろしく、敷地形状やホースの位置、樹木の特性等から、植物の群落や庭のなかの動線が自然に導かれ、そこでの施主の生活リズムもまたすでに習慣化してしまっている。そしてそのまわりには、他の建築家によってデザインされた外構が中等半端にに残っている。このような状況に、私たちがいったいどういった仕方で“新たに”手を加え、外構を整備するべきなのか、かなり頭を悩ますことになりました。「1から10まで自分たちでデザインする」ということが、はじめから成り立たない。むしろ「7まで完了しているデザインを10にする」ということが求められた。ですから、従来とは別の仕方での、デザインの方法論自体を新たに開発しなければいけないということを、プロジェクトのかなり初期から突きつけられることになりました。
 また、現在西側の敷地は放置状態ですが、ここにはロータリーの工事が完了次第、貸店舗・貸オフィスとして運営可能な建物をつくりたいということでした。ここは駅前の抜群の立地ですから、それはかなりリアリティのある要望だったかと思います。またその空間は施主のひとりである女性(以下、婦人Bさんとする)が自らのケアマネージャーのオフィスとしても一部使用したいということで、さらに、いずれは息子夫婦がその別棟=アネックスに戻っていくるということも考えている、と。しかし、駅前の工事がいつ完了するかは目処が立っていない。

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△ 外構が整備されないまま5年が過ぎた既存住宅。施主が世話する植物が敷地を占拠する。


齋藤  そうですね。何度も市役所へ問い合わせをしましたが、2026年までの工事完了が決まっているだけで、その間の進捗計画は未定で都市計画図もスカスカな状態でした。おそらく北側に走る中山道と駅前が接続するのが8年後ということなのですが、じゃあロータリーはいつごろできて、敷地西側がいつ頃から使えるようになるのか、ということはわからない。同じく現在駅前開発を進めている高崎駅のほうに予算がかなり割かれていて、倉賀野駅の開発の方はまだ具体的な計画が進められないのではないかと思います。
大村  でも、工事はストップしているわけではなく、一応少しずつ動いてはいる。ずっとアンダー・コンストラクション。
齋藤  ゆっくりとではあるけど進んでいる。それこそ1年で100m道路が整備されるかどうかというようなスローペースで、ですよね。  そもそも南側の道路縮小工事がそうだったこともあり、この都市計画の怠慢さ、ゆるさみたいなものに振り回されているのが、このプロジェクトです。しかし、この「未来が想定できない」という状況には、うまく折り合いをつけないといけない。

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△ 進まない駅前ロータリーの整備。工事の進捗が遅いので、縁石周りは雑草が生えている。

 

プロジェクトの分断とその肯定

大村  このプロジェクトの特性はまさにこの部分で、すなわち、都市計画によって否応なく複数のフェーズに分断されてしまっていることです。少なくとも私たちはある地点からそう考えだし、この分断状況を肯定的に取り扱っていく方向へ舵を切りました。できれば、その分断されたフェーズにおいて、場当たり的に工事を進めるのではなく、各フェーズが有機的に連関し合うようなプロジェクトとしたい。
齋藤  タイムラインを示します 。このプロジェクトでは、敷地の2度にわたる拡張整備がおこなわれます。まず《拡張1》ですが、これは現在施工を進めている外構の整備です。続いて《拡張2》ですが、これは駅前のロータリーが整備され次第進めるフェーズで、西側の空き地に別棟を建設します。そして息子家族の入居に合わせ住環境を整備する改修工事、《書き直し》は2027年6月着工を目標にするということで施主と計画を組み立てました。各フェーズではそのつど「組立」をおこなうわけですが、それらは絶えず、他のフェーズとの関係によって位置づけられるものです。たとえば《拡張1》の外構整備において、未来は予想できないのだからひとまずブロック塀を立ててしまおう、ということも考えられるのだけど、そうではなく、徹底して2年後、4年後の計画を具体的に想像する。

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大村  2年後に建設される予定のアネックスを、単にボリュームのレベルで想定するのではなくて、通り心の位置から開口部の納まり、壁面のディテールといったところまで一旦設計を仕上げてしまうことで、はじめて外構整備の塀の位置が決まる。
齋藤  周りが変化することはわかっているので、現在の周辺環境をコンテクストとして計画に包摂した設計をおこなうことは危険だと考えました。でもそうすると、まず求められた外構整備に関しては、デザインの根拠がなかなかみつけられなかった。でも自分たちが恣意的にデザインしたオブジェクトを「加算」することも、敷地の状況から極力避けたい。だからこそ、「未来の計画」が明日のデザインの根拠となる、という逆説的な状況が生まれます。都市計画による中断=介入はプロジェクトの句読点のようなもので、分断を通じてむしろプロジェクトが活性化されるような状況に持ち込みたい。
大村  プロジェクトが切断されることで発生するのは、「余白」の期間です。既存がそもそも、外構が計画されないまま5年間野放しにされていたという歴史をもっていますが、この「余白」の期間にこそ、「対話、組み立て、書き直し」が混入しうる。プロジェクトの修正可能性を最大化しつつも、各フェーズの切り替え地点で「組立」をおこない、それによって、「今、ここ」の視座から捉えられた(複数である、と同時に単独のものでもある)「計画」というフレームの射程を、幾つかの断面において計測する。
 計画の空白は、拡張することのできる場であり、また、計画を補綴する装置のための空間をもたらします。計画と計画の余白において、即興的な身振りやある継続的な習慣が混入することで、プランの「書き直し」のフィードバック・ループが生じるのです。

 

《拡張1》: 外構整備
大村  具体的に、今回施工を進めている外構整備ついて話していきます。最大の特徴は、敷地がまるまる南側に1500mm拡張される、ということです。この敷地南面ですが、駅のホームと室内の目線の高さが同じでホームから丸見えなので 、目隠しをしたいということが最大の要望でした。ただ、全部隠すと肝心な庭が見えなくなるので、それは嫌だと。
齋藤  道路縮小工事の影響で5年間塀が立てられなかったわけですが、そのおかげで、通りがかりの人が「お庭綺麗ですね」と声をかけてくれ、会話が生まれるという状況が習慣化しているそうです。工事の中断によってたまたま発生した状況を、施主は楽しんでいるわけですね。婦人Aさんはまさに庭師で、日中の1/3以上は庭に出て、雑草を抜いたり花を植えたり花の場所を移したり、とにかく作業をしていて、休日は婦人Bさんとともに植木屋とか花屋さんに行って植栽や土を買っている。
大村  庭が生活の一部となっているわけですね。そのためというか、プライバシーを確保することや使い易くすくすること以上に、より「いじりがい」のある庭にすることを考えました。
齋藤  場所の骨格は与えて、その先の飾り付けは住まい手がおこなう。前面道路ですが以前あったドブ川が塞がれ、歩道として整備されたため、線路の縁に座って迎えの車を待ったり、電車が来るまでの時間をホームではなく道路で過ごす人が増えました。また小学生の通学路となっているため、自然と地域の人の目が子供達にも触れることになり、この地域にとって良い結果になっていると思います。「道」から「場所」へと、変わってきている。また、ホームと既存敷地の間が貨物列車の停留所となっているため、夜中もずっとホームの灯は消えず明るいことも、この前面道路の特徴のひとつといえるでしょう。
大村  《塀》の機能と特性を、
a. 視界をコントロールする装置である(=目隠し)
b. 敷地の境界を示すサインである(=区画)
c. 内部=敷地でも外部=道でもなく、接触面として立ち上がる自律したモノである(=物質)
と、これら3つに仮定してみます。拡幅される1500mmの空間を、まるごとこのような特性をもった《塀》として使うとどうなるか、ということが、「《拡張1》: 外構整備」のチャレンジになると思います。
齋藤  1500mmという厚みのなかで出来ることの可能性を吟味しつつ、施主の要望を踏まえると、以下のように《塀》の機能と特性を読み替えることができるでしょう。
a’. 歩行者のとのコミュニケーションを確保しつつも、プラットフォームと居室を視覚的に分断するため、要所に樹木を配置(複数の距離に対応する目隠し)
b’. 区画のサインとして日常的に使用される複数の素材(ピンコロ石、コンクリート擁壁、ホローブロック、アイアン)をずらしながら配置することで、性質の異なるレイヤーを重ねる(区画の複層化)
c’. 内部(敷地)でも外部(道)でもなく、接触面として立ち上がる自律した空間(空白地帯)
これが、本フェーズのコンセプトということになるのではないでしょうか。

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△ 既存住宅の南側和室で立った時の視線の高さと、駅のプラットホームのベンチに座った時の視線の高さがぴったり合うため、現状では和室や和室前の外部空間が開放的に利用されていない。駅のプラットホームから室内への視線を遮るため、ベンチや階段付近等のホームで人が滞留している場所から、線路脇に設置してある看板を避けて通る視線を考慮して植栽を配置している。


大村  拡幅される1500mmをまるごと「長い庭」として既存の庭に連続させつつ、しかし動線を制限した、少し入りずらい場所とする。いわば心理的なノーマンズランド(無人地帯)として、尾瀬の湿地帯のようなイメージで拡幅部を位置づける。この里山のような場所は、ノンヒューマン(植物、虫、鳥等)の居場所となるということも考えられるでしょう。これはポエティックな意味ではなく、音環境等を含めたフィジカルな効果を狙うもので、庭の性格を決定づける要素となります。
 また、c' は言い換えると、「所有者が曖昧な空間」ということです。ブロック塀がまさにそうですが、《塀》の裏と表を両方兼ね備えるような性質をそのままに、無理やり引き伸ばして、分厚くする。そうすると、だれのものでもないような「空白」が立ち上がる。
齋藤  歩行者に緊張感を与えない場所、という意味での公共性をもった「空白」ですね。赤色のピンコロ石を用いて、あたかも市庁舎の花壇のようにどことなく公共的な性格を帯びた仕上げとしたことや、住宅の規模を超えた25mという幅、視覚的な「ひらけ」、全面が線路という環境等、この場所が公共的な性質を持った空間だと感じられるような工夫は、複数おこなっています。
大村  公共性ということでいうと、庭を道の全面に沿わせることで、具体的に快適な道空間の形成にも加担しています。てんで工事が進まないこの場所において、高崎市に先立ち個人の力で、誰よりもはやく「道の整備(デザイン)」を勝手にやってしまうこと。これはボランティアという気持ちでやったわけではなく、翻っては住環境を良好なものにするためにやったのです。
齋藤  個人の設計者が前面道路を良好な環境にしうる、という可能性が残されていることは、実はなかなかありません。敷地境界線を超えた先の環境をコントロールできる余地がいま、残されている。だからこそここに、既存の住環境に最大限チューニングを合わせた公共的な場所を設けた。
 複数化された《塀》(コンクリート擁壁/ホローブロック/アイアン手すり/ピンコロ石/樹木/既存塀)は、庭にレイヤーを作り、道側から見たときに外部空間の奥行きを引き出しています。これらの素材は次のフェーズでも引き続き用いられ、モノ=道具が媒介となり、各フェーズが部分的につながっていきます。

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習慣化された身体の組み換え
齋藤  生活動線を整理するということも、今回の外構整備のキモでした。既存の説明をすると、昔からのこの家のルールみたいなもので、来客以外は基本的に正面玄関は使えないそうなのです(婦人Bさんが子供の頃からのきまりで、正面玄関は来客のために綺麗なままにしておきたいという理由)。なので、《拡張1》の工事後も住民の動線は変わらず北東の勝手口を使うルートになります。
大村  生活動線を変化させるということは、限定された既存環境のなかで反復し、習慣化してしまった身体をどうほぐしていくか、ということですね。

齋藤  習慣化した身体は、そう簡単には変わりません。しかし、お箸とフォークを使い分けるときのように、複数の習慣を身体に内在させることはできます。ですから今回おこなったのは、外部空間を、複数の公開性を持ったいくつかの領域に分割することでした。
大村  敷地の複数化とキャラクタライズを担うのは、前述の複数化した《塀》たち(コンクリート擁壁、ホローブロック、アイアン手すり、ピンコロ石、樹木、既存)であり、それら異質なモノからなる布置=星座です。一見すると「道具」という言葉は、その用途を定める作り手や使い手によって包摂される可能性を暗示するようですが、私たちは自由に使える手持ちの道具を通して、はじめてその用途に気づきます。たとえば箸を持てばつまみ、スプーンをもてばすくうというように、道具が行為を「引き出す」のです。この例で思い出したいのは懐石料理とフランス料理の対比的な関係ですね。フランスのコース料理の場合は、フォークやスプーンといった道具と各々の料理は一対一対応させてある。一方で懐石料理では箸という単一の道具を用いながら「作法」を複数化させる。今回イメージしているのは後者のような、ひとつの道具から複数の行為が引き出されるような局面です。
齋藤  ええ。このプロジェクトにおける複数化した《塀》はいわば場=装置(ロケーション・デヴァイス)であり、「パブリックな習慣」(線路に花の種を蒔く/猛暑の日は昼間道路に打ち水 通りがかりの人と軽い会話/通りがかりの小学生に手を振られる等)、「セミ・パブリックな習慣」(窓際に座って本を読んだりたまに外を見る/親戚や友達が家に来ておしゃべりやお茶会/通りがかりの友達と長話等)、「プライベートな習慣」(近くの工事現場から石を持ってきて庭に敷く/18時ごろホースで植物たちに水をやる/仕事終わりに家周辺を散歩等)という、複数の習慣を探索・検討・制作してもらうための装置として、位置づけられます。
大村  施主のタバコ屋のおばさんのような街での立ち位置はかなり魅力的で、この環境をサポートするような仕方で外構の各エレメントを配置するよう心がけました。ここで効いてくるのは、今回かなり敷地に余裕があるということです(これはいわば群馬県という立地上の特性でもあると思うのですが)。出来事はどこかで生起する以上「場所を取る」。そして、出来事が介入となり、異なる人物の主体性が問われるからこそ、それは他者の現前とともに生起する。このとき、「余白」が空間的にも時間的にも存在するということは、大変重要になります。

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《拡張2》: 別棟
齋藤  続いて《拡張2》について話していきましょう。西側に面する道路が2020年から2021年には完了する予定とのことなので、2020年9月の着工を目処に別棟の新築工事をおこないます。とはいえ敷地は分筆される予定なのでボリューム同士が直接接続されることはなく、あくまで「近密な距離にある別の敷地の建物」として配置をおこなっています。求められている機能を確認しておくと、まず貸店舗・貸オフィスとして運営できる空間、次に婦人Bさんが事務所として使用できる場所、そしていずれは息子夫婦が住宅として使用できる環境に、ということでした。
大村  息子さんが帰ってこられるのが仕事の関係で10年後以降ということ(5年間の転勤が今年度から始まり、おそらくもう一回は転勤があるだろうとのこと)だったので、今のところ建物の竣工時(2021年5月)から6年間は貸しスペースの運用されるとみて計画を組み立てています。つまり息子家族が入居されるまでの6年間は、ひとまずお風呂やキッチンといった機能は要さないということになります。
齋藤  既存の母屋に関しては検査済証が確認できており、増築が可能です。別棟の工事はあくまで同敷地内の増築というかたちをとるので、ここでは貸しスペースとしての最低限の設備を用意することで工費を最低限に抑えています。ただし、壁の仕上げや部屋の配列等は、次フェーズの《書き直し》で別棟を住居スペースとして改修することを踏まえて決定しています。この段階で既に布石をうっておく感じですね。
 具体的な構成をみていきましょう。別棟は「a / b / b / b / a」の単純なリズムの反復により、5つの領域に分割されます。このうち〈B〉/〈D〉は半外部空間であり、これにより内部空間〈A〉/〈C〉/〈E〉が独立して配置され、駅前に面する構成をとります。
大村  〈C〉は2層になっていますから、別棟では個別に賃貸運用が可能な4つの部屋を新築していることになります。角地に面する〈E〉に関しては、施主の婦人Bさんが居宅介護支援事業(ケアマネージャー)の個人事務所として運用する予定です。また〈B〉/〈D〉はいずれも屋根下の半外部空間ですが、〈B〉がモルタル金ゴテで床を仕上げている一方で、〈D〉は庭からの土が連続し、きわめて外部性の強い場所となっています。これによって施主が個人的に使用するスペース〈E〉と賃貸として運用する〈A〉/〈C〉は同じボリュームに属しながらも、ゆるやかに区分けされます。

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△ 左: 別棟は「a / b / b / b / a」の単純な分割リズムとし、室(青)を半外部(グレー)により柔らかく綜合する。 / 右: 祖母・母・息子家族は互いに個人的なスペースを持ちながらも、部分的に領域を共有し、ゆるやかにつながりながら生活する。

 
《書き直し》:住環境の整備
齋藤  駅前の道路整備が完了するのが2026年、そして施主の息子家族が入居されるタイミングが2028年の春です。息子家族の生活を受け止めるため、この間に別棟の増築工事と母屋の減築工事を同時に進め、別棟を住戸に更新しつつ、母屋との部分的な接続を計画します。
大村  この《書き直し》フェーズにおいては、まず別棟の〈A〉をバスルームに、〈B〉を半外部空間から主室に、そして〈C〉をキッチンスペースに改修します。また母屋北西の部屋も別棟に属する部屋として改修し、母屋と別棟を一体化したような住環境を提案しています。なお、〈E〉は引き続き施主の個人事務所として使用されます。

齋藤  息子夫婦は敷地北東部を駐車スペースとして使用する予定です。なので、母屋北側に通り抜け可能な土間を設けています。また、母屋和室の北側・西側も土間仕上げの動線スペースとし、ロッジアのような半外部空間として別棟と母屋を接続します。これにより既存の和室は「庵」に近いような、母屋から部分的に切り出された場所となっています。

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大村  《別棟》から《書き直し》まで一貫する提案のコンセプトは、すべてを既存の《拡張》としてつくるということです。そもそも敷地が拡張した部分に建物を設計するわけですが、この建物の素材となるあらゆる要素(素材、構成、スケール等)を、既存に内在する要素の「展開」とする。たとえば別棟の通り心は、既存住宅の通り心のほぼ《拡張》として引かれています。だからこそ、《書き直し》においてスムーズに既存母屋と接続されている。
 モノ=道具に関していうと、たとえば《拡張1》で組み立てた庭のゆるやかな斜面にめり込む「アイアンてすり」は、別棟の階段の手すりとして、寸法・素材・仕上げはそのままに転用される。同一のモノ=道具を媒介にすることで、「別棟の階段」と「庭の斜面」は類比物として、距離的には離れていますが接続されることになります。
齋藤  こういった操作は別棟の設計におけるあらゆる部分で反復されています。モノ=道具が自己準拠的に敷地内に繰り返し現れるのだけど、それは完全な複製ではない反復であり、モノ=道具の布置はそのつど書き換えられています。既存環境→《拡張1》→《拡張2》→《書き直し》という断絶された各フェーズは、モノ=道具を媒介にして部分的につながり、それらは過去と未来と現在をないまぜにしたネットワークの錯綜を形成し、敷地内のオブジェクトは2通り以上の意味や使い方を有することになる。
大村  分断されたフェーズによって、異なる2つのパースペクティブを与えるのではなく、「2通りに眺められるひとつのパースペクティブ」を導入する、ということですね。図と地が絶えず反転しうるような場所を徐々に形成する。

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△ もともと半外部スペースだった空間を《書き直し》フェーズで改築した主室。「主室への改築」という未来の与件からアネックスの構造と半外部空間のスケールの設定がおこなわれ、それを根拠として外構整備のデザインとレイアウトを決定する。時間軸を逆転させ、未来から現在へとデザインを演繹していくこと。

 

部分的つながりとサイボーグ
大村  このプロジェクトを概観して、ダナ・ハラウェイの《サイボーグ》という概念がかなり近いのかなと思いました。《サイボーグ》は身体でも機械でもない存在で、既存の身体に対しパーツが継ぎ足しされていくのだけれども、しかしひとつの「人格」は維持され続けることで、一個体に複数の身体性が内在しています。ハラウェイはこうした認識を導入することで、「脱性差時代の世界の産物であるサイボーグ」という非常に強力なフェミニズム言説を織り上げました。
齋藤  ハラウェイを参照した人類学者マリリン・ストラザーンの『部分的つながり』という著作も、わたしたちの対話に何度も登場したトピックでしたね。ストラザーンは人間と非-人間の境目があいまいなアニミズム的世界観をもつメラネシアやパプアニューギニアの人々を分析する上で、社会的な役割をもったモノ=道具に何よりも着目しました。ある特定のモノ=道具はメラネシアの部族間で異なる意味・用途をもつのですが、彼女はそれら複数の使用可能性に開かれた事物の〈部分的なつながり〉を描き出すことによって、人類学的考察を進めています。
大村  これらの試みと私たちのプロジェクトは遠く隔たっているようですが、並行性がたしかに存在していると感じます。私たちは「新築」をしたわけでも、「リノベーション」をしたわけでもありません。私たちは、「既存」に対し、いくつものフェーズにわけた《拡張》をおこなったわけです。いわば《人工器官的な拡張》をおこないました。すなわち、単に新しい要素を「加算」するのではなく、すでにそこにある要素を用いて、それらを従来とは別の仕方で次々と変奏していくことで、「既存」を少しずつ展開し、派生させて拡張し、成長させていくこと、です。つまりは既存を「サイボーグ化」すること、によって、ばらばらな事物をある関係性の網目の中に結びつけ、過去と未来をないまぜにしながら、複数の主体と偶然性を計画のなかに練り込んでいくことを、おそらく意図していたのではないでしょうか。

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